びゃっこたい とくとみそほう
白虎隊 徳富 蘇峰
いちむ おんしゅう しじゅうねん かくじょう はる いた くさ せんせん
一夢 恩讐 四十年 鶴城 春は 至りて草 芊々
憐れむ他の白虎 紅顔子 万朶の桜雲 墓田を護る
詩文説明
戊辰の役に敵と味方に分かれ戦った会津戦争も 40 年たった今では昔の夢となってしまった。春が来て鶴ヶ城には草が青々と茂っていて戦いがあった痕跡も見当たらない。若くして命を賭した白虎隊の墓には多くの桜が守るように咲き誇っている。

1、会津戦争
(戊辰戦争、
1868(
慶応
4
年
)1
月
3
日鳥羽伏見の戦いから五稜郭の戦争までの討幕派と旧幕府軍の交戦
で会津にも討幕派の軍が押し寄せてきた。会津は年齢により青竜・白虎・朱雀・玄武の4隊に分
かれ白虎隊は
16
~
17
歳の少年隊で編成、前線で戦うも戸の口の戦いで敗れる。
2、 8 月飯盛山で 19 人の白虎隊は自刃する。
1、戦いの有ったことも夢のように青葉が茂り、現在では会津城には桜が咲いていて美
しい。
( 会津城の桜の写真の持ち合わせなく咲いている会津城のイメージで作る)
2、白虎隊の墓の周りには桜が守るかのように咲き誇っている 。 ( 桜を合成 )
3、 19 人の白虎隊の墓 (会津若松駅前の銅像と桜を加えてます)
作者 徳富蘇峰 (1863 ~ 1953) 文久 3 年~昭和 32 年。
ジャーナリスト。蘆花の兄。本名は猪一郎。熊本県生まれ、熊本洋学校に学び華岡山の盟約に参加。同志社に学ぶが中退、1990年 「国民新聞」を創刊。桂太郎と結び、 1911 年貴族院勅選議員。桂死後政治から身を引き著述活動に専念。 1943 年文化勲章受章。