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久しぶりにワインのブログです。今年に入ってからは初めてです。ブログに取り上げる価値のある味わいを持つワインを試飲しましたので紹介致します。トスカーナ・マレンマ地区のIGT『ILATRAIA』(Brancaia)です。ブランカイアは1981年にスタートし、1990年からキャンティ・クラシコのエノロゴとして実績のあるカルロ・フェッリーニ氏をコンサルタントに迎えています。そして1998年には新たに購入した土地マレンマで立ち上げたワイナリー『ブランカイア・イン・マレンマ』から新しいワインをリリース。それがこの『ILATRAIA』。ファースト・ヴィンテージ2002年がガンペロロッソで最終選考まで進んだのは記憶に新しいところですが、今回飲んだ2003年はより大人の印象になりました。前回の2002年はタンニンや酸がある程度こなれて甘く厚みのあるニュアンスのものでしたが2003年は果実味と酸、タンニンのバランスが素晴らしく、よくあるスーパー・タスカン風カベルネとは印象が異なります。ガシッとしていても決して重過ぎず強すぎずバランスが良いですね。輝くようなルビー色で向こう側が見透かせない、かなり濃い目のリッチな色合いです。黒い小さな果実が凝縮した上品な香りの背景にハーブやタバコ、スパイス系のニュアンスがあります。凝縮感と複雑味のある力強いボディにしっかりとしたタンニンがアクセントになるモダンなスタイルはカルロ・フェッリーニならではのワインと言えます。しかし恐ろしいのは、まだこのワインが樹齢5年程度の果樹に実ったブドウで仕立てられていることです。ワイン用のブドウを作る果樹としては明らかにジュヴナイルです。にもかかわらず、これだけの味わいを達成しているのは純粋に驚きです。にわかには信じ難いワインです。今年のファースト・インパクトです。
February 5, 2007
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いよいよ2007シーズンのWRCがモンテカルロで開幕しました。 今季もダブル・シェブロン(シトロエン)艦隊が猛威を振るいそうな1-2で初日第1レグを終了しています。 もうかなり昔のお話ですが、僕はモンテカルロ・ラリーのスタート・セレモニアルを現地で観たことがあります。WRCでまだランチアやトヨタ・セリカが走っていた時代です。 ラリー観戦後、モンテカルロからアヴィニヨン、マルセイユを経てパリで数日滞在して帰途に着く予定だったのですがパリを数日見て歩いて観尽くしたと思ってしまった僕は予定外の行動を起こすことになりました。友人アレッサンドロとはマルセイユで別れているので僕ただ一人でパリに滞在していました。当然この先は単独での行動で、しかもパリ以外のフランスは初めての経験でした。 唐突で申し訳ありませんが、皆さんはあと何日かで地球が滅ぶとしたらどうしますか? でも、これでは漠然としすぎてて、つかみ所が無いですよね・・ではこう言い換えたらどうでしょう・・・ 地球が最後を迎える前にもう一度行ってみたいところはどこですか?というクエスチョンであったなら・・・日本国内でも国外でももう一度絶対に行きたいところ。あるいは行ったことがないから絶対に行きたいと思うところ・・・教えていただけませんか? 今シーズン、元旦に行ったアンケートに続いて2度目のアンケートです。差し支えなければ皆さん是非ご意見をお聞かせ下さい。 今回は、前回とは違い僕が是非行きたいところをここで紹介させていただきます。 この「Fastest Lap」に良くお越しいただいている方の多くはイタリアのフィレンツェを挙げると予想しているかもしれませんが、残念ながら違います。アマルフィも違います。僕がどうしても行きたいところに挙げる場所はイタリアではありません。 ノルマンディ地方とブルターニュ地方の境界に位置する聖なる岩山・・・その名の通り大天使ミカエルの山。 波乱の歴史を生き抜き今に語り継ぐ建築芸術「Le Mont-Saint-Michel」が僕が選ぶ場所です。 フランスが誇る世界遺産としてあまりにも有名なモン・サン・ミッシェルとカルカッソンヌ・・・・どちらも畏怖を感じずにはいられない城塞(僕にはそう見える)ですが、僕がモン・サン・ミッシェルを初めて見たときの衝撃と言ったら言葉に詰まるほどのインパクトでした。 僅か600m程度の円周を持つモン・サン・ミッシェルにはパリのモンパルナス駅からTGVに乗ってレンヌへと向かいます。レンヌまでおよそ2時間程度ですが、TGVを使って2時間ですから結構な距離です。そこからモン・サン・ミッシェル行きのバスに乗って1時間ちょっと・・・だったと記憶しています。 そういえばTGVにはクリスチャン・ラクロワがデザインしたTGVがデヴュウしたそうですがまだ乗ったことがありません。 話が逸れました。ここまで来るとパリへ戻るよりも明らかにスペイン国境の方が近くかなりのどかな印象です。 なにしろモン・サン・ミッシェルの周囲では黒顔の羊がわんさか放牧されていて群れを作っています。これがまた可愛い・・・また話がそ逸れてしまいましたね。戻します。 モン・サン・ミッシェルと言えば頂上に位置する修道院のクレストに掲げられた金色に輝く大天使ミカエルが有名ですが、波乱、戦乱に揉まれ飲み込まれた歴史を振り返ると今の威容は驚異と必然が歴史の中で同居融合しているのかもしれません。 海上にそそりたつ岩山の上に建立された修道院は敬虔なカトリックの巡礼地でしたが、仏英100年戦争(英仏100年戦争)では海上の要塞としてフランスの守護神となり愛国心の象徴とされています。また、宗教戦争の時代にはカトリックの総本山(要塞)として鎮圧対象となりました。さらに1789年のフランス革命以後の中世ではアルカトラズのように海に囲まれた脱獄不能の監獄として畏怖された要塞監獄島でした。 初めてモン・サン・ミッシェルを目撃した時の感動と畏怖は今でも忘れられません。これはあくまでも僕が日本人であるが故であると思いますが、同じく世界遺産に指定されている白鷺城(姫路城)を見ても凄いと感心はしても、これほどの感動と畏怖は正直のところありませんでした。 あくまでも精神風土の違いがもたらす体温の違いから来る畏怖や驚異であったとしてもそれは間違いなく僕の全身に刻まれました。 僕は今まで2度、モン・サン・ミッシェルを訪れています。初めてのときはモン・サン・ミッシェル内にある「ラ・メール・プラール」に宿泊しました。モン・サン・ミッシェル内にある「ラ・メール・プラール」といえば外せないのがオムレチエでしょうね。オムレチエは家族代々オムレツしか作らないオムレツ職人で、銅製のボウルでリズミカルに手際よく立てている様は何故かしら画になっています。 巡礼地だからか(?)赤いスモックに身を包み、マダムがポワレに玉子を流し込んで暖炉の直火にかけます。出来上がったオムレツはこれがまた特大。えっ??こんなに食べるのか?と思っていると切り分けられます。ちょっと安心しましたが、それでも大きめ。こんな量のオムレツは食べたことがないので無理かと思いきや意外と軽くクリア・・・ 適度に焦がした外側の食感と、コクのある中のふんわりとろとろ感のコントラスト・・・なんだこれ!?!?!? こんな食感のオムレツはかつて食べたことが無く、この後もここ以外でこんなオムレツに出くわしたことはありません。また、地元の海の幸を使ったお魚料理も美味でした。 ここは1880年代末期フランスの歴史記念物になった時に巡礼者の疲れを癒すためにグランマ・プラールがご主人と共に始めた旅籠でした。時代と共に旅籠は少しずつ変わりましたが、今でもその時の精神は受け継がれているように見えます。 時が流れて姿かたちが変わっても根幹に大きな変化が無いのは国民性であると僕は考えています。日本人のように良い物を無国籍に取り込んで進化していく民族と、半ば頑固に自身の価値観と美意識だけに頼って進化しようとする民族では進化速度が明らかに変わるでしょう。 僕はどちらが良くてどちらが悪いと言う論争をするつもりはありません。どちらにも価値や意義があると思うからです。 相反するからこそ惹かれる部分もあるのかもしれません。 ところが1度目はモン・サン・ミッシェルの威容をある意味十分に理解したわけではありませんでした。それは外側から見る時間が少なかったからです。 2度目はパリからフェラーリをひたすら走らせてフランス最果てへと辿り着きました。着いたのはもう日没が迫り周囲は闇に包まれる前の薄暮時でした。 この時は陸からモン・サン・ミッシェルへとつながる一本道が始まるところに立つ「ルレ・サン・ミッシェル」に宿泊しました。この地域では唯一(?)の四ツ星ホテルだそうです。 僕としては星の数云々よりも部屋の窓からモン・サン・ミッシェルを見て、テラスからもその景色を楽しめることにこだわったためでした。 「ラ・メール・プラール」に泊まってしまうと朝日のモン・サン・ミッシェルも夕日のモン・サン・ミッシェルも見ることが出来ないからです。モン・サン・ミッシェルの中からでは時々刻々と変わるモン・サン・ミッシェルの威容を十分に楽しむことが出来ません。 「ルレ・サン・ミッシェル」ではモン・サン・ミッシェルの周囲で放牧されている仔羊のお料理をいただきました。とても印象的でしたね。 潮が引いたモン・サン・ミッシェルの周囲の植物に羊が群がる様は見ていてとても可愛くもありごくごく日常的な光景なのでしょう。これらの塩分を含んだ植物を主食とする羊は塩気を含む独特の風味があり、ここに来たら絶対にこれを食べて下さい、というぐらい有名だそうです。 さらに名物のコキーユ・サン・ジャック(帆立)も美味です。実は「ルレ・サン・ミッシェル」は「ラ・メール・プラール」とオーナーが同じですがコンセプトはとても対照的です。 料理も最高でしたが時々刻々と変わるモン・サン・ミッシェルの表情をホテルから観察できたことは今でも脳裏に焼きついています。 なかでも暗闇の中にライトアップされたモン・サン・ミッシェルには何か計り知れない威圧感を感じさせるエネルギーが充填されていました。 闇夜に金色に輝く大天使ミカエルの姿を見て、司教オベールの夢に現れた大天使ミカエルそのものを模した姿なのではないかと思ったのはおそらく僕だけではないはずです。 心して行きたいモン・サン・ミッシェルですが、この時に初めてパリのジョルジュ・サンクのレストランで飲んだボランジェ・フランセーズ(というか、この時初めてそのシャンパーニュの存在を知ったのですが残念ながらヴィンテージは覚えていません)はモン・サン・ミッシェルの記憶に更なるインパクトを与えてくれました。 ボランジェ・フランセーズは常に飲めるものではないので、いつもはRDで大満足しています。RDも素晴らしい。
January 19, 2007
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Strikes Back!!「おや・・・君たち・・・何をしてるんですか?」Epson「先生が用意していたワインをテイスティングさせていただきました・・・とは言っても新規に開けてはいませんよ・・・味わいの変化を確認するために開けていたワインだけしか試飲はしていません」Strikes Back!!「君たち・・・Camp Meeting Ridge飲んだのですか!?」Epson「ほんのちょっとだけいただきました・・・すみません。でも凄く美味しいですね~~~幸せでした。爽やかな酸とミネラルがもたらす秀逸なバランスはカリフォルニアのシャルドネという感じではありませんね・・・ブラインドで産地を特定するには高めのアルコール分ぐらいしかないのが現実でしょうね。トロピカル、トロピカルしていないところも好感が持てます。適度にふくよかなボディをもっていますがこのワインの素晴らしい点は酸がとても綺麗にまとまっていることですね・・・感動しました」 ARTA「先生は今日はどなたかとお話されていたようですが・・・」Strikes Back!!「ワイン専門家の方と久方ぶりにワイン談義をしてまいりました。お一人は鎌倉にお住まいのそれはもう不自由の無い生活をされてる御婦人様・・・もう一人は東京麻布でソムリエールをされてる御婦人・・・・ただしこちらの御婦人(マドモヮゼル)はとあるブルゴーニュの有名メゾンでスタージュ経験のある御婦人です」Ray Brig「ワイン談義ですか・・・羨ましいですね。そういう面子ならブルゴーニュのお話ですか?」Strikes Back!!「いいえ、東京はどこもかしこも美食とワインで、こんなワインでグラス1杯、1,000円とるな!というところがかなり多いのです。ネーム・ヴァリューを持たれている方がいらっしゃる、あるいはプロデュースされてるレストランほどその傾向が強いのです。そんな問題点を議論してきました」Ray Brig「へ~~面白そうですね。例えばどんなお話ですか・・・」Strikes Back!!「以前、僕がワイン愛好家の方々とお食事したときの話をしました。その時選んだレストランは色々な雑誌にも取り上げられている超有名店で客単価はワイン込みで最低30,000円を覚悟しなければならないレストランで、時々ワイン専門誌などのメディアにも登場するソムリエさんがいるところでした。僕は御婦人に招待される形でしたので、特にあれが食べたい、これが飲みたいというのは無く、3人の御婦人のお好みに合わせていました。5人ですからワインもそれなりの量になります。まずエグリ・ウーリエのブラン・ド・ノワールを皮切りに、プイィ・フュメ『シレックス』、アンヌ・グロのオート・コート・ド・ニュイ・ブラン、フランソワ・ミクルスキのムルソー・ジュヌブリエール、エティエンヌ・ソゼのモンラッシェ(無論グラン・クリュ)と飲むわ飲むわでみんな嬉しくなってました。お料理も申し分ありませんでしたし・・・・」ARATA & Epson & TAKATA & Ray Brig「ふむふむ・・・・」Strikes Back!!「なるべくお料理に合わせようということで、それまで赤ワインをセレクトするのは避けていました。ですから最後の赤はみんな気合が入ってました。ただし、おのおの注文したヴィアンドが違うので、その全てに合う赤をセレクトすることは最初から難しいことが解ってましたから僕ともう一人の男性は辞退して『御婦人3人が注文したお料理になるべく合うワインを見繕って下さい』とお願いしたのです。みなさん紳士淑女ですので自身の好みを押し通す方はいらっしゃいませんのでソムリエに一任しました。ところがです・・・・そこでソムリエが持参したワインなんだと思いますか?」Ray Brig「想像できません・・・」Strikes Back!!「僕も度肝抜かれましたね・・・・まァ、それまでに僕たちが飲んでいたワインの面々を考えると俗に言う安物では駄目だということは容易に想像が出来ます。しかしですよ・・・彼が持ってきたのはラトリシエール・シャンベルタンの89年(確か・・・)造り手はマダム・ルロワです。無論グラン・クリュですからメゾン物ですね・・」Ray Brig「!!!!!!!!!」Strikes Back!!「固まるでしょ・・・Ray君」Ray Brig「はい・・・・いったい幾らだったんでしょうか?」Strikes Back!!「無論20万は軽く超えますよ・・・でも僕たちはそれまでにもそれなりのワインを飲んでましたので『このぐらいはいけるだろう』とソムリエは考えていたと思います。事実、金銭面でこれを気にする方はこの中にはいらっしゃいませんでした。しかし、問題はそんなことではありません。マダム・ルロワのラトリシエール・シャンベルタンが飲み頃になるとき、お店はまだ開いてますか?というレヴェルです。ワインの飲み頃を気にしながら飲む方はいらっしゃらないかも知れませんが対価に見合った飲み方、楽しみ方が出来ないものに相応の金額は払えません。最低でも3時間ないし、4時間前には抜栓を済ませておかねばならないようなワインを平然と持ってきたのです。逆に言えばあと3時間ここで食ってろ・・・みたいなものです」Ray Brig「ははははは・・・・・・」Strikes Back!!「ただ・・・僕はソムリエの立場も理解できましたから、高いワインが売れる時は確実に売る・・・・ですから波風立てるつもりは無かったのですが御婦人が黙ってはいなかったんです。その方は小学生からフランスで育ちフランスの大学に進んだほどの方だったので物怖じもしない方でしたからさあ大変・・・・『もう食事が終わるっていうところで、どういう神経してるんですか!』とね・・・」ARTA「事後処理大変そうですね~~~」Strikes Back!!「でも仕方ありませんね・・・彼女が言ってるのはもっともでしたから・・・僕たちが何も知らずにラトリシエール・シャンベルタンを頼んだのならともかく、お任せで持ってきたものがソムリエのスキルや資質を疑いたくなるようなセレクトですから・・・怒った彼女はもうそのソムリエとは話さなくなりました。下がってセレクトしなおしたワインをプレゼンテーションしたのですが、それはそれでまたえっ?と思うようなワインでした。それを見た御婦人は3人とも怒りました」Ray Brig「なんだったんですか?」 Strikes Back!!「アンリ・ジャイエの畑を受け継いだあの方ですよ・・」Ray Brig「はあはあ、なるほど・・・エマニュエル・ルジェですね・・」Strikes Back!!「神様とか言われてたかたですが・・・ま、それはさておき、エマニュエルのエシェゾーですよ。エシェゾー・・・またしてもグラン・クリュです。つい今しがた御婦人の怒りをかった理由を理解できなかったとしか思えません。高いワインを持ってきたから駄目と言われたと思ったんでしょうな~~彼女は『もう食事が終わるっていうところで、どういう神経してるんですか!』とは言いましたが高いの持ってくるならもっと早く持って来いとも言ってません。理想的な味わいで飲むことが出来ないタイミングでどうしてこんな出し方をするのか・・・それが言いたかったのでしょうが彼には伝わらなかったのでしょうね。また、こんなセレクトをしてしまったのですから・・・これでさすがに御婦人3人は馬鹿にされてると思ったのかもしれませんがメートル・ド・テルのところに直行です。せっかく、そこまでの流れが良かったので赤は物凄く楽しみにしていたのですが結局、赤は却下ですよ。それまでは自分たちで選んでいたので、そのまま自分たちで選んでいれば良かったという話です」Ray Brig「例えばそこでソムリエがデカンタージュを進言したらどうしてました?」Strikes Back!!「まァ、僕がぐっと堪えたとしても御婦人たちの怒りの火に油を注ぐようなものでしょう。なんでもかんでもデカンタージュするソムリエ多いですが、本当にデカンタージュが必要なワインなど少数ですよ。澱があっても本来なら澱を立てないようにクレードルなどにセットしてグラスに注ぐべきで、僕から言わせればデカンタージュはすやすや眠っている赤ちゃんに張り手を食らわせて食事の時間だからさあ起きろ!と言ってるようなものですよ。飲み頃になるまで自然体で待つのが本来の味わい方です。要はソムリエのワインに対する理解度や愛情の問題です」Ray Brig「ではこれも早く開けておきましょう」Strikes Back!!「はあ~~~っ??Ray君、ドサクサまぎれですか?」Epson「日本はワインが高すぎます。もっとも高いお金を払わないと売るワインを確保できないほど、世界的にワインの需要が増えているのが現状ですから仕方ないのかもしれませんがね・・・」Strikes Back!!「人気のある造り手なんかに集中するからですね・・」Ray Brig「おっ!さすが先生・・・コーク・スクリュー真っ直ぐささってますね・・・」Strikes Back!!「どうぞRay君、テイスティングして下さい。Ray君が良いと思う時間まで休ませて上げて下さい。ゆっくり待ちましょう」
January 16, 2007
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2006年 Strikes Back!!超個人的ワイン・ランキング15位 Aida Zinfandel 1999 Napa Valley14位 Syonyridge LAROSE 2000 New Zealand13位 FLACCIANELLO 2003 Toscana12位 REDIGAFFI 2002 TUA RITA Toscana11位 Clos Apalta 2003 Casa Lapostolle Chile10位 ILATRAIA 2001 Brancaia Toscana 9位 MELBURY 2001 BOND Oakville 8位 Chambolle-Musigny Les Amoureuses 1992/ Comte Georges de Vogue 7位 Rochioli Pinot Noir 2004 Sonoma 6位 St.EDEN 2001 BOND Oakville 5位 Shafer Cabernet Sauvignon 2000 Hillside Select Stags Leap District 4位 IL BLU Brancaia 1999 Toscana 3位 IL BORRO 2000 Toscana 2位 VECINA 2001 BOND Oakville 1位 Hirsch Vineyard Sonoma Coast Pinot Noir 2002 本年度の記憶に残っているワインのランキングはこんな感じです。来年はコメントを残して試飲したワイン全てのランキングをしようかなと思ってますが、どうでしょう・・・無理っぽいです。出来るだけ多くのワインをご紹介できるように頑張ります。皆さんも良いお年をお迎え下さい。また、来年もよろしくお願いします。
December 31, 2006
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Strikes Back!!「このテーマに参加させていただくにあたり、さんざん悩みました・・・投稿されてる皆さん結構色々なワインをお召し上がりになられているようですから、こんな一般的なものしかピックアップできない自分が恥ずかしいのですが、僕の場合はちょっと趣向を変えて選出してみました。まず『これだっ!』と思う1本がどうしても選べませんでした・・・。今年出会った全てのワインがその時々で素晴らしい出会いを提供してくれましたので、心情的に甲乙つけるのは無理かな・・・と思いますのでセパージュごとに区切りベストだった2本を決定し、そこから最終的なランキングをやろうかなと思っています。来年は1年に試飲したワイン全部をランキングにしようかな・・・などと考えています」「赤ワインはカベルネ・ソーヴィニョン(6割以上のブレンド含む)、ピノ・ノワール、サンジョヴェーゼとズィンファンデル、黒ブドウを4種以上使用するワインの5部門です。白ワインはあまり飲みませんのでシャルドネだけで選出しようかと思ったのですが長くなりそうな予感もありますし、ピノ・グリージョやトレッビアーノ、ソーヴィニョン・ブランなんかでもクォリティの高いワインがありますので差をつけることはせず、潔く白は削除することに致しました。また、シャルドネ以外は現在ストックが無いワインが多く写真でお見せできないので次の機会に回したいと思います。同様の理由からネッビオーロ・ベースのピエモンテ産赤ワインも今回は対象外としました」Strikes Back!!「まずは赤ワインのメイジャー、カベルネ・ソーヴィニョンから・・・」Strikes Back!!「カベルネの選出が最も難しかったですね・・・最終的に選出されたのはBONDのVECINA(カリフォルニア)とBRANCAIAのILATRAIA(トスカーナ)ですが、同じくBONDのMELBURYやSt.EDEN(いずれも2001年)も抜群で、これらは別格でした。この3本の前ではサッシカイアもシャトー・マルゴーも霞んでしまいました。いずれも濃密なカカオの香りや、エスプレッソというよりは濃いマッキャートのようなカフェのニュアンスがあって、これこそ保守本流。ワイン先進国のセレブリティが好む典型的カベルネのようなお手本。最近のフランス・ボルドーのシャトー物はタンニン抽出や色素抽出に力を入れすぎていてフィニッシュのバランスがドタバタしていてフィネスを持っているワインは激減しています。少なくともソフィスティケートされた味わいには程遠いものです。これは造り手がジャーナリスト受けするワインを造ろうとしていることと無縁ではありませんが、そこまでしたいのならカリフォルニアやイタリア・トスカーナの少量生産のガレージ・ワイナリーのように葡萄の収量を極端なぐらいに制限して生理学的に完熟した葡萄しか使わないとか、一杯一杯まで最後の一滴までプレスせずにフリーランだけで仕込むなどの努力をせねばなりません。ぎりぎりまで絞って、そこにヴァン・ド・プレスを足しているので若い時の味わい、特に抜栓直後の味わいは堅く貧弱なものさえあります。残念ながらとても価格に見合っているとは思えません。開けてから然るべき時間が経過しないとワインの味わいが開いてこないのはエキス分が少ないためで、カリフォルニアやイタリアの少量生産のワインの造り手たちはフリーランだけを使って贅沢にワインを造る方々が多いので、開けた直後から甘い果実の香りが立ち上がります。つまりコレはスタイルの好き好きですから飲む側の独断と偏見によるものですが、今年飲んだメドックのグラン・クリュのワインで特筆すべきワインはありませんでした」Strikes Back!!「今年も5大シャトーはがんがん飲みましたがどれもチグハグな印象が拭えません。もっともまともだったのはシャトー・ラトゥールの93年でしょうか・・・それ以外は果実味とタンニン、アルコールのバランスが悪く、ボディはあってもエレガントとは言えない、香りは強くても決してゴージャスではなく、リコルクして再度試飲したりしても泣かず飛ばずで、どうしてこんな造り方をするようになってしまったのでしょうか?」Strikes Back!!「1本ウン万円するムートンよりも前出のブランカイア『イラトライア』の方が良いと思いますし、カベルネ・ソーヴィニョンではなく、カベルネ・フランがベースとなるワインですがトスカーナの『テヌータ・ディ・トリノーロ』がリリースする『クーポレ』の方がすぐに楽しめます。アンドレアのプロデュースする『テヌータ・ディ・トリノーロ』はメチャクチャ高くなってしまったのがとっても残念ではあります。しかしながら、このワインの3万円は納得できますが、5大シャトーに3万円は不相応な気がします」Strikes Back「続いてピノ。ピノもたくさん候補はありました。例えばアンヌ・グロのリッシュブール、ヴォギュエのレ・ザムルース等など・・・しかし、今年最も鮮烈だったのはこの2本。残念ながら右側のロキオリはオークション・ワインで60本しかリリースされてません。このボトルは35本目なので丁度中ほどにボトリングされたもので最高のコンディションでした。左側のハーシュ・ヴィンヤードもピノを供給するブドウ畑としては高名ですがオリジナルは日本ではあまり見ることができないのが残念です。この2本はDRCやアンヌ・グロも真っ青になるほどの御婦人でした。続いて、かなりグラマラスなメルローです」Strikes Back!!「メルローはフランスの固有品種です。因みに、僕は黒葡萄というのはとっても御婦人に共通する部分を数多く備えているように思います。中でもメルローは特に御婦人的な品種ではないか?と思っています。気候風土が変わっても、変わる部分と決して変わらぬ部分の双方を持っていて、イタリアから発信されたルネッサンス的な色彩を持っています。この葡萄(メルロー)でどんなワインが造れるのか?それが新たなワイン産地の可能性を試す試金石となっていることは間違いありません。僕がメルローから感じるイメージは、しっかりしていて知性もあるのだけれど、たおやかで豪奢すぎない華を持っている・・・そんな印象を受けます。これに加えグラマラスであれば申し分ないと思います。イメージ的には叶姉妹の美香さんなんか近いかもしれません。お姉様のほうはゴージャスな感じで、筋が通り過ぎて棘のように感じる部分がありそうなのでカベルネ・ソーヴィニョンの方が近似しているかもしれません。ただ、僕のカベルネのイメージはまず芯があって、揺るがぬ信念みたいなものがありながらもゴージャスでソフィスティケートされてる感じなので天海祐希さんとか、竹内結子さんなんかのイメージが近いですね・・・。ピノはチャーミングで優しい印象が強く、これからどんな風に変わっていくのだろう?と興味をかきたてる感じですので押切もえさんあたりのイメージかな?サンジョヴェーゼは二面性を持つ危うく際どい難しさのようなものがある反面、未知の可能性を秘めている感じがしますので柴咲コウさんから蛯原友里さんまで若干幅があり、複雑にしろ単調にしろ個性の強いキャラを持っていると思います」Epson「このイタリアン・メルロー2本はそのイメージに近かったのですか?」Strikes Back!!「サルバトーレ・フェラガモがオーナーを務めボッロ村で造られるIl Borroは間違いなくメルローのイメージに近いと思います。とてもグラマラスですが洗練されていて嫌味な感じではなく華があります。さすが御婦人を知り尽くしているフェラガモ家のワインであると思いますね。一方、パーカー100点を獲得したキャリアを持つREDIGAFFIも素晴らしいワインですが、メルローの良い部分を最大限に引き出し、ネガを極力抑えたというエノロゴのテクニックという部分でIl Borroに軍配です」Epson「いよいよサンジョヴェーゼです」Strikes Back!!「僕が選ぶとサンジョヴェーゼはほとんどの場合、このFLACCIANELLOはランクインします。決して高いワインではありませんが、サンジョヴェーゼ100%という部分を見た場合、サンジョヴェーゼに良いイメージを持っていない方が払う金額の価格帯にあるワインではありません。このフォントディのフラッチャネロはサンジョヴェーゼ100%のスーパー・タスカンとして背負ってきた歴史が他のぽっと出のワインたちとは違います。サンジョヴェーゼ種を使うことで広く知られているキアンティでさえも100%ではありません。フラッチャネロが背負ってきた歴史と伝統・・・そして心意気から比べるといかなブランカイアのトップ・レンジと言っても評価的には厳しくなります。サンジョヴェーゼ以外にもカベルネ、メルローがブレンドされていますから・・・しかし、ワイン単体で見た味わいで判断するとかなり微妙だと思います。例えば、あくまでも僕の個人的な好みですがシャトー・ラトゥールの93年よりはイル・ブルーを選ぶでしょう。すなわち、これらはあくまでも主観的な好みの問題ということですが・・・ちなみに、撮影に使ったフラッチャネロはマグナム1998年ですが、今年飲んだのは2003年ヴィンテージです」Ray Brig「4種以上のセパージュ・ワインのエントリーは?」Strikes Back!!「カリフォルニアの『ケイン・ファイヴ』1998年とニューズィーランドの『ストニーリッヂ・ラ・ローズ』2000年で、どちらも写真左側のワインです。この手のブレンド・ワインはメドックのワインが最も有名ですが僕はこの2本を敢えて推します。特にニューズィーランドの『ストニーリッヂ・ラ・ローズ』はブラインドでテイスティングしたらニューワールドのワインとは誰も思わないでしょう。ニューズィーランド産のワインとして有名でお値段も馬鹿には出来ないプロヴィダンスと価格的には同等クラスです。若干、プロヴィダンスの方が高いでしょうか・・・・まァ、毎年何本試飲してるか解りませんから記憶の片隅にすぐに追いやられてしまうものもありますが、ここにピック・アップしたワイン以外にも素晴らしいワインはたくさんありました。」Ray Brig「次回はいよいよランキングです」P.S.年内にランキングを掲載する予定ですが、体調を見ながらやりますので明けてしまったらごめんなさい。本年は大変お世話になりました。皆様良いお年を・・・
December 31, 2006
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Ray Brig「最近、先生の調子が悪いのです。オペ後で、奥様の風邪の影響もあってか身体にダルさがあるのだそうで、ここはなんとか僕たちでカヴァーしていきましょう」ARTA「解りました」Ray Brig「そこで今回はARTA君と行ったRomanee-Conti探検の続編を今回はやりましょう」Epson「えっ?僕は知らないよ?ロマネ・コンティの話なんて・・」Ray Brig「Epson君が来るはるか以前の話ですから、Epson君は今回は聞き手でお願いします」ARTA「はるか以前ってことはないと思うんですが・・・このブログをご覧になってる皆さんは知ってると思いますけど・・・」Ray Brig「ま、細かいことはおいといて・・・さっさと話すすめましょう」Ray Brig「フル・コースのカトラリーがセットセットされたテーブルでゴブレットを倒してしまうという大失態を演じてしまった僕があのあとカーヴ・スペースで見つけたのはなんとマトリアーチの木箱群でした」ARTA「あれ?自身のミステイクを、自身で白状するとは思いませんでした・・・」Epson「なんだって?マトリアーチの木箱群って本当ですか?」Ray Brig「今、思っても胸の高まりを抑えられません・・・ああ~~なんて素晴らしいのでしょう・・・・」ARTA「2000年から2002年まで木箱入りで2箱ずつありました」Epson「!!!!!!!!な、な、なんだって~~~~」ARTA「僕はマトリアーチというワインを良く知らないのでなんてことはありませんでしたが、Ray君は『1本ぐらいもらってもワカラないだろうな』等と言って興奮してましたね」Epson「それはそうですよARTA君・・・・ロマネ・コンティはお金さえあれば、とは言っても、まァ100万ぐらいは覚悟しなければ良いコンディションのものは買えませんが、それでもそんなに極端に入手することが難しいワインではありません。ところがマトリアーチはかの有名な『ハーラン』が対等な位置づけで始めた別のワイナリーで『ヴェシーナ』、『メルベリー』、『セント・エデン』の3種類をリリースしています。最初はヴェシーナ、メルベリーの2種類だけでしたが、後からセント・エデンが加わりました。マトリアーチはこれら3種類のネガティヴ・セレクション扱いのセカンド・レヴェルとは言っても、世界的に評価が高いため極めて入手が困難です。さらに生産数もCh.ラトゥールやCh.マルゴーのセカンドから比べたらあって無いような程度の生産量です。好みはフランス・ボルドー派と、カリフォルニア・カルト派で分かれるところだと思いますが、クォリティやテイスト的には意外かもしれませんがこちらのほうがはるかに上です」Ray Brig「Epson君・・・・僕の役目を横取りしましたね・・・フフフフ・・・・・まァ良いでしょう。僕が思ったとおり、Epson君が前ぶりしてくれました」Epson「まさか?」Ray Brig「まず、これが2000年のメルベリー&ヴェシーナの化粧木箱アソートメントです。BONDのワインを知ってる方は勿論、Epson君もこの木箱に入ったワインを購入できる方は数えるほどしかいないことをご存知でしょう・・・この木箱1セット分でLouis Vuittonのモノグラム・ラインCroissantの大きいほうが一つ買えます。日本に入ってきた後のプレミアムを考慮すればマルチ・カラー・ラインのAlmaあたりの価格に届いてしまうかもしれません」Epson「そうだね・・・間違いなくマルチ・カラーのAlmaぐらいにはなるでしょう」ARTA「かなり解り難い例えなんですけど・・・」Ray Brig「では僕の独り言だと思って下さい」Ray Brig「どうですか?Epson君・・・・ホンモノですよ・・・」Epson「例えば楽天内でもオンライン WASSY'Sとか、ワールドリカーショップなんかで検索できたけど在庫なしだからね・・・ARTA君も検索してみると良いよ・・ワイン検索で『BOND』『Vecina』『Melbury』『St.Eden』で入力すると見つかりますが、ほとんどが欠品中です。あるのは4万台後半から5万以上のプライス設定のところだけです」Ray Brig「こいつは凄いよ!1999年はファースト・ヴィンテージでこのMelburyとVecinaが初めてリリースされたヴィンテージで僅か200ケース弱だけ瓶詰めされました」ARTA「200ケース弱!!少ないね!!」Ray Brig「ARTA君側にあるのがメルベリー。僕側にあるのがヴェシーナです。ともにファースト・ヴィンテージ・・・・このワインの初めてのヴィンテージですから大変貴重です。もう今ではほとんど手に入りません。手に入れるには最低ラインが1本6万円程度にはなるのではないでしょうか?あくまでも推定ですが・・・」Epson「いや・・・6万では無理でしょう。木箱入りペアを手に入れるとなると20万というプライスになることもあったそうですから・・・」ARTA「うひゃ~~目が回りますね~~」Ray Brig「よし!僕がポディウムにたったら・・・・」ARTA「たったら・・・たらこ、たらこ、たっぷり、たらこ・・・」Ray Brig「ARTA君!」ARTA「すまん・・・」Ray Brig「このBONDのMelburyとVecinaいただくぞ!」ARTA「良いのか?そんなこと勝手に決めて・・・・たったら、たらこ、たらこ・・・・たっぷりたらこ・・・」Ray Brig「・・・・・・・・」ARTA「・・・・・(あれ?怒った?)・・・・・」
December 11, 2006
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イタリアをフェラーリで走る旅行記もいよいよ第5話です。エミリオ・ロマーニャとトスカーナの間に立ちはだかる山岳路を攻略したアレッサンドロと僕は一路フィレンツェへ。ルネッサンスの至宝、メディチの庭などフィレンツェを形容する言葉はたくさんあります。いよいよフィレンツェに辿り着いた僕とアレッサンドロはフィレンツェ中央駅、いわゆるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅を左手に見ながらスカラ通りを中心部へと向かって南下しました。この駅の至近にはサンタ・マリア・ノヴェッラ教会があり、近辺にはクローチェ・ディ・マルタ、グランド・ホテル・ミネルヴァなどのホテルが立ち並んでいます。また、このスカラを突き当りまで進みトルナヴォーニ通りにぶつかるまで来るとそこは高級ブランド・ショップが立ち並んでいます。この界隈にはストロッツィ宮殿やコルシーニ宮、サンタ・トリニタ広場などがあり活気のあるエリアです。この辺りまで来ると、街行く人たちが振り返り見ます。「何を見てるんだ?」と僕。「Salve!!」と手を振る方々まで・・・「お前に振ってるのさ」とアレッサンドロ。フェラーリだけはイタリアでも「特別」なのです。しかも見ればレース用をロードゴーイング・カーに仕立てているのは一目瞭然です。この辺りには「ルイ・ヴィトン」や「カルティエ」、「エルメス」など外国産ブランドも立ち並んでいますが、やはりここはフィレンツェ、イタリアですから押さえたいのは「ジョルジオ・アルマーニ」や「プラダ」、「タニノ・クリスティ」(ここのブーツ最高!!)です。さらに言えば、フィレンツェですからこの地を発祥とする「エミリオ・プッチ」や「サルヴァトーレ・フェラガモ」は絶対に外せないでしょう。また、これはご婦人方にしか解らないかもしれませんが、「ドルチェ&ガッバーナ」のとなりにある「ラ・ペルラ」なんかもお勧めです。サンタ・トリニタ広場のフェラガモ博物館前を過ぎて「サルヴァトーレ・フェラガモ」のショップの前でアルノ川にかかるサンタ・トリニタ橋を渡ります。この橋を渡る時のエキゾースト・サウンドがまた素晴らしい。レース用のエキゾースト・ノートがアルノ川の上に抜けていくように響き渡ります。こちらも通りの通行人のために敢えてスロットルを絞り込むのですが、アレッサンドロが仕上げたレース用のフェラーリは、あまりの低回転ではトルクもやや細めで最低限の回転を保つ必要があり、そうなると高めのかん高いノートになります。少々うるさいにも関わらず嬉しそうに手を振ってくるイタリアン。素晴らしいです。ここを渡るとすぐ左手にフレスコバルディ宮が見えます。現在でも有名なトスカーナのワイン・メーカー「フレスコバルディ」の前身は貴族で、その栄華は今でも受け継がれています。このフレスコバルディ宮のある交差点を左折するとサン・ヤコポ通りに入りますが、ここに今日宿泊する旅籠があります。多分、イタリア・ファンの方でしたら知っておられる方、多いと思います。「Hotel Lungarno」(ホテル・ルンガルノ)です。ホテルのゲスト・ルームからは運河のようなアルノ川を見渡せ、かなり情緒があります。日本語の放送もあります。ただし、このホテルは全館禁煙ですので喫煙される方は他のホテルを選ばれた方がよろしいと思います。いたって上質な館内。それもそのはず、このホテルは地元の名士にして世界的な名声を得るフェラガモ・グループが所有するホテルなのです。フェラガモ・グループはトスカーナで村そのものを所有しているほどで、かなり強固な基盤を持っています。夕食は「Borgo San Jacopo」(ボルゴ・サン・ヤコポ)でアレッサンドロと二人で食しましたがこういうときは少々、雰囲気が重くなります。綺麗なご婦人とご一緒でしたら、気持ちも明るくなるのでしょうが・・ま、フィレンツェの街をフェラーリで走っただけでも、素敵なご婦人とタンゴを一曲踊ったような情熱的で優美な気分にはなれます。間違いなく。 さて、今回ご紹介するワインですが、フィレンツェ、フェラガモときたらこのワインしかありません。フィレンツェから約1時間ほど走りアルノ川を越えた丘にイル・ボッロ村があります。ここが、前述したフェラガモ・グループが所有している村です。ハンティングが好きな「サルヴァトーレ・フェラガモ」の社長フェルッチオ氏が毎週友人と通い続けていたこの地を村ごと購入したそうな・・・物凄い金銭感覚です。ちなみに1993年のことです。もともと、イル・ボッロ村は幾つもの貴族の所有を経てきた村だそうで、サヴォイ家によって所有されていた時代からワインが造られていました。キアンティの畑です。しかし、フェルッチオ氏の長男サルヴァトーレはこの土地にあったブドウを植樹することを決意し、細密な土壌調査を実施しメルローとカベルネ・ソーヴィニョンを主体に植え、更にシラーと少量のサンジョヴェーゼも植樹しました。この地道な努力が実ったのは99年のファースト・ヴィンテージ。00年も素晴らしく、その弛まぬ努力は味わいにしっかり反映されています。それにしてもこのワイン、どことなく何かに似ているような気がしてなりません。初めて味わったファースト・インプレッションでそう感じました。タンニンが突出しているわけでもなく、酸が強いわけでもなく、それでいてがっしりドッシリ過ぎるワケでもなく、軽すぎることも決して無い。とにかくバランスが秀逸なのです。ふわりとした身のこなし、清楚でありながら自身の毅然とした立ち居振る舞いを知っている貴婦人のごとき容貌を持つ味わい。さすがはフェラガモといったところでしょう。しかも、そのサルヴァトーレいわく、ワイナリーを大きく肥大させること無く品質優先至上主義で行きたいんだとか・・・しかもフェラガモのネーム・ヴァリューで価格が高騰してしまうようなことも避けたいという謙虚な姿勢の持ち主。う~む。正にノーブレス・オブリージュです。皆さんも、機会があったら是非お試し下さい。これも絶対に外しません。第6話へ続く。 左側は前回の第4話で登場した「Flaccianello」の1,500mlのマグナム・ボトルです。右側が「IL BORRO」の750ml通常サイズです。大きさ違いますよね。人気blogランキングへ楽天ブログ★アクセスランキング
September 3, 2006
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「Passo della Raticosa/ラティコーサ峠」と「Passo della Futa/フータ峠」を越えて巡り会った素晴らしいワイン。「Mille Miglia/ミッレ・ミリア」のコースを廻るイタリア紀行記もいよいよ第4回を迎えました。モデナを出発した僕とアレッサンドロはボローニャを経由していよいよ「ミッレ・ミリア」の難所ともいえる「Passo della Raticosa/ラティコーサ峠」と「Passo della Futa/フータ峠」の2連戦に挑みます。エミリア・ロマーニャとトスカーナの間にまたがる山間部を越える2つの峠は今回の旅のクライマックスでもあります。僕とアレッサンドロは348チャレンジを止めてクルマから降りてタイアをチェックし、その他異常がないかどうかを確認して再度乗り込みました。それまではアレッサンドロがステアを握っていたのですが、ここから僕のパートに変わります。「どうぞ、ご遠慮なく」と笑いながら言うアレッサンドロ。まァ、気心が知れてますので表現は極めてシンプルです。サーキット仕様なので慎重にスロットルを開けて、少しずつペース・アップしましたがヒル・クライムかダウン・ヒルなのでハンドリングはピーキーです。ライド・ハイトをギリギリまで下げて低重心化しているので、上りでは荷重移動がとてもシビアです。ブレーキングでしっかりフロントに荷重を移しても、常に上っていてマシンがルック・アップ状態なのと、固められたサスによって荷重が残りにくいのでアンダーが出やすいのが注意点でした。二つの峠を越えてフィレンツェに出なければ大きな町がないのであまりリスクを冒すわけにもいかずセフティ・マージンを遵守する走りに専念しました。下りは一転してオーヴァー・ステアでその境目が唐突とまではいかないものの、かなりはっきりと解るのは乗りやすくもあり、忙しくもあり、初めて走るコースであることを踏まえればリスキーであったかも知れません。明らかにアレッサンドロは楽しんでいるようでしたが・・・現在のエントリー・クラスのフェラーリは良い意味でも悪い意味でもNSXの影響をかなり受けています。その傾向が最も顕著なのがF355です。このクルマはNSXの成功を受けてフェラーリが対抗馬としてリリースしたので「フェラーリらしさ」が最も希薄です。「フェラーリのオーナーになりたい」と強く思っている方はF355だけは買うべきではありません。F355は見た目やオーナメントはフェラーリですが、受け継いでいるスピリットは少しばかり系統が違います。一方、現在の360Modena F1は今一度「フェラーリらしさ」を吟味して、フェラーリの美意識と機能性、日常性の全てを高次元で満たせるように両立をはかったので魅力的なクルマに仕上がっています。そしてF355より一世代前の348ですが、このクルマは良い意味でも、悪い意味でも正真正銘フェラーリです。フェラーリの哲学や美学が盛り込まれ、ステアするたびに、ペダルを繊細に踏み分けるたびに、脈々と受け継がれるアイデンティティを感じることができます。良くも悪くもベクトルはただ一つで、それ以外には目線を向けていません。美学といえば美学ですが、僕は美意識という表現のほうが近いと思います。ステア操作とスリー・ペダルを踏み分けるのが忙しいので忘れてしまいそうになるのですが、この峠道からの景色はまさに絶景です。ここはドライヴィングに自信がない方でもゆっくりマイ・ペースで走れば山を上ることはできますから、一度上ってみることをお勧めします。この景色を見たらそれまでの大変さなど霞んでしまいます。峠を二つ越えるのは大変ですがそれだけの価値はあります。さてこの記事のカテゴリは一応「ワイン紀行」がメイン・テーマですので今回から、そこで出会ったお気に入りのワインをご紹介していきたいと考えています。現在はイタリア紀行ですのでトスカーナ産のワインをご紹介します。トスカーナ産のワインにはお気に入りのものがたくさんありますが、やはり土着品種のみで仕込んだこのワインを一番最初に挙げなければイタリア・トスカーナの方々に失礼かもしれません。トスカーナと言えば世界的に有名な赤ワイン「キアンティ」を産出していますが、この「キアンティ」はかなり多数の品種をブレンドし、造り手によっては白ワイン用のぶどう品種を混ぜて造られたワインです。しかし、これは違法ではなく、このワインに関しては格安で世界中に供給するために認められていました。そういうワインなので評価はかなり多岐に分かれますので、当たりはずれを避けたい方は手を出すべきワインではありません。しかしながら、この「キアンティ」を作り出す主要品種、サンジョヴェーゼ種だけを使って仕込まれたワインがあります。無論、そのワインが初めて生み出された時代は「サンジョヴェーゼ種だけで美味しいワインなど造れない」と真剣に思われていた時代でした。前述しましたが色々な品種をブレンドして作ることが法律で定められていましたから、サンジョヴェーゼ種100%のワインは違法となり「キアンティ」の名前は名乗ることが許されませんが、あえてその茨の道を選択したのが1968年に設立された「Fontodi」でした。そのワインの名前を「Flaccianello della Pieve/フラッチャネロ・デッラ・ピエヴェ」と言います。少しばかり難しい響きかもしれませんが、頑張って覚えてみて下さい。損はしません。濃密なベリーの香りと、コーヒーの香ばしいかおり、さらにハーブを思わせるエキゾティックな香りもあります。とにかく複雑で上品な香りを含んだワインは、素晴らしいバランスの酸とタンニン(渋み)に導かれるように秀逸なフィニッシュへと導かれます。そして重要な情報をもう一つ。このワインは開けてすぐに全部飲んでしまっては、このワインの本当の素晴らしさを味わったことにはなりません。本当に飲みたい日から逆算して10日前ぐらいに開けて、グラス・ワイン1杯分ぐらいを味見して、コルクを元のように差し込んで冷蔵庫に入れ10日待ってください。2週間ぐらいでも大丈夫です。これだけの時間を乗り越えた「Flaccianello」は全くの別物に変化しています。無粋な表現でしたね。変化ではなく、変貌です。現在リリースされているヴィンテージは2003年ですが、恐らく手に入れることは不可能に近いと思われます。生産量は多くても4,000ケースで、そのうちどのくらいが日本に入ってくるのか?高々知れた量です。まだ、日本はワイン後進国ですから「本当に良いワイン」はそんなにたくさんは入って来ません。僕は毎年、このワインを手に入れるために、それなりのエネルギーを消費します。もし、興味がある方がおりましたら書き込んでみて下さい。少量ならなんとかできるかも知れません。ちなみに日本での相場は8,000円前後だと思います。確かな情報ではありませんので、悪しからず御了承下さい。次回はいよいよ待ちかねたフィレンツェへの到着です。(なんだか・・「世界の車窓から」みたいになりつつあります)人気blogランキングへ
August 29, 2006
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2日目。北イタリアのブレシアをスタートしてエミリア・ロマーニャ州に入りモデナ市内のアレッサンドロ氏の自宅で一泊させていただいた僕は再びフェラーリ348チャレンジに乗り込みました。ちなみにアレッサンドロ氏は348チャレンジ以外にアルファロメオとフィアットもお持ちです。また、自宅の地下カーヴに貯蔵されたワインは500本とかなり本格的なもので、僕同様、クルマとワインが大好きな上に同い年なのでかなり相性は良いです。(なんか誤解されそうな表現ですが・・)僕にとっては外国人の友人としては最も仲が良いので今回からは敢えて氏を外してアレッサンドロと記述します。エミリア・ロマーニャのモデナを再出発した僕とアレッサンドロは「Mille Miglia」のコースを辿りながらスポーツカーに対する議論を重ねました。異国の文化背景や精神風土を持つ方々とクルマに関する話題でいろんな会話をするのは本当に楽しいものです。僕とアレッサンドロは仕事で同じ苦楽を共にした仲間ですので息が合う部分もありますが、一方でどちらも譲れない価値観や主義主張をもっているため妥協案を引きずり出すことが難しいこともあります。ポー川流域に広がるポー平原に位置するエミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャを目指すルートにもワイン用ブドウの栽培地がこれでもか!というぐらいに広がっていました。無心で、とにかく無心でステアリングとスリー・ペダルを操って、自身のセンシング機能を動員してエミリア・ロマーニャの山岳路を攻め込むと見えてきます。見えてくる?いいえ、ちょっと違います。感じてくるのです。先人たちが「Mille Miglia」にこめたメッセージが走ってみると解ります。イタリアの景勝地をひた走るレース・コース。決してドライブ・コースではありません。「Mille Miglia」が始まった1927年はムッソリーニ政権がイタリアを牛耳っており、そうした時代背景の中ファシズムからの解放を目指し自由の象徴たるメッセージを込めてスタートしています。これって、何かに似ていると思いませんか?人間を解放したり自由であることを感じさせてくれる存在・・ワインも同じではないでしょうか?無論、クルマも同じような存在です。クルマと共に走る悦びを知れば行動範囲も広がります。しかし、自分が行きたいところに行くための移動手段を超えたところに存在する価値や美意識が、クルマに個性や魅力を吹き込んでいると言っても過言ではないでしょう。ドライヴァーだけでなく沿道でその走りを眺める観衆の方々も一緒に自由に楽しめる精神的支柱、精神風土、そういった多くの人々の心と自由を解放してきた「Mille Miglia」はクルマやワインだけでなく伝統のあるイタリア産業のほとんどに影響を与え、根ざしているのかもしれません。One more thing・・キザだと笑い飛ばされるかも知れませんし、危ない人だと勘違いされる危険を承知の上で申し上げますと、僕は赤ワインを総称して「彼女」と呼び、白ワインを総称して「彼」と呼びます。多分、同じような呼び方をされる方がいらっしゃるとは思うのですが・・ その理由に関してはまたの機会に譲ることにして、こうして自由な精神風土の中で育まれた「彼女」たちや「彼」らのプロフィールを知る上でこの風土に根ざした「Mille Miglia」を知ることは非常に重要な意味を持ちました。「Mille Miglia」の精神風土からの流れは今も確実にイタリア・ワインやイタリアのクルマに受け継がれているように思います。エントリーフィー80万円という金額が頭を過ぎるのですが僕も「Mille Miglia」に参加してみようと考えています。~つづく~人気blogランキングへ
August 15, 2006
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「Mille Miglia」を忠実に再現する場合はモデナに立ち寄るのは復路になるのですが、 日程にゆとりのない僕は逆送する形でモデナでの一泊目の夜を迎えました・・・モデナ市内にはかつて「スーパーカー」と呼ばれたイタリアン・スーパー・スポーツをリリースするメーカーがたくさんあります。とりわけ有名なのはモデナ市内にあるMaserati/マセラティ、マラネロのFerrari/フェラーリ、そしてサンタアガタのLamborghini/ランボルギーニです。また、歴史は浅いもののZondaで名をはせたパガー二もここにあります。中でもランボルギーニ・オーナーやフリークは必ずミュゼオ・ランボルギーニ(ランボルギーニ博物館)に立ち寄ることをお勧めします。完成したばかりのクルマが実走テストで走り回っているのは壮観にして異様な雰囲気です。予約すれば工場見学も出来ますので、クルマに興味がなくてもカー・デザインの素晴らしさを堪能できる場ですので是非行ってみてはいかがでしょう?ちなみにフェラーリの工場は見学不可ですが、モデナにはガレリア・フェラーリ(フェラーリ博物館)がありますのでそちらに回ってみることをお勧めします。ここではフォーミュラ1の新車発表会などのイヴェントが催されることもあり、大変素晴らしい施設です。先ほど僕は便宜上、「イタリアン・スーパー・スポーツ」と表現しましたが、ちょっとだけ寄り道してみましょう。日本人が考える「スポーツカー」「スポーティカー」「グラントゥーリズモ」の分類はどうなるでしょう?皆さんそれぞれ考えてみて下さい。僕はイタリア人の方々やイギリス人の方々ともこれらの話題を議論したことがあるのですが、根本的に日本人の認識とかけ離れている点が多々ありました。イギリス人とイタリア人の認識もかなり違っていました。若干食い違う部分があるにせよ、イギリス人とイタリア人が考えるスポーツカーはロータス・エリーゼやエキシージ、あるいはごく一部のフェラーリ、エンツォやFXXなどなどがスポーツカーと呼べる資質があるようです。ところがクルマの専門家に言わせると「F40やF50、ましてや量産車のフェラーリはスポーツカーではない」と断言するのです。日本人ならばこのあたりはスポーツカーの領域なのですが、彼らにとってはいささか違うようで、「あれはスポーツ・ライクなグラントゥーリズモ」だそうです。なんでも、このレヴェルをスポーツカーと呼んでしまったら「本物のスポーツカーに申し訳ない」んだとか・・「フェラーリもポルシェも、マセラティもランボルギーニもアストン・マーティンもTVRもグラントゥーリズモだよ」と名言。言われてみればそう思えなくもないのも確かですが、時代の流れに伴ってスポーツカーの領域や質が変遷しているのも事実だと思います。それでも、クルマの発展と技術開発に深く関与してきたヨーロッパの国では未だに「厳然とした価値基準」を持っています。それが良いのか悪いのかはここで論ずるつもりはありません。日本人には日本人の考え方があって然るべきではありますが、背負ってきた歴史はかの国のほうが断然長いのです。我々が彼らに云々と論ずるレヴェルにはないでしょう。寄り道話はこのくらいにして元に戻します。ここモデナでの宿はアレッサンドロ氏のご自宅です。この「Mille Miglia」を懐古する記念すべき夜に彼が用意してくれたワインは、Albana di Romagna DOCG(アルバーナ・ディ・ロマーニャ)Sangiovese di Romagna(サンジョヴェーゼ・ディ・ロマーニャ)Lambrusco Salamino di Santacroce(ランブルスコ・サラミーノ・ディ・サンタクローチェ)Lambrusco di Sorbara(ランブルスコ・ディ・ソルバーラ)Colli Scandiano e Canossa(コッリ・スカンディアーノ・エ・カノッサ)Romagna Albana Spumante(ロマーニャ・アルバーナ・スプマンテ)以上6種類。中でも僕の記憶に残ったのは「Sangiovese di Romagna DOC」。サンジョヴェーゼと言えばトスカーナですが、ロマーニャで開発されたサンジョヴェーゼのクローンも極めて優れていて、果実のたっぷりとした香りと色素分の多さには目を瞠るものがありました。また、Lambrusco di Sorbara DOC(ランブルスコ・ディ・ソルバーラ)は逆に色調の淡い感じがとてもキュートでチャーミングな印象を与えます。また味わいもその印象を後押しするようで、イチゴやプラムを思わせる果実の香りの背景には花を感じさせる香りが漂っています。気軽に楽しめる味わいもこのワインの守備範囲を広げる要因です。用意していただいた6種類すべてが新鮮でしたし、イタリアのワイン生産地の一角を担う「Emilia Romagna」でこんな素晴らしいワインたちに出会えたことは、数年後僕自身に人生の転機が訪れた際に少なからず影響を与えたことは事実でした。多くの人たちに愛され愛情を注がれて造られたワインとの出会いでした。この時が僕にとっては始めての、そして本当のワインとの出会いだったのです。~つづく~人気blogランキングへ
August 14, 2006
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「Mille Miglia/ミッレ・ミリア」とは北イタリアを舞台におよそ1,600kmを走破する都市間レースで、現在は行われておりません。「Mille Miglia」が隆盛を極めていた頃のコースは、イタリア北部のブレシアをスタートしてヴェローナからフェラーラを回り東岸部のサンマリノを経て山岳路を走りローマで折り返し、イタリア西部を北上してシエナ、フィレンツェ、モデナを経由してスタート地点のブレシアまで戻るというものでした。現代でさえ1,000kmもの距離を走破するレースは数えるほどしかなく、そのほとんどが24時間クラスの耐久レースです。この公道レースが初めて開催されたのは1927年のことで、レースに使われるルートにはイタリアを代表する景勝地がたくさんありますが同時にローマ帝国の時代から続くイタリアワイン生産地もたくさんあります。僕が知っているワイン産地の中でもとりわけ記憶に残っている風光明媚なエリアです。素晴らしいイタリアの景勝地を巡って争われる「Mille Miglia」がイタリア政府によって禁止される1957年までの間は公道を利用した真剣そのもののレースでした。今なお、世界の、特に欧米の人たちにとって特別な響きを持つ「公道レース」の原点がこの「Mille Miglia」にあることは言うまでもないでしょう。また、ハコと呼ばれるクルマの発展を担う礎になっていたことは否めません。「Mille Miglia」はクルマとワインを結ぶ一つのテーマとなりうる格好の題材です。例えばボローニャを州都とするエミリア・ロマーニャ州のモデナ近郊には「スーパーカー」と呼ばれて一世を風靡したイタリアン・スーパー・スポーツ・カー・メーカーが立ち並んでいます。フェラーリのイメージ・カラー「ロッソ・コルサ」は「走る赤」を意味していますが、これはモデナとその近郊で多くの赤ワインが生産されていることと無縁ではありません。僕がこの地を訪れた際、モデナに住む友人アレッサンドロ氏に「Mille Miglia」のコースを案内していただきました。しかしながら、二人とも時間が有り余っているわけでは無かったので「Mille Miglia」の復路に使用されるシエナからブレシアまでのルートをブレシア側から逆走する形で走り始めました。とある事情によって引っ張り出されたクルマはA氏自身が所有するフェラーリ348チャレンジというワンメイク・レースに出場することを目的に作られたスポーツカーです。アレッサンドロ氏とともに僕のドライヴで「Mille Miglia」のコースへと乗り入れました。もちろん1,600kmもありますので一度に回れたわけではありませんし、まだ全行程を走り終えたわけでもありません。僕のクルマとワインへの愛情を再確認するロマンシング・ジャーニーはまだ始まったばかりで、しかも途中で中断したままなのです。第一回目以降、なかなか機会に恵まれないのですが、ワイン用のブドウ畑を見ながらひた走るルートにはノスタルジーがありました。ブレシアをスタートしてモデナで一泊し、エミリア・ロマーニャの州都ボローニャを経て、「Mille Miglia」のクライマックスとも言うべきラティコーサ峠とツゥイスティなフータ峠を越えフィレンツェに入りもう一泊、翌日は今回の区切りとなるシエナまでの道程を走るという3日間のハード・ワーク(?)でした。まず、僕とアレッサンドロ氏が目指したのはモデナのアレッサンドロ氏の自宅です。ここが「Mille Miglia」を回る一泊目のステイ・ポイントでした。~つづく~人気blogランキングへ
August 13, 2006
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