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風の篝火 さだまさしhttp://jp.youtube.com/watch?v=e38aScEeJX4第60回辰野ほたる祭り最終日の今夕は、あいにく雨ふりのようです。辰野町ホームページhttp://www.town.tatsuno.nagano.jp/
2008年06月29日
549011W-Karhunpaa puukko Bear’s Headhttp://www.marttiini.fi/puukot/shop/english/prod.asp?ContID=279 Karhu Bear Leuku http://www.kellamknives.com/index.php?main_page=product_info&cPath=1_33_59_61&products_id=100 WOODSKNIFE KARHU/WILD BEARhttp://www.kolumbus.fi/harri.merimaa/wid%20bear.htmMarttiini Oyhttp://www.marttiini.fi/KELLAM KNIVES Co.http://www.kellamknives.com/WoodsKnife design H. J. Merimaa http://www.kolumbus.fi/harri.merimaa/
2008年06月28日
Kullervo Puukko http://www.kellamknives.com/index.php?main_page=index&cPath=1_33_83_84http://www.leatherman.fi/web/index.php?id=192 彼は鞘より小刀を抜き、 その麺麭(パン)菓子を切らんとしたり。 その刃は石に激しく当り、 石に当りて刃はこぼれぬ。 その小刀の尖(さき)は折れぬ、 その小刀は破損しぬ。 カレルウォの子、クレルウォは、 折れし小刀をつくづくと見て、 ついに号泣しはじめて、 次のようにぞ言いにけり、 「我れにはこの小刀の他に仲間なし、 この鉄(くろがね)より他に愛すべきものなし、 これは我が父より一子相伝の品にて、 その老人が常に用い給いしものなり、 卑しき女主人によりて焼かれし、 その邪悪な女が菓子に入れたる、 石に当りて今やその小刀は折れぬ、 岩の欠片に当りてそれは破れぬ (講談社学術文庫『フィンランド国民的叙事詩カレワラ』P.116 - 117 森本覚丹訳)ガッレン=カッレラ作「クッレルヴォの呪い」(Akseli Gallen-Kallela “Kullervon kirous”)Sibelius: Kullervo's Death 1、2http://jp.youtube.com/watch?v=PDzToYXlBrohttp://jp.youtube.com/watch?v=_q85UvBRnpw
2008年06月27日
さる程に越後國の住人、城太郎助長、越後守に任ぜられる。 朝恩の忝(かたじけ)なさに、木曽追討の爲にとて、 その勢三萬餘騎で、信濃国へ發向す。 六月十五日門出して、すでに打立んとしける夜半ばかり、 俄に空かき曇り、雷(いかづち)おびたゞしう鳴つて、 大雨下り、天晴れて後、虚空にしはがれたる聲を以て、 「南閻浮提金銅十六丈の盧遮那佛、 燒き亡し奉る平家の方人する者こゝに有り、よつて召取や と、三聲(みこえ)叫んでぞ通ける。 城太郎を始めとして、これをきく者、皆身の毛よだちけり。 郎等ども、 「これほど恐しき天の御告の候ふに、たゞ理をまげて留せ給へ」と申けれども、 「弓矢取る身の、それによるべからず」とて、 城を出て僅(わずか)二十餘町ぞ行きたりける。 又黒雲一群立ち來て、助長が上に覆ふと見えしが、 忽ち身竦み心ほれて、落馬してけり。 輿(こし)に舁かれて館(たち)へ歸り、 うち臥す事三時ばかりあって、遂に死にけり。 飛脚を以て、都へこの由申したりければ、 平家の人々、大きに恐れ騒がれけり。 (『平家物語』巻第六 洲の股合戦の事 付・しはがれ聲の事) 今回のダガー規制に関して、関在住の刃物関係者の方から1時間ほど電話でお話を伺うことができました。ダガーの輸入や購入は難しくなっても、これまでの流通量の多さもあって、所持の規制は実質不可能という方向に落ち着きそうです。(もちろん、今後何が起きるかわかりませんので楽観視はできませんが)そして、刃物業者や出版社が、巧みに責任逃れをしていることの裏付けも取れました。正しいナイフの使い方を広めるよりも、自分たちの保身を優先する関係者ばかり。当ブログで何度も繰り返し書いていますが、実戦経験のない素人たちが対人殺傷用ナイフを雑誌等で流布しておきながら、現実に人が殺されると一斉に頬被りをするという陳腐さは笑い話にもなりません。彼等が一般市場に公表した思想とは一体何だったのか? ナイフによる殺傷事件を少しでも減らしたいのであれば、雑誌社や販売店が己の身の丈にあった売り方をすべきではないでしょうか。その一方で、ナイフで殺されてしまった人たちの、寸断された希望や目標はどうなるのでしょう。突然家族を奪われた遺族たちの気持ちはどこへ行けばよいのでしょう。一部の業者による扇動で殺人用ナイフブームが始まる以前から、ダガーやミリタリーナイフを観賞用として楽しんでいた愛好家たちの気持ちも…日本国内の無責任なナイフ関係者たちの耳に、しわがれ声の聞こえる時が、いつの日にか来るかもしれません。(この記事は、しばらくしたら削除する予定です)
2008年06月25日
ずっと『平家物語』関連の仕事をしていますので、やはり日本古来の神様の方が親しみやすいです。特に八幡様は源氏方の神様ですね。
2008年06月24日
今昔、三条の院の天皇の春宮にて御ましける時に、大刀帯の陣に常に来て、魚を売る女有けり。大刀帯共此れを買せて食ふに、味ひの美かりければ、此れを役と持成して、菜料に好みけり。干たる魚の切なるにてなむ有ける。 而る間、八月許に、大刀帯共小鷹狩に北野に出て遊けるに、此の魚売の女出来たり。大刀帯共、女の顔を見知たれば、「此奴は野には何態為るにか有らむ」と思ひて、馳寄て見れば、女、大きやかなる?を持たり。亦、楚一筋捧て持たり。此の女、大刀帯共を見て、怪く逃目を仕ひて、只騒ぎに騒ぐ。大刀帯共の従者共寄て、「女の持たる?には何の入たるぞ」と見むと為るに、女惜むで不見せぬを、怪がりて引奪て見れば、蛇を四寸許に切つヽ入たり。奇異く思て、「此は何の料ぞ」と問へども、女、更に答ふる事無くて、□□て立てり。早う、此奴のしける様は、楚を以て藪を驚かしつヽ、這出る蛇を打殺して切つヽ、家に持行て、塩を付て干て売ける也けり。大刀帯共、其れを不知ずして、買せて役と食ける也けり。 此れを思ふに、「蛇は、食つる人悪」と云ふに、何ど蛇の不毒ぬ。然れば、其の体に無くて、切ならむ魚売らむをば、広量に買て食はむ事は可止しとなむ、此れを聞く人云繚けるとなむ語り伝へたるとや。
2008年06月23日
「じっとしているあいだはとらえやすい。 まだ兆しが現れていないうちは処置しやすい。 もろいものは融けやすく、微小なものは消滅させやすい。 まだ何でもないうちに処理し、 混乱が大きくならないうちに秩序立てておくことだ。 ひとかかえくらいの大木でも、毛すじほどの芽から生えるのだし、 九重の高さの築山でも、ひと盛りの土から築きはじめられるし、 千里の遠方への旅行も、足もとから踏み出されるのだ。 何かしようとするものは害を与え、固執するものは失うであろう。 (後略)」 (『老子』小川環樹訳 中公クラシックス)秋葉原の事件に限らず、昨今のナイフ事件は『老子』第64章で説かれているように、事前に止められたと思っています。対人殺傷用ナイフを宣伝、販売していたライターやナイフ店店員は軍歴のある人たちではなかった(=商品知識以外は我々素人と数ミリ程も違わない)。だから、彼ら自身が一体何を売っているか、どんなことを言っているかすべて掌握し得ていなかったし、対人用ナイフとして紹介したものは、類似品も含め対人用に使われるであろう可能性も、そして対人用に使われた場合、どのような結果になるかも予想していなかった。それらをすべて考慮した上で、雑誌で宣伝、販売するべきだった。アメリカ的発想を半端に持ち込み、ロクな展開にはならなかった悪例でもある。今後、彼等らがこれまでの発言を取り繕うとしたり、言い訳をはじめたり、あるいは、今までのことをすべてなかったような口ぶりで、ナイフ事件で損害を受けた側のような振る舞いをすることは十分考えられます。この人たちは、自らの行いを反省したり熟慮することを知らないのかもしれない。其安易持、其未兆易謀。其脆易〓、其微易散。為之於未有、治之於未乱。合抱之木、生於亳末、九層之台、起於累土、千里之行、始於足下。為者敗之、執者失之。是以聖人、無為故無敗、無執故無失。民之従事、常於幾成而敗之。慎終如始、則無敗事。是以聖人、欲不欲、不貴難得之貨。学不学、復衆人之所過。以輔万物之自然、而不敢為。その安きは持し易く、そのいまだ兆さざるは謀り易く、その脆きは判ち易く、その微なるは散らし易し。これをいまだあらざるになし、これをいまだ乱れざるに治む。合抱(ごうほう)の木は、毫末(ごうまつ)に生じ、九層の台は、累土に起こり、千里の行は、足下に始まる。なす者はこれを敗り、執る者はこれを失う。ここを以て聖人は、なすことなきが故に敗るることなし。執ることなきが故に失うことなし。民の事に従うや、常に幾(ほと)んど成らんとするにおいてこれを敗る。終りを慎むこと始めの如くんば、すなわち事を敗ることなし。ここを以て聖人は、欲せざるを欲して、得難きの貨を貴ばず。学ばざるを学んで、衆人の過つ所を復す。以て万物の自然を輔(たす)けて、あえてなさず。
2008年06月19日
(画像は http://wallpaperstock.net/ よりお借りしています)Chopin - Valentina Igoshina - Etude Op. 10, No. 3http://fr.youtube.com/watch?v=qa0Z6g1XJkU
2008年06月18日
(画像は http://the-piano-shop.com/ よりお借りしています)Chopin - Valentina Igoshina - Etude Op. 10, No. 3http://fr.youtube.com/watch?v=yrD1ZaNwdsUブログをやめたりはしませんが、個人的に手放したり、片付けないとならないことが多々ありそうです。まずは国内で買ったアウトドア用ナイフを友人知人に送りつけています。受け取る側にとっては有り難迷惑かもしれないですけど(笑)、どのように扱うかは新しい持ち主にお任せします。海外から取り寄せた品物を優先して手元に置こうと思っています。
2008年06月17日
神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、 彼が「はい」と答えると、 神は命じられた。 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、 モリヤの地へ行きなさい。 わたしが命じる山の一つに登り、 彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 (創世記第22章1-2節)※秋葉原の事件で槍玉に挙げられて、対人用にしか使えないと決めつけられているダガー(ダガーナイフ?)ですが、海外のサイトではアウトドア用としてフィールド・テストしている人もいます。Boker Applegate-Fairbairn Combat Knife : IN PROGRESShttp://www.cutleryscience.com/reviews/applegate_boker.html一方、岐阜県関市の刃物連合会は、ダガーの国内向けの製造、販売、輸入を中止し、流通、所持を法で禁止するよう国に求めていくことを決めたそうです。会の内輪で自主規制するのは結構、勝手にどうぞ、としか云えませんがこれまでにダガーを購入したり、好きな製品を個人輸入している愛好家にまで悪影響が及ぶような働きかけはやめてもらいたいものです。一部の業者が対人、殺傷用ナイフを初心者相手の刷り込みで流行させた際、その流れに反対するどころか、逆に便乗して類似品を製造販売していたのは他ならぬ連合会に所属しているメーカーや販売店でしたよね?故・三島由紀夫氏に日本刀で斬りつけられそうになった経験もある石原東京都知事は、(幸い鴨居に刀が食い込んで事なきを得、 三島氏は鴨居から日本刀を引き抜く際に捻ってしまい、刃が欠けてしまったそうです。 故・三島氏曰く「君は またよそへ行ってこのことを喋るんだろう」 参考文献『三島由紀夫の日蝕』)「(刃物の)製造・販売を禁止したって、 あの類の事件は他の凶器を使って起こるだろうし、しょせん後手後手でしかない」と落ち着いたものです。※映画『ハンテッド』の創世記風な冒頭のセリフはボブ・ディランの“Highway 61 Revisited”(追憶のハイウェイ 61)からの引用 Bob Dylan- Highway 61 revisitedhttp://uk.youtube.com/watch?v=2b4FqFEwlL8 Oh God said to Abraham, "Kill me a son" Abe says, "Man, you must be puttin' me on" God say, "No." Abe say, "What?" God say, "You can do what you want Abe, but The next time you see me comin' you better run" Well Abe says, "Where do you want this killin' done?" God says, "Out on Highway 61."
2008年06月15日
軍隊経験のない売文屋ごときがこんな本を出し続けていれば、おかしな影響を受ける連中が出てきても不思議ではありません。似非モノの物書きどもにナイフを語る資格はありません。さっさと消えてくれていいですよ。その方が日本のためです。昨今のナイフ事件でお亡くなりになった方々、ケガを負われた方々には謝りたい気持ちでいっぱいです。止められなくてごめんなさい・・・。以前から当ブログを読んで下さっている方はご存知と思いますが、自分はナイフの正しい使い方をちゃんと教え、武器としての面を雑誌等で強調するのはやめた方が良いと書いてきました。しかし、日本で「ナイフは武器ではないですよ」と明言してくれたのはモキナイフさんのスタッフの皆さん、関係者の方々だけであって、某大手メーカーやショップは武器として設計したナイフを雑誌で宣伝したり、刃物店が相手構わず対人用ナイフを販売している場面に少なからず遭遇しました。それから、ナイフ事件が起きると必ずマスコミにしゃしゃりでてくる東京中野の某ナイフ店も、ナイフカタログなどへナイフ格闘術の広告を掲載していたことがありました。ドラマ「SP」でナイフのアドバイスしたのはこの店ではないでしょうか?素人でもわかるような誤った情報を流して一般の人たちの恐怖を増長させて嬉しいですか?ただ単にテレビに出て、ナイフの蘊蓄を語って目立ちたいだけではないですか?メーカーも販売店もやるべき時にやらずして、無関係な人たちが大勢殺されてから気がつく無神経さ。その癖、国の刃物規制にはビクビクオドオド、考えるのは自分たちの立場と利益ばかり。ナイフマニア達もメーカーや販売店に嫌われるのが怖いのか、表立って何も言わない。これでは秋葉原の事件の時に、ケガした人を助けもしないで、安全な場所からカメラや携帯で事件の様子を撮影していた野次馬たちと変わらぬ。「冥福を祈ります」?「哀悼の意を表します」?志半ばでいきなり生命を断たれて、数日で納得できるわけがないだろうが。被害者の遺族たちの耳にも、そんな型通りの言葉が届く筈がない。たしかに、今回のような事件でも、犯人の内面に問題があるのであって、ナイフそのものが直接的な原因ではないでしょう。しかし、気がふれた人間が、意図的に対人用ナイフを選択して使ってみたくなるような、あるいはそれを言葉巧みに誘導するような、商売人どもの嘘記事が掲載された本や雑誌は今も書店で実際に売られている。誰もその異常さを指摘しないのは、販売店と常連のマニアたちが暗黙の了解で仕掛けた罠ではないかと思う。こんな業界に関わらない方が身のためだ。日本のナイフ販売店よ、さようなら。今後、あなたたちから、ナイフを買うことは2度とありません。方向転換する機会はこれまでたくさんあったのに、そして、ナイフで大勢の人が殺されることもなかったかもしれないのに。
2008年06月12日
書こうと思うことはたくさんあるのですが、いろいろな考えが交錯してまだよくまとまっていません。以前、武道の雑誌に寄稿した折に引用させてもらった『老子』の第81章を下記します。 信言不美、美言不信。 善者不辯、辯者不善。 知者不博、博者不知。 聖人不積。 既以爲人、己愈有。 既以與人、己愈多。 天之道、利而不害。 聖人之道、爲而不爭。 信言は美ならず、美言は信ならず。 善なる者は弁ぜず、弁ずる者は善ならず。 知る者は博からず、博き者は知らず。 聖人は積まず。 既く以って人の爲にして、 己れいよいよ有り。 既く以って人に与えて、 己れいよいよ多し。 天の道は、利して害せず。 聖人の道は、爲して爭わず。
2008年06月09日
La visite virtuelle de l’abbatiale Sainte-Foy de Conqueshttp://www.lejourduseigneur.com/conques/index.htmlフランス・コンクにあるサント・フォア修道院付属教会の様子を水平360度、上下180度パノラマでヴァーチャル訪問できるサイト。Version haut debit を選ぶと大きな画像を見ることができます。Site officiel de la ville de Conqueshttp://www.conques.fr/
2008年06月01日
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