権利のための闘争



今日の読書: イェーリング「権利のための闘争」

<要約>
権利が侵害されたとき、自分の権利を主張するのもしないのも
自由だ、とみんなが思っているようだけど、それは違う。
自分の権利を主張し、権利を守っていくのは、我々の義務だ。
人が権利のために闘わなければ、法は存在価値を失う。
働かない者にはパンが与えられないのと同様に、
権利の侵害に対して闘わない者には、法は権利を保障しない。

<感想>
とりあえず、そういう考え方も「あり」なんだろうけど、、、
でも、何だか窮屈な世界観だな、と思ってしまった。
「法」とか「権利」とかいうものは、とりあえず人間が社会生活を
営んでいく上で便宜上みんなが守ろうということになっている
仮の「約束事」でしかない、と僕は思っている。

たしかに、「約束」を相手に守ってほしければ、自分も努力して
約束を守ろうとしなければならない。
約束を守るためには、それなりの努力が必要だ。
この「それなりの努力」のことを、イェーリングは「闘争」と呼ぶ。
そして、約束を守る努力をすることが、社会に生きる人間の
当然の「義務」である、と言うんだけど・・・それはちょっと、
押し付けすぎでないかな、と思った。

偏見、盲信、利己、不安、臆病、独善、疑心暗鬼、、、
様々な理由で人が人を苦しめ、傷つけ合う世界。
人間はたしかに、放っておくと様々な「悪」に簡単に支配されて
しまう弱いものだから、「思い込み」でも「幻想」でも何でも
いいから、これなら守れる、という約束が、"とりあえず"必要な
生物なのかもしれない。

だけど、その「とりあえず」を超えたところでは、
幻想を打ち破る意志の力と、自分の「思い込み」次第で
無限の可能性が開ける、と思うんだけどな。

「むか~し昔、人間は法とか義務とかいう約束事に縛られなければ
つい悪事に走ってしまう弱い生き物でした」
なんて言える日が、(ずっとずっと先の将来だろうけど)きっと
来るはずだと思う。


“面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり”
                      ----高杉晋作




© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: