私の湘南スタイル

私の湘南スタイル

社会人になって


平塚支店に勤務することになりました。
同期は神奈川県立平塚江南高校卒業の女子のお二人でした。

 穏やかな支店長に総務課長、ゲキを飛ばす営業部長のもと、セールスマン
事務職、外交のご婦人社員さん達、総勢50人程で株式から投資信託、国
債など.多数の売買商品があり、営業職にその日その月の各種のノルマが課
され、キャンペーンの時期には私達も動員されました。当時の平塚支店は
全国三位の実績があり、ヘトヘトマークの社章をみると懐かしく、今でも
思わず声を掛けたくなります。

まだソロバンが当たり前で、野村證券が初めて大型コンピューターを導入、
四日目取引となり、まだ証券を数える時代でしたが今やオンライン・男女
平等・同一賃金、私たちの時代とは大違いです。

 初めて口紅をつけ会社に行ったのは、3人で示し合わせた半年後でした。
午後七時が家の門限、父が言うには「残業するのはできない人」。要領の
いい人は毎日ノルマの宛名書きは、夜食を食べてからやる。私は必死にや
りました。
残業しない子は良い子じゃない評価、今思えば要領が悪かったですね。

 寿退社が当時の風潮「お局さんにはなりたくないね」と言いあったのに.
ボーナスの高額に定年まで勤め上げた人、私は4年に満たない退社でした。
理由は茅ヶ崎で初めての薄皮ピザのお店をオープンするために!

 1969年にピザ・.ナポリタンのお店「ドンガバチョ」がオープン!
私は結婚でやめましたが、妹の手伝いやアルバイトの女子大生に支えられ
賑やかでした。現在も弟が営業し、今年で52年目を迎えました。


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