9月1日 夜8時頃・・・ 父が 「お腹が痛い」 と苦しみ出した。
腸閉塞 (イレウス) だ。 合併症で 腎不全 も患っていた。
1件目、2件目の病院では 対応できないとの事で、3件目の病院に運ばれた時は 既に日付が変わっていた。
検査が終わり、とりあえず 父が高齢のため、メスを入れずに応急処置だけをしてくれた。
ようやく 姉家族が退散できたのは 朝の5時半頃だった。
私は家で待機していた。

父は今、(↑)写真に写っている病棟(大学病院)に居る。
山の上にあり、とても空気や環境がいい。
外に出れない父には 関係ないが・・・。
この父、今月の24日で 88歳を迎える。
9日に 結局 手術を行った。
2年半前に 奇跡の生還した時 も 大手術をしている。
高齢のため、 体力的な問題 と 術後のダメージ を考慮した上で。
完全看護24時間体勢が完璧なこの病院。
スカートをはいている看護師さんは ひとりも居ない。 若い人ばかりだけど体力勝負の仕事、ひとりひとりのプロ意識が高くて感動。
父の居る科だけでも 常に20人は居て、誰一人と止まってはいない。
担当ドクターも 「また来たん??」というくらい 来てくれる (一日10回以上)。
手術をした日、
そんな病院側が 私たち家族に 「 どなたか付き添ってください!
」と 嘆願

父は、こんなん(↑ ミトン) を付けられる程、要注意人物だった・・・
鼻から胃に入れている管を 自分で抜いてしまったそうな、、。
たまに 注射針などを射す看護師さんを 「敵」 だと思い込むようで、暴れる らしい・・・
おまけに 寝たフリ、すっとぼけの知能犯・・・
私が付き添う(泊まり込み)ことにした。
試験勉強をするために 空けておいた2日間を 父に捧げた
夜中、父の全身の酸素濃度が薄すぎて 看護師たちが騒がしい。
次に、オシッコが出なくて 点滴を増やすも まったく出ず・・・ これまた騒がしい。
この時ばかりは、もうあかんかと思った。
たくさんの看護師さんの連携プレーのお陰で、少しずつ すべてが落ち着き始めた。
なんとか峠は過ぎ、ようやく眠りにつけたのが 午前2時頃。
が! 朝4時半に起こされ、父が家と混乱していることに気付く。
ろれつも回らず、何を言ってるのかさっぱりわからない。
私のことを 「誰や!?」 と言った時には・・・
ボケが
と真剣に思った!
担当ドクターと話していたら、父が 「私は まだボケてません!!」
父は、耳が遠いはずなのに・・・・ (笑)
水を一滴も飲めず、口の中がカラカラに乾く。
かわいそうなので、父の前では 飲み食いは一切していなかった。
しかし、スーパーじいちゃんは 健在した!
手術の翌日というのに、午後からは 鼻の管が外れ、うがいだけの許可も下りた。
尿もずいぶんと出るようになり、どす黒かった顔色も だんだんと きれいな色に戻っていった。
そして・・・ 歩いた! 30歩だけ (笑)
看護師さんが 「歩いてみましょうか」 と言うと、なかなか渋っていた。
「看護師のみんなを驚かせましょうよ!」と言われると、その気になった (笑)
歩行器に身体を預けて ナースステーションのところまで行くと、
看護師さん全員が 「早っ!!」 と驚いた。
と同時に、拍手喝采。 皆さん駆け寄って来てくれて 回復を喜んでくれた。
気をよくした父は 何を思ったか、ナースステーションの中へ入ろうとした
入れないとわかった父は、急に しんどくなって 車椅子へ移動 (笑)
夕方、兄がやって来た時には
「チオビタドリンクは持って来てくれたか?」
元々 頼んでないし、それ以前に 何もまだ飲めないですから・・・
「今夜はオムライスか、たくさん食べや」 誰一人と オムライスの話をしてないし、大ハズレですから・・・
「野菜ジュースを飲んできた」 と うっかり話してしまった兄に父は、
きっと、お腹が空いてきたんやね。 それだけ回復したと信じたい。
ボケが
ワケではないよね??
手術したことを知らない父 (笑)
「 昨日 手術したんやで」 → 「へぇ~ 誰が?」 → 「お父さんが!」 → 「ほぉ~」
今、自分がどこの病院に居るのか さっぱりわかっていない父 (笑)
3件目の病院でやっと受け入れてもらえたいきさつを 一生懸命説明したら・・・
「ほぉ~ お前がか?」 → 「なんでやねーん!(^▽
^;)」 周りの全員大爆笑!
いつの間に、私の話になったんやーい!(笑)

ずっと お父さんの話しか してへんやんかーい!(笑)
ボケが
ワケではないよね??
そのボケが 看護師さん、ドクターの間では 「かわいい~♪」と 大ウケ、大人気 (複雑^^;)
父の大好きな母は、あまり外出が出来ない状態になっている。
酸素ボンベを付けていても、息が続かない (母の方が死と隣り合わせ)
お見舞いも一度しか来てもらえてなくて (それも手術前)、
一生懸命我慢している姿が 何ともいじらしい。
手袋(ミトン)を嫌がり、外してあげると すぐに管や 酸素マスクを取ろうとしていた父。
私が 「それ取ったら 死ぬで」
と言ったら、ピタっと止まった。
それ以来、父は 大人しくなった (笑)
生きたいんやね。 こんな痛くて辛い思いしてまでも・・・。
母のために生きたいんやね。
スーパーじいちゃんの根源は いつも母。
誰とも再婚せずに、戦争とシベリア抑留から帰って来る自分を
待っててくれた母にずっと感謝し続けている父。
戦争の後遺症で 若い頃 苦労をかけた母に ずっと感謝し続けている父。
ずっと大事に大事に想い、愛し続けている父。
しかし! 本当は、父は まだ爆弾を抱えているような状態。
2年半前は大腸、今回は小腸。
切って繋いだ腸が 上手く引っ付いて 機能してくれればOK!
愛する母と 穏やかに お誕生日を迎えて欲しい
どうか、24日までに退院できますように