おばさんが作った死語ブログ。人生いろいろに語ります。

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りゅうすけくん。


 君の気持ちは良くわかるよ。
 さぁ、涙を拭いて。涙を拭いて、僕の話を聞いておくれよ・・・・・。

 君の言い分はよくわかるよ。「黙っていても良かった事なのに」ってさ。
 昨日、君のご両親に初めて会って、君がいかに両親に愛され、大切に今日まで育ててもらったのかよくわかった。君は今自分を不幸な恋人と嘆き悲しんでいるのだけれど、君のご両親の言い分もよくわかるんだ。我が子の君を愛すればこそ、君の人生を出来れば不幸に陥れないために親として守ろうとするのは当たり前だよ。
 ましてや君と結婚したいと申し出た僕に、ご両親が君の明日を案じていらっしゃるのは当たり前のことだと僕は思う。
 でもね、昨日ご両親に話した事だけは、やはり、どうしても黙ったままで、隠したままで過ごすわけにはいかなかったんだ。

 前にも言ったと思うけど、僕は生後7ヶ月の時、「拡張性心筋症」という、当時、原因もはっきりしない、心臓移植に頼るしかない、重い病気に罹っていたんだ。その時既にペースメーカーを体に埋め込んでいたから、多くの赤ん坊が生まれて来る時に運んでくる喜びと希望と夢を、僕は僕の両親にそのほとんどを持って生まれてくることが出来なかった。胎内にいる時からそれはわかっていたからね。母親は、心音が止まりそうなほどゆっくり過ぎる僕をおなかにして、どれほど悩み、苦しみ、そして様々な思いの雑じりあった涙を何度となく流した事か計り知れないと思う。当時の僕はまだ小さすぎて細かい記憶にないけれど、でも生まれてからずっと生活していた「こども医療センター」の白い壁や壁にはってもらった好きなキャラクターの絵や当時今よりずっと元気だったおばぁちゃんの背中も覚えている。もちろん、アメリカに渡り見慣れぬ人たちに囲まれてそこでまた長い日々を過ごした事もおぼろげながら覚えているんだ。
 今の日本なら心臓移植なんて当たり前の事だし、珍しい事じゃない。だけど当時は、心臓移植は認められていても、提供してくれるドナーの年齢制限が15歳未満は禁止されていたんだ。おかしな話だよね、手術はしてもいいけど提供出来る心臓はないなんて。だから僕みたいな子供は当時多く居て、悲しい事だけど、どうしようもなくて死んでしまう子供も少なくはなかった。なにせ、膨大なお金が必要だったからね、一般人は募金活動以外は見殺しにするしかないのがその頃の現状だったんだよ。
 海外に渡って手術をしなければいけなかった事、そのためにかなりの費用がかかること、その費用を用意するために父親は身を粉にして働いた事、そしてそれでも足りない費用の多くを僕の知らない沢山の人たちが活動し、集めて、やっとの思いで集める事ができた事・・・・。
 僕がこうして生きているのは、そんな数え切れない沢山の人達の善意で生きて来れたんだ。そりゃ、いろんな見方があったよ。当時日本の景気は底入れ状態で、倒産企業、失業者は多く、他人の、しかも何度も危篤状態に陥っていたこの僕に救いの手を差し伸べる余裕のある時代じゃなかったらしい。その反面、高級官僚と呼ばれる人たちはみんなの税金を平気で私利私欲に使っている実態もあったし、慈善団体と名乗る悪質団体もいたから、募金活動をするメンバーに面と向って「他人の財布をあてにするな」とか「他にやるべきとこ(行政とか)があるだろう」とかって言ってくる人も居たくらい、日本は「豊かな国」であったけれど「心がすさみ始めていた国」でもあったらしい。僕が中学生になった頃だったか、父親がそう教えてくれたよ。
 そんな中で行う僕の渡米のための、手術のための募金活動は本当に多くの人の知恵と汗の賜物だったんだ。
 一人ひとり、出来る事は、本当に些細なことだけど、縁あって出合った自分達が出来る事をすれば、ほんの小さなプラスであってもマイナスになることはないだろうって、活動に集まるボランティアの人達は励ましあっていたんだ。

 僕はこうして君を愛している。人が人を愛するってなんて素敵なことなんだろう。「愛」にはとても深い意味があるね。父親の愛、母親の愛、家族の愛、友人の愛、応援する愛、見守る愛・・・そして恋人への愛。僕はこの「愛」を全身に浴びて、生まれ、こうして生きているんだ。生まれたときにあげられなかった喜びや希望や夢を、僕が元気に堂々と生きる事で、父や母や家族や多くの人達に今あげているんだよ。

 さぁ、涙を拭いて、明日もう一度、君のお父さんとお母さんに会いに行こう。明日はなんて言われちゃうかな・・・不安?そりゃ不安だよ、両手を挙げて賛成されているわけではないんだから。だけど、わかってくれるよ、きっと。
 あ、そうだ。僕が去年、海外マラソン出た事、言っておいてくれたよね?うん、あの時は、僕の手術を担当してくれた先生もわざわざ会いに来てくれて、本当に喜んでくれたんだ。「リュー、リュー」って言って、もう一人の家族に会った様な気持ちだったよ。

 こうして過ごしている間にも、僕の心臓は動いているんだ。君と一緒だよ。当たり前の事だけど、忘れちゃいけないことなんだ。
 涙を拭こうよ、そして前を見て、一緒に歩いて行こうよ。




 このHPの日記に書く内容は、いつもは、おばさんの記憶と思い出とその五感によって構成されているノンフィクションであるけれど、今回はおばさんの想像による物語をご紹介しました。
 りゅうすけくんが無事に渡米され、無事に手術を迎えられ、そしてこの物語のように成長される事を切に願っているおばさんです。


りゅうすけくんのHPはこちらです。

日記より抜粋・・・・2002年7月1日


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