世代の違い(生れた頃)


しかしながら その頃の日本と韓国は 生活水準があまりにも違う。一世代 昔の生活をしていた。
まずアッパの生まれた時は時計がなかった為、出生時刻が定かではない。その上、生まれても1年以内に死んでしまう子供がたくさんいたので、生まれてすぐには出生申告をしなかった。何年か経って“生き延びられそうだ”と確信すれば、初めて戸籍に名前を載せる。だから 戸籍の生年月日が正しい人は皆無、と言ってよいのではないだろうか?実際うちのアッパも1年サバを読んでいる。韓国の戸籍は あんまりあてにならない。
兄弟の数も 私たちは2、3人が平均だが、5、6人が平均のようだ。お義母さんは子供7人を一人で生んだ(そのうち2人は死んでしまったが)。どうやって一人であの苦しみに耐えたのだろうか?。昔の人の気力はすさまじいものがある。出産しても3日目には 畑に出て仕事をした。

(お義母さんの話)
出産当日と次の日は、姑がわずかの米を おかゆにして食べさせてくれたが、3日目からは台所は嫁の仕事。食べるものも白い米はとても貴重で、麦飯ばかり。それも腹一杯は食べられず、ご飯茶碗に軽く1杯を3回に分けて1日食べた。お腹のすかなかった時は 一時もなかった。
それでも 母乳はよく出た。姑はとても厳しい人で、畑から帰っても赤ん坊に乳をやる前に、姑の食事を準備してからでなければ子供を抱くこともできなかった。2時間おきにミルクを飲むべき赤ん坊が、畑に出る前と帰ってからしか 乳をのむことができなかった。
もちろんおむつもないので、雑巾のようになった古着を当てて垂れ流し。外で遊んで 土を食べてもそのまま。アッパは今でも“子供は1ヶ月に1回風呂にいれれば十分だ”という。
洗濯用の洗剤も、当然ない。手で洗って干すと、姑が 汚れが残っていないか チェックしにくる。襟に少しでも垢が残っていると 地面にたたきおとすので、また洗い直す。韓国でもこれほどの嫁いびりはないんじゃないかと思うほど あらゆるいびりを受けた。
ご飯も お膳を準備して出しても、姑の気に入らないと、ちゃぶ台ごとひっくりかえしてしまう。そしてまた 気に入るものを作り直す。それほど しいたげられても、姑が午後お腹を空かさないようにと、鉄なべの中にまんじゅうのようなものを準備して 畑に出かけた。もちろん 義母の口に入ることなどなかった。
今の人だったら 1日ももたないで、 実家に帰るだろう。実際、義母も自殺をしようと薬を飲んだことがあったという。トンネー(村)でもそれは有名な姑であった。
その姑に仕えた義母も 周りから”他の人はどうでも、あんたはあれだけ苦労したんだから、長生きしなくちゃ”といわれる。

ずいぶん後になって、“孝子賞(親孝行をした人に与えられる)”を受けられたそうだ。それだけいびられても嫁の私には決して同じ事はしない。逆にとても気を遣ってくれるので、頭が下がる一方だ。


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