Kaleidoscope of Life~人生の万華鏡~

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私の父の弟(叔父)が57歳の若さで肝臓ガンのためにこの世を去った。早すぎる死を誰もが悼み、家族親戚の皆は悲愴感でいっぱいだった。私は心の整理がつくまでしばらく時間がかかった。叔父の死を通して「人間の一生」を考えるようになった。しばらく哲学的なこととも遠ざかったていた時分、子育ての歓びとは裏腹ないずれは「死に向かって」生きていく私達の到達点について直面しなければいけない日々だった。叔父の死を無駄にしないためにも私なりに感じた「最期の生」を生きた叔父の姿を少しだけ回顧してみたいと思う。

私が最後に叔父さんの元気な姿見たのは今年のお盆、親戚で集まったときだった。
いつも屈託のない笑顔で、特に父にそっくりだったのでファルコン(息子)が「じいちゃ~ん!」といって抱きつき間違えたくらいだった。その叔父が、突然入院したと聞いたときは、もう既に「ガンの末期」だと知った。いわゆる、本人には告知しないで周りの皆は知っているという状態だったので、見舞いに行くたび衰えていく叔父さんの姿は見るのがとっても辛かった。本人は「あと2,3日したら大丈夫だけん」といってまだ回復するのを待っていた。私たちはただただうなづくだけしかできず、毎回言葉をかけることさえ何か気の利いたことも言えず、顔を見て「あー今日もまだ生きてた。大丈夫だった。」と安堵の帰路に着くしかなかった。

そして、叔父さんは結局医者に「明日はもう駄目だ」と何回も言われながら、大変な苦痛を伴う治療や、体にたくさん管を通され動けなくなっても、内臓が血で膨張して血を大量に吐きながらも、ひたすら耐えて耐えてまた復帰できることを夢に見ていた。そして26日目。。。午前3時ころだったそうだ。実家のほうに叔父さんの母(私の祖母)と両親に電話が入り、急いで病院へ向かった。
もう意識はなくただ虫のような息で叔父さんは最期のときを死を目前にして過ごしていた。

私の父は変わった人で、叔父の入院時から息を引取る最期まで一部始終をビデオに収めていた。始めはそれを見た私はぎょっとしたが、(「何でこんなときにビデオ撮影なんてできるの?」と内心父を疑ってしまったが)よくよく考えると、それが兄としての父の象徴だったのかもしれないと思った。
父は弟の叔父さんをこうして最期まで直視して見届けてやることで愛情を示していたのかもしれない。(まだ父に何でビデオに収めたのか理由は聞けていないが)
涙を流しながらずっとビデオを回し続けていたのだ。
叔父さんの息はだんだん遠くなり、、、、、、最期は痛みを感じることもなく笑顔を浮かべてこの世を去ったのです。(私はしばらくビデオを再生するのに勇気が要りましたが、しっかり叔父さんの死を受け入れることができたような気がします)
10月21日午前3時51分 永眠

叔父さんは最期の命を通して私たちにたくさんのメッセージを残してくれました。
(続く)


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