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2025.11.28
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カテゴリ: 芸術・芸能・創作
【はじめに】

この記事において、反民主主義的であるとされている政党団体に言及した部分がありますが、この政党団体を支持する意図や意思はありません。

【本文】

昔、インフルエンザで会社を休んだりしていた時に午前8時から午前9時の間に韓国の時代劇のテレビドラマがテレビ東京で放送されていた時期があったのですが、

そこに宮廷で選りすぐりの男性達を指す表現として「花郎(ファラン)」という言葉があって、

自分はドイツ語で運転することを意味する「Fahren」という言葉が気に入っていて、なぜかと言いますと、ドイツ語の「Fahren」というのは、ドイツではただの動詞では無くて、

「自らの可能性や限界に挑んでいく姿勢」を指したり、「自らの実力を高めていくために、より大きな目標に挑む心持ち」を指したりする言葉で、

それがドイツにおいて「個人の自立を超えた独立」を指す言葉という意味もあるからで、

他には「Freiheit」は新聞でメルケル元首相が言うように英語の「Liberty」「Freedom」「Liberate」Emancipation」を総括して、「Freiheit」があって、



日本人では耐えきれないくらい重い、ということに感銘を受けたからです。




1920年代に第一次世界大戦で払い切れない負債を抱えて、「世界一民主的な国家という屈辱」に対して、国家社会主義ドイツ労働者党という政党が支持されて、反目する存在は何であろうと抹消していく、

そのドイツの姿勢に日本人として恐れを感じている部分もあるからです。

そこでユダヤ教徒の方々も排除、弾圧されていましたが、恐らくヨーロッパでスイスで銀行業をやっているユダヤ教徒とアメリカのユダヤ教徒は「仲間を見捨てて逃げたから」と

生きる限りは一緒に暮らさない、という意見もあるようです。




そこで最初に戻って「花郎(ファラン)」という言葉について、「華爛(からん)」という言葉もありますが、「からん」ではなく、 「ファーラン」 というのが正しい発音だと思いますし、

「ファーラン」というのは、英語で 「Far-Run」という「限界を決めずにどこまでも遠くへ行く」 という意味にもとることが出来ます。

「鳥が羽を広げるような様子」 を個人的には感じられます。




そこを踏まえて、芸術や芸能、創作に対して話します。

2023年あたりにコロナが五類に移行してから生成AIが話題になり、

絵画の世界においても生成AIに「注文書」を書いて絵画を生成してもらう仕組みが作られて、



ただ、生成AIに対して手描きのイラストレータの中には反目する人達も多くなっています。




一方で手描きのイラストレータには、オーディエンスから見た意見ですが、

人間や動物、哺乳類/鳥類/魚類の身体の構造やそれを形作る運動の仕組みとその変化、

医学的な見識が持ち合わされていないようには見えています。




漫画の場合でも出版社の編集もそういう医学的な見識があるようには見えず、 「カッコよくても駄目、キレイでも駄目、美しくても駄目」 とか「体型がアスリート過ぎて駄目」としか言わずに、

「De-Foil」(De->Devolution(退化)のDeで減算する)(Foil>Airfoil(翼型)のfoil) として、

意図的に低廉な造りにさせているような印象を持ちます。




その割には言葉遣いにおいて自尊心を尊重したり配慮したりせず、中の人があの事務所の所属だから〜と、

汚い言葉を使っていてもその報いを受ける描写は無く、その上それを指摘した視聴者を大勢で袋叩きにしたりするのが、現代アニメイション制作の世界になっています。




汚い言葉を指摘されたら汚い行動、行動を指摘されたら汚い絵図を見せて、絵図が汚いと指摘されたら聴覚や視覚で汚いところを示して、

売り言葉に買い言葉というか、年少の視聴者、それこそ4歳くらいの子供でも袋叩きにするのが、

現代のアニメイション制作の世界になっています。




アニメイションから離れても、お芝居の世界だからと似たようなことをして、運動競技でも似たようなことを笑顔を添えてやって、政治や経済の取引でも同じようにやって、

4歳くらいの子供達に対してもむき出しになる姿勢は、 昔なら 「余裕が無い 」と片付けられていましたが、今は 「大人気ない」 と言われているでしょう。




それを示すために、絵画のコミュニティサイトは上下関係を声高に主張する作品で溢れており、

フィンセント・ファン・ゴッホ氏のように「一輪挿しのような向日葵(ひまわり)」の絵は埋もれてしまっています。




「Omologato」(イタリア語のHomologate)に対する耐えきれないストレスとして、 癇癪というのがありますが、

昔なら「癇癪」はありましたが、今は音量規制やエミッション規制という言葉で出来ないようにしていて、

指導の監督やコーチも「“癇癪” を起こす暇があるならミット打ちしてこい!あそこに丸太があるからそれでも突いてこい!」と言いますし、

自分の側も癇癪を起こされたら困りますが、

現代社会はすべからく「昔で言うオタ活として推し活をしていても、それは友達と一緒にやるから」認められていて、何かにつけて団体行動や集団行動を求められて、

「社会的かつ模範的な存在」であることを求められます。ヨーロッパのサッカーリーグはそうでしょう。




そうは言っても、

自分の家族や親兄弟姉妹、相方、片割れ、友達、親戚、先輩、後輩、

先生、監督、コーチ、師匠、教官、上司、
得意先、取引先、株主、

スポンサー、タニマチ、パトロン、ごひいき、
せがれ、息子や娘、息子や娘の先生、監督、コーチ、師匠、教官、上司・・・が被害に遭われたくはありませんが。

「押して忍ぶ」 という姿勢はわかりますが、それはどこかで爆発や暴発をする危険性は毎日の生活で、自分の部屋、リビング、洗面所、お手洗い、玄関、交差点、直線道路、坂道、曲がり角、信号、等で感じております。

若いならまだしも、年齢を重ねていって 駅の構内で急に脳の血管が切れたり、ストレスで心筋梗塞になったり、心因で急に目の前が真っ暗になることもあると 思います。

一服する、隙間すら与えられないような暮らしを 日本だけでなく世界全体が求められているように感じられます。







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最終更新日  2025.11.28 19:05:32


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