ファンタジスタ★キイチ

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ドラガン・ストイコビッチ


 代表デビューは1983年、18歳の時だった。その後、1984年欧州選手権、1986年ワールドカップ、1988年欧州選手権と不動のレギュラーとして活躍するが、いずれも予選敗退。そのプレーを世界に披露する事は出来なかった。ストイコビッチが世界的に注目されるようになったきっかけは、1990年ワールドカップ、スペイン戦での2得点だった。右から流れてきたボールに対し、ゴール前のストイコビッチがシュート態勢に入る。スペインのディフェンダーはたまらず体を投げ出したが、ボールはストイコビッチの足元に吸いつき、次の瞬間にはボールはゴールネットを揺らしていた。15分後にはフリーキックを直接ゴールに突き刺し、ユーゴスラビアをベスト8に導く。続くアルゼンチン戦でもディエゴ・マラドーナ以上のプレーを披露し、アルゼンチンをぎりぎりまで追い詰めるが、惜しくもPK戦で涙を飲んだ。
 1990年ワールドカップ終了後にマルセイユに移籍。だが怪我によって本領を発揮できず。僅か1シーズンでエラス・ベローナへと移籍。その後も怪我が続き不遇の時を過ごしたが、1994年、ストイコビッチは地球の裏側への移籍を決意する。
 名古屋グランパスに移籍し怪我も癒えたピクシーは、日本人が見た事も無いようなプレーを次々とピッチ上で披露する。1995年にJリーグMVPに輝き、1995年度の天皇杯制覇も成し遂げた。1998年には永らく国際舞台から姿を消していたユーゴスラビアがワールドカップ出場を果たす。ストイコビッチもメンバーに選ばれ、4試合に出場、1得点を記録した。
 2001年7月21日。東京ヴェルディvs名古屋グランパスの試合がピクシーの引退試合となった。アウェーでありながら、東京スタジアムは名古屋グランパス・サポーターで覆い尽くされる。この試合も例によってストイコビッチの大活躍で、グランパスが3-0で勝利した。ピクシーがピッチで引退のコメントを発する。「あなたたちのことは、いっしょうわすれません。ありがとうございました」。多くの人が涙を流し、ピクシーも又、涙を流した。「ピクシー!オレッ!ピクシー!オレッ!」
 歓声は鳴り止まない。


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