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ロバートの話しをしたら暫くは力が抜ける。でも力まないのがロバート流。ここはちょっと周辺の散歩。2000年と2006年の同じ場所。
2007.01.15
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わたしはこの日のロバートのことを一生涯忘れることはない。何か迷うことがあっても、この状態をよりどころ、戻りどころとする限り心は落ち着く。そしてこのわたしが施設の子供たちにも伝播し、気づきを起こし自分の足で立って歩き始める。自分が全ての源であることの安らぎ、誰の被害者でもなく、自分が責任を淡々ととっている自分の人生。こんな状態では誰もコントロールしようとも思わないだろう。人にコントロールされるとは、その人の管理下に生きているということに他ならない。「数学や理科は方法を教えますが、正直に生きるとか人を愛するとかは先生がそのように生きない限り伝わりません。先生がそれを生きていれば言葉で伝える必要はありません。」この言葉を実際に体験したのがロバートとの一期一会の出会いだった。そのとき、クルーニーの玄関前には大きな紫色の葉を茂らせる木が天に向かって枝を伸ばしていた。ホグワーツの校舎そっくりのクルーニーの建物、その前庭にそびえていたその木がわたしにはロバートと重なった。しかし、再会を期してクルーニーを訪れた数年後、ロバートが病を得てオランダに帰ったと悲しい知らせを聞いた。そして、信じられないことだが玄関前にそびえていたあの大木が枯れて切られてしまったのを見た。わたしは今でもクルーニーでトーストを焼くとき、そっと口の中で「ロバート、君もいるかい?」とつぶやく。(続く)
2007.01.14
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まずはこの写真を見ていただきたい。これはこの時のフィンドホーンのパンフレットの表紙であり、このときわたしを迎えてくれた面々のなつかしい姿である。この写真の中の人たち、この面々から感じられるエネルギーがこの時のフィンドホーンのエネルギーだと思う。半数はすでにフィンドホーンを去っている。幾人か紹介すれば中央のコック帽が美枝さんで今の日本語体験週を担当している。その真上のキャップが忘れ得ぬロバート、ロバートは何人かいたので識別のためにダッチ・ロバートと呼ばれていた。ロバートの左上の黒い帽子がマーティン=美枝さんのご主人であり同じく体験週を担当している。その他、厨房でお世話になった人やバスに乗せてもらった「あ~あの人!」と思わず叫ぶ方もいるだろう。さて、わたしがクルーにーヒルに上がる道を運転していると右の道端に手押し車を停めて草引きをしている青年がいた。坂を登ってくるわたしの車を見上げて視線が合ったので手を振った。そして数十メートル、クルーニーの玄関前に着いて車を降り、さてさて今度はどうやって入ろうかと思っていると先ほどの青年が手押し車を押しながらやって来て手を差し出し「ハーイ、マイ・ネーム・ロバート・アー・ユー?」と言ったように思う。そして「どこから来た?いつまでいる?何がして欲しい?」と聞く。わたしはここへ来れて大変うれしい…というようなことを言ったと思う。「そうか、まず俺が丹精を込めている<チャクラ・ガーデン>を案内させてくれ、いいか?」と。それは夢のような花園で、わたしの拙い写真の技術では到底伝えられないオーラを放っていた。花たちは訪問者を興味深く首を伸ばして見ているようにも見え、ただの植物を超えた存在と思えた。そしてクルーニーのリビングに連れて行ってくれてコーヒーを淹れてくれた。腹が減っているならトーストを焼いてあげるよ…と言う。ただこんなやり取りで終始するが、なぜか彼とはずっと前から親友であったと感じられ、これからもいつでも彼はわたしが腹をすかせたらトーストを焼いてくれる…労働の途中であれ、何か他の用事をしていようと…と思えた。わたしはこのときのことを想いだしこの稿を進めながら涙がとまらない。わたしも彼が腹をすかせたら何か作ってやる、何かの用事の途中でも…どうしてこう無条件に人を愛せるのか?それはいま目の前のロバートが無条件に愛してくれているからだ。そうロバートは無条件の愛が人間の姿をとっていたのだと思う。それは何かをしてくれたからではなく、トーストを焼いてくれるからでもない。もっとご馳走をしてくれた人もいるし、もっと甘い言葉をかけてくれた人もいる。あらためて、そんな人たちに感謝したい。ロバートが伝えてくれたこと、わたしが感動したことは無条件の愛は伝わるということだ。ロバートにしてもらったように、わたしの近くを誰かが道を探して歩いていれば「どうして欲しい?」と無防備に無条件に声をかけ腹が減っていればなにか作れるものをつくってやろうと今も思っている。《続く)
2007.01.13
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出会い…と言ってもいろいろなレベルの出会いがある…と言えるのか?たしかに結果はいろいろだ。だからと言って、それはレベルがもともと有ったのだという説には賛成しかねる。レベルを決めているのはその人自身であり、その人自身のコミットメントだと思う。あるいは、偶然なんてない、目の前に来る人は絶対に何らかのメッセージを持ってきているのだと本当に思っているのかどうか。昔、あるセミナーを受けた。何日間も合宿、男女四十人ぐらいだったかな。三日目か四日目に講師が言う「毎日どれだけの人とすれ違ってきましたか?何十人、何百人?人によっては何万人かとすれ違って名前どころか顔もすぐ忘れていたのではないですか?」ここにセミナーのためにやってくるまで東京で出会っても知らずにすれ違っていましたね、だけど知り合ってみたらどんなにあなたの成長のためのメッセージを持っていたか、あるいは偶然でない一致があったことか…と。みんな「そうだそうだ、こうやって知り合ってよかった!」みたいなことを言う。すると講師の目がキラリと光り「そうですか、ここにいる人はもうあなたの友人なのですね?」と聞く。「勿論、もう一生の友です!」と受講生が答える。「そうですか!じゃ、みんな名札をはずして下さい!はい、あなたからみんなの名前を言ってください!」と突然恐ろしい実習が始る。向かい合って全員が並び、順に名前を言う。いやあ、名札を見て名前を呼んでいただけでほとんど覚えていない。「おや、一生の友じゃなかったのですか?こちらはパートナーになっていた人の名さえ言えないのですか!」と…自分で今までどれだけ散漫に生きてきたか、意識は薄弱で思考に頼って損得で判断し、獣のように食い物と異性にだけ反応して生きてきたか…おかげで目の前に来る人に相当な感心を払うようになった。そして、それはまさにこの出会いのためにあらかじめ用意されたトレーニングだったと思う。この日の午後、クルーにーで最初に会ったその男の名をわたしは一生忘れることはないだろう。
2007.01.12
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ネイチュア・サンクチュアリも見てフラワーエッセンスのラボにも行ったので、もう一つの目的地クルーニーヒルに行くことにした。 さあ、出発とレンタカーに戻ったものの、さっきまでしっかと持っていた地図が見当たらない。 これじゃクルーニーに行けないなとフェニックス・ストアに戻り金髪のお姉さんに聞くことにした。 入ってみると数人のお客さんがレジ前に並びお買い物をしている。 じゃ、ちょっと待とうと思ったら「ホワット?」とお姉さんならびにお客さんたち… 「エッ、いやクルーニーに行く道がわからないので…」と言うとレジそっちのけでみんなで教えてくれる。 「ここをこうまっすぐ、と言ってもロータリーだからクルッとこう曲がるけれどね!」と茶目っ気たっぷりの道案内でようく理解できた。 最初の信号は右、道なりだが途中のどうしてもここを曲がるところの目印が先日(1/7)に掲載した公園の熊でそこは左折、その先のロータリーははっきり左に曲がる… これはその前に持っていた地図ではぜんぜんたどりつかないことがわかったが、前の地図は環七と甲州街道ぐらいしか書いていないようなものだった。 レンタカーをスタートさせようとポケットを探ればなんとその地図が忽然と姿を現してディーバの仕業と判明。
2007.01.11
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サンクチュアリとは一箇所しかないと思っていたらネイチュア・サンクチュアリもある…と聞き、さらに案内までしてもらえるとあっては喜んでKさんについていった。ここはその名のとおり自然の中にあり、一人の人がこつこつと作ったところだ。一番近いたとえではホビット庄の家のように見える。中は外見から見るよりは広いがパークのメイン・サンクチュアリに比べては大分狭い。しかし、半地下の部屋に日の光が満ちてすばらしい雰囲気。テーゼの合唱のクラブ活動にも使われているそうだが、天使がテーゼを唄うのにぴったり。
2007.01.10
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もうすでに見え隠れしているが、フィンドホーンにはディーバがいる。こう言ってしまうと「見たのか?」とかいろいろ質問もありそうだが…前のフラワーエッセンスのラボに行ったのもその一つ。腰の痛い相棒とそこを訪れ、それまで知らなかったフラワーエッセンスを知ることになった。ここはそもそもはアイリーんさんが天啓を得ていたトイレで、さらに言えば海岸沿いのごみ捨て場のようなキャラバンパーク、言ってみれば場末の難民キャンプの公衆便所だったところだ。クルーニーホテルのマネージャーを首になったキャディー家一行はこのキャラバンパークに身を寄せ生活し始めるがなにしろ狭い車の中に大人三人と子供までいるので騒がしくて瞑想どころではない。かと言ってしゃれた場所などないところなので、毎日このトイレで神と対話していたと言われている。そのいつも使用していた便座はここがラボになったときにマリオンさんが取り外し大事にしているとか。一家だ暮らしていたキャンピングカーは今もパークにあり、オリジナルキャラバンと呼ばれている。写真の左にあるキャンピングカーがそのオリジナルキャラバン。
2007.01.09
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しばらくはサンクチュアリの中で瞑想をした。不思議に今までと違って何かを貰おうとかいう気持ちよりは何かを与えたいという気持ちが強くなってきた。メンバーの貢献や業績を賞賛する気持ち、アイリーんさんの数奇な運命と人生に対する共感などが心にわきあがってきて、自分を扱うような場面にはならなかった。サンクチュアリを出て、旅の最大の目的を達したが実感が湧かず、さらにフィンドホーンを体験したくなりビジターセンターに向かった。このころはユニバーサルホールにあり、担当はデビッドさんだった。このデビッドさんに会ったことも本当に大きなことであった。この人は<ユー・アー・ウェルカム>を具現しているような人で、あとから考えると大変忙しい最中だったにもかかわらず「どこから来た?いつまでいる?何がして欲しい?」とこちらを向いて真剣に聞いてくれた。今日一日しかいない…と言うと、本当に残念そうにして「じゃ、ビデオを見せてあげるから二時に来なさい」と言ってくれた。気が付くと正午頃、お腹も減ったなと外に出るとき、さっきとは違う出口が見えたのでそちらから出てみるとそこはカフェになっていて軽食を取る人たちでにぎわっていた。ピザとコーヒーを頼んでいると、もう周囲の人から声がかかってくる。「どこから来た?今日はどこを見た?えっネイチュアサンクチュアリにはまだ行っていないのか?わたしが案内してあげよう」とか「腰が痛いって?どうしてフラワーエッセンスのラボに行かないの?わたしは午後予約しているけど、いっしょに行く?」と相棒にもお誘いがかかる。お話しをしたり約束をしたりしていると時間がいくらあっても足りない感じなのでデビットさんのところに行くと「ビデオはもういいよね!」とまるで見透かされている。お腹が減ったらカフェが出現し、いまだ知らなかったが見たいところには案内してもらえるというジェットコースターに乗ってしまった感じだった。今この瞬間のフィンドホーンを知らないけれど、当時から2004年ごろまでは携帯を持っているような人はいなかった。いわく「会いたい人や話したい人は向こうからやってくるじゃない、携帯なんていらないわ」と言うし、当番で外部からのアクセス用の携帯を持たされたわたしの次女などは外部の時の流れが不意につながってくる携帯を持つこと自体を嫌がっていたものだ。そういうものを持っていると逆に会いたい人にも会えないし、文明の利器を使う必要が生じてくる。また、目の前に来た人は偶然ではない。表面意識では知らない人でも何か意味があって目の前に来ているのだ。(続く)当時、ビジターセンターがあったユニバーサルホールと今のビジターセンター=前のフラワーエッセンスのラボ、それとコミュニティーセンター=CC。
2007.01.08
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英語で詰まっていて日本語で招じ入れられた時、いろんな感情や考えが去来した。 またその後にも感じるところがあったが、いま共時性とは大きな一致だと思う。 日本からの30時間の旅、成田からインバネスまでの距離などが長い長い槍のように正確にサンクチュアリの地点を指していた。 それはコミットメントであったかもしれないし、強い憧れであったり信じることであるかもしれないが、いろんな困難や距離が逆に正確に指針となって共時性の起こる地点を指しているように思う。 一度起こるとその後に何度も信じられないことが続いた。 そしてそれはいずれも愛と強く関係していることを感じさせてくれた。 最後には愛をシャワーのように浴びせられている体験につながっていった。 (続く)
2007.01.07
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この経緯については何度も書いたことだが、ワンディー・ツアーがないことが全ての始まりだったように思う。たどたどしく「遠い日本から来たのにサンクチュアリに入れないのか?」と金髪のお姉さんに聞いたら「地図あげるから一人で捜して入りなさい」と…「エッ、勝手に入れるの?」「オブ・コース!」でも、サンクチュアリの付近まで来ると「クワイエット!」などの看板もあり、どうしても緊張。そしてたどり着いたサンクチュアリ、勝手に入れと言われても…と逡巡。最近のヘラルド紙にアイリーンさん死去のニュースが掲載されているが、いわく「ニューエイジの偉大なグル死す」。グルや教祖にならなかったからこそアイリーンは偉大!なんてこちらで思っていても世間の目はそんな風に見ている。ましてこの頃のことだから、外部の見方としてフィンドホーンは<世界のヒッピーの総本山>みたいな紹介もあった。だから誰かいて「何しに来たの?」とか聞かれたらヒッピー作法ではどうしよう?とか、ここに来て英語ができないことに不安を覚え、ドアも開けられずとりあえず興奮を抑えるために撮ったのがこの写真。英語、英語!と思っていたら次の瞬間このドアが内側から開き日本人の女性が出てきて「どうぞ!」と日本語で…さらにポカンとしているわたしに「お入りになりたいのでしょ、どうぞ」と言うだけ言ってさっさと行ってしまった。わたし、いろんな共時性の体験はあるが、これほどのシンクロは空前絶後。フィンドホーンの妖精に会いたい一心でここまで来た甲斐があった瞬間だった。(続く)写真はそのとき撮った玄関の写真と、その直後の無人のサンクチュアリ内部。清浄で愛に満ちたエネルギーに鳥肌が立ちっぱなし。
2007.01.06
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インバネスでレンタカーを借りてフィンドホーンを目指した。参考のために言えば、オートマのレンタカーはスコットランドにはないと言っていい。早速交差点でエンスト、セルを回すがかからず、ブレーキを踏んでニュートラルにしないと再起動しないこともわかっていなかったので若干手間取った。A96(一級国道96号線)をアバディーン目指して進めばフィンドホーンに着くはず。しかし、順調そのものに進み、フィンドホーンこちらの看板を発見。ほんとにあっけなくパークのフェニックス・ストア前に着いてしまった。ところで、この段階でもまったくフィンドホーンのことはわかっておらず、労働させられる(!)のではないかと作業着まで持ってきていたがどんなところか見当もついていなかったのが事実。じゃ、なぜそんなところに片道三十時間もかけて行ったのか?魂は結果を知っていた…と今になって思う。ストア前からパークの名所めぐりのワンディー・ツアーが出ることを本で知っていたのでせめてそれに参加してサンクチュアリの場所を知り、後で何とか忍び込もうと考えていた。(ワンディー・ツアーではサンクチュアリの中には入らないとも聞いていた)するとなんと、ワンディー・ツアーはその日はやっていないと…(あとで聞いたりすると、その日は西暦2000年という節目の夏至なので行事がいろいろありツアーを担当するスタッフはいなかった)(続く)写真はフェニックス・ストア=コンビニ兼土産物ショップ兼情報収集所その内部、よく見ると金髪の係りの女性が見える。
2007.01.05
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ともかく、その旅の相棒と二人で成田を飛び立ちヒースロー空港に… そこからユーストンの駅にバスで移動するのだが、このヒースローの到着ロビーでなんとJさんに出会っていたらしい。 こちらは空港からユーストン駅行きのバス乗り場に行く途中でJさんの前を通ったと大分あとにJさんから聞いた。 「何故声がかけられなかったのでしょうね?」と… 原作ではハリーポッターもユーストンから(映画ではキングスクロス駅)汽車に乗ったはずだが、ここからスコットランド行きの夜行列車に乗った。 生まれて初めてのコンパートメントでインバネスまで13時間の列車の旅。 列車のサスペンションが快適でバスの旅のように振動がやさしい。 途中エジンバラを通過し、知らなかったがフィンドホーン直近のフォレスの街も通過(停車しなかったかも)。 朝早くインバネスに到着し、何の手配もしていないのでとりあえずはこの街のB&Bを確保した。 インバネスではスコットランド人の温かさを感じた。 (続く)写真はインバネス(コペンハーゲンより北にある)のB&Bとご主人と昨日もらってきたと言う仔犬。
2007.01.04
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フィンドホーンのことを知ったのはおそらくは1999年のこと。そのときに強く印象付けられた言葉は「そこに行けば、人生が変わる」だった。自分の人生を必ずしも否定していたわけではないが、わたしのキーワードの一つは<あきる>だ。その何年か前にあるセミナー会社から管理職として誘いを受けたことがある。さすがに見る目があり誘いの言葉は「今の仕事にはもう飽きているでしょう?」だった。2000年の正月に初夢分析会の席上、Jさんがイギリスに渡り福祉の仕事をすると言う。じゃ、今年Jさんのいる間にフィンドホーンへ行こう!とにわかに盛り上がり、七人ほどが名乗りをあげた。しかし、なんだかんだと理由があって、最終的にはほとんどがパス。Tさんが書いているフィンドホーン紹介の本を頼りに行くことにして、そのTさんに電話した。Tさんは英語ができるかどうか聞いてくれて、できないと知ると「日本語の体験週に参加する以外に方法はない」と教えてくれた。特に入りたいと願っているサンクチュアリにはどうやって入るか、英語もできないで入れると思いますか?と…しかし、それはわたしの日程とはまったく合わない。このときに、それぞれいろんな伝説を作るのだろうが、わたしは理由もなく<今>だと感じていた。ともかくフィンドホーンに行く事を決め、もう一人行くことを決めている相棒と相談。調べてもらってロンドンまで飛行機、そこから夜行、そしてインバネスからレンタカーと決めて出発。フィンドホーン到着の日は奇しくも西暦2000年の夏至。しかし、そのときにはまったく意識はしていなかった。(上の写真はランドルフ・リープという渓谷、フィンドホーンのメンバーが大変好むポイントですごくエネルギーがいい)
2007.01.03
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もう何度か紹介したことだが、フィンドホーンは本当に不思議の国。期待をはるかに超えたり、あるいはとんでもない展開になったり、そしてあとで「あー、そんなことだったのか…」と納得したり…もし、今から行く人にアドバイスするとしたら誰の言うことも当てにせず、自分の中の声を頼りに、愛の妖精を信じて黙って行きなさい…と言いたい。どんな場所や人にしても、それぞれの体験は固有のものだと思う。言い換えれば先人の体験を得られるわけでもない。もし誰かと同じ体験を期待して行ったとしたらがっかりするかもしれないし誰かがいい体験をさせてくれると思って行ったら大いに裏切られるだろう。また、フィンドホーンもすでに半世紀を経て創始者の二人は逝き確実に変容を続けている。ドロシーを含めてどのメンバーも訪問者を何とかしてくれるために生きているわけもない。当然ながらそれぞれが自分の人生を一生懸命生きている。アイリーんにしてからが大変な人生を、ある意味で死ぬまで一生懸命生き抜いてきた。甘い話しはない。しかし、誰かが本気でその門を叩けば間違いなく本気の答えが返ってくる。より手放し、より無防備に、愛を与えることをすればそれは驚くべき倍率であなたに降りそそぐだろう。そんな体験談が聞きたいものだ。
2007.01.02
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明けましておめでとうございます!今年もフィンドホーンに貢献し、大いに幸せを興しみんなが有形無形の豊かさを感じられる一年としていくことを固く決意しています。我が家にもフィンドホーン所縁のサンクチュアリが灯りました。今年もよろしくお願い申し上げます!!
2007.01.01
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