こうじょう ふね さがてんのう
江上の船 嵯峨天皇
いちどう ちょうこう せんり つう まんまん りゅうすい こうせん ただよ
一道 の長江 千里に通ず 漫々たる流水 行船を 漾 わす
ふうはんとお ぼっ きょむ うち うたご こ せんさ てん のぼ ほっ
風帆 遠く没す虚無の裡 疑 うらくは是れ仙査の天に上らんと欲するかと
※江=淀川の北岸辺りを指し此処には嵯峨天皇の離宮があった
(
現在離宮八幡宮辺り
)
。
※河陽=現在の京都山崎付近。 ※長江=長い川。
詩文説明
河陽の離宮辺りから見ると、淀川が千里の彼方まで続くかのように水は漫々と流れている。その流れに、船は行きかっているが、船々 ( 帆船 ) は風に乗ったように早く、遥か遠く彼方に消えていく光景は、まるで仙人の乗った筏が天に上るかのように思われる。
作者 嵯峨天皇 (786 ~ 842) 第 52 代天皇。
平安初期、延暦 5 年 9 月 7 日桓武天皇の第2皇子として長岡宮に御降誕。平城天皇の同母帝。御名は神野。神野は乳母の姓による宮中古代の故実に基づく。幼児から聡明。読書を好み、長じては経史を博覧せられ、文・書に卓越。 ( 詩人であり和歌よりも漢詩を好んだ ) 。書は釈空海・橘逸成と共に「三筆」と称られる。「薬子の乱」などを平定、内政の充実に努め、平安京を安定させた。葛野 ( 現在の嵯峨野 ) を愛し嵯峨離宮 ( 現在の大覚寺 ) を造営。「嵯峨は唐の嵯峨山から取り自ら名命」に居住、承和 9 年 7 月 15 日、 57 歳で崩御された。没後「嵯峨天皇」の号を受ける。御在位 15 年。

1、淀川
2、左の淀川を左右反転させ、行く手の川と空の地平線を一体にして仙人になった私が筏に乗って
疾風の如く進んで行く詩文の状況を創りました。何本かの線は
風の速さを示したものです。
1、京都山崎辺りの錦絵 2 、嵯峨天皇の離宮址碑 3 、嵯峨天皇