烏 江 胡 曾
てい あらそ おお はか いきお すで かたむ はっせん へい さん そか こえ
帝を争い 王を図りて勢 い已に傾 く 八千の兵は散じて楚歌の声
うこう こ ふね わた な あら とうご む ふたた へい おこ は
烏江は是れ船の渡る無きに不ず 東呉に向かって再び兵を起すを恥ず
※東呉=江東 ( 春秋時代の呉の領土 )
詩文説明
項羽は劉邦共にと中原の帝王になろうと劉邦と幾多の戦いを戦い常に連勝を重ねてきたが、ついに勢いは敗戦に傾く運命となった。部下八千の将兵は逃げ散じ四面楚歌の声を聞く憂き目となった。烏江に渡り捲土重来巻き返すことも出来たであろうに、項羽は船はありながらも東呉で再び兵を起すことを恥じて自刃してしまった。
1、項羽は劉邦と中原の覇権をかけて戦い連戦連勝であった
2、馬上の凛々しき項羽像 3、劉邦像
(
前漢の王
)
( 中国五千年(2)

1、項羽軍はついに垓下の戦いで敗北をきっし軍兵達は離散。
2、残った兵は食料も尽き、気力も失いただ」項垂れる。
3、夜中、四方周辺からは楚の歌が聞こえ楚の出身者が多い項羽軍は望郷の念にから
れ、項羽は多くの自軍の楚
の出身者たちが降伏してしまったのかと絶望しつつ烏江
まで逃れ追撃された。
(
四面楚歌=張良の策略)
(テレビ番組項羽と劉邦)
1、烏江。(渡し場の役人が船を用意して長江まで渡らせようとしたが、項羽は「挙兵
の時は
8,000
人を連れて出兵したのに今は私一人がどうして川を渡る事が出来よう
か彼らの父兄に合わせること顔がないと恥じる。
2、項羽軍に最後の戦いを挑み、自刃して果てた。3、垓下遺址碑
(史記の世界ふくろうの本
)
作者 胡曾
晩唐の人。西川の節度使の書記となって功を樹てた。「九疑図経」「詠史詩」「安定集」の著書がある。