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人間はどんな時にやる気が出てくるのか。これが分かっていると、人生がむなしいとか退屈だなどとは考えなくなります。時間が経つのが早く、人間に生まれてよかったと思えるようになります。今日はこの問題を取り上げてみました。1、好きなこと、楽しいこと、気持ちがよいこと。興味や関心があることは、ドパミンやβエンドルフィンがでてきて、すぐにやる気が出てきます。逆に嫌いなこと、苦しいこと、面倒なこと、おっくうなことは、ノルアドレナリンがでてきて、行動は抑制的になります。これが脳の仕組みです。2、得をすること。人から評価されること。お金などの報酬に結びつくものが見つかるとすぐにやる気が出てきます。誰もができないようなことで成果を上げることが予想されるとやる気になります。しかも長期的な持続力があります。3、相手と競り合い、勝ちたいという気持ちが湧き上がってくると途端にやる気に火がつきます。ライバルを持っている人は情熱の塊です。スポーツやゲームなどは、ほとんどこの要素があります。4、イヤイヤ仕方なく始めた事でも、その中に問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、感動が見つかるとやる気が出てきます。これは森田でお勧めしていることです。そのためにはそれらをきちんとキャッチすることが不可欠となります。5、日々のルーティンワークを確立した人は、身体がすっと動いてくるようになります。習慣化された行動を中断すると、居心地の悪さを感じるので自然に必要な行動ができるようになります。傍から見ていると規則正しい生活をしている人は、やる気のある人に見えます。これも森田でお勧めしていることです。今やりたいことが何もなくて虚しいという人は、5つの項目の中から取り組む課題を見つけてみましょう。特に4と5をお勧めしたいです。2つを組み合わせると俄然やる気が出てきます。よい行動の習慣化は3ヶ月くらいかかります。飛行機でも安定軌道に入るまでは不安ですが、一旦安定軌道に入ると安心と自信が生まれます。
2024.08.19
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曽野綾子さんが、宮川優さんの詩を紹介されている。凧が空高く飛べるのは誰かが糸を引っぱっているからでも凧はその糸さえなければもっと自由に空を飛べると思っているその糸がなければ地上に落ちてしまうのも知らずに凧の糸は、失敗、苦労、不運、貧乏、家族に対する扶養義務、自分や家族の病気に対する精神的な支援、理解されないこと、誤解されること、などのことだ。それらは確かに自由を縛るようには見えるが、その重い糸に縛られた時に、初めて凧は強風の青空に昂然と舞うのである。(善人はなぜまわりの人を不幸にするのか 曽野綾子 祥伝社黄金文庫 176ページ)苦悩というのは、人間にとって極めて大切な要素です。苦悩のない人間は、人間性を失う。神も人も見えなくなる。(同書 58ページ)神経症を抱える、承服しがたい自然災害、理不尽な他人の仕打ち、過酷な運命、命にかかわるような病気やケガ、打開策が見つからない問題を抱えることは、人間誰にも起きます。それらを忌み嫌い否定することが多いと思います。しかし否定するばかりでは将来につながりません。神経症は神様が自分に与えてくれたギフトや試練ととらえるのは如何でしょうか。私は対人恐怖症で苦しんだ経験は、無駄ではなかったと思います。この苦しみがなかったとしたら、森田理論学習をすることもなかったでしょう。生きづらさの原因が分からないまま失意の人生で終っていたでしょう。森田理論学習によって、神経質性格者としての生き方を見つけたことは、最大の幸福をもたらしました。また自分の苦しみを開示して人様のお役に立つ活動をすることで生きがいを持つことができました。どんなに忌まわしい過去を持っていても、人生に無駄なこと、無意味なことは一つもない。そのためには一つ条件があります。自分の性格、容姿、能力、境遇、環境、試練をあるがままに受け入れることです。膝をかがめてエネルギーをため込み、後は思い切って飛び上がることです。雨降って地固まり、人間としてこの世に生を受けたことに対して感謝できるようになります。
2024.08.10
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気分変調性障害の人は、抑うつ状態がいつも付きまとっているような状態です。天気でいえば、いつも曇天か雨が降っている状態だと思います。なんとか日が差すような状態に持っていきたいものです。私の取り組みをいくつかご紹介します。・口を開けて唇の端を押し上げる。口角を上げて笑顔を作る。それを鏡で確認する。顔を洗ったり、歯みがきの時は必ず行う。また私のパソコンの前には犬が笑っている写真と孫の赤ちゃんの時の写真が飾ってあります。その写真に向かって笑顔を作るようにしています。ある人から聞いたのですが、鉛筆を横向きに咥えると自然と笑顔になるということでした。これは森田でいうところの「形から入る」ということだと思います。形を整えていくと、心が変わってくるということだと思います。・日記を書いている方は、1日を振り返って「よかったこと」を最低一つは書くようにする。次に「うれしかったこと。感動したこと」を一つは書くようにする。それから、「感謝したいこと」も一つは書くようにする。大きなことでなくても、小さいことの中から見つけるようにする。これを3ヶ月続けるようにする。その後検証してみる。・規則正しい生活習慣を作る。同じ時間に同じことをする。ルーティンワークを作り上げる。何も考えることなく体がすっと動いてくるようにする。抑うつが入り込んでくるのは、弛緩状態で暇な時間ができたときだと思われます。これも3ヶ月くらいで習慣化されます。・セロトニン神経を鍛える。セロトニンは抑うつを遠ざける働きがあります。これは2022年2月13日の投稿記事をご覧ください。朝日を浴びる。ウォーキングを心がける。リズム運動を行う。トリプトファンを含む食品をとる。などいろいろとあります。普段の生活の中でセロトニン神経系を鍛えていきましょう。抑うつを吹き飛ばす方法はこれ以外にもたくさんあると思います。集談会などで出し合って、よいものに挑戦していきましょう。
2024.07.01
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次のような相談がありました。仕事に意欲的に取り組めない。上司や同僚からやる気を出して真面目に仕事に取り組んでくれと言われる。最低限の責任を果たしてもらわないと、仕事が回っていかない。何とかなりませんか。自分でも何とかしたいと思うのだが、エネルギーが枯渇したような状態で、体が全く言うことを効かない。このままではいずれ退職するようなことになるかもしれない。こういう場合は、どうすればよいのでしょうか。この問題を考える前に、まず確認しておきたいことがあります。やる気になれないと言われていますが、それは今現在の状態であって、うつ病でもない限り、根っから無気力だというのは違うと思いますが如何でしょうか。その証拠に火事になれば誰でも一目散に逃げだします。やり方を変えればやる気のある人間に変身できるはずです。意欲的になれない原因は、「動機付け」の有無だと思います。「動機付け」というのは、「外発的動機付け」「内発的動機付け」の二種類があります。「外発的動機付け」というのは、上司や他人からの指示・命令などです。「外発的動機付け」は初期段階ではかまいませんが、そのうち「内発的動機付け」に転換することが大事になります。いつまでも「お使い根性」の仕事ぶりではいただけません。「内発的動機付け」とは、課題や仕事に取り組んでいる中で、問題点、課題、改善点、改良点、面白み、楽しみに気付いたときに出てくるものです。行動への意欲が自然に高まってきます。イヤイヤ始めた事でも、そういう意識を持って取り組んでいると、見つけられるようになるのです。見つかったら忘れないようにメモしておくことが肝心です。課題や目標を持てた時、誰でも意欲的になります。その他、好奇心を活かして好きなものを見つけたとき、ライバルを意識したとき、規則正しい生活習慣を作りあげたときも意欲的な人間に変身できます。これについてはいずれまた投稿します。さて、次にもう一つ気をつけたいことがあります。せっかく意欲的になっても、障害物に遭遇するとすぐに意欲が失われてしまう場合です。例えば毎日ランニングをしようと決めても3日坊主で終わってしまう。森田全集第5巻を読破しようと決めても、すぐに頓挫してしまう。こんなとき自分は意志が弱いと自己否定する場合があります。これはやり方に問題があるのであって、あなたの意志が弱いからではありません。こういう場合は、一人で取り組むよりも仲間を誘って取り組むようにした方がよいのです。私は訪問営業をしていたときに、同行営業でうまくいったことがありました。単独営業で辛いことがあると、ついサボってしまうのです。同行営業では相手の存在が制御力として機能してくれるのです。気分本位に流されることを防止できます。ランニングでいえば、友達、配偶者、子供、「○○町の走ろう会」のメンバーといっしょに走る。森田全集第5巻の読破でいえば、全国に「森田全集第5巻を読む会」があります。それらの会に入ってみんなで学習することです。無理なく継続できます。ちなみに私が40年近く森田理論を学ぶ集談会に留まることができた理由は、世話活動を続けてきたからです。今考えるとしんどいと思っていた世話活動が、私を森田につなぎとめる役割を果していたのです。それがなければ、森田の金鉱にたどり着くこともなく、無念の人生に甘んじていたことでしょう。継続力はなかなか手ごわい相手ですから、他人の力を借りることを提案したいと思います。
2024.06.29
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今日は映画「九十歳。何がめでたい」という感動映画の紹介です。感動の涙が流れてくる映画でした。この映画は直木賞作家の佐藤愛子氏(現在100歳)のエッセイをもとに映画化されました。佐藤愛子役を90歳の草笛光子さんが演じている。はじめての主演作品だという。認知症とは縁のない人でした。女優の草笛光子さんも人間として魅力を感じる人でした。これまで数々の文学賞を受賞してきた作家の佐藤愛子氏は、90歳を過ぎた時点で断筆宣言して、人づきあいも減り、鬱々とした日々を過ごしていた。そんな彼女のもとに、中年の冴えない編集者の吉川真也(唐沢寿明さんが演じている)がエッセイの執筆依頼を持ち込んできました。佐藤愛子さんは、「余生をのんびり過ごしたいのでお引き受けしません」と吉川氏の執筆依頼を断り続けていた。何度も菓子折りを持参して、あの手この手で勧誘する吉川の依頼についに根負けして、再び筆をとることになった。身近な題材をもとにエッセイを書き始めると、鬱々とした生活に変化が出てきた。目標を持った生活が生活の張りをもたらしてきたのだ。また生きづらい社会に警鐘を鳴らすエッセイは大反響を呼び起こすことになった。佐藤愛子さんの人生は、90歳にして再び精彩を放つことになったのです。一方、編集者の吉川真也は、会社ではパワハラ上司として部下との間に問題を抱えていて、そのうち降格されられた。また仕事にかまけて家庭を顧みることを怠ったために、愛想をつかした妻は娘とともに家を出ていった。そして離婚届を送り付けてきた。娘からは、「もうお母さんを自由にさせてあげて。自分勝手なことばかりして、お母さんの気持ちを考えたことがあるの」と叱責される有様であった。最後はよりを戻して幸せな家庭を取り戻すことを期待して見ていたが、結局は離婚届に判を押して分かれるしか選択肢はなかった。結婚後、神経症にかまけて、家庭を顧みない自分勝手な行動をとっていると、隙間風が入り込み、家族みんなが不幸になるという事例を見た思いがした。この90歳の女流作家とさえない編集者の間で印象深いシーンがあった。編集者 「どうすればいいじいさんになれますかね」女流作家 「いいじいさんなんてつまらない。おもしろいじいさんになりなさい」いくつになっても、目標を持って人生を楽しんで生きていきなさいということだと感じました。なおこの映画を知ったきっかけは、Googleアラートに「封切映画」を登録していたからです。キーワード登録すれば、自分の関心事をスマホに自動配信してくれるので助かっています。
2024.06.25
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「ケンタッキー・フライド・チキン」のカーネル・サンダース氏は元々レストランのオーナーでした。65歳の時、レストランのある国道から少し離れた場所に、新しいハイウェイができて客が激減してレストランは倒産しました。絶体絶命の立場に立っていたのです。こんな状況に追い込まれれば、誰でも自暴自棄になります。カーネル・サンダースは「店舗がない」ということは、「自由に動ける」ことだと考えたのです。店舗に縛られないので、自由に他の店舗に営業に行き、「フライドチキンのレシピを売る」商売へ転換したのです。レストランを経営しているだけだったら、チキンのレシピを売る、という発想は思いつかなかったでしょう。この短所を長所に変える発想により、全世界で1万店舗を超える「ケンタッキー・フライドチキン」が誕生したのです。この方法はセブンイレブンを始められた鈴木敏文氏の発想法に似ています。店舗は自分では持たない。店舗はそれぞれのオーナーのものです。セブンイレブンは、販売手法に特化してそのノウハウを開発して販売しているにすぎません。店舗をもないで、店舗の運営、品ぞろえ、物流に特化するという自由な発想は従来にはありませんでした。店舗がないのに、どうして商売ができるのだという先入観を持っていると逆転の発想は生まれてきません。パソコンの販売を手掛けているデルも同じです。工場を持たない。販売網も持たない。そんな状態で成功した会社です。パソコンの基本設計を行い、それを格安で組み立ててくれる提携工場を世界中で探す。つまり製造はすべて外注に出しているのです。そして注文はインターネットで世界中から直接受ける。だから販売する店舗は要らないのです。そういう仕組みを作り上げたのです。その結果格安のパソコンが出来上がってくる。従来は自前で工場を持ち、販売チャネルを整備して初めて商売が成り立つと考えられてきたのです。短所と長所は、コインの裏表のように、すぐに入れ替わってしまう関係にあるということを再認識したいと思います。弱点や欠点の裏には、素晴らしい強みや長所が隠れているのではないかと両面観で分析してみることが大事になります。普通は自分の強みや長所に焦点を当てて、その部分を伸ばしていくことだけを考えています。弱点や短所から自分を活かしていく道もあるということだと思います。こういう自由な発想ができると人生に希望が持てるようになります。(人を動かす質問力 谷原誠 角川新書 参照)
2024.06.13
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松岡修造さんのお話です。僕が選手時代、ひざを痛めて手術をしなければならなくなったときや病気で苦しんだとき、ものすごく落ち込んで、頭のなかが「なぜ?」ばかりになりました。でも、あるとき気づいたのです。「why(なぜ)」ばかり考えていたって、何もよくならない。ここから抜け出すための「how(どうやって)」を考えなければいけないのだ、と。ひざのけがは、もう完全には治らないことが分かっていました。ならば、そのけがとどうやって付き合っていくか、ひざをカバーするために、どこをどうやって鍛えればいいか・・・。そう考えるようにしたことで、少しずつ落ち込みから抜け出すことができました。あなたにも、「なぜ、思うような結果が出ないのだ。なぜ、自分ばっかり苦しい思いをしなければいけないのだよ・・・」と、「whyの嵐」におそわれる時期があると思います。でも、「why?」と思うのは、自分自身に意識が向いている証拠。自分の置かれた状況から目をそむけるより、ずっといい!「よっしゃ、いいぞ」と自分に声をかけ、そこからさらに「how?」へと意識を向けていこう!(弱さをさらけだす勇気 松岡修造 講談社 139ページ)「why(なぜ)」というのは、修復できないケガをした自分を批判・否定しています。「かくあるべし」を自分に押し付けている態度です。森田理論では、自分の立ち位置を雲の上のようなところにおいて、問題だらけの現実を非難、否定していると、葛藤や苦悩が生まれてくるといいます。これが神経症の発生原因となっている。その方向を選ぶと自分がみじめになるばかりです。運命を呪い、自己嫌悪・自己否定していると、最後には再起不能に追い込まれてしまいます。そのために多くの無駄なエネルギーを消費します。「how(どうやって)」というのは、事実や現実を価値批判しないで素直に受け入れています。現実や事実を受け入れると、エネルギーの無駄使いがなくなります。そのエネルギーの有効活用が可能になります。森田でいえば「生の欲望の発揮」に向かっての足がかりができるということです。目標や目的に向かって努力していくというのが人生の醍醐味です。森田では「かくあるべし」から事実を優先する態度に転換することをお勧めしています。これは雲の上にいる立ち位置を変えることです。すっと地上に降りてきて、問題に寄り添う態度に変えることです。そしてどうすれば問題解決につながるかを考えて実行することです。観念中心の「かくあるべし」を押し付けていく態度を弱めて、できるだけ事実に服従する態度に切り替えていくと、それが即、逆転人生へと切り替わっていく分岐点になります。事実本位の生活態度を身につけることは、生きづらさを解消することができます。
2024.06.04
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イチローのオリックス時代にバッティングピッチャーをしていた奥村幸治さんの話です。ニューヨーク・メッツのキャンプに参加させてもらった時のことです。メッツの何人かの選手に「メジャーで活躍するために必要なものはなんですか?」と質問しました。すると答えはすべて同じでした。「誰よりも強い体がないと年間160試合は戦えない。そのためには誰よりも練習をしなくてはならないし、身体のケアも必要だ」ここまでは私の予想通りです。しかし次に挙げたメジャーリーガーの条件は、想像もしないものでした。彼らは「運」だと言ったのです。驚いて私が、「運なんてどうやってつかめばいいの?」と尋ねると、「そんなの簡単だよ。当たり前のことを、真面目にやるだけさ」と選手たちは口を揃えました。運は自然とそういう人間に向いてくる。メジャーリーガーは心技体がバランスよく鍛えられていないと、年間160試合は戦えない。一つでも問題があると成績が下降して、3Aに落とされる。心技体のバランスを維持することは、まさに熾烈な生存競争を生き抜くための必要条件となる。ただし、いくら心技体を鍛えていても、運がなければ試合で使ってもらえない。運というのは厄介な代物です。運というのは、監督やコーチからチャンスをもらうことです。チャンスは監督やコーチがそれぞれの選手の特徴を把握していて、この場面ではあの選手が最適であると判断したときに突然訪れます。チャンスが巡ってくるかどうかは常に受け身なのです。自分から「チャンスを下さい」と言ってもプロ集団である以上、自分より適任者がいる場合はその人にチャンスが巡ってきます。そんな中でチャンスをものにするためには、自分の得意技に磨き上げて、他の選手と差別化できるまで高めていくことに尽きる。走攻守どれをとっても人並程度にこなせるが、自分の得意技を持たないという選手は淘汰されていく。球を遠くに飛ばす。正確なスローイング。コントロール。多彩な変化球を投げる。スピードボールを投げる。バントがうまい。足が速い。ピッチャーの癖を見抜く力がある。ケガに強い。守備範囲が広い。守備が上手い。大声が出せる。チームを鼓舞する力がある。つぎに監督やコーチにアピールすることが必要になります。キャンプや練習の時に注目される選手になることが欠かせない。すると、いつか突然降ってわいたように、ツキが回ってくるのです。運の女神が微笑んでくるのです。必ずしも成果が上がるわけではありませんが、運が回ってこなければ次の飛躍はないわけです。神経質者でいえば、心身の健康を心がけて、神経質性格のプラス面を自覚し、とことん活かしきることで、突然チャンスはめぐってくると信じて、努力を怠らないことです。
2024.05.26
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困ったときに他人の助けを借りることは悪いことではありません。反対に他人が困っているときは助けてあげる。人間社会は、助けたり助けられたりすることで成り立っています。自分の得意分野では人の役に立つことを実行する。それ以外は他人に頼ることで、豊かな生活を手にすることができます。ここで問題なのは、本来自分たちがしなくてはならないような、食事作り、雑事などから手を抜くようになることです。昔の生活は自給自足が基本でした。自分達が食べるものは自分たちで作っていた。旬のものを工夫して料理していました。加工食品もふんだんに作っていました。牛やニワトリなども飼っていました。生活に余裕が出てくると横着をするようになります。最近は田舎に住んでいる人でも、米、野菜を作らなくなりました。近くの工場で働き、近くの大型スーパーで好きなものを買ってくる。都会生活をしている人とあまり変わりません。年金が出るようになると、わずらわしい雑事からは解放されてきます。これからは趣味や旅行を楽しんで、今まで苦労してきた分を取り返えそうと思うような人が増えてきました。一日中テレビを見なから、食べたいものをスーパーで買ってきて、腹いっぱい食べるという生活習慣が定着してきました。傍から見ると心豊かに生活しているように見えます。果たしてそうでしょうか。私の亡くなった母は遺族厚生年金をもらい、田んぼを小作に出して、趣味三昧・旅行三昧の生活をしていました。年金をもらい米作りをやめて食事まで他人に依存した生活ぶりでした。その母がもう何も思い残すことはない、何時お迎えが来ても後悔はないなどと口走るようになりました。暇を持て余すようになり、その間隙を瞬間的、刹那的、享楽的な刺激で埋め合わせるような生活は精神的にはむなしくなってくるということだろうと思われます。規則正しい生活、凡事徹底、自立した生活、課題や目標を持った生活を放棄してしまうと、決して人間らしくは生きていけないということだと思います。いったん放棄してしまうと、元に戻ることは難しい。それは、やる気や意欲が骨抜きにされてしまうからだと思います。全ての面で依存することは、動物と同じように生きていくことになります。それは、人間らしく生きることを放棄しなさいと言われているようなものです。安楽な生き方のように見えますが、精神的には地獄の苦しみをもたらします。
2024.05.14
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アドラー心理学の中に目的論というものがあります。人間は目的を達成するために行動しているのだという考え方です。日々取り組むべき目標や課題を持たないで、惰性で生きていくことは精神的にも身体的にも大きな苦痛をもたらします。絶えず目標や課題を持って生活しているのが普通の人間です。この生き方は、常に努力精進していくことが不可欠となります。森田では雑事や雑仕事に丁寧に取り組むことを目指しています。しかし、日々の生活を丁寧にこなしていくというのは案外しんどいものです。油断しているとすぐに楽な方向に流されてしまうことになります。そうなりますと、目標や目的が蚊帳の外になり、その隙間を埋めるように「かくあるべし」がでてきます。今まで現実に立ち位置を決めて、下から上目線で目標や目的を目指してきたのですが、努力することを放棄した途端に、上から下目線で現実批判を始めてしまうのです。目標や目的の存在が、自己否定のための材料に変わってしまうのです。これでは目標や目的を持っていなかったときの方が、精神的には楽だったということになりかねません。ここで大切なことは、目標や目的から決して目を離してはいけないということです。目標や目的から目を離すと、暇を持て余すようになるとともに、精神的には地獄の苦しみをもたらすようになります。このアドラーの目的論に近いことを森田先生は次のように言われています。川に架かった丸木橋を渡るとき、向こう岸の目的物をしっかりとらえて思い切って渡ることが大切です。足元の安全を確かめたり、川に落ちたらどうしようかなどとネガティブなことを考えていると、挑戦することを躊躇してしまいます。その結果目的が果たせなくなります。また仮に破れかぶれで行動すると川に落ちてしまう。森田先生は、神経症のとらわれから抜け出す方法は2つあると言われています。ひとつめは、自分の心がとらわれから離れない時には、そのとらわれのままにとらわれていることである。これは不安になりきるということです。もうひとつは、決して目的物から目を離さないことであると言われています。苦しいので目をそらして、他のことを考えて気を紛らわせるようなことをしてはいけないと言われています。
2024.05.07
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私たちは過去のミスや失敗、失態や恥ずかしいことを後悔することがあります。歳をとるとそれらが悪夢となって現れて苦しむこともあります。過去の不祥事は取り消すことはできません。では過去の嫌な記憶にどう対処すればよいのでしょうか。今後二度と同じような間違いはしないように反省材料として活用すればよいと思います。神様は、過去の不祥事を反省して次に活かす人を高く評価されるだろうと思います。逆に言うと、後悔して悪夢にうなされるという人は、同じような過ちを何回も繰り返しています。これでは貴重な経験として活かしているのではなく、自己嫌悪、自己否定を深めているだけです。具体的にはどうすればよいのでしょうか。後悔している自分にきちんと向き合うことが大切です。忌まわしい事実を事実としてきちんと認めることです。どうしようもない、ダメだ、取り返しがつかない、救いようがないなどと責めないことです。落ち込んでいる自分に優しく寄り添うことです。自分の味方は自分しかいないわけですから。いつも後悔をして自己嫌悪、自己否定している人は、「今、ここ」の意識が希薄な人です。過去の不祥事に振り回され、将来のことに取り越し苦労ばかりしている人です。もっと「今、ここ」に注意や意識を向けることが大切です。マインドフルネスは「今、ここ」に意識して注意を向け、それを客観的に眺める手法だと聞いております。日常生活では、森田で言うように「ものそのものになりきる」ということが大切だと思います。ぼんやりとして、他のことを考えながらうわの空で行動するのは考えものです。抑うつ状態や後悔はその隙間を狙って心の中に侵入してくるのではないでしょうか。また、悪夢にうなされて苦しいという人は、普段の生活の中で、目標、目的、課題、希望、夢を持っていない人です。つまり生の欲望の発揮が蚊帳の外になっています。日常生活の中で、問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけようと心がけて生活している人は、意識が前向きで外向きになっている人です。注意や意識が外向き・前向きになっているときは、後悔で苦しむことはありません。
2024.05.06
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生活の発見誌1月号で長谷川洋三氏が次のように指摘されています。私たちは、目的に向かってつねに、積極的にベストの努力を持続することによって、心身ともに強くなるという結論に落ち着きました。それは分かったけどいざ実行となると、なかなか思うようにうまくいかない。長谷川先生は、森田理論の理解と実行・行動が別々になっていると言われています。森田理論を理解した後は応用・活用できるようにしたいものです。私がこの路線に乗れなかった原因が2つあったと思います。一つは気分本位に振り回されていたということです。もう一つは「かくあるべし」が強すぎてエネルギーを吸い取られてしまったのです。長谷川先生は、感覚や気分というものは、私たちの内なる自然現象の一つである。感情というのは、私たちの意思ではどうにもならない自然現象である。いやだ、しんどい、面倒だ、ムダになる、自分には無理だという感情が湧き上がってくるとなかなか行動に踏み込めない。仮に手を付けたとしても、困難な問題が立ちふさがると、すぐにやる気をなくしてしまう。気分に振り回されないためには、行動しているときに問題点、課題、改善点、改良点などがないかを鵜の目・タカの目で探すことです。日常生活や仕事をしているとその気になればいくらでも見つけることができます。見つかったらそれを忘れないようにメモしておくことです。今すぐに処理できることは早めに処理するように心がける。今すぐにできないことは休日の懸案事項としてストックしておく。それ以上大きな問題は人の協力を得て処理するようにする。次に「かくあるべし」が強すぎると、事実、現実、現状を否定するために多くのエネルギーを消費します。その結果、身体的、精神的に疲れ果ててしまいます。反対に不本意な事実をそのまま認めると、そのエネルギーを生の欲望の発揮に投入することが可能になります。「かくあるべし」を減少させることは難しいことですが、ある程度骨抜きにすることは可能だと思います。そのために心掛けることは次のようなものがあります。1、傾聴、受容、共感、許容の態度を身に着ける。2、あたりまえのことに、感謝の気持ちを持つように心がける。3、人の役に立つことをものそのものになって取り組む。4、両面観で考える癖をつける。5、あなたメッセージを封印して、私メッセージの発言を心がける。6、物の性を尽くすようにする。特に他人の性を尽くす。7、素直な心、直観、初一念(森田でいう純な心)から出発する。8、否定語はすぐに取り消して肯定語に置き換える。詳しい内容を知りたい方は、2021年7月11日から7月23日の投稿をご参照ください。ポイントとしては、いきなり全部取り組むよりも、一つ二つに絞って取り組むのが有効だと思います。「かくあるべし」が弱まれば、「生の欲望の発揮」のスタート地点に立つことが可能となります。
2024.04.11
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今までの私の人生を振り返ってみた時、次の2点に大きな問題があった。まず最初に、気分本位な態度で生きてきたということです。イヤだ、しんどい、めんどうだ、無理かもという気持ちになると回避的行動をとる。不安、不快な感情が湧いてきたときも回避的な行動をとる。劣等感を感じると回避的な行動をとる。受け入れがたい事実を目の当たりにするとすぐに逃げる。自分に批判的な人、イヤな人には近づかない。気分に振り回されると、動かない、楽をすることを選択する。特に営業などの仕事をしていると、仕事をさぼるようになる。その時はほっとするが、暇を持て余すようになる。困難を乗り越えて小さな成功体験を味わうことができない。成功のためのコツや技術を身に着けることができない。つまり人間としての成長が止まってしまう。どうすれば気分本位を振り切って、責任ある行動をとれるのか。同行営業をしたときはさぼらないで、仕事を続けることができた。それは相手の目が抑止力として働いていたからである。だから気分本位になりそうなときは、他人と一緒に行動するとよいことが分かった。次に、目標や目的をしっかりと意識したときは、やる気がでてきてきちんと行動できた。そういう意味では、問題や課題、ストレスや不安を持っていることは宝の山なのです。森田でいう「生の欲望」を強く意識しているときは気分本位にならないことが分かった。それから4月3日に投稿した規則正しい生活習慣作りと大数の法則の学習が気分本位に陥らないために役立っている。次に欲望が暴走してしまうという特徴があった。パチンコ依存症になりかけたことがありました。突然制御が効かなくなる。森田理論でいう精神拮抗作用が働かなくなる。坂道でブレーキの壊れた自動車を運転しているようなことになった。また欲しいものがあると我慢できなくなってしまう。持っているもので用が足りているのに、すぐに新しいものが欲しくなる。それを無理やり手に入れようとする。刹那的、刺激的、享楽的、本能的欲望のままに行動する。ギャンブルに手を出す。二日酔いになるまで酒を飲む。その他自分勝手なことをして人に迷惑をかける。どうすれば欲望の暴走を防ぐことができるか。欲望の暴走を制御してくれる人と一緒に行動する。抑止力のある家族や同僚や友達と行動する。大酒を飲まないようにする。酒と水を交互に飲む。副食物を食べる。公共交通機関は使わない。徒歩、自転車で移動する。酒を飲んだら、寄り道をしないですぐに帰宅する。外出するときは、最小限のお金しか持たない。好奇心を活かして、興味や関心のあるものに取り組むようにする。規則正しい生活、凡事徹底の中から小さな楽しみを見つけるようにする。
2024.04.05
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身体を健康に保つためには食べ物が必要です。飲み水や食物がなくなると命の再生産はできなくなります。動物は餓死しないために必死になって生きています。できる限り延命を図り、子孫を残していくことが最大のミッションです。人間もそれを無視することはできません。但し人間の場合は、精神面の健康にも注意を払う必要があります。心を健康に保つために重要なことは、課題や目標を意識することだと思います。それが心を健康に保つための食べ物のようなものです。問題点や課題、目標や目的、希望や夢の有無は心の健康を維持するために欠かすことはできません。森田理論では「生の欲望の発揮」と言います。どうすれば課題や目標を持った生き方ができるようになるのでしょうか。観念優先の「かくあるべし」から現実、事実、現状を批判、非難、否定していると、事実本位にはなれません。そちらの方に意識や注意を投入することが多くなるからです。すると「生の欲望」に向けるエネルギーが不足してしまいます。事実本位の生き方をしていることは、マラソンでいえば国内予選を突破してオリンピックのスタート地点に立つようなものです。メダル獲得に向けてのスタート地点に立てたということはとても大切なことです。その方法は10項目くらいあります。このブログで詳しく紹介しています。今日は私が最近意識して取り組んでいる内容を2つご紹介しましょう。1、まず日常生活の中で「あたりまえのこと」に感謝する習慣を作り上げることです。能登半島地震で被災された人たちを見ていると、普段私たちは何と恵まれた生活を送っているのかよく分かります。住む家がある、電気、水、風呂、暖房、トイレ、ガス、給排水設備が利用できる。道路、自動車、食事ができる生活がどんなに恵まれていることか。感謝の言葉は災害に遭った人たちを見つめているだけで湧き上がってきます。感謝の言葉は意識して見つけ出すことが肝心です。見つけたら日記に書くなどして再確認したいものです。2、次に神経症で苦しんでいるときでも、規則正しい生活を心がけることはできます。ルーティンワークを確立することが大切です。毎日同じ時間に同じことをするという習慣を作り上げることです。すると別に意識しなくても自然に体が動いてくれるようになります。時にはしんどいなと思うこともありますが、ルーティンワークをすっぽかすと心が落ち着かないという気持ちになります。この習慣作りは3ヶ月くらいで確立できます。心が安定軌道に入りますので、神経症に陥りやすい人は是非とも挑戦していただきたいと思っております。
2024.03.27
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今年7月には「経営の神様」とも称せられる渋沢栄一氏の新札が発行されます。渋沢栄一氏は1800年代に活躍した埼玉県深谷市出身の実業家です。渋沢氏の功績は多岐にわたっています。1873年に第一国立銀行を設立しています。それ以外にも500以上の企業の設立にかかわっています。その中には東京海上保険、東京瓦斯、大阪紡績、東京証券取引所など現在も存続している企業がたくさんあります。その渋沢氏が「夢7訓」という名言を残されている。夢なき者は理想なし理想なき者は信念なし信念なき者は計画なし計画なき者は実行なし実行なき者は成果なし成果なき者は幸福なし故に幸福を求むる者は夢なかるべからずこれは森田先生の言われた「生の欲望の発揮」「努力即幸福」のことではないでしょうか。目標、目的、課題、夢、希望を持って挑戦していく中に幸福がある。私は日常生活の中で小さな問題、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけるように心がけています。それらに取り組むことで、やがて大きな夢につながっていくのではないかと思っています。渋沢栄一氏は「どうしようもない逆境」こそ、人間が真価を試される機会に他ならないと述べています。普通、手に負えないような問題、災難、障害物に出会うと、意気消沈して、早々にあきらめて退散しまうことが多いように思います。「どうしようもない逆境」に出会って「やりがい」が見つかったと素直に喜べる人は幸せな人だと思います。神様はその人が乗り越えられないような問題や課題を出すことはないと聞いたことがあります。私は対人恐怖症という神経症で苦しみました。神様はこの問題をどう料理するのか、お手並み拝見されていたのではないかと思います。私は対人恐怖の裏には、人から評価されるような人間になりたいという強い欲望があることが分かりました。対人恐怖症を抱えたまま、人から評価されるようなことを見つけて、努力精進していけば人生の道を開くことができることを学びました。私の目標は、森田理論とその応用・活用方法をこのブログで取り上げて、いま苦しんでいる人たちに役立ててもらうことです。これから先の目標を持つことができた私は幸せ者だと思っております。森田理論を確立された森田先生とそれを100年以上にわたり維持発展された多くの先輩方に感謝しております。
2024.03.10
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仕事、日常生活、人間関係、子育ての中で、ミス、失敗、問題点、課題、改善点、改良点は次々に発生します。そのとき問題が発生するとパニックになって頭が真っ白になる人がいます。不平や不満があるとすぐに感情を爆発させてしまう。たちまち不機嫌になって態度に出してしまう。すぐに自分の一生を左右するような大きな問題に増幅させてしまう。イヤ、ダメ、どうすることもできない、これで自分は終わったなどと短絡的思考に陥ってしまう。他人が問題を起こすと、しつこく叱責・非難・否定を繰り返す。許容や包容力がある対応がとれない。完全主義、完璧主義、理想主義、コントロール至上主義で現実を否定してしまう。一刻も早く不安や不快感を取り除いて、安心・安全な状況を作り出そうとする。どうにもならないとすぐに逃避してしまう。反対に、それらを大いに喜び宝物として取り扱う人がいます。自分の取り組むべき課題、目標、居場所、活躍の場が与えられたと考えることができる人です。こういう対応ができる人は2つの特徴があります。一つは人間は絶えず課題や目標、夢や希望を持って生活することが欠かせないと考えています。そのために、例えば仕事をしている時に、なにか問題はないか、課題はないか、改善点や改良点はないか、楽しみや感動することはないかという意識を持って取り組んでいます。見つかると宝物を見つけたように喜ぶことができる。次に、上から下目線で現状、現実、事実を非難・否定をすることはエネルギーの無駄使いにつながると考えている。そのようなエネルギーの使い方は極力避けた方がよいと考えている。意に沿わない事実はいくらでもあります。不快な感情もいくらでも湧いてきます。それらをあるがままに受け入れるとエネルギーの無駄遣いはなくなります。目標や課題が明確になると、温存されたエネルギーの有効活用ができます。森田でいう「生の欲望の発揮」に向かって舵を切ることができるようになります。
2024.02.28
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森田理論に「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」という言葉があります。この言葉は、どう行動すればよいのか判断に迷うときに、拙速に態度を決めて行動してしまうと益々問題を大きくして収拾がつかなくなるということかと思います。例をあげて説明してみます。神経症のために会社に出社できなくなっている人がいるとします。そういう方が、藁にもすがるような気持ちで集談会に参加されました。そして出社できない状況と葛藤や苦悩について話されました。この方に対して、普通は「それは大変な状況ですね」などと同情されると思います。あるいは、「そんなに苦しいのならリタイヤした方がいいかもしれませんね。過労死でもすればもともこうもありませんからね」などと助言する場合があるかもしれません。またよくありがちなのは、「でも、現在の会社を辞めて、どこの会社に転職しても同じようなものですよ。会社に出社していれば給料や賞与がもらえる。社会保険も完備しているじゃないですか。辞めてはダメだと思う。第一生活ができなくなるじゃないですか。この先家族はどうやって養うつもりなの」などと忠告する人もいます。この相談者は、自分の苦しい胸の内を聞いてもらいたい、吐き出したいという気持ちなのではないでしょうか。この方はご自分でも「今の状況がとても過酷なので出社することは困難だ」「でも、会社を辞めると生活できなってしまう」ことはよく分かっています。この2つの相反する気持ちの中でどうすればよいのか葛藤しているのだと思います。そしてその苦しみを受けとめてほしいという気持ちがあるのだと思います。私たちはこのようなときに、この森田の言葉を活用・応用したらよいと思います。この方の2つの気持ちを理解して、相反する2つの揺れ動く気持ちを言葉にして提示してあげるとよいのではないでしょうか。相手が感じている気持ちを整理して言葉にして返してあげるのです。気の効いた助言やアドバイスは一害あって一利なしです。アドバイスしたい人にとっては、どちらかに態度を決めることができないというのは、実に居心地が悪いものです。モヤモヤして、すっきりしないからです。どちらかに自分の立ち位置をとって持論を展開する方がよほど楽なのです。このように相反する気持ちの中で、解決策が見つからないで右往左往することはよく発生します。こういう場合、拙速に態度を決めて行動に移すと問題が益々大きくなり大変なことになります。心がけたいことは、どうしたものだろうかと2つの揺れ動く気持ちの狭間に身を置いて、時間の経過を待つようにすることです。時間の経過とともに状況が刻々と変化して、自然に収まりがついていたということはよくあります。またそのときは解決策が思いつかなかったが、後から明確で正しい解決策が見えてくることもあります。「迷いの内の是非は、是非ともに非なり」という考え方は、どちらを選択したよいのか分からないとき、時間の経過にまかせて様子を見るということだと思います。拙速に態度をきめて思いつきで行動しないということになります。この言葉は是非とも生活の中で活用させてもらおうではありませんか。
2024.02.23
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三重野悌次郎氏のお話です。初心者の方がよく、「昔はこんな事はなかった。神経質症になってから、こんなになった」と愚痴をこぼします。だが人は善かれ悪しかれ、今の事実にしたがって生きるより外に道はないのです。「神経質症」なら「神経質症」のまま、片目が見えなければ片目がみえないまま、今の事実にしたがって生きるだけです。われわれが行動し、活動できるのは「今」しかありません。どんなに都合がわるくても、嫌でも「今」だけが事実であり、自分の人生です。(生活の発見誌 1998年4月号)三重野さんは1996年の3月と4月に脳内出血して右目が完全に見えなくなりました。それと同時に歩行の足取りがあやしくなり、記憶力が悪くなってきました。よく知っている漢字がかけない。顔見知りの人の名前が思い出せない、ついさっきまで持っていた物が、どこにいったのかわからない。そんなことがたびたび起きるようになりました。いたずらに過去の自分、あるいはこうありたい自分、つまり観念の中の自分と、現実の自分を比較するのは愚かなことです。今の自分のあるがままに、自分の今の事実に服従するしかないのです。「右目の見えない自分」これが私の今の事実です。「右目が見えたらいいな」と思うのは観念的欲望です。実際に行動できるのは、今のこの自分、つまり事実しかないのです。歳をとると髪の毛がなくなってくる。歯が抜けてくる。しわやシミが出てくる。歩くのがおぼつかなくなってくる。記憶力が衰えてくる。身体のあちこちに痛みや不具合が出てくる。ある程度努力することで老化を遅らせることはできますが、完全に食い止めることは不可能です。老化の進行は、神経症的な不安や不快感と同じようなものです。神経症的な不安はあるがままに受け入れて、今できることに精一杯取り組んでいくしかないと学びました。老化の現実を過去と比較して嘆き苦しんでいるばかりでは、益々自分がみじめになるばかりです。それよりも、まだできること、やってみたいことに焦点を当てて、精一杯楽しんで生きていくことが大事です。そのために規則正しい生活を習慣化することをお勧めします。毎日決まった時間に決まったルーティンワークを確立することです。無意識に身体が動いてくるようにすることです。そうなると、失われたものをネガティブに考える時間は少なくなっていきます。そして、ものそのものになって、「今、ここ」に集中していくのです。小さな楽しみをたくさん見つけ出すようにしましょう。感謝の気持ちが湧いてきて、生きていることを楽しむことができるようになります。
2024.02.09
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神経質性格を持っている人は好奇心が旺盛であるという特徴があります。他人が見向きをしないようなものに大きな興味や関心を示すのです。これは後から身に着けようと思っても身に着けられるようなものではありません。天性のものです。親や祖父母の誰かから授かったものだと思います。小さな好奇心を大切にして、それを大きくして生涯の仕事にする人もいます。好奇心は自立心を育てることにつながります。建設的な生き方、創造性豊かな生き方をしている人は好奇心旺盛な人です。これを生涯に渡って宝の山として取り扱っている人はボケることはないと思います。一旦ボケてしまうと治すことは難しくなると思われます。身体が衰えても頭が正常に機能してくれれば最後まで人間らしく生きていけます。強い好奇心を持っていることは我々神経質者の優れた特徴ですから、これを伸ばして行くことを考えていきたいものです。好奇心があってもそれを放置するのは宝の持ち腐れとなります。「もう歳だからそんなことをするのはみっともない」「お金がないのでそんなことはできない」「やってみたいが失敗することが怖い」「現状で満足だ。エネルギーの浪費は控えたい」いろんな理由をつけてやめてしまうのは簡単です。それではせっかくの好奇心が強いという神経質性格のよさは活かすことができなくなってしまいます。子育て、孫育て中の人は、子どもや孫がこれをやりたいと興味や関心を示したら、応援してあげる気持ちが大事です。2014年3月2日に紹介した岡野雅行氏の次女は高校生の時に一人で南米旅行に行きたいと言い出した。岡野氏は一流ホテルに泊まることを条件にして送り出した。普通はいつ命を落とすかもしれない危険な海外旅行するのは躊躇するだろう。敢えて冒険した娘は貴重な友人をたくさん作って帰ってきた。考えかたもしっかりしてきたという。イエスかノーかはっきりと自己主張ができるようになったという。その後娘は航空会社に就職して世界中を飛び回るようになった。それに影響されて長女は東南アジアを回ってきたという。2013年11月30日投稿したヨットマンの白石康次郎氏のお父さんのモットーは「子どもの邪魔をしない」ということだそうです。高校を卒業して、ヨットで世界一周をしたいから、大学へは行かない、就職もしない。ヨットマンの多田さんの弟子になると言ったとき、一言「わかった」と言っただけだったという。「この親にして、この子あり」子供の好奇心を刺激して応援する親は子育て名人です。(人生で大切なことは海の上で学んだ 海洋冒険家 白石康次郎 大和書房)
2024.01.11
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動物園で飼育されているライオンやシマウマをアフリカの草原に戻すとどうなるか。ライオンは獲物をとることができず餓死するかもしれません。シマウマはその日のうちに肉食獣の餌食になるだろうという人がいます。アフリカに住んでいるライオンは、毎日必死になって食べ物を探し回っています。緊張感をもって生活しています。気力、体力が充実しています。その状態で生活していると狩りの能力はどんどん向上していきます。アフリカに住んでいるシマウマは肉食獣に食べられないように群れを作って生活しています。仲間と協力しながら、肉食獣に近づきすぎないように、緊張感を持って周囲の状況を観察しています。動物園にやってくると餌をとる必要がなくなります。シマウマなどの草食獣は自分のテリトリーに肉食獣が入り込んでくることはなくなります。全ての動物の安全は人間の手によって確保されています。次第に緊張感はなくなってきます。心身とも弛緩してきます。この状態では気力、体力、能力はたちまち衰えてしまいます。丸々と太って動くことがしんどそうな動物がいます。精悍だった目つきはいつの間にかうつろになっています。そして子育てには興味も関心もなくなってしまうのです。動物園で飼育されている動物は、姿はアフリカに住んでいるライオンやシマウマと一緒ですが、似て非なる動物なのです。人間の場合、高額の宝くじに当たった。競馬、株、FXなどで大儲けした。多額の事故や病気の保険金が入った。多額の遺産を手にした。土地の収用の補償金が入った。働かなくても政府の補助金がもらえる。年金が満額出るようになった。全て喜ばしいことにように思えます。働く必要がないと思った人はすぐに仕事を辞めてしまうかもしれません。生活のために働くことを止めて、贅沢三昧、消費一辺倒の人間になってしまうのです。いつの間にか緊張感がなくなり、生活は乱れてきます。時間をもてあますようになると、刺激を求めてさまようことになります。「なにかおもしろいことはないか」ということを考えるようになると問題です。普通の場合は次々と手掛けなければいけないことが山のようにあって、心身ともに緊張して完全に弛緩状態になることはないはずです。いったん精神が完全に弛緩状態に陥ると、再び緊張状態に戻すことは至難です。日々緊張感を持った生活を維持するためには、規則正しい生活習慣化することだと思います。森田では「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にある」といわれています。毎日のルーティン作業を無意識の状態で次々にこなしていくようにする。その際、問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、喜びを見つけ出すという意識を持って取り組む。心をこめて丁寧に取り組むように心がけると、緊張感と弛緩状態のリズムが生まれ、行動に弾みがついてきます。緊張と弛緩のリズムに乗って生活することが、森田理論の目指しているところです。住吉神社
2024.01.10
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2014年3月3日で心療内科医の黒丸尊治先生の治療方法について取り上げました。この投稿記事によると68歳の男性で半年前から背中に痛みある。ひどい痛みで1日中家の中で過ごしている。整形外科、神経内科、麻酔科などで見てもらったが改善にはつながらなかった。心の問題かもしれないと黒丸先生のところにやってきた。黒丸先生は男性の話を聞いて次のように話した。「2年前に奥さんを胃がんで亡くされたとのこと。2年経ったとしても、忘れられるものではないでしょう。奥さんへの思いが強ければ、余計に忘れられるものではありません。だから今は、悲しんだり、くよくよしていても全くかまいません。いや、むしろそうしていないといけない時期なのかもしれません。そうすることで、たまっているものを吐き出し、それでうまくバランスをとっているのでしょうね。だから、今のような状態をしばらく続けておいてください」「しかし、こんなにしんどい症状を持ちながら、今までやってこられたというのは紛れもない事実ですよね。ということは、そこには何か症状をうまくコントロールするコツみたいなものがあるはずなんですが、それをぜひ教えていただきたいんですが・・・」「そんなことをいわれてもねえ、多少ましなのは銭湯に行くぐらいですかね。それと散歩をしているときも多少はましですかね。気がまぎれるせいかもしれません」2週間後の診察では、ちょっとは楽になったらしい。「いったいどうしてそんなに痛みを和らげることができたのか教えて下さい」と聞いた。すると患者さんはいろいろとよくなった理由を教えてくれるそうだ。黒丸先生は、それを「素晴らしいですね」と評価するだけでは、心の治癒力を十分に引き出すことはできないと言われている。治療としては不十分なものになってしまうどころか、かえって患者さんに不信感を抱かせ、症状をさらに悪化させてしまうことすらある。黒丸先生は次のように聞いている。「ではもし7の痛みが6に減ったとしたらどんなことができるようになるでしょうかね」「そうですね、もう少し散歩が長くできるようになるかな」「ほかには」「碁を打ちに出かけたり、もう少し食事が食べられるようになるかな」もう少しよくなったとすれば、何が違ってくるか、どんなことができるようになるか、といった質問をすることで、患者自身で「こんなことをしたらいいかもしれないな」という思いを引き出すようにすることが大事になる。その積み重ねが好循環となり、さらに症状の軽減を招く。この患者は食欲が出てきて、今までおかゆのようなものしか食べられなかったのに、ご飯を食べられるようになってきた。以前好きだった碁も打ち始めた。黒丸先生はやりすぎには警戒してくださいと言われている。「あなたの体の状態では、今これだけのことができれば十分でしょう。これ以上やろうと思わなくて結構ですよ。あとは、このままの状態を続けてくださればけっこうですから」「ああ、今の状態でいいんだな」と思えば安心する。そうなれば人間は不思議なもので、「もう少しやってみようかな」と思うものです。3回目の受診では背中の痛みは80%はとれたそうだ。4回目の受診では痛みがなくなり治療は終了した。素晴らしい話だと思います。これは神経症にも応用できそうです。明日は具体的な例で考えてみたいと思います。
2024.01.06
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次のようなことは多かれ少なかれ多くの人が経験されていると思います。交通違反でパトカーに追われて切符を切られた。仕事で取り返しのつかないミスや失敗をした。ネットの詐欺に引っ掛かった。煽り運転の車に追われた。パソコンが突然フリーズした。楽器の演奏で間違えてしまった。胃潰瘍になった。ぎっくり腰になった。五十肩になった。ガンや脳梗塞になった。交差点で交通事故を起こしてしまった。仕事で取引先からひどい仕打ちを受けた。神経症に陥った。これらの問題やトラブル、事故に遭ったときどんな気持ちになりますか。普通は思っただけでもぞっとするのではないでしょうか。逃げ出したくなるのも無理もありません。叱責されます。非難されます。責任を取らされます。解決のためにはかなりのエネルギーが必要になります。多くの時間もお金もかかります。努力しても元の状態に戻らないかもしれません。状況が益々悪化することもあります。このように考えると、人生は重い荷物を背負って坂道を登るようなものだと考えるのも無理はありません。これを逆に捉えて、神様が解決すべき課題や目標を与えてくれたと考えることはできないでしょうか。解決のために立ち向かうことになれば、問題やトラブルは突然宝の山に変わります。神経症に陥ったことは大変つらい出来事でしたが、神経質性格を活かしたこれからの生き方を考えるきっかけになったと考えれば感謝できます。毎日の日常生活や仕事では、小さな問題やトラブルはつきものです。誰もこれらから逃れることはできません。これに対して見て見ぬふりをすることもできます。敢えてしんどい思いをするよりも、そのまま見過ごして楽をする方法もあります。一時的にはホッとできますが、将来につながるものは何もありません。人生に小さな問題やトラブルがつきものならば、むしろそれらを意識して積極的に掴まえるようにするのは如何でしようか。日常生活や仕事のなかに、きっと問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、感動することが隠れているはずだと意識して見るようにするのです。そういう意識を持っていると事実をよく見るようになります。問題点、課題、改善点、改良点が見つかれば、行動のための意欲が高まり、工夫やアイデアが泉のように湧いてくるようになります。つまり生きがいというものはこのようにして生まれてくるということです。森田理論に「努力即幸福」という言葉があります。これは目的を達成したから幸福であるという意味ではありません。問題や課題や目標をもって何とかしたいと一心不乱に努力している状態そのものが幸福だという意味です。この路線に乗るためには、意識して積極的に問題点、課題、改善点、改良点、楽しみ、感動を捕まえにいくことではないでしょうか。道後温泉
2023.12.20
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第二次世界大戦の時にアウシュヴィッツ収容所から生還した人の中にV・E・フランクルという精神医学者がいた。フランクルは人間が人間らしく生きるために必要なことが3つあると言っている。1、人間はクリエイティブに何かを創る、生産することで生きがいを持って生きられる。2、人間は他の動物と違い、何かを愛することによって生き生きとする。3、逆境に耐えることによって、より人間らしくなる。これを森田理論に沿って考えてみました。1、ほとんどの人は三度の料理を作っています。栄養のバランスを考えて家族が喜んでくれる料理を作ることは生活の基本となります。自分で食材を作る。食材を集める。料理方法を学習する。料理教室に通う。貯蔵や加工食品を作る。調味料を揃える。料理の道具をそろえる。きちんと収納する。後片付けをする。冷蔵庫や冷凍庫を整理する。料理を作ることは家でいえば基礎を作るようなものだと思います。基礎がきちんと作られていないと、いくら立派な建物を立てたとしても不安定です。2、子供の世話をする。親の介護をする。身体や精神を病んでいる人に寄り添う。自然災害のときのボランティア活動をする。生活の発見会の集談会で世話活動を行う。町内会の世話活動を行う。同窓会やOB会の幹事をする。ペットを飼う。花卉や盆栽を育てる。果樹や庭木を育てる。自家用野菜作りに精を出す。他人や物の世話をするものを持っことは、自分の精神の健康維持に大いに役だっています。3、自分の運命、境遇に対して反発ばかり繰り返しているとますます苦しくなります。過酷な状況を受け入れて、そこから自分のできることを見つけた人は、苦しみから解放され、生きる勇気が生まれてきます。神経症に陥った人は、そのおかげで森田理論に出会うことができました。学習を続けることで、人間としてどう生きていくべきかという答えを見つけることができました。神経症でやりきれない苦しみを味わったおかげで、今があると考えるのは如何でしょうか。そして感謝の気持ちを持って日々の生活を楽しむようにしたいものです。
2023.12.05
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気分本位の行動パーターンが習慣になっている人がいます。面倒だ、しんどそう、気がすすまない、やる気がなくなった、どうせうまくいくわけがない、エネルギーの無駄遣いは避けたいなどのマイナス感情が湧き起こったときに行動することを躊躇してしまう。またせっかく行動し始めても、急に心変わりして、目標に向かう努力を中止してしまう。気分本位の行動は、少しだけ肩の荷が下りたような気持ちになります。でもしばらくすると、課題や目標を失って、暇を持て余すようになります。その隙間を刺激的、快楽的、享楽的、瞬間的な刺激や快楽で穴埋めするようなことを考えるようになります。気分本位は本来の人間の生き方から離れていきます。なぜ気分本位に陥るのでしょうか。甘やかされて育ったため、耐える、我慢する力がない。失敗や挫折を乗り越える力が育っていない。一度の失敗ですぐにあきらめてしまう。しんどい思いをしても、失敗すればすべてが水の泡になると考えてしまう。もし期待するような効果が得られない場合は、時間とお金が無駄になると考える。イヤな気持ちを乗り越えると、成功体験が持てるという気持ちになれない。そういう体験がないので、すぐに予期不安でいっぱいになる。どうすれば気分本位を回避できるのでしょうか。イヤイヤ仕方なしの行動でも、ものそのものになりきれば、興味や関心が生まれて課題や目標を持つことができます。森田先生が言われているように、いつまでも「お使い根性」の行動が続くと、気分本位になりやすくなります。日常茶飯事の生活の中で小さな目標や課題を見つけることが肝心です。小さな目標や課題は気分本位になりにくいと思います。小さな成功体験は、次の行動への呼び水となります。そのためには気づいたことや思いついたことをすぐにメモする。とにかくストックを増やすことを心がける。今すぐにできないことは次の休みの時の課題にする。さらに気分本位に陥りそうなときは単独行動は避けるようにする。信頼できる人と行動を共にする。人目があると気分本位にはなりにくい。例えば営業の仕事をしている人は、気分本位になると仕事をさぼるようになります。それを避けるためには、同行営業が有効です。
2023.11.30
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海洋冒険家の白石康次郎氏の言葉です。「夢って育つものなのです。一つかなえれば次の夢、次の夢をかなえればまた、次の夢が生まれます。僕はいつも、素直にその夢を追いかけているだけです」これは生の欲望についても言えることです。生の欲望に向かって行動できるようになると、ロケットの打ち上げのように、一段ロケットが役目を終えると、次に二段ロケットに切り替えられます。一つの生の欲望の発揮は、次の生の欲望を招き寄せる呼び水になっているのです。生の欲望はしだいに弾みがついてくるようになっています。ここで大切なことは、幼少時から成功体験をより多く積み重ねることです。子どもを持った親は、子どもが興味や関心を持ったことはできるだけ温かく見守るようにすることが大切になります。不幸にしてそう体験が不足している人はどうするか。今から日常生活や仕事の中で小さな成功体験、喜び体験、感動体験を作り上げることです。そのためには、雑仕事、雑事などに注目することです。普段は見逃してしまうことに心を込めて取り組むことです。森田では「ものそのものになる」と言われています。大きな目標や課題はその先に見えてくるものです。雑仕事や雑事を軽視して、いきなり他人の注目を集めるものやクリエイティブのものを目指すのは難しいと思います。それから欲望には本能的な欲望もあります。刺激的、即効的、恍惚感、高揚感、快感を得られる欲望です。瞬時にドーパミンが大量に出て、報酬系神経回路が作動する欲望のことです。グルメ、飲酒、買い物、ゲーム、芸術作品やスポーツなどの鑑賞などです。これらはカンフル剤的な効果が期待できます。人間の生活を潤してくれます。即効的ですが、持続性はあまりありません。さらに強い刺激を与え続けないと効果が薄くなります。お金もかかります。これに対して森田では「努力即幸福」といいます。自ら努力すること、挑戦することによって得られる達成感、満足感です。これは比較的持続性があります。お金がかからない場合も多い。成功体験、自信、達成感、満足感、自己肯定感につながります。そしてこれらは弾みがついてきて生きることが楽しくなります。その合間に時々アクセントとして非日常を取り入れるようにするのは如何でしょうか。
2023.11.24
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道幸武久氏の言葉です。小さな目標を達成できない人に、大きな目標は決して達成できません。小さな結果を出すことにこだわらない人が、大きな結果を出せるはずがないのです。(加速成功 道幸武久 サンマーク出版 114ページ)日々の生活の中で小さな成功体験を積み重ねていくことはとても大事なことです。「やった、できた」という小さな成功体験は自己肯定感を育てます。また感動、感激、感謝の気持ちを持つことができるようになります。そして小さな成功体験は、次の小さな成功体験を呼び寄せるようになります。プラスの連鎖が続いていきます。宇野千代さんは次のように言われています。私の現在を支えているものは日々の小さな幸福感である。幸福というものは、とび切り上等の大きなものだけではない。毎日のささやかな幸福感が私の生きがいなのである。(宇野千代 幸福の言葉 海竜社 183ページ)雑事や雑仕事を軽視、無視していると、小さな喜びや感動を味わうことができなってしまいます。いつのまにか、生きていくことが辛くなります。その間隙にむさしさが忍び寄ってきて憂うつな気持ちになります。日々の生活の中で、小さな喜びや感動を数多く味わっている人は、生きていることがむなしい、つまらないなどとは考えないものです。神経質者は細かいことによく気づくという特徴があります。その点を活かしていく道が性に合っているように思います。水谷啓二先生は、「我々は風雲に乗じて成功を収めるタイプではない。日々の生活に丁寧に取り組んでいく。それが10年、20年と積み重ねられていくと非凡な人になれる。神経質者は平凡を軽視しない生活を続けることが極めて大切になる」言われています。我々神経質者は瞬発力で勝負できる能力はない。100mの短距離走で勝つことは難しいが、コツコツと練習を積み重ねれば、42キロのマラソンは何とか完走できるかもしれない。
2023.10.14
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高校のときの現代国語の先生の採点方法は変わっていた。間違った部分に×をつけてある。正解の部分には○はつけない。テストが返却されると、間違いばかりを指摘されているようで悲しかった。今思うと、その先生の人生観は減点主義だったのかもしれない。100点満点のところに視線をおいて、間違っている部分を見つけだして否定する態度が強かったのかもしれない。100点満点が当たり前であって、間違いは許さないという気持ちが強いのかもしれない。ことさら問題点を指摘して、減点していくやり方は自他ともに不幸になるように思う。上から下目線で現実、現状を否定していくので、次第に生きることがむなしくなっていくのだ。自信や自己肯定感が育つことは難しい。森田理論の考え方は加点主義にあるように思う。斉藤光人元理事長が言われるように、どんなに人格者と言われるような人でも、内面には猥雑なもの、醜いもの、汚いもの、好色なもの、意外と稚拙なもの、狡猾なものなどを持っている。(生活の発見誌 1993年6月号 32ページ)そこに焦点を当てて自己嫌悪、自己否定するよりも、自分が持っているもの、強みや得意なものに光をあてて、それを伸ばしていくような生き方をしたいものです。山崎房一さんに「無理して自分に100点満点をつけよう」という詩がある。人間は、だれでも欠点があるその欠点を見て、自分に40点をつけると40点のような気分になって40点の行動をするから40点の人生を送ってしまう自分は40点だ、と思い込んでいるといくら努力しても40点を50点にすることは不可能だ自分に100点満点をつけよう自分は40点だな、と思っていても無理して100点満点をつけていると自然に自分の古い殻が破れて、新しい自分に変わる自分にとって、一番恐ろしいことは、自分が他人の目で、自分の欠点を責め立てて自分の存在を否定すること、自分にとって、一番心強いことは、どんなことがあっても自分が自分の味方になって、自分を守ることです自分にとって自分は、自分の安住の地でなくてはなりません。(きっと自分を好きになる 山崎房一 PHP研究所)弱みや欠点は寛大な気持ちで許容して、強みや長所はどこまでも伸ばしていく。神経質性格にはマイナス面だけではなく、プラス面もあります。プラス面を見つけ出して、それで勝負していくしか、我々神経質者の生きる道はない。岡山県 牛窓
2023.09.11
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森田では課題や目標を持って積極的に挑戦していくことが大切だといわれます。でも課題や目標が大きいと簡単に達成することはできません。そのため途中で挫折してしまうことも起こりえます。ある人が昔やっていたパチンコの話をしてくれました。昔のパチンコ台に羽根ものというのがありました。これは天のポケットに玉が入ると、真ん中にある羽根ものがパカット羽根を広げます。その羽根ものが開いているときに玉が入ると、チャンス拡大になります。その玉が下の方にある3つのポケットに移動します。その時、真ん中のポケットに入ると大当たりになります。その両脇のポケットに入るとはずれになります。大当たりになると羽根ものが何回も続けて開きます。打ち続けていれば大量の玉が出てきます。天のポケットに入る確率は300回の内1個ぐらいだろうといわれていました。確率が悪いのです。時には500回挑戦しても天のポケットに入らないことがある。次に羽根ものが開いている時に羽根に入る確率は20回に1回くらいはある。そして下の方に移動して3つのポケットの中央に入る確率は3回に一回ということになります。大当たりになる確率は、これらの3つの関門をなんとか通過しないとやってこないということになります。一難去ってまた一難という感じです。その間ハラハラドキドキします。そんなに成功する確率が悪いのならやらないという手もあります。でも世の中には成功することがあるのならば、挑戦してみる価値があると考える人もいるわけです。その代表はエジソンです。電球を照らす最適なフィラメントの材料を探すのに5000回も失敗をくり返しています。エジソンはその失敗を失敗とは思わないで、フィラメントに適さない材料がまた一つ発見できたと喜んだそうです。こういう人にしか幸運は舞い降りてきません。私達は成功間違いなしと思えない限り、挑戦しない傾向があるのではないでしょうか。これでは他人が成功するのを指を咥えてみているだけということになります。また途中で失敗してしまうと、意欲がすぐに萎えてしまうこともあります。そして失意の人生に甘んじてしまう。プロ野球の選手は3割打者は一流と言われます。7割は失敗です。そんなに成功確率が少ないのならば、やるだけ無駄というのでは仕事になりません。成功することを夢見て、努力する人は見込みがあります。成功までには少なくとも3つの乗り越えるべき関門が待っている。その関門を何とか乗り越えた先に目標達成という喜びが待っている。関門がないというのは、目標に到達しても喜びは少ないものになります。あらかじめ関門が待ち構えていると予想すればそれなりに覚悟が生まれます。気分本位になって、すぐに逃げ出すことは少なくなります。覚悟ができると、その壁を乗り越えるための方法をいろいろと考えるようになります。多くのミスや失敗の経験を、成功するために必ず待ち構えている通過点と考えられるようになります。決して失敗を上から下目線で自分を否定する材料にはしない。マイナスではなくプラスに捉えられるようになる。失敗の経験は自分という人間の器を一回り大きくすると考えられるようになる。このように失敗の経験を積み重ねることを歓迎できる人間が、最終的には人生の目標を達成して、実りある人生を送ることができます。
2023.09.02
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同じ言葉を何回も使っていると脳は簡単にその気になってしまうそうです。100回ウソをついていると、脳は簡単に騙されてしまうということです。にわかには信じられないことですが、これを実験によって確かめてゆきたいと思っています。例えば、次のような否定語をすぐに肯定語に置き換えてしまうのです。・イヤだ・ダメだ⇒これでいいのだ。⇒そのうち楽しくなるのだ。⇒努力していれば神様が助けてくれるのだ。・容姿が悪い、頭が悪い、能力がない⇒欠点や弱みの裏には、自分の長所や強みが隠れている。⇒谷が深いところには、必ず高い山がそびえている。・できない・絶対無理だ⇒大丈夫。今までも何とかやりくりしてきた。⇒できたらもうけものだ。その分喜びも倍増する。⇒宝くじは買わないと決して当たることはない。⇒プロ野球の打者は、10回の内7回失敗しても超一流選手だ。・やる気になれない⇒落下しないことだけを気をつけて超低空飛行してれば大丈夫だ。⇒じっと待っていればいつか上昇気流はやってくる。⇒苦しいときは月給鳥として会社に行くだけを心がけよう。⇒のらりくらりで長生きできれば本望だ。
2023.08.29
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7月号の生活の発見誌に長谷川洋三氏が「努力即幸福」について説明されている。これは「努力すること」は裏から見れば「幸福な状態である」ということだ。「即」というのは、「すなわち」と置き換えるとよく分かる。表から「努力している状態」は、裏に回ってみると「幸福にみえる」ということだ。普通に考えると、努力して目標を達成した時が幸福な状態ではないかと考えがちです。努力している段階は、目的が達成できるかどうか分からないので、不安の方が強いのではないのか。不安が強い状態は不幸な状態だと考えがちです。確かに目標を達成するとそのとき喜びはあります。しかしその歓喜の感情は、一山登った状態から衰退する運命にあります。その歓喜を長い時間味わってみたいと考えたところで叶うわけではありません。努力している状態は目標や課題に向かって、ものそのものになり切っている状態です。ハラハラドキドキしていますが、気持ちが外向きになっています。気づきや工夫や新しい発見やアイデアがコンコンと湧き出ている状態です。注意や意識が目標に向かって集中していて迷いがありません。この不安定な精神状態のときが、目的を達成して歓喜した時よりも、よほど精神的には幸せで安定しているということだと思います。人間の生き方としては、不安を抱えながら、課題や問題点、目標や目的を意識して、それに向かって一心不乱に努力しているときが一番幸せであるということだと思います。気分本位の態度になると、しんどいことはパスしたい。めんどうなことからは逃げたい。イヤなことは敬遠したい。予期不安が湧き上がってくることは避けて通りたい。努力しないと達成できないことは、最初から手を出さない。現状にある程度満足しているのなら、そんなに無理をしなくてもいいのではないか。世の中に楽しいことや刺激的なことはいくらでもある。その場その時の快楽を追い求めていくほうがよほど魅力的である。努力することを忘れて、その場しのぎの快楽を探し求めてさまようことになります。本能のままに快楽に身を委ねることばかりに注意がいくようになります。しかし四六時中そういう姿勢で生活するというは何か違和感があります。そもそも快楽追及に偏った生活の喜びは長続きしません。カンフル剤的な効果はありますが、賞味期限は極めて短いものです。それよりも、はずみがついて、欲望が暴走する方が問題です。快楽追及一辺倒になると疲れてきます。そして虚しくなってきます。そのエネルギーが行き場を失うと、自己内省するようなことになります。ここでの自己内省は、良い意味での内省ではありません。自己嫌悪、自己否定するようになるのです。自分が自分を傷つけてしまうことは最も不幸なことになります。「努力即幸福」という言葉は、本来の人間の生き方を提示しています。田舎にある小さな天文台
2023.08.22
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西田文郎のお話です。ソフトバンクの孫正義さんが、ある挨拶のなかでこんな話をしていました。「20数年前、私は、この福岡の雑餉隈でソフトバンクを始めました。当時は私一人と、アルバイトの社員の二人でありました。私はみかん箱の上に乗って、その二人の社員に言いました。このソフトバンクを立派な会社に育てて、いつの日か、売り上げを1兆円、2兆円と数えられるような規模にしてみせる。何が何でも世界一の会社にするんだということを語りました」二人の社員は「あぶない社長だ」と感じたのか、すぐに退社してしまったそうです。みかん箱の上の小柄な人物が、誇大妄想丸出しの話をするのですからついていけないと思うのも無理はありません。しかし孫正義氏の経歴を見るとそれが誇大妄想ではないことがよく分かります。孫さんは、久留米大学付属高校という九州でも有数の超難関高校に入学し、17歳で高校中退して渡米。カリフォルニア大学バークレー校在学中に自動翻訳機を開発して、それをシャープに1億円で売り込みました。その1億円を資本にアメリカでソフトウェア開発会社を設立。日本から輸入した使い古しのインベーダーゲームを売って大儲けしています。これが22歳のときでした。孫さんの脳には、こういう成功体験の記憶データが詰まっていたからこそ、「売り上げを1兆円、2兆円と数えられるような規模にしてみせる」「何が何でも世界一の会社にするんだ」というとんでもない夢に、確信が持ててしまったのです。(かもの法則 西田文郎 現代書林 123ページ)人間は最初から自信を持つことはできません。最初は子供の頃の小さな成功体験から始まります。小さな成功体験によって、自信と感動体験を持つことができます。成功体験を積み重ねていくと、弾みがついてきます。そのうち、とてつもない大きな自信と目標を持つことができるようになります。「そんなことをしても失敗するに違いない」「やるだけ無駄だ」「損をするだけだ」というネガティブな気持ちが影をひそめてきます。そして、「もしかしたら成功するかもしれない」「勝てるかもしれない」「売れるかもしれない」などとポジティブな気持ちのほうが強くなっていきます。本音や潜在意識が、建前や顕在意識と一致してくると、向かうところ敵なしという状態になります。積極的、生産的、建設的、創造的な生き方をしている人は、成長の過程で積み重ねられた成功体験に支えられているのだと思います。中学1年生の孫が、この夏休みに一人旅をするそうです。どこを回るのか、交通手段はどうするのか、宿泊はどうするのか今度会ったときに聞いてみたいと思っています。目的を果せれば大きな成功体験が持てるのではないかと思っています。そして一回り大きな人間に成長できることを期待しています。
2023.08.11
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神経症で苦しんだことのある人は、神経症で苦しんでいる人の力になりたいと思っています。そこでつい上から下目線のアドバイスをしてしまいがちです。これで相手の神経症が改善されれば申し分ないのですが、現実には何の変化も起きないことが多々あります。時には、「あなたの症状は軽いからうまくいったのだ。私の症状とは違う」などと反発の口実を与えてしまうこともあります。よいアドバイスをしたと思っていても、相手が変化しなければ、自己満足で終わってしまいます。神経症の成り立ち、感情の法則、神経質性格の二面性、認識の誤り、不安の特徴と役割、欲望と不安の関係、行動の原則などは一通り理論を学ぶことは必要です。その後は自分と突き合わせて、修養し体得することが肝心です。どんな小さなことでも、自分で答えを見つけ出したということが大事になります。その時先輩会員は相手が自分で答えを見つけやすいように見守ることが大切になります。ここで銀座のナンバーワンホステスの接客態度が参考になります。繁盛しているお店のホステスさんは、自分がその問題を解決してあげようとはしない。第一お客様がそんなことを望んでいるわけではないことをよく心得ています。ただひたすら「そう」「それから」「で?」「ふーん」と相槌を打ちます。「そう、○○さんがねえ」などと言います。相手の話に同意して、次の話を引きだすことに専念している。その際、上半身はきちんとお客様に正対していて、すこし前傾しています。お客様は自分の話を親身になって聞いてくれるのがうれしい。そしていろいろと喋っているうちに、自分なりの結論が見えてくる。カウンセリング技法にロジャーズの「来談者中心療法」というのがあります。私は最初この話を聞いた時に、相手の話を聞くだけでは、神経症の解決にはつながらない。適切なアドバイスができないのはカウンセリングとはいえないと思っていました。今は考え方が変わりました。回復への道を見つけだすのはクライアントであってカウンセラーではない。その答えを安易に提示することは、相手が自分で見つける楽しみを奪っていることだと思うようになりました。相手が自分で気づくように持って行くのがカウンセラーの重要な仕事ではないかと思うようになりました。時間がかかっても急いではならない。相手が気づくまでじっと待つという姿勢が大切なのだと思います。
2023.07.18
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私は神経質性格を持ち、慢性的なうつ状態で空虚な人生を送ってきました。それを生活の発見会の森田理論学習によって改善してきました。現在は生きていてもつまらないという考え方はなくなりました。日常生活の中に小さな楽しみがたくさんあると思っております。慢性的なうつ状態は霧の中で車の運転をしているようなものでした。前方の視界が悪いでノロノロ運転になります。不安で一杯になります。事故を起こさないように、細心の注意はしていますが、肉体的、精神的にとても疲れます。森田に関わって36年になりますが、その間何度も森田から離れそうになりました。それを引き留めてくれたのは、集談会での学習仲間と世話活動でした。また時には煩わしいと思うこともありましたが、離脱することはありませんでした。それがなかったとしたら、とっくに森田から離れていたと思います。今になっては強制力はよいこともあると思っています。森田理論の応用や活用という面ではいろいろと回り道をしてきました。長らく森田理論を理解することばかりしていたのです。その学習も表面的な学習に終始して、そのうち飽きてきました。今では森田学習は自分に引き寄せて深めていくことが肝心だと思っています。少し掘り進んでいくと誰でも豊かな鉱脈を見つけることができます。さらに理論を仕事や生活に応用していく気持ちがありませんでした。それが分かったのは集談会の中に森田の応用・活用の先輩がおられたからです。真似のできそうなことは、次々に真似ていきました。小さな試行錯誤を繰り返しているうちに、森田理論の応用・活用のコツが分かるようになりました。そして神経症の苦悩から抜け出すことができたのです。そして思いがけないことでしたが、神経質者の人生観を確立することができたのです。今ではそういう仲間をひとりでも多くつくり出したいと思っております。プロ野球の選手は1軍と2軍の選手に分かれています。実力的にはそんなに大きな差はないと聞いたことがあります。2軍の選手が猛練習と試行錯誤を繰り返しているうちに、ある時点で、ある特定の人が、急に1軍レベルの能力を獲得するのだそうです。一旦その能力を獲得すると、後はがむしゃらに練習しなくても、自分のペースで微調整を繰り返すことでその能力を維持できるようになると言います。森田理論を自分のものにした人も同じようなことを言われます。コツといわれても、やるべきことを淡々とこなししているだけなんですがね。しいて言えば、日常生活の中で感動や喜びを感じることが多くなりました。あたりまえの普通の人間になったということでしょうか。霧が晴れた後の人生は視界良好になり、最後のゴールに向かってひたすら走り続けていると言った感じなのです。そうなってくると慢性的なうつ状態で生きていてもつまらないと思うようなことは考えなくなります。圓鍔勝三彫刻美術館(広島県尾道市)
2023.07.12
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生活の発見誌2023年2月号に興味深い記事があった。現代の若者は、親や祖父母、学校やSNS、社会や環境側からサービスを受けることに慣れている。自分の方から、積極的に努力しなくても、欲しいものが比較的簡単に手に入る。お金も必要なものならいくらでも援助してもらえる。身の安全も普通に暮らしていれば公的機関が守ってくれる。医療も親の扶養家族になっているので心配ない。たとえ失業しても、親がいるのでなんとか生活できる。将来的には、家は親の家を相続する。さらに、親の遺産が自分のものになる。結婚するとそうした安定した生活が崩れてしまう。子ども生むと多額な教育資金で苦しむことになる。ましてや神経症で苦しんでいるので子供を育てていく自信がない。配偶者や子供との人間関係のトラブルで苦しむことはできれば避けたい。今の世の中、刺激的で楽しいことはいくらでもある。それに浸って生活するだけで十分幸せだ。独身貴族のほうが、よほど魅力的である。このような社会で成長してきた人たちに、夢や希望に向かって生きていくことが大事ですといってもあまり説得力はない。その方面のエネルギーは、成熟社会のなかで骨抜きにされてきたのもしれません。森田でいう「生の欲望」が湧き上がってこないということになります。湧きあがってきたとしても脆弱なのです。課題や目標を見つけられないと、注意や意識は内向きになります。そのために、うすぼんやりした不安が継続的に付きまとうようになることが考えられます。最近よく耳にするのは、慢性的な抑うつ状態で悩んでいますという人です。原因不明の不安に覆われて、息苦しさを感じているのかもしれません。課題や目標を持った生活をめざすために心掛けるべきことは何でしょうか。私は日々の生活に丁寧に向き合うことだと思っています。凡事徹底です。丁寧に取り組んでいると、気づきや発見があります。アイデアも湧いてきます。課題や目標が生まれてきます。それらに取り組んでいくとはずみがついてきます。そういう生活を続けていると人生がむなしいなどとは考えなくなります。
2023.07.10
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西田文郎氏のお話です。人生で成功した人は「三感力」があるといわれる。1、運を感じる「運感力」・・・自分はツイている、運がある、と感じられる力2、喜びを感じる「喜感力」・・・他人を喜ばせ、自分を喜ばせることのできる力3、恩を感じる「恩感力」・・・他人からの恩を感じて、すべてに感謝する力(ツキの最強法則 西田文郎 ダイヤモンド社 143ページ)私もこの3つは人生を豊かにするために大切だと考えています。1はダルマさんの七転び八起をイメージしています。あるいは踏まれても、踏まれても立ち上がる麦や雑草をイメージしています。どんなに心や身体に大きなダメージを受けても、その状態に甘んじることはありません。むしろそのダメージを糧にしている。味方につけ、闘志を掻き立てています。そのためには、最新の脳科学を応用していくことが肝心であると考えています。防衛系神経回路の作動を抑制して、報酬系神経回路が作動するように心がける。あるいはセロトニン神経系が大いに活動するように心がける。その方法はすでに確立されていると考えています。このブログでは「最新の脳科学」で詳しく取り上げています。2は、仕事をする時、世話活動をする時に応用したいと考えています。依頼されたことをイヤイヤ仕方なくするのではなく、できるだけ相手から感謝されるように取り組んでみる。お使い根性ではなく、相手の喜こぶ顔や感動した顔をイメージすることです。そういう気持ちがあると、仕事や世話活動に弾みがついてとても楽しいものになります。仕事や世話活動は人の為に自分の能力と労力を最大限に活かすことになります。自分の利益のためばかりというのは、意欲が減退して虚しくなると思います。3は、感謝しているときは、不平不満がありません。愚痴も出ません。感謝の言葉を忘備録にまとめて朝一番か寝る前に唱和することをお勧めします。いかに恵まれた状況の中で暮らしているかを意識化して、感謝の言葉として唱和する習慣を作りあげましょう。・人間として生を受けたことに感謝します。・世話をしてくれた両親、祖父母に感謝します。・いつも自分を支えてくれている妻や夫に感謝します。・自分のもとに生まれてきてくれた子供たちに感謝します。・親しく付き合ってくれている友達に感謝します。・いつも相談相手になってくれている生活の発見会の仲間たちに感謝します。・仕事があることに感謝します。・三度の食事ができることに感謝します。・毎日お酒が飲めることに感謝します。・好きな本が読めることに感謝します。・五体満足でこの世に生まれたことに感謝します。・you tubeプレミアムで好きな音楽が聴けることに感謝します。・戦争のない国に生まれたことに感謝します。・愛車で何処へでも行けることに感謝します。・生活の発見会、集談会に巡り合えたことに感謝します。・パソコン、スマホが使える生活に感謝します。・ガス、水道、電気、風呂、トイレが使える生活に感謝します。・命にかかわるような大病にならなかったことに感謝します。・その他・・・恵まれない人や過酷な国に生まれた人を観察していると、いくらでも感謝の言葉は見つかります。自分なりに考えてみましょう。琵琶湖
2023.07.08
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無気力で何もする気にならないという人がいます。動くことが辛い、働くことがしんどい。しんどいことはしたくない、面倒なこともしたくない。頭が痛くなるようなことも敬遠したい。苦労することが目に見えているようなことは決して手を出さない。エネルギーを消費することは何もしたくない。会社ではさぼってばかりで自分に与えられた仕事の責任を果そうとしない。他人から指示されてイヤイヤするようなことはしたくない。覇気がない。消極的、惰性で生きている。人の為に役に立つようなことをするのはまっぴらごめんだ。自分の得になることばかり考えている。とにかく楽をしたい、休みたい。できれば不労所得で生きていたい。その時その場が刺激的で楽しければ十分だ。絶えず瞬間的、短期的、刺激的、享楽的、本能的快楽を求めている。こういう人は軽蔑されて、仲間内からはじき出されてしまいます。本人は暇を持て余し、何もやることがなくて、心の中にモヤモヤがある。やる気を出せと言われるが、そんなことができるならばとっくにやる気を出していると開き直ってしまう。どうすれば積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができるのだろうか。森田理論に「目の前に起きている事実を見つめよ」というのがあります。見つめていると気づきや発見があります。問題点や課題が見つかることがあります。するとしだいに感情が動き出します。欲求が生まれてきます。行動したくてムズムズしてきます。これを生活の中に取り入れていくことが大事になります。人間は解決すべき問題や課題が持てたときは、俄然やる気に満ちて生き生きと活動できるということだと思います。仕事は生活費を稼ぐためにイヤイヤすることが多いのですが、物そのものになりきることによって問題点や課題が見つかれば、感情が動き出して仕事は面白くなってきます。次に最新の脳科学を学習することをお勧めいたします。もし森田先生がご存命ならば、この部分は必ず取り上げられただろうと思っております。脳には報酬系神経回路と防衛系神経回路が作動しています。扁桃体で「不快」「嫌い」と判定された感情は青斑核に送られて、防衛系神経回路が作動します。過去の失敗やイヤな思いをしたことなどは、次回から敬遠するようになります。その結果、消極的、抑制的、回避的な生き方をするようになります。自分を鼓舞して奮い立たせようとしても、脳全体が逃げ腰になっているので、やる気は出てこないのです。無理やり行動すれば、心身の疾患を招きます。長生きすればミスや失敗、イヤな思いが蓄積されてきますので、手を打たなければ主として防衛系神経回路が作動することになります。これに対して報酬系神経回路が作動している人は、積極的、生産的、建設的、創造的な生き方になっています。やる気を出して悔いのない人生を謳歌したい人は、脳の仕組みを学んで、報酬系神経回路が作動するように切り替えることが必要になります。これについては2021年11月26日~28日に投稿しています。それ以外にも「最新の脳科学」のカテゴリーの中で詳しく説明しています。やる気を出せと言われても自分には無理だと思われている方は是非ご参照ください。
2023.07.05
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加山雄三氏は、1937年(昭和12年)生まれです。現在86歳です。その加山さんが今までの人生を振り返って、「関心、感動、感謝」の気持で生きて来たと言われています。これは森田の生き方に通じるところがあるように思います。興味、関心、好奇心・・・加山さんは、大のゲーム好き、鉄道マニア、油絵、料理、スキー好き、船好き人間だそうです。興味や関心があることはためらうことなく手を出してみましょう。私は加山さんに比べるとスケールは小さいですが、自家用野菜、花つくり、加工食品作り、メダカの飼育、一人一芸、ネット麻雀、競馬、読書、ブログ、カラオケなどを楽しんでいます。感動・・・私は神経質性格に生まれてきてよかったと思っています。神経質性格は、心配性で小さなことに振り回されることもありますが、感性が豊かで鋭いすばらしい性格でもあります。そのおかげでベートーベンの第九の合唱団に参加して、歓喜の大合唱の感動も味わえたのではないかと思っています。細かいことに気が付くことは、生まれながら高性能のレーダーを標準装備していることであり、これを宝の持ち腐れにしてはいけないと考えています。藤沢周平氏の小説を読んで、より深く共感できるのは、この鋭い感性のおかげだと喜んでいます。感謝・・・妻とは若いころは喧嘩ばかりしていました。自分の「かくあるべし」を一方的に押し付けていました。夫婦仲は最悪で、離婚しないでよくぞここまでもったものだと思います。その妻が病気で入院しました。今まで料理、洗濯、掃除、親戚や近所の人との付き合いは全て妻に肩代わりしてもらっていました。自分でやることになって家事は大変なことだということがよく分かりました。今まで毎日おいしい料理を工夫して作ってくれたことに対して、自然に感謝の気持ちが湧いてきました。これからは妻に対して感謝と尊敬の気持ちを持っていきたいと考えています。夫婦の人間関係が好転してくると家の中が穏やかになりました。
2023.06.06
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ヤクルトの高津臣吾監督は亜細亜大学、ヤクルト、大リーグのホワイトソックス、韓国、台湾でプレーし、引退後はヤクルトの一軍投手コーチ、二軍監督を経験して、現在は一軍監督としてすばらしい実績をあげられている。高津臣吾氏はプロ野球選手として生き残るために必要なものは、「とんでもない特徴を少なくても1個は持っている選手」だと言われている。投手としてすべてが合格点、スピードも140キロ出せて、コントロールもまずまずというバランス型の選手が居場所を見つけるのは難しい。それよりも、めちゃくちゃ球が速い選手や、とんでもなくコントロールがいいとか、えげつない変化球を持っている選手のほうが将来性がある。僕が入団した時、内藤尚行投手がいた。同い年です。彼は入団5年目でチームの中心選手でした。キャンプのブルペンで見ていたら、キャッチャーが構えたところにボールがビュンビュン行く。それこそ百発百中だ。その横でやはり同級生の西村龍次が投げていた。彼のカーブは半端ではなかった。昔でいうドロップのような感じで、今でいえばパワーカーブのような感じ。後輩の石井一久さんを見た時も驚いた。誰が見ても超一流のスピードボールを持っていた。しかし制球力はなかった。10中8、9は狙いが外れる。しかしそれが打者からは狙い球が絞りずらくなるという利点を生み出していた。球が遅い選手でも、とてつもないコントロールを持っていたとしたら、プロで生き残れるだろう。フォーシーム(いわゆるストレート)135キロで、カーブ、スライダーも大した威力がないとしても、すべての球種を狙ったところに投げられれば大丈夫だ。ただし、100発100中でなければならない。高津臣吾氏はシンカーに磨きをかけた。沈む球だ。全力で投げても100キロくらいの球速しかできないものに仕上げた。ストレートと同じ腕の振りなので打者は見分けがつかない。これが最大の武器となりヤクルトのクローザーを長年務めることができた。とんでもない特徴は、長所だけに限らない。短所と思われることだってかまわない。短所は一面的な見方であって、裏から見ればとてつもない強みだという例はいくらでもある。それを意識することが大切になる。それを磨けば光る球になると信じる事だ。原石を磨き上げて光り輝くようになれば、誰もが欲しがる宝物になる。でもそれは自分に元々備わっていたもので、他人が容易にまねをしてものにすることができるようなものではない。私たちもこの手法を取り入れたいものです。そうすれば自信が付きます。自己肯定感が出てきます。生きていくことが楽しくなります。
2023.05.28
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矢野惣一氏のお話です。脳には2つの大きな特性があります。「安定化指向」と「可塑性」です。安定化指向とは、変化することよりも現状を維持しようとする特性です。可塑性は、形を変えた変化を保持する特性です。粘土を指で押すと指を離した後も、へこんだまま形が維持されます。脳は、あるきっかけによって何らかの変化を起こすと、その変化のきっかけがなくなっても変化したままの状態を保ちます。(問題解決セラピー 矢野惣一 総合法令出版 92ページ)現在の生活にある程度満足すると、リスクを冒して変化に立ち向かうことを回避するようになります。これが安定化指向と言われるものです。その結果、消極的、保守的、回避的な生活に陥りやすい。考えることや生活内容が、しだいに内向きになります。これに対して森田理論には「生の欲望の発揮」という考え方があります。課題や目標を設定して、前向きに挑戦する生き方のことです。積極的、生産的、建設的、創造的な生き方になります。森田では日常生活の中で小さな課題や目標を持つことが肝心であると言います。目の前の必要なことに真摯に取り組むことが大切になります。凡事徹底とも言います。可塑性というのは、好ましくないことが習慣化して固着してしまうことです。例えば、生まれてから1歳6か月までの間に愛着の形成が十分になされないと、他人に対する信頼感は持てなくなると言われています。他人が怖いから人を避けるようになります。孤独になってしまいます。常に警戒するようになります。絶えず敵対するようにもなります。一旦愛着障害に陥ると、その後の人生は人間関係で苦しむことになります。愛着障害の克服はかなり難しい問題となります。岡田尊司氏よると、次のような方法で、愛着障害はある程度克服できると言われています。私はこの考え方を応用しています。その後の人生で安全基地(安心して立ち寄ることができる母港)となる人を作る。私は同じ神経症で悩む人の自助組織生活の発見会の集談会で見つけました。傾聴、受容、共感、許容、激励の態度を身につけた人を見つけたことが役立ちました。困った時はあの人に相談しようという人を持っていると安心感があります。もう一つは自分から愛情を注ぐものを見つけて世話をすることが役立ちます。私は毎月の集談会で長らく世話活動を続けてきました。その他、メダカの世話を毎日しています。ベランダでは四季色とりどりの草花を育てています。田舎では家庭菜園に取り組み野菜の世話をしています。その他、庭木、柿、梅、栗、ゆずなども育てています。これ等が愛着障害を緩和してくれているのです。
2023.05.20
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1、昔は飛ぶ鳥を落とすほど活気に満ち溢れていたが今は見る影もない。2、昔は経済的にも精神的にも厳しかったが、年齢を重ねるにつれて安定してきた。「どちらの生き方がよいと思いますか」と尋ねられれば、ほとんどすべての人は2を選択されるのではないでしょうか。過去どんなに大きな問題を抱えていてもその後の人生で帳消しにできる。過去どんなに辛い人生を歩んできたとしても取り返すことができる。神経症で長らく苦しんできたとしても、乗り越えられれば問題ではない。人様に迷惑をかけて後悔で悪夢にうなされることがあっても、その穴埋めができれば問題にはならないということだと思います。その後の人生で多少なりともつじつまを合わせることができたならば、それで十分ということだと思います。終わりよければすべてよしです。尻すぼみの人生よりも、末広がりの人生を目指していきたいものです。そのためにはいつまでも辛くて苦しい人生を嘆き悲しんでいてばかりではいけません。忌まわしい過去にしっかり向き合い、過去を素直に受け入れることです。そしてそこで消費されるエネルギーをため込んでいくことです。エネルギーをため込むことができれば、膝を曲げて飛び上がることが可能になります。課題や夢の実現に向かって歩みだした人の人生は光り輝いています。このことを森田では、生の欲望の発揮と言います。忌まわしい過去にいつまでもとらわれることはやめましょう。過去の不祥事はその後いくらでも取り消すことができると信じて、これから将来の人生を生産的、建設的、創造的にしていきましょう。森田理論はそのことを教えてくれているように思われてなりません。
2023.05.17
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ケリー・ターナー氏は「がんが自然に治る生き方」という本の中で、余命宣告を受けてから「劇的な寛解」に至った人たちを調査した。それによると次の9つがあるという。1、抜本的に食事を変える。2、治療法は自分で決める。3、直観に従う。4、ハーブとサプリメントの力を借りる。5、抑圧された感情を解き放つ6、より前向きに生きる。7、人の支えを受け入れる。8、自分の魂と深く繋がる。9、どうしても生きたい理由をもつ。(コロナの暗号 村上和雄 幻冬舎 82ページ)この中でターナー氏は、治療者は自分であって、医療者はあくまで補助するだけであると指摘されている。この点、生きがい療法の伊丹仁朗医師も、自分が主治医になったつもりで治療に取り組むことをあげておられます。この中で、私がこれはと思ったのは3、5、6、9番です。5番で、抑圧された感情を解き放つと言われています。森田では自分に「かくあるべし」を押し付けると、理想と現実に苦しむようになると指摘しています。どんなに困った状態にあろうとも、現実に寄り添う態度になれれば、苦しいことには変わりありませんが、葛藤や苦悩はなくなります。私は完全にはその心境には至っておりませんが、この考え方を学習できたことは生涯の宝物だったと思っております。3の直観に従うということですが、森田では「純な心」で学習したことです。直感、第一に感じた素直な感情、初一念のことです。誰でも最初は純な感情は生まれているのですが、その感情をキャッチしようと思わないと、すぐに飛び去ってしまいます。そして、観念的な第二次感情にとって代わり、言い訳、批判、否定するようになります。6番と9番は、課題や目標を持って生きるということです。5番で事実に寄り添うことができるようになると、今度はそこを基点にして、上を見上げることが可能になります。余ったエネルギーの有効活用ができるようになります。生きがいを持って目標を追いかけていると、病気が近寄らなくなります。このことを森田理論では生の欲望の発揮と言います。森田的な生き方は、がんの寛解に役立つということだと思います。
2023.05.15
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鈴木知準氏のお話です。中村久子という岐阜高山出身の63、4歳位の夫人がある。その人に「私の超えて来た道」という著書がある。それによると、この人は4歳のとき脱疽によって肢関節の下で両上肢を、膝関節の下で両下肢を切断している。彼女はこの不具の体で、日常の諸動作を工夫して生活せざるをえない環境にあった。貧困であった彼女は見せ物に出され、これらの手足なしに行われる諸動作の興行などで全国を流れ歩く10数年をおくっている。このような不幸な境遇を通して達し得た最後のものは、この自分の運命に対して、感謝することであった。鈴木先生は10年前静岡臨済寺においてはじめてお話を承り、その喜びに輝く目ざしに接したとき、全く私の心は驚きと畏敬以外のなにものもなかった。その不幸な運命を担いながら、運命を生かして、現在に最大をつくして前向きに生き、自分の運命を感謝している態度にうたれたのである。この人の著書の巻頭に「ある、ある、ある」という詩が載っている。さわやかな秋の朝。「タオル、取ってちょうだい」「おーい」と答える良人がある。「はーい」という娘がある。歯をみがく。義歯の取り外し。かお洗う。みぢかいけれど指のないまるい、つよい手が何でもしてくれる。断端に骨のないやわらかい腕もある。何でもしてくれる短い手もある。ある、ある、ある、みんなある。さわやかな秋の朝。なんと明るい、喜びの詩ではないか。彼女は短い腕をつかって洗顔、歯みがき、お掃除も米とぎもできる。口と腕との共同作業で習字、裁縫、ヘラ付け、針に糸を通すこと、糸先の結び球、運針もできる。着物の仕立てに要する時間も手のある人達とほとんど同じ時間でできるという。とにかく万事日常の諸動作を工夫と努力によって特別のものを除いてやれるようになっている。彼女はこの書の巻末に、「日常生活中、衣服の出し入れ、お茶を入れる、書状の扱い、仏前にお線香を捧ぐ、などの数々、左腕と口にしたへら形の棒が一切やって私を助けてくれることは、ほんとうに有がたいことです。一にも努力、二にも努力、努力以外の何物もありません。いか程重い障害をうけていようと、必要に迫られれば、人間には限りなくもそれからそれへと独創の世界がくり展げられることは、「生かされる者」のみが受ける宇宙の偉大な恩寵なのであります。(生活の発見誌 1969年(昭和44年) 1月号 36ページ)ピアニストの辻井伸行さんは目が見えません。でも卓越した音感を磨き上げて世界中の人を感動させることができます。目が見えないことがハンディというよりも、むしろ音感を鋭くさせているのではないかと思われます。車椅子テニスの国枝慎吾さんは9歳のとき脊髄腫瘍で下半身不随になりました。でもそこで将来をあきらめることはありませんでした。過酷な現実を受け入れて、運命を切り開いていかれました。車椅子テニスで世界ランク1位になりました。数々の大会で優勝し国民栄誉賞を授与されました。大きなハンディを持っていても、好奇の目にさらされながらも、悲観や否定しないで、そこを出発点にできた人の生きざまは素晴らしい。それだけで人を感動させることができます。私たちも神経症になりましたが、それを受け入れて、財産や宝物に変えて、自分のできることに精魂を傾け続ければ、人を感動させる生き方ができるのではないでしょうか。
2023.05.11
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遺伝子研究の村上和雄先生のお話しです。長寿遺伝子は7種類判明しているそうです。その一つが「サーチュイン遺伝子(サーツー遺伝子)」の名称で知られているものです。この遺伝子はすべての人が持っています。この遺伝子は、老化を早めたり、発がんの原因となる活性酸素の発生を抑えたり、発生した活性酸素を無毒化する働きがあるとされています。通常、サーチュイン遺伝子はオフの状態ですが、これをオンにできる人が若々しさを保ち、長生きできる可能性が高くなります。スイッチをオンにする方法の一つが、摂取カロリーを制限することです。私たちが1日に必要とされているカロリー量は、成人男子で約2500キロカロリー、成人女子で約2000キロカロリーと言われていますが、これを70%に抑えることで、サーチュイン遺伝子のスイッチがオンになるそうです。暴飲暴食をしていると、サーチュイン遺伝子はオンにはなりません。これ以外にもサーチュイン遺伝子をオンにする方法があります。例えばレスベラトロールを摂取することです。これはポリフェノールの一種で、ブドウの果皮やピーナッツの薄皮、赤ワインなどに含まれます。また、タマネギの皮、ブロッコリー、モロヘイヤなどに含まれるケルセチンというポリフェノールも、サーチュイン遺伝子を活性化することが知られています。さらに、ストレッチや筋肉トレーニングなどの運動によっても、長寿遺伝子のスイッチがオンになります。ストレッチ体操は筋肉や関節の柔軟性を保つためによいとされていますが、それにとどまらず、長生き遺伝子や若返り遺伝子のスイッチをオンにするのです。(望みはかなう きっとよくなる 村上和雄 海竜社 198ページ)遺伝子は、情報そのものを自ら書き換えることはできませんが、外からの刺激によって必要な遺伝子のスイッチをオンにしたり、不必要な遺伝子のスイッチをオフにしたりすることで、生体をコントロールしているのです。(同書 37ページ)遺伝子は家の設計図のようなものです。しかし家の設計図があるだけでは、家を建てることはできません。実現に向けて建設資金を用意し、実行に踏み切る必要があります。サーチュイン遺伝子もこれと同じで、設計図に従って作動するかどうかは、本人の意思が大きくかかわっているということです。サーチュイン遺伝子を活性化する方法として、このブログで何度も取り上げているセロトニン神経を鍛える方法が役立つと思います。例えば、2022年2月13日の投稿記事です。人生90年から100年時代を迎えています。長生きをしてもボケたり寝たきりというのではやり切れません。心身ともに健康で長生きするために、7つのサーチュイン遺伝子の学習は役立つと思います。
2023.05.07
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この言葉はリンカーンの言葉だそうです。生まれながらに美男美女の人がいます。表題の言葉は、美醜の顔立ちのことを言っているのではありません。顔つきはその人の履歴書であるといいます。長年の生き方や人生観が顔や姿に出てくるというのです。うまく隠してもすぐに正体がわかってしまう。人に好印象を与える顔立ちは、長い年月をかけて、自分で作り上げていく必要があります。自分の生き方の反映であるという意識を持っておくことが大事になります。森田的な生き方をしている人は、とにかく目が輝いている。また活気があり、包容力のある顔立ちに変わるという印象があります。(好感の持てる顔立ち)好奇心に満ちた顔つき。意欲に満ちた顔立ち。意欲的で挑戦的な顔立ち。知性や自信にあふれる顔つき。優しさや慈愛を感じる顔立ち。いつも笑顔で人生を楽しんでいるような顔立ち。謙虚で柔順な顔立ち。あらゆることに超然とした顔つき。正直で正義感のある顔立ち。(嫌悪感をもたらす顔立ち)不安でオドオドした顔つき。不平不満に満ちた顔立ち。嫌悪感に満ちた疑い深い顔つき。傲慢で攻撃的な顔立ち。物欲や名誉欲に満ちた顔立ち。自己中心的な顔立ち。投げやりでふてくされた顔立ち。自信がなく否定的な顔立ち。困難なことからすぐに逃げてしまう顔立ち。顔の表情筋は33ほどあるそうです。それを鍛えるには、机の前に鏡をおいて、口角を上げてにっこりと笑顔で微笑みかけるのです。心はどんなに荒んでいても形から入るようにするのです。それを心がけていると、人前で出来るようになります。笑顔を心がけていると、笑顔の表情筋が鍛えられます。笑顔にあふれた孫や犬や猫などの写真を飾ると、いつの間にか笑顔が似合う人になります。笑顔の素敵な人は、利他的な人が多いようです。ちなみに、内面が外面に出る8つのポイントというものがあります。・性格は顔に出る。・生活は体型に出る。・本音は仕草に出る。・感情は声に出る。・センスは服に出る。・美意識は爪に出る。・清潔感は髪に出る。・落ち着きのなさは足に出る。これらを意識するようになると、身なりやしぐさが整います。習慣化すると、心が内向きから外向きに変わっていきます。
2023.04.10
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昨日の続きです。手足の機能の衰えを補うために、周囲から優しい援助の手が伸べられる。それは、元気な時にはなかったものである。病気にならなければ、知り合うこともなかったであろう医師、看護婦さん、保健婦さん、ヘルパーさんの優しい温もりと手厚い介護は、失ったものを補って余りあるものに思われる。私が長年味わってきた孤独とは対照的な世界に身を置くことになった。優しさは大きな癒しの力を持っている。私の苦しみをいっしょにわけもとうと手を差し伸べてくれる人がいるということは、人間のもっとも大きな喜びではなかろうか。そのような温かい気持ちにまもられて、たいせつに思われている毎日は、たとえ肉体的に苦しくとも心は満たされている。心は癒され、安らいでいる。(癒されて生きる 女性生命科学者の心の旅路 柳澤桂子 岩波書店 21ページ)発病後14年くらいたったころに、私は神秘体験をしている。今振り返ってみると、この体験は私の生涯のなかで、重要な意味を持っていたように思える。いよいよ休職期間も切れ、私が大切にしていた研究職を解雇されるという知らせを受けた晩にそれは起こった。寝たきりの生活を余儀なくされ、仕事とのかかわりを完全に断たれたことで、それまで持っていた執着から自由に解き放された。神秘体験によって、私の足は地にしっかりついたように思われる。この時以来私の心は揺らぐことはなかった。私の得たものを成長させて、世の中に返す義務があると思いました。一睡もしませんでしたが、前の晩のみじめな私はもうそこにはいませんでした。私の脳のなかでは、既存の価値観を与える神経回路が崩壊し、新たな回路が形成されたのかもしれない。新たな神経回路が強い信念を醸し出すことによって私を支えてくれているのかもしれない。他人の思惑を気にすることなく、自分が自分であることを思い切り楽しめるようになった。サケは太平洋で数年過ごしたのち、再び生まれ故郷の川に戻ってくる。目的がはっきりと見えなくても、それに向かって突き進んでいく本能のようなものがサケの体のなかに宿っているのではなかろうか。乗り越えることが困難なものを抱えた人間が、命のある限り生き抜くということはどういうことなのか。それを体験したものとして、後世の人に伝えたいことが泉のように湧き出てきたのである。(同書 28ページ参照)神経症を経験した人がある程度解放されたとき、このような心境になれば生きる目的が持てるように思います。私は対人恐怖症で辛くて不器用で苦しい人生を送ってきました。今考えるとその苦しみは無駄ではありませんでした。失敗やミス、後悔や懺悔の蓄積は全て貴重な財産になっていたことがよく分かります。人生の途中でどんなに辛い落ち込みを経験したかは問題ではないと思います。その後、それらをきちんと受け入れて、逆転人生に変化したかどうかが問われているのだと思います。大きな落ち込みを乗り越えた方は人を感動させます。その切り替えに成功した人は、人生の勝者だと思います。私はその財産を活用して、私と同様な苦しみでのたうち回っている人に、ブログを通じて一人でも多くの力になりたいという目標を持つことができたのです。人生の目標が明確になると迷いがなくなり、生きることが味わい深くなります。
2023.04.08
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生命科学者の柳澤桂子氏のお話です。この方は、三菱化成生命科学研究所主任研究員をされていました。仕事にも子供にも恵まれて順風満帆の生活を楽しんでいた32歳の時突然病が襲ってきた。その時、この病気とは一生涯付き合うことになるとは思ってもみなかったそうです。原因不明の病気である。膠原病に似たような激しい痛みがある。そして最後は起き上がることもできなくなり、寝たきりになられました。普通は自分の運命を呪い自暴自棄になるのではないでしょうか。柳澤氏は病気を得たことで、人生とは何かについて深く洞察できるようになりました。今日からその一端をご紹介します。参考図書は、癒されて生きる 女性生命科学者の心の旅路 岩波書店です。柳澤氏は、1年のうちの半分近くを病院で過ごすこともあった。もし、病気であることがはっきりしていたら、いくらか耐えやすかったのではないかとも思うが、病気であることさえ認められないために、私は自分自身を責めた。それは、自分が妻の座、母の座に居座ることへの叱責ともなった。疑問と責め苦のなかで、家庭を壊さないようにしていくことは並大抵ではなかった。また、何かの間違いではないかと思ったり、もうすぐよくなるのではないかと思ったり、揺れる気持ちで何年かを過ごした。しかし、すべての期待は裏切られ、苦しいからだの状態は繰り返し訪れた。病気の進行につれて、生活は束縛され、身体的な苦痛も増してきた。数か月に一度ずつ、ちょうど火事が燃え広がるように症状が悪化していく。ステロイドが効くことがわかってからは、かなり楽になったが、それでも病気の進行を止めることはできない。徐々に失われていく能力、徐々に増していく苦痛を見つめていたのでは、そればかりが拡大されて感じられる。失われたものではなく、残されている能力に目を向けることによって、気持ちは救われるのです。生きているということは、かならず残された能力があるということです。そのようにして、自分を眺めなおしてみると、私にいかにたくさんのものが残されているかということが分かりました。機能が衰えても、どの臓器もまだ生きるに十分なだけの働きをしている。残されているものに目を向けると、おのずと感謝の気持ちが湧く。そして、ほんのささやかなことにも喜びを見いだせるようになる。そのうち私はいろんな本を読み始めた。宗教書、哲学書、文学書などを乱読するうちに、次第に何かが見えてくるように思えた。何かから解き放たれていく自分を感じた。人間であることの悲しみが薄らいだわけではない。本を読むことによって、むしろその悲しみは動かしがたいものになっていった。しかし、本当の悲しみを知ってしまったのは、私だけではないということに気づいたのである。それらの感銘深い本の著者たちは、みなその悲しみを知っていた。その悲しみを受け入れて、しかも立派に生き抜いた人たちである。私はもはや孤独ではなかった。たとえ書物を通してでも、共感できる人々にめぐり合えたのである。この続きは明日ご紹介します。
2023.04.07
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公文式教育法は、数学教師の公文公(くもんとおる)氏が、自分の息子のために開発した教育法です。教材(問題用紙)は、算数、数学、英語、国語です。教材には必要な説明や例題などが書かれており、あえて教える必要はないそうです。しかも、その子ができる問題を渡します。そして反復させます。できるようになったらしだいにレベルアップしていきます。ですから子どもたちは自信をもって、次々と答えをゲーム感覚のように書き込んでいきます。それが終わったら先生のところへ持って行き、採点されますが、今その子どもが十分にできる教材を渡しますからほとんど満点です。こうしてその日、自分の可能な時間に、自分の可能なレベルまで進んだら、その子どもは満足感を抱き自分の家に帰ります。いつのまにか数字に強い子ども、国語が大好きな子供になり、しだいに高い基礎学力を身につけることになります。努力するということとは、できないことにしがみついて、悶々と自分をいじめることではなく、やさしいことを反復練習することで、自信を持つことができるようになることです。そうすれば、より力強く過ごすことができるようになります。努力にかけた時間に対して、満足感と充実感を得ることなのです。(こころと遺伝子 村上和雄 実業之日本社 91ページ)目標や課題は、少し努力すれば達成可能なものであることが大切だと言われています。そして完全に自分のものにするためには反復練習が欠かせません。反復練習により長期記憶として脳に定着されます。するとスポーツにしても、楽器の演奏にしても、舞踊にしても、前頭前野で試行錯誤・検討しなくても、脳の運動野や側頭葉から直接指示が出せるようになります。無意識に身体が正しい動きをするようになると、余計なことを考えなくても済みます。前頭葉を休ませることができ、運動野や側頭葉が鍛えられます。一旦流れに乗れば練習の成果を十分に楽しむことができるようになります。このやり方はぜひとも私たちの生活のなかに取り入れたいものです。達成可能な目標や課題は日常生活のなかでいくらでも見つけられます。それらを整理して、毎日のルーティンワークとして確立するのです。毎日この時間帯はこれをしているという習慣を作り上げることです。手先や体が絶えず自然に動いている状態にすることです。頭は、問題点や課題が見つかった時にたまに使うという程度にするのです。飽きることを避けるために土日には、普段できないことに取り組んでみる。気分転換を図り、また新たな気持ちで日常生活に取り組むことが大切になると思います。
2023.03.28
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今や人生90年時代といわれるようになりました。定年を迎えた人や70歳を超えた人は、これからの人生を有意義に過ごすために、ある程度の指針を持っておいたほうがよいのではないでしょうか。歳をとってよかったこと、自覚しておいた方がよいこと、やった方がよいこと、やらない方がよいことをまとめてみました。まず歳をとってよかったことはどんなことがあるのか。仕事から解放された。家でゆっくりできる時間が増えた。仕事に伴う人間関係の軋轢がなくなった。健康維持を兼ねて、無理なく短時間の仕事をしている人が多い。医療費が安くなった。年金がもらえる。教育費がかからなくなる。住宅ローンが終わり、持ち家になった。好きなものを少量食べても十分満足できるようになった。ある程度貯えを持っている人が多い。これで万が一の時に備えている。多少なりとも子どもや孫に援助をするゆとりがある。毎日自由なことをする時間が格段に増えた。多彩な趣味、ボランティア、公民館活動、家庭菜園、加工食品作り、旅行、外食、居酒屋、芸術鑑賞、読書、楽器、カラオケ、料理教室、スポーツジム、景色を楽しみながらのハイキング、ペットを飼う、孫とのふれあい、友人たちとの集いなど楽しみがいっぱいあふれるようになりました。次に歳をとったとき、自覚した方がよいことをまとめてみました。良いにつけ悪いにつけ多くの人脈を持っていること。友人、師、集談会の仲間、配偶者、子ども、孫を持っていること。多くの成功経験や失敗体験を持っていること。仕事や趣味を通じて、それぞれ特殊な能力を身に着けていること。ある程度の財産を蓄積していること。良いものと悪いものの見分けがつくようになったこと。本物と偽物の見分けがつくようになっていること。決断する時、迷いが少なくなっていること。人生の楽しみ方のコツを会得していること。神経質性格者としての人生観を確立していること。歳をとったときになるべくやった方がよいこと身体の定期的な検査とメンテナンスをおこなう。軽い運動を心がける。ウォーキングなど。興味と関心のあることに、積極的に取り組む。たとえばスマホの使い方、男の料理教室、カラオケ、声楽、楽器など。近くの音楽会、コンサート、イベントなどに参加する。脳の廃用性萎縮を防ぐために日々感動体験をする。優れたテレビ番組を録画して後で視聴する。you tubeプレミアムの音楽を楽しむ。読書をする。日記を書く。自分史を作る。もしもの時を想定してエンディングノートを作っておく。墓じまいなども考えておく。実家の整理や処分。ペットや観葉植物など世話をするものを作る。自分の経験や知識や特技を公民館活動などで他の人に教える活動に取り組む。人の役に立つ活動に取り組み生きがい作りを心がける。不要になったものをバザーなどで人にあげる。集談会で神経症で苦しんでいる人の話をよく聞いてあげる。自分の成功体験や失敗体験を伝えていく。その他ボランティア活動に取り組む。歳をとったらやらない方がよいこと危険で過度な運動。趣味の範囲を越えたギャンブル、パチンコ、競馬など。過度な飲酒、夜間や雨降りの時の車の運転。電話は留守番電話にしておいて、見ず知らずの電話はとらないようにする。パソコンやスマホに届く不審なメールはすぐにゴミ箱に入れる。不急不要な高額な買い物はよく考えてからにする。配偶者をこき使わないようにすること。子どもや孫に過度にかかわらないこと。これらを参考にして自分なりにさらに考えてみましょう。また集談会などでテーマとして取り上げて話し合ってみるとよいと思います。
2023.02.17
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飛行機がなぜ飛ぶのかを考えてみました。推進力と揚力の2つが関係していることが分かりました。推進力はジェットエンジンやプロペラによってもたらされます。ジェットエンジンは圧縮されたガスや空気を高速で後ろに噴き出すことで生まれます。でもこれだけでは空を飛ぶことはできません。飛行機を空気中にもち上げることが不可欠です。これは航空力学の揚力理論を応用しています。飛行機に揚力をもたらすのは、胴体から左右に伸びた主翼です。主翼は、下面に比べて上面の空気の圧力が小さくなっています。この圧力の差をどんどん大きくして、重力よりも大きな揚力を発生させれば、機体は空気中に浮かびます。飛行機が自由自在に飛ぶことができるのは、推進力と揚力がセットになって、重要な役割を果していることが分かります。航空力学では、まず「推進力」を生み出すことが肝心ということになります。推進力は、エネルギーを投入して前に向かって動いています。動かないで、じっとしているだけでは推進力は得られません。そして推進力を維持し続けることも大切です。自転車でも上り坂で推進力が不足してくると前進できなくなります。「揚力」に対しては、地球の「重力」が立ちはだかっています。重力は巨大な力があり、人間は重力の影響から逃れることはできません。ところがこの揚力理論によると、推進力と揚力理論を組み合わせれば、巨大な重力にさからって、重い飛行機でも空中を自由自在に飛ぶことが可能になります。推進力と揚力理論の相乗効果は不可能なことを可能にしてしまうのです。私たちはこの航空力学の理論から大いに学ぶことがありそうです。「推進力」から学ぶことは、十分に思索・検討したことは、できるだけ行動に移していくことが大切だということです。考えるだけで何もしないというのは、注意や意識が内向化してきます。マイナス思考に振り回され、自己嫌悪、自己否定で苦しむことになります。気分はどうであろうとも、やむをえず、おっくうなまま、イヤイヤしかたなし、ビクビクハラハラしながら行動していく。森田理論でいう「凡事徹底」に取り組み、そこから問題点や課題を見つけだしていく態度が大切になります。「揚力」から学ぶことは、常識では不可能と見えるものでも、その多くはやり方によってはなんとかなるものが多い。すぐにあきらめてはいけないのです。どこかに打開策があるはずだという希望を持ち続けることです。たとえば、時と場所が変わると実現可能になるものがあります。あるいは、いろんな見方から眺めてみる。分析してみる。気にかけていると、突然アッと気づくことがあります。自分一人では皆目解決の見通しがつかないときは他人に聞いてみる。自分の能力が不足しているときは他人の力を借りる。一人で無理な時は人と協力して取り組む。何度失敗をしても、あきらめないで粘り強く取り組んでいくと、いつか「サムシング・グレート」のようなものが味方してくれると信じることです。そのうちきっとあなたの味方になってくれるはずです。「生の欲望の発揮」と「問題解決能力の向上」が、投げやりになりがちな人生を切り開いてくれます。そして人生の最終章を迎えたとき、感動と感謝の気持ちに包まれることになります。
2023.02.16
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遺伝子研究の村上和雄先生は、よい遺伝子を目覚めさせるために実行できることには、次の6つが考えられるといわれています。1、どんなときにも前向きに明るく考える。2、思い切って今の環境を変えてみる。3、人との出会い、機会との遭遇を大切にする。4、感動する。5、感謝する。6、世のため人のためを考えて生きる。(スイッチ・オンの生き方 遺伝子が目覚めれば、人生が変わる 致知出版社 102ページ)1、つかれた、面白くない、忙しい、つまらない、ダメだ、今のままでいい、どうすることもできないなどとネガティブなことを考えていると、悪い遺伝子のスイッチがオンになってしまいます。面白そうだ、楽しい、うれしい、やってみたい、できそうだ、あれが好きだ、もしかしたらできるかも、ワクワクするなどというポジティブな言葉を使っていると、よい遺伝子のスイッチがオンになります。現実にはそうでなくても、そのようなふりをすることです。遺伝子は情報を伝えるとともに、タンパク質を作り出す役割を持っています。よい遺伝子がスイッチ・オンになると、それに向けて新しい機能を持った筋肉などを作り出してくれます。悪い遺伝子がスイッチ・オンになると、ガンなどの細胞を増やしてしまいます。5、ありがとうございます。いただきます。おかげさま。などの感謝の言葉を多用するとよい遺伝子のスイッチがオンになります。他人を非難、否定し、不平不満をこぼしている人は、悪い遺伝子のスイッチがオンになります。他人のよいとこさがし、感謝さがし、お役立ちさがしを肝に銘じて生活するとよいことが起きます。6、仕事をするということは、他人へのお役立ち行動です。人に言われたことをお金の為と仕方なしに取り組んでいると、仕事はつらいものになります。人の役に立つ仕事をしたい、人様に無上の喜びを与えたいと考えて取り組んでいると、よい遺伝子のスイッチがオンになります。また最初はつらくても我慢して、一心不乱に取り組んでいく。その中から目標や課題を見つけられるようになると、よい遺伝子のスイッチがオンになります。悪い遺伝子はスイッチ・オフのまま眠らせておく。過度につつきまわさないことです。神経症的な不安、恐怖、違和感、不快感などのことです。よい遺伝子は積極的にスイッチをオンにする。これは人間に意思の自由があります。積極的によい遺伝子のスイッチをオンにしていきましょう。何しろほとんどのよい遺伝子は、刺激を与えられることもなく、スイッチがオフになったままになっているのですから。
2023.02.09
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