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この言葉は人間関係にかかわりのある言葉です。青年期(10代から20代半ばごろ)の友人関係については、1990年代前後から「希薄化」していると指摘されていることが多くなりました。お互いに本音を言わず、傷付けたり傷付けられたりしないように気を使い、その場のノリで表面的な付き合い方をするようになったというものです。傷付けたり傷付けられたりしないような友人関係を構築するうえで重要となるのが、友人との心理的距離です。いきなり自分の価値観や悩みなど深い話をすると友人に嫌われ、距離を取られます。相手の良くないところを批判したり、気にしていることを指摘したりすると、友人は傷付き、離れていってしまいます。自分も同様に深い話をされると距離を取り、批判や指摘をされると傷付きます。しかし、友人とは親しくなりたいという思いもあり、そのような話や批判・指摘を避けてばかりいると、なかなか友人とは親密になることはできません。そのため、青年は、どこまでだったら言っても相手は傷付かないのか、どこまでだったら言われても自分は大丈夫なのかと考えながら、互いが傷付かずに済むような距離を模索することになります。このことをヤマアラシ・ジレンマといいます。(緊張のアセスメントとアプローチ 高坂康雅 MCメディカ出版 96ページ)ヤマアラシ・ジレンマとは、凍えるような寒さのなか、二頭のヤマアラシは身を寄せ合って体を温め合いたいのですが、近づきすぎると相手の棘が自分の体に刺さって痛いので、暖を取ることができないという逸話です。人間関係は必要なときに、必要に応じて、必要なだけの人間関係で十分なのではないでしょうか。対人恐怖症の人は、離れなければいけないときに敢えて近づいて問題を起こしています。反対に近づく必要のあるときに相手を軽視・無視しているケースがあります。水泳のとき、川下に向かって泳ぐと楽に泳げるのに、敢えて川上に向かって泳いでいるようなものです。人間関係には馬の合う人20%、馬の合わない人20%、どちらでもない人60%と言われています。馬の合う人は大切に取り扱う。馬の合わない人とは車間距離間を保つように心がける。そして肝心なことは、どちらでもない人を、敢えて敵に回すような行動を慎む。そのためには人間関係では、やった方がよいこととやってはいけないことがありますので、それらを整理して確実に実行に移すことです。その内容は2022年9月13日に投稿しております。
2024.09.24
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ある会社員の女性の相談です。その方は対人恐怖症で、自己主張がとても苦手だということでした。対人関係は、いつも相手の機嫌を損なわないような対応をしている。そんな私に対して、ある同僚の女性が、お茶碗を洗う、コピーをとるような仕事をどんどん押し付けてくる。それだけではなく、自分のことを馬鹿にしたような言動もありました。私は何も言い返せず、彼女が指示する仕事を黙々とやっていますが、心の中ではストレスが溜まり、いつも腹立たしい気持ちです。森田理論学習では、腹立たしい気持ちは、そのまま持ちこたえて、目の前の仕事に取り組んでいれば、自然に解消してくると言いますが、私にはとてもそのようには思えません。どうしたらよいでしょうか。この方はストレスが溜まるような理不尽な仕打ちを継続して受けています。同僚はあなたが素直に引き受けるので、あなたのことをなめてかかって、どんどんエスカレートしています。このままの状況が続くと、支配―被支配の縦の人間関係が形成されます。相手から一方的にコントロールされることは大きなストレスになります。この方は同僚に対して、時間のあるときは自分でやってほしい。私は同僚の子分ではない。一方的に私に指示命令することをやめてほしい。対等な人間関係にしたいという気持ちを持っています。これからも今まで通り自分の感情や気持ちを抑えていると、ストレスが蓄積し、ある時、ダムの決壊のように不快感情が大爆発することが考えられます。あるいは、そのストレスから逃れるために、退職するようなことを考えるようになるかもしれません。忙しくて手が離せない時は、「今はちょっと手が離せないの。ごめんなさい」などと、自己主張ができればよいのですがこの方にとっては難しいでしょう。このような相談を受けた場合どのように対応すればよいのでしょうか。安易な同情やアドバイスは相手をさらに追いつめることになります。我々ができることは相手に寄り添い相手の気持ちをしっかりと聞いてあげることです。傾聴してあげる。そして受容、共感してあげることです。自分が理解した内容をフィードバックしてあげることです。相談者の「心の安全基地」になってあげることが肝心です。相手は自分のストレスを吐き出して気が楽になります。自分の問題を頭の中で整理できます。そのような対応をとっていると、相手が自分自身で解決策を見つけ出すことが可能になります。カウンセリングとは、相談者が自分で自分の問題点に気づき、自分で解決策を見つけ出すものだと言われています。相談を受けた人は、相手に寄り添い一緒になって考えることくらいしかできません。馬を水飲み場まで連れていくことはできますが、水を飲むか飲まないかは相手次第です。ロジャーズの「来談者中心療法」というのはこのことを言っているのだと思います。主役はあくまでも相談者であり、聞き手ではないということを肝に命じておきたいと思います。
2024.09.22
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大型スーパーに車で買い物に行った時のことです。このスーパーの隣に区の図書館があります。先に本を返却して、その後で買い物をしようと思っていました。するとどこからともなくやってきた店の人が、「コンサートに行く人はここに駐車してはいけない」ときつい口調で叱責するのです。その日は区民文化センターでコンサートがあるらしいのです。コンサートに行く予定のない私はその言葉に憤慨しました。どうしてコンサートに行くと決めつけているのかという気持ちです。仮にコンサートに行くときは、無断駐車なんかはしませんという気持ちでした。自転車やバイク、もしくはバスか電車を利用しますよ。3分くらいで本を返却してスーパーに戻ってみるとその人がまだいました。どうして憶測であんなことをいったのか聞いてみました。コンサートがある日は、無断駐車をする人がいるのでそれらしい人に、注意喚起しているのだというのです。お宅もその一人だというのです。その言葉でますます腹が立ってきて押し問答になりました。叱責する前に、「あなたはコンサートに行かれるのですか」と事実確認をすれば押し問答に発展することはなかったと思います。事実確認をしないで、先入観、決めつけ、思い込み、早合点で行動することは間違いが多くなります。相手に確認しないで、独断と偏見で自分一人で判断して、行動すると相手と良好な人間関係を築くことはできなくなります。集談会の世話活動でも、独断と偏見で解釈をして、目的外の行動をする人がいると運営に支障が出てきます。こうした方がいいのではないかという発想は素晴らしいのですが、実行に移す場合は他の幹事の人の意見を聞いて了解を得られたときに実行するようにした方がよいと思います。少々面倒でも、きちんと了解を得ることが欠かせません。そんなに違法駐車が気になるのならば、せめて立て看板を立てておくのはどうでしょうか。「買い物以外の人の長時間駐車はご遠慮ください」「現在長時間駐車の監視を行っておりますのでご注意ください」これだけでも多少の効き目があるのではないでしょうか。そんな対策もとらないで、違法駐車車両を見つけて腹を立てているというのはいただけません。さらに1時間以上駐車の場合は、車輪止めが作動して課金される設備を用意すれば問題はすぐに解決されるのではないでしょうか。この方法を採用しているスーパーを知っています。これ以外にも、お店の人の駐車違反にともなうストレスをなくする方法はあるはずです。駐車違反に対する対応策を店内会議で検討して実施することが大事になるのではないでしょうか。
2024.09.19
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相手からのお願いごとを気軽に断ることができない。相手に何かを依頼する、お願いすることができない。この2つは同じことを表から見るのか、裏から見るのかの違いはありますが、心理的には同じことです。相手からの依頼事項を断ることができない人は、相手に何かを依頼することも苦手です。本来は相手の都合によって引き受けたり、断ったりしているのですが、自分の人格を否定されたかのように受け取る傾向があります。こういう人は人間関係を上下関係でとらえる傾向が強いと思われます。タテの人間関係です。横の人間関係にはなりにくい。自分が格上で相手が格下の人間関係を作ろうとする。相手が格上で自分が格下の人間関係は居心地が悪い。こういう人は相手と勝ち負けをかけて権力闘争を行っているのです。勝つか負けるかの二者択一で両極端な考え方をしてしまう。妥協点を探るというような考え方はしない。勝つか負けるかしかない。自分のことを非難、否定、無視、軽視されると、すぐに反撃することを考えてしまう。相手は自分の味方が敵かを見極めようとしている。人間関係は絶えず対立的になり精神的な緊張を強いられる。また、他人からの依頼を断れない人は、断ると相手が自分を攻撃してくるに違いないと考えている。相手から見放されて仲間外れにされるのは怖い。孤立してしまうと生きていけなくなるのが怖い。これは何としても回避したい。そのためには自分の本音は抑圧して、相手の依頼はできるだけ受け入れていくしかない。森田理論では上下の人間関係にこだわる人は、「かくあるべし」を相手に押し付ける傾向があるといいます。相手には相手の気持ちや考え方があるのですが自分の考え方を一方的に押し付けてしまう。相手から強い抵抗を受けることは十分考えられます。相手と勝ち負けをかけて競い合ったところでよいことは何一つもありません。勝っても負けても人間関係に禍根を残します。相手と張り合って勝ちたい気持ちになっても、自分の方から相手を挑発しない、相手からの挑発は受けて立たないということを肝に命じておきたいものです。勝ち負けの権力闘争になりそうになったらすぐに下りる。あるいは相手に勝ちを譲る。負けたふりをする。そうすれば険悪な人間関係で苦しむことはなくなるはずです。
2024.09.14
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アドラー心理学の大家、岸見一郎氏のお話です。人間は弱さゆえに共同体をつくり、協力関係のなかに生きてきました。狩猟採集時代の昔から、われわれは集団で生活し、仲間と協力して獲物を狩り、子どもたちを育ててきました。別に協力したかったわけではありません。ホモサピエンスは、単独では生きていけないほど、弱かったのです。人間は、その「弱さ」ゆえに力を合わせて団結し、集団や社会を構築した。このことは逆に言うと人間にとって孤立ほど恐ろしいものはないということになります。孤立した人間は、身の安全が脅かされるにとどまらず、心の安全までも脅かされてしまう。ひとりでは生きていけないことを本能的に熟知しているのですから、われわれはいつも、他者との強固な「つながり」を希求し続けている。アドラー心理学では、人間の抱える最も根源的な欲求は「所属感」だと考えます。つまり、孤立したくない。「ここにいてもいいんだ」と実感したい。孤立は社会的な死につながり、やがて生物的な死にもつながります。では、どうすれば「所属感」を得ることができるのか。普通、共同体や社会から高く評価されることによって「所属感」を獲得しようと考えがちです。アドラーは他人から評価されることによって「所属感」を獲得する方法を否定しています。評価されることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっと評価されたい」を求めていきます。この生き方は他人の人生を生きていることになります。高評価されるだろうと思っていた行動が軽視、無視されることは頻繁に起きる。さらに非難や否定されることになると、意欲は減退し、投げやりな人生になってしまいます。こういう生き方は辛いばかりです。ではどうするか。他者からの承認を求めるのではなく、自らの意思で、自らを承認するしかありません。私の価値を、他者に決めてもらうのは「依存」です。一方、私の価値を、自ら決定すること、これを「自立」と呼びます。自立した人間として生きていくことが居場所の確保につながります。他人と比較して差別化できるものを作り上げて、共同体や社会に受け入れてもらおうと考えるのは間違いです。あなたは特別な存在にならずとも、あなたに与えられた状況のなかで、あなたなりの人生を精一杯生きていけばよいのです。特別に優れていなくてもありのままのあなたでよいのです。葛藤や悩みを抱えたまま淡々と生きていくことです。平凡な自分のままで生きていくだけで居場所は確保できます。人と違うことに価値を置くのではなく、「私が私であること」に価値を置くのです。「私であること」を認めず、他者を自分と比べ、その「違い」をことさら際立たせようとするのは、水車に飛び込んでいったドン・キホーテのような生き方になります。(幸せになる勇気 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社 147~154ページ参照)
2024.09.10
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今日は森田理論に関係のある瀬戸内寂聴さんの言葉をご紹介します。・私自身の人生を振り返ってみると、「何か」や「誰か」をあてにしたときは、何にもなりませんでした。(人生について)私の場合は、神経症で苦しいときに、刺激や快楽を求めて憂さ晴らしを考えていた時が最悪の時だったと思います。やることなすことが、裏目に出て、暇を持て余し、症状をさらに強める結果となった。小さなことでも自分で考えて、課題や目標を持って生活していた時は幸せだった。・私たちは一日一日を、大切に生きていかなくてはいけない。その日その日を、大切に生きていけば、必ず良いことがある。森田理論を学習して規則正しい生活が大切だということがよく分かった。その中で創意工夫するようにすれば人生はむなしいなどとは考えなくなる。楽しみや感動する場面が多くなる。感謝の気持ちも生まれてくる。・私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。集談会の中で、神経症に苦しみ、森田理論に出会い、学習を積み重ねて、神経質性格を活かした人生観を確立した人を何人も見てきた。その人たちから刺激や影響を受けて今の自分があるのだと思います。・勉強は食事と同じです。毎日少しずつでもいいから、続けることが大切です。森田理論学習は勉強したこと、役に立つ話を聴いた後、自分と照らし合わせて、文章にまとめてみることが大切だと思います。ある程度まとまったら、生活の発見誌に投稿したり、集談会などで体験発表をする。この効果は、読むだけ、聴くだけと較べると10倍ぐらい差が開くように思います。・愛する事は許すこと、自分も許されて生きてる事を忘れないで。集談会では傾聴、共感、受容という話がよく出ます。それに加えて相手のことを許すということも大切だと思います。後から考えて、自分や相手のことを包容力で許してあげたと思う人ほど人間関係は良好です。・愛とは、相手を所有することではありません。相手を自由にすることです。私たちは「かくあるべし」を自分や相手に押し付けることが多い。自分や相手を意のままにコントロールしたい気持ちが強いのだと思います。確かに自分の主張や気持ちをはっきりさせることは大事です。但しそれを打ち出す前に、相手の主張や気持ちを聞いてみることがもっと大事になります。
2024.09.05
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人間関係の中では、相手から無視される。からかわれる。馬鹿にされる。叱責される。非難される。否定されることは頻繁に発生します。特に仕事をしている人は毎日のように経験されていることではないでしょうか。その時不快な感情を持ちこたえることができなくて激しく反発する人がいます。そういう人は相手の言いなりになると、自分が負けたようなみじめな気持になるのではないでしょうか。普段から人間関係で相手に一方的に遣り込められることはがまんできない。何が何でも相手に勝たねばならないと考えているのではないでしょうか。負けず嫌いな性格で、相手に勝つか負けるかということに強くこだわる人がいます。自由を奪われて、相手に自由にコントロールされることを嫌がる人です。逆に相手を自由自在にコントロールしたいという気持ちが強い。人間関係は支配するか支配されるかの2つに一つしかないと信じている節がある。助け合う仲間というよりも、相手を敵とみなして覇権争いをしているようなものです。これでは精神的に気が休まることがありません。二人の人間がいればそれぞれの考え方があって当然という考え方はしない。話し合いによって妥協点を見つけて歩み寄ろうという気持ちはさらさらない。譲ったり譲られたりの関係を作り上げようという気持ちは希薄です。勝つか負けるかの二者択一の思考方法をとる人は攻撃名人です。他人の容姿、性格、能力、弱点、欠点、ミス、失敗などは決して許すことがありません。また、対人関係で自分が傷つくことを恐れるために、防衛的で後ろ向きな行動をとるようになります。こういう人は人間関係は縦の上下関係で成り立っていると考えている。負けると惨めになるので、先手を取って攻撃するようになります。反対に相手を手ごわいとみるとすぐに逃げだすようになります。相手を助け合い協力し合う仲間としての横の人間関係を作ろうとは考えない。相手をプライドをかけて戦う相手とみなしていると辛い人生が待っています。潤滑油の切れた歯車を回すようなことになりとても痛々しい。どうすればこの呪縛から解放されるのでしょうか。人間関係で勝ち負けをかけて競うことはきっぱりと縁を切ることです。相手が勝てば自分がみじめになります。自分が勝つと相手がみじめになります。どちらに転んでもよい結果にはなりません。勝ち負けをかけて相手と戦闘モードになることは、百害あって一利なしと心得て行動することが肝心です。自分のほうから決して相手を挑発しない。また相手の挑発には絶対に乗らないように心がける。勝ち負けにこだわらなくなった人は、人間関係が好循環してくるはずです。
2024.09.04
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9月号の生活の発見誌に中間管理職の人の話がありました。問題ある部下を何人も抱えてマネージメントで苦労した人です。一人は、たびたび仕事を休む人です。遅刻や早退も多い。出勤しても熱心に仕事をしないでサボってばかりいる。ある時私もたまりかねて、注意を与えたのですが、注意された彼は、「私に至らないところがあれは、いつでも叱ってください」と、いたって平静で、注意している上司である私のほうが、胸がドキドキして声が震えてくるという状態でした。もう一人は、以前職員組合の組合長をしていた人です。仕事ができる営業マンでしたが、何かあったとき、上司につっかってくるというような扱いにくい部下でした。私にしてみれば、「俺の方が歳が上じゃないか」「会社でも先輩じゃないか」「仕事だってお前にゃ負けんぞ」という気で、対抗心まる出して対応していたのでだんだん仲が悪くなった。険悪なときには、顔を合わせても、口もきかない、あいさつもしない状態だった。こういう部下とどのように折り合いをつけていけばよいのか。この問題に対して、アドラー心理学の目的論の考え方が役に立ちます。早速検討してみましょう。この方の一番の目的は、問題を持っている部下を、上司という立場を利用して、思うがままにコントロールしたいということだと思います。つまり部下に負けたくない。負けを認めると自分の存在価値がなくなる。なんとしても勝ちたい。部下を征服したい。屈服させたい。自分の力を思う存分見せつけてやりたい。しかし、部下もさるもの。一筋縄ではいかない。「かくあるべし」を押し付けようとすれば、部下は精一杯の抵抗を試みます。すれ違いや反抗的な態度にでてきて事態はますます悪くなっていく。人間関係が悪化して息が詰まるような状態になる。苦しい。つらい。このままの状態を続けていくと、マネージャー失格の烙印を押されかねない。どうすればよいのかと苦慮されています。アドラー心理学では、勝ち負けにこだわり、白黒をはっきりさせたいという目的を持って相手を挑発していると人間関係は修復できなくなると言います。仮にあなたが勝利しても、相手は賛同者を集めて、態勢を立て直してすさまじい勢いで「復讐」してくる。その時あなたは「こんなことになるなんて」と後悔することになる。そのときになって反省してもすでに時遅しというものだ。一旦破壊された人間関係は元には戻らないだろう。上司の本来の目標は、まずは自分の組織の方針を立てること。適性な人員配置をすること。部下のやる気を鼓舞すること。部下を成長させること。目標に対する進捗の管理をすること。問題点や改善点、将来の課題を見つけて対策を立てる。関係各部署との連絡調整をすることなどです。勝ち負けにこだわってしまうと、これらの目標を忘れてしまう。組織の中で部下と勝ち負けをかけて戦うことを目的とする生き方にこだわることになります。そういう目的にエネルギーを注ぐことは労多くして実りは少ない。部下から勝ち負けを迫るような挑発を受けたとき、その挑発には決して乗らないという態度の上司はマネジャーの仕事に向いていると思います。
2024.08.29
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医師の帯津良一先生のお話です。驚くような治癒力を発揮する患者さんには、ある共通点がありました。それは、みなさん「いい場」に身を置いているということです。家庭、職場、医療現場、学びの場など、さまざまないい場に恵まれていました。私の考える「いい場」とは、生命エネルギーを日々高めようとする人が集まった場、もしくは大地のエネルギーがふんだんにある大自然です。自然はイメージしやすいですが、前者はいったいどういうところを指すのでしょうか。どこかを訪問したとき、「ここは気持ちがいい場所だな」と感じるところと、「ここにいるとなんだか気分が沈んでくる。早めに引き上げよう」と感じる場所があります。場を左右するのは土地や環境はもちろんですが、そこにいる人の生命エネルギーが大きく関係しています。生命のレベルの高い人、高くしようと頑張っている人が多いほど、いい場が作られるはずです。(自然治癒力で生き返る 帯津良一 角川書店 100ページ)ここで言われている「生命エネルギー」ですが、明確な課題や目標を持って前向きに生活している人だと思います。その目標が人から感謝されるものでしたらますますモチベーションが高まります。目標には短期目標、中期目標、長期目標があります。私の長期目標はこのブログを30年続けることです。今年はその12年目です。「10年偉大なり、20年畏るべし、30年歴史なる」という言葉をスローガンにして取り組んでいます。日々の生活目標は、規則正しい生活と凡事徹底です。日々の生活の中で小さな成功体験を積み重ねていくことです。そのために小さな気づきを宝物として大切に取り扱っています。小さな気づきはすぐにメモしています。メモ帳とボールペンは必須アイテムです。これを取り逃がすと神経質性格を活かすことができなくなると考えています。帯津先生は、「いい場」に身を置きなさいと言われています。これは「生命エネルギー」がほとばしり出ている人と付き合いなさいということだと思います。私もこの考え方に賛同します。交流することでよい刺激をもらえます。その結果自分のモチベーションが高まります。私の場合でいえば、生活の発見会の集談会仲間との交流があります。現在はZOOMにより全国各地の人と交流しています。また所属している支部の人たちとの交流もあります。精神的のみならず生活上の問題を抱えたときの力強い相談相手です。さらに一人一芸の趣味の仲間、カラオケ仲間、自家用野菜や花卉園芸の仲間、男の料理教室の仲間、マンションの管理人仲間、大学時代や以前勤めていたOBとの交流もあります。これらの人たちとの交流は森田理論の不即不離を応用しております。つまり広く浅く必要に応じて必要なだけの人間関係を心がけております。心温かい人たちに囲まれて、刺激的で楽しい毎日を過ごしております。できれば私も多少なりとも「生命エネルギー」を与えられるような存在でありたいと思っております。
2024.08.18
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渡辺和子さんのお話です。人間関係を和やかにするためには、相手の立場に立つことが欠かせません。例えば、夫が会社から戻ってきて、「ああ今日は疲れた」と言ったときに、知らん顔をする、その言葉を聞き流すのは論外です。「私だって、1日結構忙しかったのよ」と自己主張したのでは、二人の間はうまくいきません。その時に、「ああそう、疲れたの」と、相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることが大切なのです。友人が、「私、海外旅行に行ってきたの」といえば、「あら、私もよ」と相手の出鼻をくじいたり、「どこへ、誰と」と尋ねたりする前に、「そう、旅行してきたの」とおうむ返しに相手の発言をそのまま繰り返して、相手と共感することが、相手への真の優しさとなります。私たちはとかく自分本位になりがちで、共感する前に、自己主張をしがちです。相手が感じていることを、そのまま受け止めてあげる前に「私だって」とか、「私なら」と比較してしまいがちになります。(目には見えないけれど大切なもの 渡辺和子 PHP文庫 )枡野俊明氏は、「の」と「と」の使い分けの重要性を説明されています。「私の仕事」「私の友達」「私の夫」「私の妻」という言い方は、上下の対立関係よりも、横の対等な関係性を連想させます。「私と仕事」「私と友達」「私と夫」「私と妻」という言い方は、両者の関係が対立的になりやすい。対立するとグチや不平不満が発生して、批判や否定の態度に陥りやすい。対立関係というのは、森田でいえば「かくあるべし」を自分にも、相手にも押し付けることにつながります。神経症に陥る原因にもなりますし、自分が苦しくなるばかりです。枡野俊明氏は、すべての物事と向き合うときに「の」の心で向き合うことを勧めておられます。(2020年10月6日投稿記事より)樹木希林さんは、相手から気に障るようなことを言われたとき、「さいですか」というのが口癖だったそうです。腹がたつ。憤りを感じた時、すぐに反論するのではなく、最初に「さいですか」と言って、相手の発言を受け止めておられたのです。「売り言葉に買い言葉」的な言動の弊害をよく理解しておられたのでしょう。(2020年2月10日投稿記事より)今年は梅は不作でしたが、栗と柿はたくさん実がついています。
2024.08.17
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アメリカに住んでいるハタネズミは山岳ハタネズミとプレイリーハタネズミがいるそうです。同じハタネズミでありながら生活スタイルは全く異なる。サンガクハタネズミは単独行動を好む。プレイリーハタネズミは仲間と共に生活することを好む。これを人間に置き換えてみた場合、単独行動を好むタイプと仲間との付き合いを大事にするタイプに分かれるということではないでしょうか。これらは後から修正したいと思っても基本的には難しいと思っています。またこれらはどちらが良くて、どちらが悪いという問題ではないと考えています。これは生まれ持った性格も影響しています。さらに親の子どもの育て方も影響しています。ちなみに私は単独行動を好むタイプです。自分一人で生活を楽しむ方法はいくらでも持っています。どちらかというと仲間と絶えず一緒にいることはストレスになるのです。一人心静かに好きなことに取り組む方が性に合っているのです。私の場合、人間関係では、なんとなく気があう人10%、なんとなく気が合わない人30%、どちらでもない人60%くらいかなと思っています。このスタイルは今更変えることもできませんし、変えるつもりもありません。但し、どちらでもない人を敵に回してしまうのは避ける必要があると考えています。そうしないといろいろと支障が出てくるからです。そのためには最低限「やってはいけないこと」に手を出さないように気を付けるようにしています。これは私の過去の失敗の経験が役立っています。これを整理してみました。・仕事をさぼらない。与えられた仕事の最低限の責任を果たす。・ルールや習慣や決まりごとを無視しないできちんと守る。・約束はきちんと守る。ドタキャンはしない。・迷惑行為をしないように心がける。・暴言、暴力、喧嘩を控えるようにする。・早合点、先入観、決めつけ、思い込みで判断しない。・相手の話や行動を非難しない、否定しない。・叱責、拒否、脅迫、強制しない。・傾聴、共感、受容、許容の気持を持つ。・相手を無視しない。軽視しない。からかわない。・不平や不満をすぐに態度に出さない。しばらく我慢する、耐える。・しかめっ面、ふくれっ面を出さないようにする。笑顔を心がける。・自分の「かくあるべし」を相手に押し付けない。・気分本位、本能的、自己中心的な行動を抑える。・自分の自慢話、成功談を控える。
2024.08.16
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2日前からの続きです。フランクルの危機を脱出した人の特徴の3番目は次のようなものです。強制収容所では、自分も飢餓状態なのに、仲間に自分のパンを与え、絶えず温かい言葉をかけ続けた人がいたというのです。自己中心的な言動をとる人よりも、相手のことを思いやる気持ちを持っていた人のほうが生還には有利に働いていた。そして悲しいことですが、極限状態の人間は天使と悪魔に分かれてしまったと指摘している。さて、生きとし生けるものは、自分の生命を長生きさせることと子孫を残すことが最大のミッションであると言われています。その目的追及のためには、すべての生き物は自己中心的にならざるを得ません。相手の気持ちを忖度し過ぎると、すぐに足元をすくわれて、自らの生存を危うくする。しかし自己中心性が強くなり過ぎると、対立や紛争を生み出し、逆に生き延びることは極めて危うくなるというのも事実です。そのジレンマの狭間で苦悩しているのが人間の姿です。この問題を考える上でアドラーの共同体意識と孤独感の話が参考になります。アドラーはある集団の一員であるという感覚は、孤独感を癒し、心の安定をもたらすという。集談会に参加する人の中には、ほとんど発言しない人がいます。他の参加者の話を黙って聞いていることが多い人です。その方に聞いてみると、参加するだけで、その後1週間くらい精神が安定するということでした。学習仲間の輪に加わっているだけで孤独から逃れることができるのだと思われます。健康的な心の状態は、孤立することを避けて、絶えず社会との接点を模索することの中で成り立っているのかもしれません。岡田尊司氏によると、愛着障害を克服するためには、一つには、家族以外の人のなかから「心の安全基地」となりうる人を見つけることが大切になると言われています。自分を温かく迎え入れてくれ信頼できる人を見つけることです。集談会に参加している人は「心の安全基地」を確保している人が多いように思います。ここで岡田氏はもうひとつ重要なことを指摘している。自分のほうからも問題を抱えている人、あるいはペットでも観葉植物でも草花でも何でもいいのですが、「心の安全基地」となるべく努力をすることだと言われています。つまり、相手の悩みを聞いてあげたり、積極的に世話活動に取り組むということです。この2つに取り組むことで精神的な安定が保たれると指摘している。さて、「人の為に尽くす」というのは本音ではなく建て前であることが多い。建前でいくら叱咤激励しても途中で息切れしてしまいます。この関係を見直すことができれば、精神的な安定感をもたらすことが可能となります。これは「相手の為に尽くす」という行動を自分が取り組むべき課題にしてしまうということです。これは料理を提供する場合で考えてみるとよく分かります。値段に見合った料理を提供するというのは当たり前のことです。お客様の期待値以下の料理を出すと、低評価となりリピート客はやって来なくなります。お客様が想像していた通りの味、彩り、盛り付け、価格だと不平不満は起きないはずです。お客様はある程度は納得します。但しリピート客になるかどうかは不明です。次の段階として、行列ができる店、予約が取れない店があります。辺鄙なところでもネットで探してわざわざお客さんがやってきてくれる。こういうお店はとにかく味が群を抜いている。ここでしか食べられない。コストパフォーマンスが圧倒的である。ついお持ち帰りもしたくなる。つい知らない人に教えてあげたくなるようなお店です。こういうお店は、お客様に期待値以上の大きな驚きや感動を与えている。料理を提供する人は、お客様の喜ぶ姿を見るのが三度の飯よりもうれしい。来てくれたお客様をうれし涙を出すほど感動させたいと思っている。そういう目標を持って日々料理作りに向き合っている。その目的を達成するためには、どんな努力もいとわない。この段階になると、本音と建前が一致することになります。本音で生きている人は、積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができるようになり、精神状態は安定してきます。
2024.08.06
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「強情」な人は、森田先生が指導したとき、すぐにそれに取り組んでみようというのではなく、家に帰って考えてみると言う。つまり森田先生の指導を疑ってかかっているのです。シンクロナイズド・スイミング監督の井村雅代さんも同じことを指摘されている。私、高校生にこう言うんです。(手で三角形を作りながら)今、三角でしょ。「これ、私がマルって言ったら、「マル」って覚えなさい」って。「三角ですって主張するんじゃないの。他人の言った言葉にはまれって言うんです」「一度、人の言葉に100%騙されてその気持ちになりなさい」「これを私がマルだって教えたら「これがマルだ」と覚えなさい。「これがペケや」って教えたら、「マルやのに」って思わないで「これはペケだ」って覚えなさい」って。「そんな時がなかったら、あかんねん。自分のことばかり言うんじゃないの」シンクロナイズド・スイミングでは、選手が水上にあげた足の角度が自分の思っている角度と違っていることがよくあります。選手が30度だと思っていても、実際には15度だったということはよくあります。それは第三者から指摘してもらわないと自覚することはできません。実績のある先生や指導者に対しては、まずは我を捨てて全面的に寄り添ってみる態度が必要だということだと思います。自分の技術も能力も未熟なときに、先生や指導者のやり方を否定するようなことを言うのは問題です。武道の「守・離・破」でいえば、「守」の段階の時は、反発心が湧き上がっても、素直に先生や指導者に従う必要があります。まずは型を覚えることです。先生の型を完全コピーした後で、自分の考えやアイデアを取り入れるようにする。「守」を離れて、「離」「破」に進む基礎固めができるのです。この順序が逆になると「型なし」になります。発展性はありません。強情な人は、人間関係において、相手の気持ちや考えを真剣に聞くという態度が希薄になります。そんなことはお構いなしで真っ先に自分の気持ちや意見を述べてしまう。相手と話がかみ合わなくなります。時には口喧嘩に発展する。これは相手に「かくあるべし」を押し付けていることになります。相手を自由自在にコントロールすることにつながります。森田では傾聴、共感、受容、許容の態度を大事にしています。
2024.07.19
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対人恐怖症の人は他人が怖いという気持ちを持っています。そんなことはないでしょうといっても実際そうなのです。レバーが嫌いな人に栄養豊富だからレバニラ炒めを食べなさいと言われても食べることができない。豚足ほどうまいものはないと言われても、食べられないものは食れないのです。それと同じようなものです。そういう人は、基本的にはサンガクハタネズミのように単独行動のほうが性に合っているように思います。プレイリーハタネズミのように絶えず仲間とワイワイガヤガヤ楽しく付き合うことは、たまにはよいのですが、基本的には居心地が悪いのです。対人恐怖の人は個人でも楽しく過ごすノウハウをいろいろと蓄積していると思います。孤独でつまらない人生が待っていると決めつけてしまうのは違うと思います。心静かに自分を見つめて味わい深い人生を楽しむことができます。但し人間関係をすべて遮断して仙人のような生き方はできません。人間は社会的な生き物ですから、社会から完全に孤立してはいけませんし実際は不可能です。必要最低限の人間関係は維持する必要があります。人間関係には避けた方がよいものと避けてはいけないものがあります。それを整理して実行するように心がけることをお勧めします。人間関係には20対60対20の法則があると言われています。馬の合う人、馬の合わない人がそれぞれ20%、どちらでもない人が60%という法則です。馬の合う人は大切に取り扱う人があります。自分のことが嫌いという人はどうすることもできない。そういう人との人間関係を修復するのはあきらめた方がよいと思います。森田理論の不即不離の考え方に立つと、そういう人とは距離を置くしかない。問題はどちらでもない60%の人とどう付き合うかです。60%の人を敢えて敵に回してはいけないと思います。人間関係にはやってはいけないこととやらなければならないことがあります。これを学習して確実に実行していくと無難な付き合いが可能となります。一例をあげると、笑顔で挨拶をする。約束したことは確実に実行する。等々。詳しくは2022年9月13日の投稿記事をご参照ください。私は対人関係について、5対60対35と読み替えてえています。馬が合わない人が35%いても楽しく生きていけます。但し60%の人を敢えて敵に回すと実に95%の人と敵対することになります。生きづらくなります。とるべき戦略ではありません。注意すべきはどちらでもない60%の人とどういう人間関係を作り上げていくかにかかっています。当たり障りのない淡々とした人間関係を作り上げることです。森田理論の不即不離に加えて、人間関係でやってはいけないこととやらなければならないことの学習が必須となります。そして確実に実行していくことです。目的は人生を大いに楽しむことです。感謝の気持ちで幕を閉じたいものです。
2024.07.16
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緩和ケア医の大津秀一氏は「受容」という言葉は好きではないと言われています。「私はがんを受容しています」「私は失恋を受容しました」「僕は親父の死を受容しました」「私は離婚を受容しました」精神的に大きな痛手を受けた人がそう簡単に受容できるものでしょうか。安易に割り切って「受容」しますというのは違うような気がするのです。でもそれらを「受け止める」ことはできるでしょう。ネガティブな感情のすべて受け入れるのではなく、そういう事実があるのだと「受け止める」という気持ちを持つことはできます。私はそれを「同化」だと思っています。生物学的な「同化」は、ある物質から身体にとって必要な別の物質を体内で合成することを言います。不都合な事実をそのまま「受容」しているのではなく、「同化」してより身体にとって必要なものに変えていっているのです。(傾聴力 大津秀一 大和出版 参照)私たちは森田理論学習の中で、不安、恐怖、違和感、不快感などは欲望の裏返しとして発生しているものであるので、あるがままに「受容」することが大事であると学習しました。「受容」というのは暗黙の了解事項なのでそれを疑う人はいません。大津氏によると、「受容」とは、何が何でも「受容」するというのではなく、自分を第三者的な立場に置いて、不安を感じている自分を客観視することだと言われています。自分を客観的に見つめて、そのような感情に振り回されている自分を自覚するだけでよいのです。湧き上がってきた感情が良いとか悪いとかの価値判断は必要ありません。次に西村貴好さんは、共感の注意点について説明されています。共感する時は、共感に留めて、マイナスの同調まではしないことが大切です。例を挙げてみましょう。「○○さんに、こんなことを言われました」「あぁ、それは辛かったですね」これが共感です。「○○さんに、こんなことを言われました」「あぁ、それは辛かったね。○○さんはよくないわ」「○○さんはよくないわ」というのがマイナスの同調に当たります。マイナスの同調までしてしまうと、火に油が注がれ、マイナスの感情が山火事のように広がります。また○○さんを敵に回してしまうことにつながりかねません。共感に留めておくと、共感している相手のマイナスの炎がやがて鎮火してきます。(ほめ下手だから上手くいく 西村貴好 株式会社ユサブル)神経症で苦しんでいる人に、「しんどいですね」「辛そうですね」と同情してあげることは大切です。しかし現実的には「悩んでいるのはあなただけではないのよ」「森田では不安はあるがままに受け入れましょうと言っていますよ」「それより目の前のやるべきに手を付けましょう」などとアドバイスをしてしまいます。「早く仕事を見つけて仕事をしなさい」「正社員の仕事につきなさい」「仕事や学校へ行くのをさぼってはいけません」などとアドバイスされると、自分の居場所はここにはないのだなと思われてしまいます。
2024.07.05
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不安神経症の人と対人恐怖症の人は人間関係の対応方法がかなり違うように思います。不安神経症の方は突然死の恐怖が襲ってきてパニック状態になります。その時誰かが付添ってくれていれば安心できます。そのためには普段から他人が喜ぶようなことを見つけて実行している。不安神経症の人は明るく、人付き合いが比較的上手です。対人恐怖症の人は他人から評価される、一目置かれる存在になることに関心が高い。不安神経症の人のように人と仲良くして交流することを楽しむという気持ちは希薄です。そういう意味では自己中心的な人達です。対人恐怖症の人は本音の部分に他人が怖いという気持ちを持っているように思います。良好な人間関係を築いて維持するという側面が弱いように思います。反面一人で過ごすことは苦になりません。人生の楽しみ方を自分なりに見つけている。一つのことを掘り下げて、名人の域に達している人もいます。しかし他人との接触を完全に断って仙人のような生き方はできません。人間は社会的な生きものですから多かれ少なかれ人間関係がつきものです。では対人恐怖症の人はどんな気持ちで人と付き合っていけばよいのでしょうか。私は森田の不即不離をお勧めします。必要なときに、必要に応じて、必要なだけの付き合いをするということです。必然的に浅くて広い人間関係を目指すことになります。その前提に立って、どんなことに注意すればよいのかを考えてみました。1、笑顔での挨拶を欠かさないように心がける。2、しゃべりすぎないように心がけて、相手の話をよく聞く。3、約束や責任をきちんと果たす。ドタキャンはしない。3、弱点や欠点、ミスや失敗は隠さない、ごまかさない。4、相手を非難、否定、叱責、拒否、強制、無視しない。5、不平や不満、腹立たしさをすぐに相手にぶっつけない。6、「ありがとう」「助かります」という言葉を使うようにする。私たちは釣りバカ日誌のハマちゃんのような陽気でまわりの人を和やかにする能力は持ち合わせていません。でもこれくらいなら実行可能なのではないでしょうか。人間関係は20対60対20の法則があると聞きました。これは馬の合う人20%、馬の合わない人20%、どちらでもない人60%という意味です。肝心なことは、どちらでもない人を敢えて敵に回さないように心がけることです。潤滑油の切れた歯車を無理やり回転させるようなことは痛々しい。これだけ心がけるだけで人間関係で大きく躓くことは避けられます。
2024.06.03
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阿部亨先生は、人間関係には「車間距離」が必要だと言われています。車を運転しているときに、前の車にぴったりとくっついていると、前の車が急ブレーキをかけたときに追突してしまいます。特に高速道路では、仮に前の車が急ブレーキをかけても、衝突を回避できるだけの車間距離をとることが必要です。(森田療法ビデオ全集 第4巻 悩める人への生きるヒント 阿部亨 参照)これを人間関係に応用すると、特定の人に絶えずぴったりと寄り添うというのは考えものだということです。おしどり夫婦、無二の親友という状態は、とても響きの良い言葉ですが、それぞれの人間が意志や欲望を持っている限り、対立することは頻繁に起こりえます。その時相手に追随してピッタリ寄り添っていると、相思相愛の人間関係が、顔も見たくないという犬猿の仲に変わってしまうことがあります。利害が一致するときは共に行動し、対立したときは距離を置くようにすることが大事になります。人間関係のコツは「人間」という字が教えてくれています。人と人の関係は「間」(ま)が必要だということです。これは自動車でいえば、ハンドルが過敏に反応しないように「あそび」があるようなものです。緩衝帯が全くないと事故につながるので危険です。人と人との関係はくっつきすぎても離れすぎてもうまくいかない。くっつきすぎると支配・被支配、過保護、過干渉、共依存の関係になりやすい。離れすぎると孤独になり、一人寂しく生きていくしかなくなります。この人間関係作りは、森田では「不即不離」といいます。桂歌丸師匠曰く。「間」のいい落語家は、つまらない噺をやっても受けるが、「間」の悪い落語家はどんな面白い噺をやっても受けない。厄介なことに、弟子に噺を教えることはできますが、「間」を教えることはできない。私なんか、本当に「間」ができたのは、40歳を過ぎてからでした。北野たけしさんは、人間関係で「間」をはずすと、「魔」がその場をぶち壊しにすると言われています。人間関係の車間距離をとることがとても大事になるということだと思います。人間関係は必要なときに、必要に応じて、必要なだけの人間関係を心がけることが肝心です。親しすぎる人間関係も離れすぎる人間関係もどちらも問題がでてきます。森田でいう「不即不離」を活用すると人間関係の悩みは軽減できます。
2024.05.16
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アメリカでは、結婚する前に「プリナップ」と呼ばれる婚前契約を交わしてはじめて結婚するのが普通だそうだ。2019年2月16日の中国新聞によると、歌手のSILVAさん(43)は、 2015年に現在の夫である男性会社員と結婚した。そのときに34項目の婚前契約書を作成し、公正証書にしたという。2人ともいちど離婚した経験がある。「しっかりと決め事をせず、前の離婚のときにはもめてしまった。せっかく再婚するなら、失敗したくないという思いが強かった」そうだ。これによると、仕事、家事・育児の分担から、ギャンブルや浮気・借金の禁止、離婚時の親権や養育費まで多岐にわたる。その一部を見てみると、次のようなものがある。子供の学校行事は2人で出席する。趣味に2万円以上の支出をする場合は事前に相談する。外での飲酒は週2回までとする。暴力、不貞行為での離婚は、慰謝料を支払う。その場合親権は放棄する。毎年元日には契約内容をお互いに確認する。「帰宅時間を毎日連絡し、速やかに返信する」という項目は、災害時のことを考えた相手の要望で盛り込んだ。共働きであることを考慮し、義理の親の介護は「自発的に行い、強要はしない」ことにした。この契約書は一緒に作ったので、 「言った、言わない」の喧嘩にはならない。お互いに責任を持ち、尊重しあえる夫婦になれたそうだ。夫婦は結婚するまではお互いに見ず知らずの他人である。育ってきた環境や境遇も違う。性別も違うし、性格も異なる。その2人が結婚して、 1つ屋根の下で協力し合いながら一生涯生活を共にすることになる。そんな2人が子供を設けて、自立するまで育て上げるという共同作業も待っている。一方が相手を無理矢理コントロールするようなことがあってはならない。どんな些細な事でも、お互いの関係は平等であるべきだ。ののしり合いや暴力で解決するのではなく、お互いに妥協案を探るという姿勢が大事になる。すり合わせなしで、なし崩し的に結婚すると衝突することになります。現在は3組に1組は離婚しているそうです。離婚すると生活に支障をきたし、子どもにも大きな悪影響を与えます。SILVAさんのようにお互い十分に話し合いをして納得することはとても大事になります。その中でも最も重要なことは、お互いの考え方や行動が衝突したときにどのように解決するのかをしっかりと取り決めしておくことです。
2024.04.29
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東京の下町の金属加工の社長の岡野雅行氏は、従来の常識では不可能とされた金属加工を次々と成功させて、「神の手を持つ男」「不可能を可能にする男」と評された。ニューズウィーク誌では、「世界が尊敬する日本人100人」にも選ばれた。岡野雅行氏は情報収集能力がないと、会社の将来のかじ取りを誤ることになると言われています。例えば、「あの企業は海外に工場を出す準備を進めていて、3年後には大幅な値引きを要求してくるだろう」「あそこの企業は10年先を見すえて、こういう技術を求めている。それを開発したら、いくら高価でも買う用意があるらしい」「あの業界では、この技術は10年後には陳腐化することが見えているらしい。もうこの商売は見切り時だ」こういう情報は自分一人でいくら考えていても、出てこない。こういう情報はどこから出てくるのか。まず、大企業の第一線にいる人たちが持っている。技術がどんな方向に進んでいるのか、最新の素材開発はどんな段階なのか。また大企業の切実な悩みなども入ってくる。次に同業他社と付き合いのある仲間からの情報である。だから普段から密な付き合いをしておくことだ。さらに岡野氏は、開発で壁にぶち当たったとき、いつも、場違いな人とたくさん話をすることにしている。饅頭屋のおやじとか、時計屋のオヤジとか、樽屋の親父とか・・・。同業者じゃない人と話をするのだ。これって無駄話のようで、実は、知恵の蓄積になるのだ。「こうやって、樽はつくるのだな」っていう具合にね。ほんとうに貴重な情報というのは、あらたまった場で出てくることはまずない。遊んだり、飲んだり食べたり、ワイワイガヤガヤやっているときに突然出てくる。だから曲がりなりにも会社経営をしている人は、いろんな人と幅広く付き合って、情報収集を怠らないようにしなければいけない。自分の頭の中でいくら試行錯誤を繰り返しても、変化には対応できないのだ。岡野氏は森田理論の不即不離の人間関係のことを言われています。コップに一杯入った人間関係を5つぐらいというのではなく、コップに少しだけしか入っていない人間関係をたくさん作り上げるということです。必要なときに必要に応じて必要な範囲で付き合うということです。この人間関係作りを心がけていると、人間関係でトラブルが発生しても破滅することはありません。具体的には、会社の人間関係だけではなく、集談会の人間関係、趣味の会の人間関係、町内会の人間関係、子どもを通じての人間関係、同級生やOB会の人間関係も大事にすることです。役に立つ様々な情報が手に入るだけではなく、トラブルに巻き込まれた時多くの相談相手がいるので一安心です。奈良県 長谷寺
2024.04.28
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体の中ではがん細胞が毎日3000個ぐらいはできているという。免疫力という対抗手段が弱まると、がん細胞はどんどん増殖していく。実際には、ナチュラルキラー細胞が、日夜がん細胞に立ち向かって闘いを挑んでいる。何もしないでがん細胞を放置しているといずれ死を招く。私たちの身体は、白血球という軍隊を持っているようなものだ。白血球が日々緊張感を持って、ガン細胞と戦っているのが真実だ。ここでは勝つか負けるかしか選択肢はない。免疫力が弱くなると、ガンとの戦いに負けて命が絶たれてしまう。ここで大切なことは、私たちは意識していないが、白血球とガン細胞は日夜命をかけて戦い続けているということだ。絶えず緊張感を持って戦っている。これが自然界における真実だ。私たちは白血球が働きやすい環境を整えてあげることが重要になります。人間は元々強いものが弱い者に闘いを仕掛けて征服して支配したいという欲望が存在しているのかもしれない。最初は自己保存欲求から始めた戦いであったものが、相手を征服して、相手や相手の所有物を自分のものにしたいという欲望が暴走してしまうのだ。それに対抗する力を普段から鍛えて身に着けておくことは大事になります。そうしないと、すぐに相手に征服されて支配されるようなことになります。ある程度、相手と対等な立場で話し合いに臨むという姿勢が大切になります。譲ったり、譲られたりする中で、なんとか最悪の状態を回避しながら、お互いが生き延びていく道を探っていくことが肝心です。それぞれに意志を持った人間が一緒に生活している限り利害の衝突は必ず発生する。そういう前提に立って支配―被支配の関係に陥らないように緊張感を維持して生活することが肝心です。アドラーの言う縦の人間関係ではなく、対等な横の人間関係を作り上げて、それを維持していく必要があります。人間の場合は武力の行使ではなく、話し合い、交渉が必要になります。なかなか自分の思いどおりにはいかないでしょう。それでも話し合い、交渉が必要になります。妥協し、譲ったり譲られたりの人間関係を目指している限り他人に一方的にコントロールされることはなくなります。また自分も相手を意のままにコントロールしようとは考えなくなります。人間関係は絶えず緊張感を持って調和を心がけていくことが重要になります。
2024.04.27
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長谷川洋三先生はしゃべることを鍛えるよりも、相手の話を聞く技術を鍛えた方が人間関係がうまくいくといわれています。1、相手の話の腰を折らないこと。終わりまで聞くこと。2、相手の話を聞きながら、自分の悩み事やそのほかの雑念が去来することがあっても、そのままに、聞き続けること。3、話の内容に感心する点があったり、興味を覚えたりしたら、「よくなさったですね、大変だったでしょう」とか「そのお話、もう少しうかがいたい」とか言葉で表現すること。4、自分の知っていることでも、それを相手に気づかせないで聞くこと。5、相手の話を先回りして、知ったかぶりをしないこと。以上の点を、努めて実行すれば、必ず聞き上手になる。これなら意識すれば誰でも実行できるのではないでしょうか。これ以外に私が特に意識していることがあります。それは仕事など他のことをしながら相手の話を聞き流すことです。今やっていることを中断して、きちんと相手に顔を向けて聞くことです。その他参考になる過去の投稿記事をご紹介しておきます。・相手の話を聞くということは、相手の発言の全てに同意することではありません。相手の話をとりあえず受けとめましたということです。(2019年10月19日)・相手に70%しゃべらせて、自分の話したいことは30%に抑える。(2019年6月29日)・「要するに」「まとめると」「結論を言いなさい」「いったい何を言いたいのだ。全く分からない」「君の言いたいことはこういうことなのだろう」「時間がないのだ。手短に話してくれ」「君の話を聞いているとイライラする」などという言葉は禁句です。(2017年1月31日)玄宮園と彦根城
2024.04.13
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森田先生は「人の為に尽くしなさい」とは言われてはいないようです。自分がどんなに変に思われようとも、「人の役に立つことをしなさい」と言われています。この二つの言葉は同じような言葉ですが大きく違います。今日はこの問題を取り上げてみました。「人の為に尽くす」というのは、誤解を生みやすい言葉だと思います。「人」と「為」をくっつけると「偽」(いつわり)という字になります。つまり偽物(にせもの)になるということです。やっている本人は他人のために尽くしたと思っているが、実際には親切の押しつけになっていることがあります。しかも本人がそのことにそのことに気にが付いていないことが多い。集談会で「小さな親切大きなお世話」と聞いたことがあります。やっている本人は人の為という思いがあるが、相手はありがた迷惑に思っている。煩わしいから放っておいてほしいという気持ちになるのです。森田初心者の話を親身になって聞かないで、いきなり森田理論の解説をしているような場合です。それよりも私の悩みをもっと聞いてほしいという気持ちなのでしょう。これに対して人の役に立つということは、困った問題を抱えた人に対して、労力やお金やサービスを提供して援助してあげるということになります。この場合は困っている人や問題や状況がよく見えています。相手が困っているときに必要な範囲の援助ができていることになります。人の役に立つことをするために効果が上がる方法があります。商品を購入する、サービスの提供を受ける場合、対価に見合ったものを期待するのは当然なことです。しかし最低限の対価の提供をすればよいと考えて仕事をしていると、お客様の期待値を下回るような仕事ぶりになりやすい。これは森田先生によると「お使い根性」の仕事ぶりということになります。これに対してテレビで取り上げられるような行列ができる繁盛店があります。こういうお店はお客様の期待値をはるかに越えた商品やサービスの提供ができています。コストパフォーマンスが優れているから口コミで拡散しているのです。ここに人の役に立つことを実行するヒントが隠されているように思います。お客様に「ありがとう」と言われるような商品やサービスの提供を心がけていると、ときには相手から感謝されるようなことが起きます。相手の喜ぶ顔が見たい、相手を感動させてみたいという目標を持っていると、思わぬ波及効果があるのです。まず、仕事に対して意欲的に取り組むことができます。さらに、行動に弾みがついて、ますます積極的、意欲的、創造的になります。仕事はイヤイヤやるものではなく楽しいものだ、自分を成長させてくれるものだと思えるようになります。この考え方に賛同される方は是非とも実際に検証してみて下さい。
2024.04.12
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私はマンションの管理人の仕事をしていますが、先日転居された居室の全面改修工事がありました。その時施工会社に対するトラブルが頻発して、居住者から数多くのクレーム寄せられました。クレームの多くは未然に防ぐことができるものばかりでした。良好な人間関係作りに関係することなので取り上げてみました。問題点は次のようなものでした。1、事前に施工業者から工事予定表が出てきました。これによると工期は40日間となっていました。ところが実際には70日間かかりました。新たな届け出もしないでなし崩し的に30日間も延長されました。工期が延びるということは、その間マンション内に職人が出入りして、騒音を出すことになります。来客用駐車場、共用トイレ、エレベーター、解放廊下を使用することになり、居住者から多くのクレームがでました。2、養生をきちんとしてもらうように依頼しましたが十分とはいえませんでした。工事期間中は、廃材を持ち出し、大量の資材を搬入します。きちんと養生をしていないので、エレベーターホールの壁を傷つけました。エントランスのタイルも割れました。泥のついた靴で出入りするので解放廊下がかなり汚れました。特に側溝はゴミだらけになりました。再度やり直してもらうように依頼しましたが無視されました。仕方なく管理人や居住者が養生をやり直しました。3、当マンションには来客用駐車場が2台あります。工事期間中、工事車両は1台だけは許可していました。ところが気がつかないうちに無断で2台駐車している。それも一日中です。時には駐車禁止場所にも駐車している。来客者が有料の駐車場を利用しなければいけない状況になりました。車両のフロントまわりに行き先と駐車時間、使用者の名前、電話番号を書いた紙を置くようにお願いしていましたが無視していました。4、工期が長い施工業者は自前のトイレをレンタルして設置することが多い。今回の業者はマンション内の共用トイレを自由自在に使用している。トイレットペーパーも使い放題で、さらにトイレ内を汚してそのまま放置している。5、マンションに出入りする時は、訪問先や要件や訪問時間を届けることになっています。不特定多数の人が勝手にマンション内に出入りしているとトラブルになるからです。この業者は何度説明してもすぐに無視していました。6、長い工事なのに、工事予定の掲示板を設置していない。そのために今日の作業内容がわからない。突然電動工具を使い騒音を出すのですぐにクレームになる。またクレームを受け付けるポストも設置していませんでした。私が施工業者になったつもりで、クレームを回避する方法を考えてみました。1、相手と一旦約束した工事予定はできるだけ守るという姿勢が大事になる。いったん決めた約束を勝手に破ると、人間関係はすぐに悪化すると思う。特に騒音問題は居住者の反感を買う。2、笑顔での挨拶を無視していると人間関係はすぐに悪化する。そして陰で悪いうわさ話をされるようになる。一旦壊れた人間関係はなかなか元には戻らないと思う。3、報告、連絡、相談はこまめに行うことが必要だと思います。特に工事予定表の掲示板を設置して情報を知らせることが必要になります。これを無視すると相手が疑心暗鬼になって、人間関係は対立するようになる。4、他人のものを利用させてもらうときは許可をとってからにする。また許可の範囲を超えて勝手に使用してはいけないと思う。工事業者はマンションを使わせてもらっているという意識を持たないとトラブルになると思う。養生やトイレや駐車場の使用は許可をとることが必要になる。使わせてもらうときは、丁寧に使用し、使用後は必ず原状復帰を行う。もし許可が得られないときは、それに代わる方法を別途自分たちで探す。この4点を心がけるだけでやたらと敵を作ることを防ぐことができると思う。簡単なことばかりだが、基本を無視すると周りが敵ばかりという状態になる。多くの人を敵に回すと周り廻って自分が苦しむことになると思う。
2024.04.02
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藤沢周平作品に「浦島」というのがある。会社の中での人間関係で苦しんでいる人には共感できる小説です。主人公御手洗孫六は、18年前は勘定奉行(今でいう経理課)に努めていた。そこで酒が絡んだ失策を犯し、普請組(用度課)に配置転換させられた。左遷させられたのである。さらに大切な家禄を30石から25石に削られた。内職しないと生活できなくなった。一人娘の結婚にもからむ話になった。住んでいた家は今までよりも粗末なところに転居させられた。その失策というのが、藩が参勤交代の費用を富商の献金で賄うことにした。御手洗孫六は以前から懇意の美濃屋善兵衛の店に依頼に行った。過去にその店の窮地を救済してやった関係から協力的であったのだ。その時義理堅い美濃屋は無類の酒好きの孫六に酒を勧めた。酔いつぶれた孫六は不覚にも美濃屋からの献金30両のうち10両を紛失したのだ。その不手際の責任を取らされて左遷させられたのだ。その献金は職場に戻った時同僚に盗まれたということが18年経って判明した。藩は処分を取り消して孫六を元の勘定方に戻し、石高も元の30石に戻すことにした。住まいも以前並みの住居を用意することにした。本来ならめでたしというところだ。孫六は配置換えされてから18年間も普請組の仕事を続けていた。石高は減らされたが、今の仕事に十分満足していたので大いに戸惑った。結局藩の好意を受け入れて、勘定方の仕事に復帰したが、勘定方の同僚は出戻りの孫六を歓迎しなかった。同僚たちは孫六を厄介扱いし、書類を隠したり、大事な受取書をちり箱に捨て、あとでそれを取りだして見せたりした。またあるときは帳簿の表紙と中身が取り換えられていたこともあった。さらに長い留守の間に帳付けの方法も変わってしまっていて、孫六はいちいち辞を低くして若い同僚にたずねないと一歩も仕事がすすまない状態であった。そして、昔は得意だった算盤も、力仕事のために芋虫のように太くなった指にはなかなか馴染めず、たどたどしい指の運びは職場の笑いものになった。親しかった者が残っていたら、もう少し事情は違っただろうが、昔の同僚が3人は残っているものの、彼らは孫六と親しく付き合った人間ではなかった。次第に孫六は酒屋でうさを晴らすようになった。その飲み屋で偶然出会った同僚たちと問題行動を起こして、職場には居づらくなってしまう。このような話は会社勤めをされている方は大なり小なり経験されている方がいらっしゃるのではないだろうか。現在営業されている方は過酷なノルマを押し付けられて、目標未達の場合は営業会議などで叱責される。目標管理シートなどを作成させられて、仕事ぶりをきびしく査定される。キャパを越えた仕事をこなすために土曜日、日曜日も出勤することがある。有休休暇は法律によって取得が義務つけられているが、計画通りには取得できない。会社の人間関係は利害が衝突することが多く気が休まらない。昇格してマネージャーになっても、成績が上がらなければすぐに左遷や窓際族、退職勧奨を受ける。ストレスで心身ともに病んでしまう人もいる。ましてや神経症を抱えての会社勤めはつらい。私の場合もまさにそんな状態でした。なんとか定年近くまで働くことができたのは、集談会の仲間同士で励まし合って来たからだと思っています。集談会を越えた仲間と知り合えたのも大きかった。それと仕事以外の楽しみを見つけて息抜きをしていたことがよかったと思います。釣り、テニス、スキー、トライアスロン、資格試験への挑戦、第九合唱団への参加、集談会での世話活動、自家用野菜作り、一人一芸への取り組み、観光地巡りなどです。それから苦しいときにはその苦しみを癒してくれるお気に入りの映画、DVD、音楽、ユーモア小話作りと収集、読書の楽しみを持っていたのが大きかった。この内容の一部は2022年4月14日に投稿しました。小説では藤沢周平氏の小説には癒されました。藤沢周平氏は肺結核で長らく療養生活を送っています。人の心の痛みがよく分かっている小説家だと思います。特に小林一茶や長塚節の一生(白き瓶)を描いた小説には癒されました。それから樹木希林さん、宇野千代さんの人生観に接して生き方を見直すことができました。職場での仕事や人間関係の悩みにどっぷりつかっていたら、多分途中で人生をあきらめていただろうと思います。
2024.03.21
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1、私たちの日常生活は積極的に行動した方がよいものがあります。2、反対にどんなに誘惑に負けそうになっても我慢した方がよいものがあります。3、その区分けをして、きちんと実行すれば問題行動は起きないはずです。私の場合、積極的に行動しなくてはならない時に何もしていない。反対に我慢しなくてはならない時に誘惑に負けて問題行動を引き起こしている。今日は人間関係の面からこの問題を掘り下げてみました。積極的に行動した方がよいものとして、「あいさつ」をきちんとするということがあります。いくら嫌いな人でも、会社ではきちんと笑顔で挨拶をする。これは社会人としてあたりまえのことですが、できていない場合があります。これをしないということになると、作らなくてもよい敵を作ることになります。お客様がお見えになったら、笑顔で「あいさつ」をして対応する。仕事が終わって帰るときは「お先に失礼します」と仕事をしている人に声を掛ける。「あいさつ」は人間関係の潤滑油のようなものです。「あいさつ」はこちらから積極的にすることが肝心です。笑顔で「あいさつ」をしても、無視する人もいますが、それは仕方ないことです。潤滑油が切れてしまうと、人間関係はすぐにぎくしゃくしてしまいます。儀礼的なことでは、親戚や友人や知人に不幸があったら、香典を用意して万難を排して葬儀に参列する。結婚式は欠席してもよいが、告別式は必ず出席しないといけないと聞いたことがあります。私の経験では、これを軽視ないし無視するとその後の付き合いに悪影響がでます。相手と一旦約束したら、その約束をきちんと守ることが大切になります。約束を守らないと相手の予定が狂ってしまいます。うっかりして忘れていたというのは、相手を粗末に扱っていることになります。きちんとカレンダーに書いて忘れないように心がけるようにする。基本的に別の用事が入ったからと断ることは許されることではありません。気分本位でドタキャンすることは、それだけで信用が地に落ちてしまいます。相手の話を聞く時に他の用事をしながら、パソコンやスマホを操作しながら、テレビや新聞や雑誌を見ながらというのもいただけません。相手にしてみると、この人に相談しても仕方ないと思われてしまいます。相手の顔を見て、あいづちを打ちながら聞くようにしたいものです。自分のしゃべりたいことを一方的にまくしたてられると、たとえそれが正論であっても嫌悪感をもたらします。それよりも相手の気持ちや考え方を聞くことを優先したいものです。森田の学習会では傾聴、共感、受容、許容が欠かせないと言われています。森田的なアドバイスをしたくなっても、相手との信頼関係ができて、相手の成長段階に応じて行うことが大切になります。自分の正直な気持ちを相手にそのまま伝える人がいます。たとえば、物忘れが増えてきた人に、「あなたはボケが始まっているね」などと言う。相手がその言葉を聞いてどんな気持ちになるのか全く考えていない。森田では人情から出発することが大切だと言われています。我慢した方がよいこととして、叱責される、非難される、無視される、自尊心を傷つけられたとき、売り言葉に買い言葉で暴言を吐くことがあります。森田では感情と行動は別物として取り扱うという考え方です。心の中が時化でどんなに荒れ狂っていても、怒りを吐き出すことはがまんする必要があります。せめて5分間だけ我慢する。席を外してトイレに逃げ込む。感情の法則では時間が経てばどんなに激しい感情でもしだいに鎮静化してくるといいます。神経質性格の人は、ちょっとした不快感に耐えるということが苦手なのだと思われますが、この点は意識しないと周りは敵だらけということになります。人間関係は気の合う人20%、気の合わない人20%、どちらでもない人60%と聞いたことがあります。積極的に行動した方がよいことを実行し、してはならないことを我慢するだけで60%の人を敢えて敵に回すことはなくなると思われます。人間関係には控えた方がよいことと積極的に行動すべき点があることを自覚して着実に実行に移していきたいものです。
2024.03.19
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他人から「かくあるべし」を押し付けたとき、どのように対応したらよいのかを考えてみました。例えば、自分が気にしている弱点や欠点を取り上げて非難した。他人がバカにするようなことを口にした。自分のことを無視した。からかった。みんなの前でミスや失敗を取り上げて叱責した。笑いものにした。等々。相手に悪気がなくても、とても腹だたしい気持ちになります。そんなとき、すぐ感情を爆発させて応戦したことはないでしょうか。これは目には目を、歯には歯をというやり方です。人間関係はすぐに破綻します。一旦破綻してしまうと元に戻すことは難しくなります。これは相手が「かくあるべし」を押し付けたときに、自分も相手に「かくあるべし」を押し付けていることになります。双方が「かくあるべし」を押し付け合っているために戦闘モードになります。相手の「かくあるべし」を押し付けることは止めさせることはできません。一方自分が相手に「かくあるべし」を押し付けることを止めることはできます。「かくあるべし」の反対は、事実をあるがままに受け入れることです。せっかく森田理論を学習したのですから、活用・応用するようにしましょう。まず感情の法則の応用です。どんなに腹だしい感情もそのまま放任し、またはその自然発動のままに従えば、その経過は山形の経過をなし、ひと昇りひと降りして、ついに消失するものであるといいます。時間が経過するとともにどんなに腹立たしい感情も薄まってきます。ここで森田理論は時間稼ぎをすることを教えてくれています。この法則を活用しない手はありません。逆に、腹立たしい感情をつつきまわして刺激していると、その怒りの感情は火に油を注ぐようなことになり、修復不可能となってしまいます。次に森田理論に「不即不離」というのがあります。人間関係は必要なときに必要に応じて近づいたり離れたりしているというものです。普通の人はこれが臨機応変、自由自在にできているのです。これができていない人は相手と対立的で険悪な状態の時に敢えて近づいてしまうのです。距離を置くべきときと近づいてもよいときの区別がついていないのが問題です。例えば目の前に毒蛇がいるとします。自分で駆除できれば何とかなります。自分で駆除できなければその場から急いで逃げる必要があります。棒きれで追い払おうとすることは大変危険です。駆除できる人を探してまかせることが肝心です。不快な感情を抑えられないときは、「ちょっと腹が痛くなったのでトイレに行ってきます」といって席を外すことはできるのではないでしょうか。近づきすぎるとつい言わなくてもよいようなことを口にしてしまいます。これが修復不可能な大問題に発展してしまうのです。これだけのことを意識して実行するだけで、犬猿の仲になることを回避できます。
2024.03.09
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人間関係で注意したいことを取り上げてみました。1、腹が立つなどの不快な感情は池のなかを泳ぐ鯉のように自由に泳がしておく。きちんと向き合うようにする。その感情がいいとか悪いとかの価値判断はしないようにする。どんなマイナス感情でも自然現象ですから、是非善悪の価値評価をしても意味がありません。私はマンションの理事会の書記をしています。別の用事があって理事会に出席できないことがありました。副書記の方に私の代わりに議事録を作成してくれるように頼みました。その方はいろいろ理由をつけて難しいといわれるのです。私はそれを聞いて腹が立ちました。副書記の役割を果してほしいと思いました。但しそれを口にすることはしませんでした。5分程度その感情を自由に泳がしてみたのです。時間が経つと冷静になれました。客観的な立場に立つことができました。そうか、副書記の人はパソコンを持っていないと聞いたような気がする。それならパソコンが出来る理事長に頼んでみようか。それよりももっと良い方法がある。手書きしてもらってあとで私がパソコンで清書すればいいのではないか。録音機もあるので理事会の模様を録音して、後で議事録を作ることもできる。これで波風が立つことなく、この問題は解決した。2、行動の原則に「感情と行動は別物」として取り扱うというのがあります。「森田理論学習の要点」の「行動の原則」の9項目目に書いてあります。これを意識して、役者が上手に演技をするように、心の手の内をさらけ出さないように心がける。これを取り入れないと潤滑油の切れた歯車のように人間関係がギスギスする。飲み物でも熱すぎると飲むことは不可能です。少し時間をかけて冷ますと、火傷をすることはありません。売り言葉に買い言葉の対応はとても危険です。3、相手が気を悪くするかもしれないと思った時は、口外しないように我慢する。たとえば、「あなたはさっきから何回も同じことを言っている。ボケてきたんじゃないですか」などと言ってはならない。心の中で感じたままにしておくことだ。このことを森田先生は人情から出発すると言われています。4、話し名人よりも、聞き名人を目指す。知っていることでも、相手から教えてもらうようにした方がよい。相手の話を聞くのが7割、自分の発言は3割に抑えるくらいの気持ちでやっとバランスがとれる。多少言い足りなかったなというぐらいがちょうどよい。5、相手の話を聞く時はきちんと正対して聞くようにする。別のことを考え、ほかのことをしながら聞くことは控える。相手に顔を向けて、うなずいたり、相手の話を復唱しながら聞く。
2024.03.08
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1月号の生活の発見誌(72ページ)に「感謝に気づくことは治ることへの近道です」とあります。感謝を心がけることで神経症が治るとはどういう事でしょうか。普通に考えると、人に何かをもらったとき、親切な言葉がけをしてもらったとき、親切なことをしてもらったときに「ありがとうございます」という「感謝」の言葉が出てくるように思います。これを普段の生活習慣として定着することが大切だと言われているように思います。感謝で思い出すのは、1週間の集中内観療法を受けた人に聞くと、感謝の気持ちが自然に湧き出てくるということでした。内観療法は、してあげたこと、してもらったこと、迷惑をかけたことを母親、父親、兄弟姉妹、祖父母など身近な人から、期間を区切って思い出して自分と対話することです。終わるころになると、してもらったことや迷惑をかけことが次々に思い出されて感謝の気持ちが湧き出てくるということでした。ところが普段の生活に戻るとその時の感謝の気持ちはどんどん薄まってしまうそうです。毎日時間を決めて日常内観をしないと元の木阿弥になるということでした。人間は意識しないと感謝するよりも不平、不満、グチをこぼす生き物なのかもしれません。1月号の生活の発見誌では「感謝の反対は、当たり前」と気にも留めなくなる態度のことだと説明されていました。普段人間に生まれたこと。戦争のない国に生まれたこと。食べるものに困らない生活。目が見える、耳が聞こえる、口が利ける、両手が使える、両足で歩けることに感謝することは忘れています。あたりまえのことには目もくれず、ないものや不足しているものに注意や意識を向けています。森田先生はお母さんから何かを欲しくなったとき、下の人を見なさいと言われたという。不幸な境遇にある人を見つめると感謝の気持ちが湧いてくるということではないでしょうか。この記事では星野富弘氏や中村久子氏の半生記が参考になるといわれていました。お二人とも極めて不自由な体であり、自分の両手が使えず、両足で歩くこともできない。それらを否定するのではなく、できることに光を当てて懸命に生きておられます。この方は毎日感謝できることを3つ書き出すことを提案されています。これを1か月間続ける。書き出したら最後にそのひとつひとつに「ありがとう」を3回言います。そうすると感謝の気持ちはさらに深まるといわれていました。太陽の光に対して、とても感謝しています。お陰様で、気持ちが明るくなります。お世話になった方々へ感謝する。花や緑に、食べ物に、空気に、森田療法に感謝・・・。様々なことを思い出して書いているうちに、自分がいかに恵まれた生活をしているかに気づくことができました。私は毎日仏壇の前に正座して、ご先祖様に感謝の言葉を読み上げています。その内容は2022年7月24日に投稿しました。意識して「今日の感謝の言葉」を唱えないと、毎日不平不満や愚痴を口にし、態度に表わすようになると思っています。
2024.03.04
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人間関係には、20%、60%、20%の法則があると言われます。これは自分と馬の合わない人が20%程度いる。反対に和気あいあいで、気が合う人が20%くらいいる。後の60%の人は好きでも嫌いでもない人達がいるというものです。馬の合わない人は森田理論の不即不離を活用して、必要最低限の付き合いをするだけで十分だと思います。敢えてあまり近づきすぎないようにした方がよい。馬の合う人はこれからも大事にしたいものです。馬の合う人は誰にもいます。私にはそんな人は一人もいないという人は身近な人を思い出してみることです。さて人間関係で注意したいことは、好きでも嫌いでもない人たちとどう付き合うかです。その人たちを敵に回してしまうと、馬の合わない人が80%になってしまいます。これは何としても避けたいところです。ではどうすればよいのでしょうか。人間関係には「やってはいけないこと」があります。その一方「やらなければいけないこと」もあります。それを意識して実行するだけで、人間関係で多くの敵を作り出すことを未然に防ぐことができます。これには多少の努力が必要です。努力すれば60%の人を敢えて敵に回すことがなくなります。人間関係のバランスが取れてきますのでぜひとも実行していきましょう。絶対にやってはいけないこと・挨拶をしない。・怒り、不平不満の感情をそのまま態度に出す。・約束を守らない。ドタキャンをする。・相手の欠点、弱み、ミス、失敗を非難する。否定する。・相手のことをからかう、無視する、仲間外れにする。・葬式や法事に行かない。・相手の話を聞かないで自分のことばかり話す。・お金をごまかす。酒癖、女癖が悪い。ギャンブルに手を出す。・言い訳、ごまかし、責任転嫁をする。事実を隠そうとする。ぜひともやった方がよいこと・きちんと笑顔で挨拶をする。・怒りや不平不満やグチを言わない。・言いたいことがあっても、まずは相手の気持ちを聞く。・考え方の違いがあった時は、冷静になって対応する。・自分の気持は「私メッセージ」の手法で伝える。・事実を指摘すると相手が気分を悪くすることは決して口にしない。・相手の優れているところ、努力しているところを評価する。ほめる。
2024.02.25
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明治安田生命が2019年10月に行った調査によると、今度生まれ変わった時今の配偶者と結婚したいと思われますかという質問に対して、男性の53.7%が「そうだ」と答えたそうです。女性の場合は39.4%と低下している。興味深いことは、夫婦仲が円満でない場合その割合は7%に下がっているという。配偶者の容姿、能力、気配り、貢献度が物足りない、不足していると考えている場合、今度生まれ変わって結婚する時は、自分にふさわしい人を見つけたいと思っているようです。こういう人は、自分の持っているもの、容姿、性格、能力、境遇、運命などに対しても不平不満を抱きやすい傾向があるように思います。完全主義、完璧主義の気持ちが強すぎて、減点主義の考え方になっています。反対に今の自分に満足している人は、また生まれ変わっても今の配偶者とどこかでめぐり合いたいと考えているのではなかろうか。現実や現状を受け入れて、自分の出来る事、興味や関心のあることを手掛けている人は加点主義の考え方を持っている人です。こういう人は上から下目線で自分や他人を否定することがありません。そこに投入するエネルギーを生の欲望の発揮に振り向けることができる人です。森田に物の性を尽くすという言葉があります。これは、物の性を尽くすだけではなく、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすことにつながります。物や人の持っている存在価値や能力を評価して、居場所を与えて最大限に活用し尽くすという考え方です。こういう考え方になれば、配偶者に対しても、居場所や活躍の場を与えて、不足する部分は協力し合う関係が生まれるのではなかろうか。夫婦の絆はますます強固になり、子供にもよい影響を与えます。この物の性を尽くすというのは、一つものにすれば、他のことも芋づる式に身に着けることが可能となります。
2024.02.17
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アメリカでは子供が悪いことをすると家に閉じ込めてしまう。外に出て自由に行動することを制限する。あるいは禁止する。アメリカの子どもは、拘束されて、自由を失うことを苦痛に感じるという。日本の場合は、逆に子供が悪いことをすると家から外に放り出してしまう。勘当して孤立させてしまうのが最大のお仕置きになるのです。面倒を見ない。無視する。世話をしない。援助しない。保護しない。仲間として認めない。家族と認めない。子供を見放してしまうのである。好き勝手にしなさい。どうせ最後には泣きついてくることになるのだから。日本では社会で孤立することは社会的な死を意味する。この考え方は、子供の頃から骨身に焼き付いている。子供の頃から極力自己主張を抑えて、人の顔色を気にしなから生きていくようになる。積極的、生産的、建設的、創造的な生き方よりも、良好な人間関係を築き上げることが唯一最大の目的になりやすい。アメリカの社会は過酷です。基本的に相互扶助の考え方はない。自分の生活は自分の責任で守るという自己責任の考え方です。自由でなんでもありという社会は、落ちこぼれても誰も助けてくれません。貧富の差が激しくなり、大勢の人は生きていくだけで精一杯になる。先進国なのに日本のような手厚い健康保険制度はないのです。日本では護送船団方式という相互扶助の考え方がありました。社会から落ちこぼれそうな人がいたら、みんなで助け合って守っていくという考え方です。自立することよりも、人間関係の輪を壊さないように配慮することが大切になる。少々の不平不満はがまんする。反社会的な行動は絶対に許されない。人間関係を毀損するような重大な事件を起こすと、二度と復活することはできなくなる。その結果日本人は対人恐怖症や社会不安障害を抱える人が多くなります。仕事では良好な人間関係を築くことを最大の目標にするようになる。自分の気持ち、意志、欲求を抑圧して、過度に他人を思いやる生き方はしんどいです。それは自分の本音や潜在意識を軽視・無視してしまうからだと思います。対人関係で気を付けたいことはどんなことでしょうか。森田では自己主張したいときは、まず相手の気持ちや意志を確認する必要があるといいます。そのうえで自分の気持や意思や欲求を相手に伝える。双方の間にはかみ合わない溝があることが多い。その溝を埋めるために話し合い、妥協、譲り合いの気持が欠かせない。相手に自分の「かくあるべし」を押し付けるのではなく、お互いがwin winの関係になれるように交渉していく。これは面倒でしんどい作業となりますが、この作業を怠ると、人間関係はうまくいかなくなります。次に森田の不即不離を応用することをお勧めしたい。近づきすぎず、離れすぎない人間関係を築くことである。イメージとしては、コップ一杯の人間関係を5つくらいというよりは、コップに少しだけの人間関係を30個くらい作るような気持ちを持つということです。対人関係に問題を抱えている人はその距離の持ち方が逆になっている。人間関係が悪くなると過度にかかわろうとしてしまう。怒り、不平不満が発生するとすぐに態度に出す。相手の気持ちを逆なでするようなことを平気で口にする。不即不離ができるようになると、必要な時に、必要に応じて、必要なだけの付き合いができるようになります。足摺岬灯台
2024.01.19
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臨床心理士の東山紘久氏のお話です。プロのカウンセラーは1日8時間から12時間も人の話を聞いています。体力的には疲れる仕事ですが、精神的にはそんなに疲れません。それは相手の話を聞く技術を持っているからです。あるマンガの話ばかりを熱心にする来談者がいたとしましょう。プロのカウンセラーは、そのマンガの内容にはそれほど関心はありません。マンガが好きという来談者のものの考え方や感じ方に興味があるのです。この来談者はどうしてそれほどマンガに惹かれるのだろうかという問題意識を持って話を聞いているのです。その場合でも、「どうしてあなたはそんなにこのマンガが好きなのですか」と質問はしません。来談者自身もどうしてそのマンガが好きなのか分かっていないことの方が多いのです。本人がわからないことを質問するのはムダというものです。それを聞かないで理解するのがカウンセラーの仕事なのです。だからカウンセラーは、本人といっしょになってその理由を考えていくのです。来談者のマンガの話を一生懸命聞いていますと、だんだんわかってくるのです。マンガの主人公と本人の境遇や希望が似ているので、というようなすぐにわかることもありますが、通常はもっと深いところでの心のつながりがあるのです。深いつながりまでわかるためには、話し手の語る波に乗りながら聞いていくのが大切です。話題の内容だけではなく、話し手が語る感情や態度に乗れるように聞ければ、あなたの聞き上手も中級を卒業です。(プロカウンセラーの聞く技術 東山紘久 創元社 87ページ 159ページ参照)ある相談者が「この会社の上司はバカばっかりだ」と言ったとします。普通は、「立派な上司もいますよ」と反論したくなります。しかしこれは、聞くモードではなく、違和感のぶんだけ反発モードになっています。反発モードで話を聞いていますと、相手が十分話せないだけではなく、聞く側も精神的に疲れます。この言葉からこの相談者が抱えている心の深層に迫ることが大事になります。たとえば次のような問題を抱えていることが予想されます。・何か上司とトラブルを抱えているのではないか。・幼少時の愛着障害を抱えているのではないか。・人間関係を悪化させるような発言や行動をしているのではないか。・仕事に対する情熱を失っているのではないか。・仕事の内容に問題を抱えているのではないか。・転職を考えているのではないか。・家族の人間関係に問題を抱えているのではないか。・他に何か生活上のトラブルを抱えているのではないか。・心身の健康上の問題を抱えているのではないか。原因は複雑に絡み合っていることが予想されます。それをいっしょに考えてみようという気持ちがあれば、相談者の話を親身になって聞くことができるようになります。信頼感が深まれば、相談者も心の悩みをより詳細に打ち明けてくれるようになります。そして自分で抱えていた問題をみずから自覚できるようになります。問題が明確になれば自分自身で対策が立てられるようになります。集談会でもこのような気持ちで相手の話を聞くようにしたいものです。
2024.01.18
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スポーツは勝ち負けを競います。勝ち負けのないスポーツはワサビのない刺身を食べるようなものです。勝てば鼻高々、負ければ意気消沈します。しかし人間関係では勝ち負けを競うのは考えものです。例えば、家族で旅行に行くときに、お父さんが「みんなで京都の紅葉を見に行こう」と決めたところで家族みんなが賛同してくれるとは限りません。「観光地は他人がいっぱいで疲れるだけだよ」「それよりディズニーランドへ行きたい」「温泉旅館でゆっくりしたい」など思いはいろいろです。無理やり家族を説得して出かけてもトラブルが絶えないということになります。家族で食事に行くときもそうです。自分が好きなものを食べるために、無理やり同行させてもすっきりと収まりません。「勝負なし法」というのは、人間が二人集まれば、意見の違いは必ず発生するという前提に立っています。特に自己主張の激しい人同士の場合は、何かにつけて衝突します。こういう場合は話し合いによって折衷案、妥協案を探るというものです。「勝負なし法」のやり方は次の6つです。1、まず相手と何について対立しているかをはっきりさせます。2、二人でいろんな解決策を出し合います。3、それぞれについて検討します。4、その中から一つを選び出します。5、実行方法を考えます。6、その後の経過をみて、必要なら見直します。具体的な例で説明します。外が寒いのに子どもが薄着で遊びに行こうとしています。母 寒いからジャンバーを着ていきなさい。子 寒くないよ。それにあのジャンバーは大きすぎて動きにくいんだ。母 でも風邪が流行っているから、お母さんは心配なのよ。子 じゃジャンバー以外のものを出してよ。母 何がいいかな。子 白いセーターがいい。あれを出してよ。母 そうそうセーターがいいよね。「勝負なし法」を人間関係に取り入れると、相手の気持ちを尊重することができようになります。自分の「かくあるべし」を無理やり相手に押し付けることがなくなります。
2024.01.16
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矢野惣一氏のお話です。人間関係をよくするためには、次の3つのバランスが大事だと言われています。1、相手に愛を与える。相手に尽くすということです。相手が困っている時に手を差し伸べる。親身に相談相手になってあげる。世話をしてあげる。傾聴、共感、受容、許容を心がける。2、相手からの愛をきちんと受け取る。相手の好意を素直に受け取る。自分のことを理解しようとしてくれている。自分の気持を分かってくれた。親切にしてくれた。自分のことを評価してくれた。プレゼントをいただいた。そんなときは素直に感謝の言葉やお返しをするように心がける。3、自分を愛する。自己肯定感を高める。自分に自信を持つ。自己嫌悪、自己否定しないで、自分は自分の最大の理解者となる。どんな状況であっても自分で自分を見捨てない。自分自身を守り通す。自分の気持、欲求、希望などを分かりやすく相手に伝えられるように努力する。自分のやりたいことや目標を明確にして取り組むようにする。これらのどれか一つに大きく偏ると、問題が出てきます。たとえば、相手が求めていないものを与えようとすると有難迷惑になります。小さな親切大きなお世話になります。しつこいと言って嫌われるようになります。相手の好意を受け取るばかりでは、依存性が強くなり、自立できなくなります。またやってもらうことが当たり前になり、感謝の気持ちが湧き上がらなくなります。自己嫌悪、自己否定の気持ちが強くなると、生きることが辛くなります。自己内省一辺倒になると、課題や目標に向かうエネルギーが枯渇してしまいます。この3つが過不足を起こさないように、意識して調整することが大事になります。他人に愛を与えることに偏っている場合は、他人の好意に甘えることや自分を愛することに力を入れる。他人からの愛を受け取ることに偏っている場合は、相手からの愛を受け取ることよりも、相手に愛を与えることや自己肯定感を高めることに力を入れるようにする。人の思惑に振り回されている人は、自分の感情、気持ち、欲求、意志、行動を優先するように心がける。自分を大切にできない人は、相手の感情、気持ち、欲求、意志、行動を尊重することもできなくなります。人間関係に問題を抱えている方は、この3つのバランスがとれているかを点検することが大切になると思います。片寄りを感じたら、すぐにバランスを回復させるように手を打つ。ちなみにバランスを意識するという考え方は森田理論の重要な考え方の一つです。神経症的な不安は欲望の反面として湧き上がると言われています。森田では、不安と欲望のバランスをとるためには、不安を抱えたまま生の欲望の発揮に力を入れることをお勧めしています。また欲望の暴走を食い止めるために、不安をブレーキとして活用するという側面も忘れてはなりません。欲望と不安のバランスを心がけると神経症に陥ることは防止できます。(うまくいかない人間関係は愛の偏りが原因です 矢野惣一 廣済堂出版参照)
2024.01.09
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親の子どもの育て方、接し方が子どものその後の人生を大きく左右することは間違いありません。親になったら子どもの教育やしつけには十分に気を配ってほしいものだと思っています。しかし現実は理想通りにはいきません。親の育て方に異議を唱える人は、親が子育ての責任を果たそうという気持ちを持っていなかったのではないか。子育てに関心を持っていなかったのではないか。食べ物さえ与えていれば、自立した大人に成長すると考えていたのではないか。あるいは過保護、過干渉、育児放棄をされて育てられた。その結果、自分は人間関係に苦しみ、人間として自立することができなかった。まともな親のもとに生まれてきたかった。なんて不幸なのだろうと、自分の境遇や運命を呪ってしまう。そのように親の育て方に注意や意識を向けていると、今度自分が親になったとき自分の子どもに対して親と同じようなことをしている場合があります。子育ては世代間に渡って次々と伝染していくのです。その時、自分の子どもの人生を台無しにしてしまったという認識はほとんどない。子どもがまともに育たなかったのは、本人の責任だと考えている。親子が不幸の連鎖に陥ることはどこかで断ち切らなければなりません。森田理論に事実、現実、現状をあるがままに受け入れるというのがあります。この考え方で乗り切っていくことはできないものでしょうか。その時に役に立つのは両面観で分析してみることです。マイナス面ばかりではなく、プラス面の分析が重要になります。私の場合で振り返ってみました。・親は人間としてこの世に生を受けるきっかけを作ってくれた。・自分で稼げるようになるまで育ててくれた。・必要最低限のものを買い与えてくれた。・はぐくみあいのある神経質性格を与えてくれた。・大学に行かせてくれた。・立派な実家を残してくれた。・孫をよくかわいがってくれた。・家を買う時に援助をしてくれた。・田んぼや畑や山を残してくれた。・相続財産をある程度残してくれていた。親は子どものためにいろんなことをしてくれていたのです。これらを親として当然のことをしたまでのことだと見過ごしていると、感謝する気持ちは全く湧き上がってはきません。集談会で感謝を「忘れた」人は、「心を亡くした」人であると教えてもらいました。感謝の気持ちを持てない人は、不平不満でいっぱいになり、愚痴ばかりこぼすようになります。感謝するということは親子関係の改善につながります。親に対する感謝の気持ちが湧き上がってきたら、・親がまだ生きている人は積極的に親孝行をする。・親が亡くなっていたら毎日仏壇に手を合わせて感謝する。・そして罪滅ぼしに、世話するものを見つけて、全身全霊を込めて世話をしていく。こんな気持ちになれれば、親はきっと草葉の陰から「うまく育てることができなくてごめんなさいね」とむせび泣いていることと思います。親が一番心にかけているのは子供なのですから。
2024.01.08
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昨日の黒丸尊治先生の治療法を集談会で活用する具体的な方法について考えてみました。1、相手が抱えている悩みや心身の痛みをよく聴く。窓口営業の仕事をしていますが、ミスや失敗をすると上司や周りから叱責されるので、針のむしろに坐っている感じです。ミスや失敗が気になって、仕事に積極的に取り組むことができません。いっそのこと退職したいと考えているのですが、その後の家族の生活のことを考えると決断できません。自信を持って仕事をしたい。人の評価を気にしない人間になりたい。何かよい方法はないでしょうか。2、悩みを抱えながらも現在実行できていることを見つける。3、そこを評価する。ほめる。深刻な悩みを抱えておられますが、現在なんとか踏ん張っておられますね。そこは大いに評価できるところだと思います。症状がひどくなると、家に引きこもり何もできなくなりますからね。悩みを抱えながら仕事をされているのはすごいことだと思いますよ。その点はぜひ自分で自分をほめてあげましょう。私も同様の悩みを抱えていましたが、集談会で先輩から「あなたは月給鳥になりなさい」と言われました。生活費を稼いでくるという目的をしっかり持って仕事をすることが大切です。それまでは人間関係をよくすることが最大の目的となっていました。さらに墜落しない程度の超低空飛行で十分ですよと言われました。辛いときは私たちが寄り添ってあげますから、なんでも話してくださいね。今振り返ると集談会の仲間の存在は心強かったです。4、どうすれば悩みを抱えながらも行動できるのか、そのコツを教えてもらう。自分の与えられた仕事を何回もチェックして間違えないように心がけています。会社では2人ほど話し相手になってくれる人がいます。アルコールが好きなので、酒で発散しています。休みの日はリサイクルショップや水泳に行っています。音楽も好きでコンサートにも時々行きます。それと月1回集談会に参加して、悩みを聞いてもらうようにしています。ボランティアで老人ホームの慰問活動をしています。5、今の苦しみや痛みが仮に1割程度減ったとすれば、どんなことができるか、あるいはどんなことをしてみたいかを聞く。そうですね。心の重しがとれて気が楽になるかもしれませんね。その分仕事に意欲的になれるかもしれませんね。仕事の段取りがよくなるかもしれませんね。今は納期にまで気が回らないですから。行き当たりばったりです。ミスをするとすぐに自己嫌悪、自己否定するところがあります。そんなに自分を責めないようになるかもしれませんね。6、弾みがついても、無理しないで、自分の出来る範囲で取り組んで行くことを伝える。調子がよくなってもやりすぎはやめましょうね。反動が怖いですから。森田では雑仕事を丁寧にすることをお勧めしています。ルーティンワークを丁寧にこなしていると精神的にゆとりが生まれますよ。自分のペースを守って決して無理をしないで仕事に取り組んでくださいね。雑仕事を丁寧にこなしていくと、他人から評価されるようになり、人間関係がよくなりますよ。その他、規則正しい生活や凡事徹底をお勧めしています。外堀を埋めているのです。治った人はこの関門を通過していますよ。
2024.01.07
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親との人間関係を引きずっている人が多いようです。親が子どもをきちんと育ててくれなかったから、私は生きづらさを抱えて苦難の人生を送ることになった。どうしてくれるんだという親を怨む気持ちがいつまでも付きまとってしまう。私の場合父親との関係が最悪でした。父親からは物心ついたころから叱られてばかりでした。気に入らないことがあると家から追い出されそうになったこともあります。このまま死んで仕返しをしてやろうと考えたこともありました。優しい言葉、励ましの言葉をかけてもらったことは記憶にない。父親は子どもと一緒の生活を楽しむという気持ちは持っていなかった。また厳しく育てて、自立心旺盛な子どもに育てようという気持ちも持ち合わせていなかった。今考えると父親も人間関係に問題を抱えて苦しかったのだと思います。子供を立派に育てて自立させようというところまで気が回らなかったのだと思います。アル中で肝硬変になり突然心不全で亡くなりました。自分としても後悔の多い無念の人生だったことでしょう。その結果私は他人が信頼できなくなりました。怖いのです。他人は自分を傷つける生き物だという気持ちが強くなりました。いつもビクビクしながらかろうじて対人関係をこなしていました。人と付き合うと気を遣い過ぎて疲れ果ててしまうので、一人で過ごすことが気が楽だと思うようになりました。また気が乗らないこと、納得できないこと、イヤなことからすぐに逃げ回るようになりました。仕事や人間関係など様々なトラブルが予想されることから逃げ回るので、問題ばかり起こすようになりました。外向性、自立性、積極性はなく、内向的、依存的、消極的な人間になりました。生きていることが辛くて苦しいことばかりという気持ちが付きまとうので、生きることは地獄にいるようなものです。本能的、享楽的な癒し効果のある快楽を探し求めてなんとか生きているようなものです。そして始末が悪いことに今度は自分の子どもに父親と同じような対応をとっていました。最近多少心境の変化がありました。父親を否定しても何も生まれてこない。むしろ自分益々がみじめになるだけだと思うようになりました。父親は人間としてこの世に生まれるきっかけを作ってくれたことは感謝しなければいけないのではないか。そして大きくなるまで育ててくれたことは紛れもない事実です。高校にも、大学にまで行かせてくれたのです。自分たちの生活で一杯一杯だったにもかかわらず、無理をして支えてくれたことは間違いない事実です。それに対して感謝したことはあるのか。親にお返しをしたことがあるのか。恨みつらみだらけの自分に愕然としました。親孝行したいときに親はなしまた父親は、はぐくみあいのある神経質性格を与えてくれた。神経質性格にはマイナス面ばかりではなく、プラス面もあります。ことさらマイナス面ばかりを取り上げて非難するのはバランスが悪い。森田では否定するところからは何も生まれない。事実を素直に受け入れて、感謝するところから未来は開けてくると学びました。森田理論を学習して神経質性格ほどはぐくみあいのある性格はないと思っています。心配性で不安にとらわれやすい。気分本位で行動力がないという面は確かにあります。しかしそれ以上に多くのプラス面を持っている。私は好奇心が極めて強い。興味や関心を持てる範囲がとても広くて大きい。目標に対する執着性が強い。神経が繊細で感受性が鋭い。そのほか思考力、論理的、問題解決能力、分析力を持っている。神経症にはなりましたが、そのお陰で森田理論にもめぐり合いました。こんな幸運を与えてくれたのも父親です。今後は父親から頂いたものを最大限に活かして残りの人生を悔いのないように生きていきたいと考えるようになりました。それがせめてもの父親に対する恩返しと考えております。
2023.12.29
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11月号の生活の発見誌に他人の思惑が気になって生活に支障が出ている人のお悩み相談がありました。きっかけは、以前アルバイトをしていた時に、同期の人から「パソコンを打つのが遅い」と厳しくプレッシャをかけられたことだったようです。自分なりに何とかしようと努力されたそうです。しかし思えば思うほど泥沼にはまっていき、そのうちに出勤する前は、血圧が上がり動悸がするようになりました。他人との関係で気を遣い過ぎる人は、自分の気持ちを相手に伝えることができない。そんなことをすれば相手とけんかになり人間関係が壊れてしまうことを恐れています。言い争いになると自分がいつも負けてしまうという先入観を持っています。他人は自分に危害を加える恐ろしい存在とみなしているのです。そのうち苦手な人から逃げ回るようになります。逆に格下の相手に対しては傍若無人の態度をとる傾向があります。さらに自分の弱みや欠点を人前にさらすことは、相手につけ入るすきを与えてしまうので隠すようになります。最終的には、人との接触を避けるようになり孤立していきます。こういう人の心理は、他人に負けたくない。勝ちたがりなのだと思います。できるならば相手を意のままにコントロールするような人間になりたい。すべての面で相手の上に行きたい。絶えず優越感を味わって生活したい。高良武久先生は他人の思惑が気になる人に対して、自分の出来ること、自分が興味や関心があるもの、自分が好きなことに寝食を忘れるくらい一生懸命に取り組みなさいと言われています。一つのことにわき目を振らずに10年くらい取り組むとその道では専門家になります。専門家になると、他人から一目置かれるようになります。すると自己信頼感、自己肯定感が生まれてきます。その時人の思惑に振り回されている状況は一変してきますと言われている。これ以外に短期的に効果があるものがありますのでご紹介します。相手が感じていることは、自分ではどうすることもできないものです。頭の中が人の思惑に乗っ取られたようなものです。つまり100%対人関係のことを考えているのです。その割合を90%、80%・・・と減少させていく方法をとることです。その方法は規則正しい生活を習慣化することです。基本的に毎日同じ時間に同じことをする習慣を作り上げる。ルーティンワークを作り上げて丁寧に取り組むことです。まず起床時間、就寝時間を決めることです。次にメインの作業を割り当てます。仕事がある人は仕事がメインになります。家事中心の人は、食事の準備、洗濯、掃除、整理整頓がメインになります。大枠が決まったら、身支度、動植物の世話、趣味、学習、習い事、近所付き合いなども組み込みましょう。これらが習慣化すれば、他人の思惑ばかりに振り回されることは格段に少なくなります。それは前頭前野が悩みだす前に、身体のほうが無意識のうちに動きだすからです。考えることと、行動することは同時に行うことは難しいです。行動することによってネガティブな感情は流れていきます。さらに行動することによって弾みがついて、生産的、建設的、創造的なことに悩むようになります。
2023.12.27
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次のような状況に置かれた場合、あなたならどう対応しますか。あなたは昼間のお客様のクレーム対応で心身ともに疲れてしまいました。今日は定時で帰宅して心身の回復を図ろうと考えていました。そんな時、上司から明日の会議で使う資料を急いで作ってくれと頼まれました。上司の依頼をきっぱりと断るか、しぶしぶ引き受けるのか。私がいつもとっていた態度は次のようなものでした。どうして帰ろうとしていた直前に指示を出すのだよと思いましたが、断ると上司の叱責が予想されると思って、「分かりました」と返事していました。でも心の中では不平不満でイライラしてしまいます。昼間私がクレー対応で大変だったのは上司だって知っていたじゃないの。こんなに疲労困憊なのにどうして自分に振ってくるのだよ。このとき私の心の中には、「疲れている自分」と「感情的になっている自分」がいます。今の私は、上司の存在・言葉にとらわれているために、疲れている自分を感じていません。上司と対立することを恐れて、心身ともに疲労困憊している自分には鈍感になっています。このような状態で、上司の指示に無理やり従おうとしているのです。自分が感情的になったのは、上司が自分をイライラするようなことを言ったからだと思っています。でも本当のところは、疲れている自分を労わることができていないから反抗的になっているのです。他者に気を取られ、それへの対応に追われていて、自分を労わることができないので、自分の本音、潜在意識が「それはおかしいよ」と反発しているのだと思います。ここで大事なことは、湧き上がってくる感情にきちんと向き合っていたかどうかということです。湧きあがってきたマイナス感情を批判、非難、否定するのではありません。マイナス感情をありのままに受け入れるようにすることが必要です。売り言葉に買い言葉的対応は人間関係を悪化させます。「今日は疲れていてエネルギーが尽き果てているので、今から上司から指示された仕事に取り組むことはきついなと感じているんだね」と認めることです。自分のマイナス感情にきちんと向き合うことができれば、次の展開がまるっきり変わってきます。有無を言わずに上司の指示に従うことはなくなると思われます。無視して疲れている自分を叱咤激励するようなことはしません。可能ならば今日は早く帰宅して体調の回復を図ることを優先するはずです。あるいは上司に対しては次のように提案できるかもしれません。「今日はクレーム処理でイライラしていて仕事が向かう気持ちになりません」「心身を労わらないと仕事に対して悪影響が出てくることが予想されます」「申し訳ありませんが他の人をあたっていただけないでしょうか」「明日の朝までに充電して、早朝出社してやらせてください」「どうしてもといわれるなら、気持ちを切り替えるまで、しばらく休ませてもらってもいいですか」すると上司は「そうか、分かった。他の人をあたってみる」「じゃあ明日の10時の会議には間に合わせてください」ということになるかもしれません。自分のマイナス感情にきちんと向き合うことができるようになると人間関係は大きく改善できます。
2023.12.24
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令和元年に結婚した人は59万9007組でした。逆に離婚した人は20万8796組でした。実に3組に1組は離婚しているということになります。毎年同じような傾向が出ています。特に30代までの離婚率が高い。原因としては性格の不一致が多い。この人と一生涯生活を共にしようという結婚したはずですが、顔を見るのもイヤになるほど人間関係が破綻してきたということになります。離婚すると子どもに対する悪影響は計り知れません。また経済的に行き詰まることも多い。普通に考えると、育ちも考え方も違う人が一つ屋根の下で生活することは難しいです。特に自己主張の強い人同士の場合は、相手の言動をののしり合うようになります。お互いが譲ったり譲られたりという努力を怠れば大変なことになります。お互いに不平や不満を持ちながら人間関係を維持するために心掛けることは何でしょうか。結婚する前に、考え方や行動に問題が出てきたときの対応方法について取り決めをしておくことだと思います。アメリカでいうクリナップ契約を締結しておくことです。恋愛結婚の場合、お互いが舞い上がって、あばたもえくぼに見える特に結婚してしまう。一緒に生活するようになると、小さな不満がとてつもなく大きな問題に膨れ上がってくることを考慮しないといけない。一般的には、相容れない考え方や行動の溝が出てきたとき、話し合いによってその溝を埋めていくことになります。相手の間違いや非を否定するのではなく、話し合いによって解決するのだという合意を取り付けておくことが肝心です。それを文章にして署名しておくことです。実際にはお互いがwin winの関係になるまで話し合いを続ける。一致しない場合は双方が許せる範囲を模索して妥協する。ある時は譲り、ある時は譲られるという関係を築いていく。夫婦の人間関係を破綻させないためには双方の努力が欠かせません。次に森田理論の不即不離を活用していく。基本的にはそれぞれの生活を尊重する。束縛しないで自由に行動させる。協力した方がよいところは、積極的に助けてあげる。生活費、家事、料理、掃除、整理整頓、子育て、親戚や近隣との付き合いなどは、分担を決めて助け合う。それから感情の法則を活用していく。森田では不快な感情と行動は別物として扱うというのがあります。ここで感情の法則を応用・活用していかなくては宝の持ち腐れになります。不快な感情にきちんと向き合い、時の経過にまかせるだけで夫婦の人間関係が破綻することを食い止めることができます。行動はその時、その場で適切な行動を選択して実行に移す。結婚する前は相手の欠点や弱点を否定するのは自由ですが、一旦結婚したら相手が気分を悪くするようなことを言ってはいけない。ウソでもいいから、相手の言動をほめる、相手をいたわる、相手を励ますことが必要です。本心でなくても相手の気持ちを逆なでするようなことを口に出してはいけません。
2023.12.19
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神経質な人は他人に何かをお願いすることに苦痛を感じることが多いように思います。それは断られたときに自尊心が傷つくことを恐れているからです。断られると自分の考えや行動を否定されたように受け取るのです。相手は都合があって断っているのですが、そうではなくて自分を攻撃しているように受け取ってしまうのです。断られてイヤな思いをするくらいなら、自分でした方がよい。その方が自分の負担は増えるが、非難、否定、無視されないので自分が傷つくことはない。つまり相手と関わらない方が自分が傷つかない方法だと決めつけているのです。一時的にはホッとするかもしれませんが、そのうちキャパオーバーになってイライラするようになります。身動きが取れなくなり、その不満をストレスとしてため込んでしまう。他人にその不満をぶちまけるようになるかもしれません。人間関係にひびが入ってしまうと容易には元に戻すことはできません。集談会で「世話係」を依頼する時に心掛けることは何でしょうか。相手の対応は主に次の3つに分かれます。1、快く引き受けてもらえる。2、私には無理ですとさまざまな理由をつけて断られる。3、突然なので少し考えさせてくださいと態度を保留にされる。他人に依頼するときは、結果は上記3つに分かれるという認識を持っておくことが肝心です。①②③がそれぞれ三分一ずつと考えておくのは如何でしょうか。人にお願いすることが苦手な人は、どうせお願いしても結果は目に見えていると考えています。そういう人は自分の要求を相手に押し付ける傾向があります。相手の都合で拒否されると気分が悪くなるのです。絶対に引き受けてもらわなければ、運営に支障をきたしてしまう。無理やり何度も強引な説得工作をしてしまう。結果として②のようなことになりやすい。こうなると最悪です。人間関係にひびが入ります。相手はそのうち集談会に来なくなる可能性もあります。②の場合は、「そうですか。全然問題ありませんよ」と言ってすぐに引き下がることが必要です。相手には相手の気持ちや考え方があるのですから、自分の考えているようなわけにはいきません。この考え方が身に着いている人は、他人にものを頼むことが苦にならなくなります。「断られるのが当たり前、上手くいけば儲けもの」という気持ちになると気が楽になるのです。③の場合は、性急に結論を出さないで、時間を置いてまた依頼してみる。たまに「いいですよ」という人もいます。しかし後で、「よく考えてみたのですが、今はちょっと無理です」という場合も多い。その場合は「それではまた状況が変わったらお願いします」と引き下がるしかない。①の場合はありがたいことです。但し時々安請け合いをして、十分にその責任を果たしてくれない人がいます。仕事の内容や意義を十分に説明して、軌道に乗るまでは付添う気持ちが必要です。この方法はハードルが高いという人は、交渉事の上手な人に肩代わりしてもらうという手があります。特に不安タイプの人は、対人恐怖の人ほど苦にならないようです。こういう人が幹事の中にいらっしゃれば、肩代わりしてもらうのです。居場所が与えればその人の活躍の場が確保されることになります。全体としてうまくいく場合が多いと思います。
2023.12.17
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仕事を面白くするコツは大きく分けると2つあると思います。森田では「見つめよ」と言います。仕事の中で問題点や課題を見つけることができると、改善・改良したいという意欲が出てきます。意欲的に取り組むようになると仕事は趣味のようなものに変化してきます。もう一つは仕事を給料をもらうために最低限の義務を果たすものだと考えるのをやめることです。仕事は他人に感動を与えるものだと考えることです。仕事を義務として考えていると、効率的に手抜きをして必要最低限の仕事をすれば十分だと考えるようになります。お客様からすると、時として期待外れの商品やサービスを買わされることになります。するとお客様はすぐに離れていきます。リピート客を呼び込めなくなるとどんな仕事もじり貧になってしまいます。お客様の喜ぶ顔を見たいという気持ちで仕事に取り組んでいると、その気持ちはお客様に伝わります。行列のできるお店はお客様を感動させる何かを持っています。その一例をこのブログの中から見つけました。2013年11月19日の投稿です。銀座で最高に美味しいビールを提供し続けて38年の海老原さんのお話です。海老原さんは、「おいしいビールは洗浄に始まり、洗浄に終わる」と言われています。1000リットル入りのタンクが6つあるそうですが、そのうちビールが入っているのは4つのタンクです。後の2つのタンクは洗浄の為に空にしている。海老原さんはそのタンクの中に入り込み、1本あたり40分かけて丁寧に洗浄するという。次は地下のタンクからビヤホールまでに伸びているホースの洗浄を行う。ホースの内部に少しでも汚れがあると、ジョッキの泡が粗くなるという。最後はジョッキの洗浄だ。しっかり洗う。そしてビールを注ぐ直前まで氷水の中に漬けておく。布で拭いたり、乾燥させるとどうしても埃がついてしまう。埃や汚れはきめ細かな泡の敵であるという。仕入れたビールはすぐには出しません。炭酸ガスを落ち着かせるため、丸一日タンクで休ませます。おいしいビールをお客様に提供するために、よいと思ったことは手間がかかることでも丁寧に取り組まれています。お客様の喜ぶ顔が見たいという仕事ぶりは、リピート客を引き付けて、商売の方も順風満帆です。
2023.12.10
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子どもが「お母さん、おなかがすいた」と言ってきました。あなたならどう答えますか。よくありがちな対応。「今作っているからもう少し待ってなさい」「少しだけおやつでも食べてなさい」「はしたないわね」子どもはおなかがすいたという気持ちを伝えているのです。どうしてすぐに「もう少し待っていなさい」と指示をしたり、解消法を教えたりするのでしょうか。すぐに指示やアドバイスをしたくなるのが人間の性分なのでしょうか。人間は観念的な生き物ですので、問題点や課題を見つけるとすぐに対応策を考えます。その前に子どもの立場に立ってみる、行動することが大事になるのではないでしょうか。「そう、おなかがすいているのね」「食欲旺盛だね」子どもの発言をオウム返しに繰り返す。子どもの気持ちを代弁する。「今日はあなたの好きなハンバーグをつくっているのよ」「後10分くらいで出来上がるよ」この手法は集談会の体験交流の時などでも心掛けたいことです。「仕事をする意欲が湧いてきません。親と一緒に生活していますので、何とか生活しています」これに対して、「森田では気分本位ではいけないといいますよ。仕事が好きでたまらないという人はめったにいませんよ。仕事をして生活費を得て自立していくことは社会人としての基本ですよ」「イヤイヤ仕方なしに、足を引きずりながらでも会社に行くようにした方がよいと思いますよ」これらはすべて正論です。でも正論を押し付けられると反発したくなります。ここでは相手の身になって考えるということが欠けています。自分の考えを述べる前に、相手の気持ちを思いやることです。相手の立場に立てれば、発言内容は全く変わってくるはずです。「今は仕事をする気持ちにはなれないんですね」「親が健在で生活は維持できているようですね」「仕事をする意欲を高めたいと思っておられるような気がしますが、それで間違いありませんか」「親が歳をとってきたときのことを心配されているようにお見受けしましたが、それで間違いありませんか」相手はこのような発言に対して、さらに話を続けたくなります。「それは辛いですね」と同情する必要もない。ただ相手の置かれている状況、感情や気持ちを相手の身になって考えてみる。ワンクッション間を置くということですが、これが人間関係に好循環をもたらします。広島県江田島市のオリーブ油工場
2023.11.29
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私の父親は仕事での人間関係で躓き、私が物心ついたころから昼間から酒を飲んで酔っ払っておりました。そのうちアルコール中毒になり肝臓を壊して入退院を繰り返していました。52歳のときに突然心不全で帰らぬ人となりました。私は父親から父親らしいことをしたもらった記憶がありません。運動会、授業参観日などに1回も来たことはありません。家族で一緒にどこかに出かけたという記憶もありません。基本的には子どもの教育には関心がなかったのでしょう。子どもがどんなことに困っているのか。どんな素質があるのか。どんなことに興味や関心があるのかについては無関心でした。子どもの話を聞く。子どもに寄り添って見守ることは苦手でした。私はピンチの時は相談に乗ってほしかったのですが叶いませんでした。男の生き方を教えてほしい気持ちがありましたが叶いませんでした。育児放棄という状態でした。反対に私がやることなすことに、叱責、非難、否定、暴言を吐くことは日常茶飯事でした。毎日が憂うつでした。私は父親を軽蔑するとともに、いつも避けていました。親父との関係がその後の私の人生にマイナスの影響を与えたと思います。私の頭の中ではどんなことを考えていたのか。少しでも父親の気に障るようなことをしてはいけない。そうしないと罵詈雑言で責められる。とにかく父親から離れていれば安全だ。行動などでつけ入る口を与えないように細心の注意を払うようになりました。そして褒められるようなことをしないと父親は決して自分を認めてくれないという気持ちが強くなりました。無視され、自由放任、育児放棄、非難否定されて育った子供はどうなるか。まず何かあった時の後ろ盾がないので臆病者になります。なんとか重い腰をあげて挑戦しても、一旦躓くとすぐに挫折してしまいます。子どもの私は家を追い出されたら生きていくことはできません。父親の生きざまに絶望しながらも、父親を頼って細々と生きていくしかありません。不安や恐怖に取りつかれて、精神的な自立が遅れました。対人関係では、人への信頼感を持つことができなくなりました。人を見ると自分に危害を加える恐ろしいものという先入観があるのです。人に頼ったり、人の好意にすがることは考えられないことです。人と仲良くして、みんなで楽しい時を過ごすということは避けるようになりました。それよりは一人で過ごすほうがよほど精神的に楽なのです。そういう傾向は大人になってますます強くなっていきました。社会人になると、他人から危害を加えられないよう細心の注意を払うようになりました。自分の気持、感情、本音、意向、欲求などを押さえつけて、相手に媚びるようになりました。自己防衛的な人間に親しく近づいてくる人は少ないです。しだいに孤立してゆきました。本音を無視して、他人の思惑に振り回される生活は針の筵に座らせられているようなものです。そういう私に救いの手が差しのべられました。それは森田理論と生活の発見会と集談会に出会ったことです。集談会は同じような悩みで苦しんでいる人が、自分の苦しみを聞いて共感してくれるのですから居心地がよかったです。その中でも森田理論に詳しく、森田を生活の中に応用されている先輩がおられました。私は運よく心の安全基地、困ったときに身をよせることができる母港を見つけることができました。あれから37年、森田の自助組織に出会っていなかったらと思うとぞっとします。それから私は集談会の世話活動にずっと関わってきました。世話活動は自己中心的な生き方を見直すきっかけになりました。対人恐怖の人は他人やペットや植物の世話活動をすることが癒し効果になります。また一人一芸を身に着けて、老人ホームや地域のイベントなどでのボランティア活動にも取り組むようになりました。見ていただく皆さんに喜んでいただくとともに、仲間との貴重な人間関係が広がりました。これは対立関係のない楽しくて安心感のある心温まる交流ができます。それ以外にも、メダカの世話、草花の世話、庭木や果樹や自家用野菜の手入れなどに積極的に取り組んでいます。他人の役に立つ活動が私の心の痛みを多少なりとも癒しているのだと感じております。以前は長生きしても虚しいだけだと考えていましたが、今ではできるだけ長生きをして人生を楽しみたい。人の役に立つことをしたいという気持ちが出てきました。
2023.11.27
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大野裕氏のお話です。人間関係に「みかんていいな」という伝え方があるそうです。み・・・・「み」たこと(客観的事実・状況)かん・・・「かん」じたこと(自分の気持)てい・・・「てい」あん(提案)いな・・・「いな」(可否を尋ねて否定された場合の対案)例えば奥さんが旦那向かって、「あなたも疲れていると思うけど」(客観的事実・状況)「私の話を聞いてほしいの」(自分の気持)「仕事のことでとっても困っているから、あなたに聞いてもらえるだけで気持ちが楽になるから、お願いしていいかしら」(提案)「もしいま疲れているようならいつがよいか教えて」(対案)(はじめての認知療法 大野裕 講談社現代新書 138ページ)森田療法でいえば、「み」というのは、相手の気持ち、考え、要望を確認することだと思います。相手に何かお願いや依頼事項があっても、唐突に押し付けるようなことをしてはいけません。相手には相手の都合があるという前提に立つことが大切です。思い通りにいかないのが普通、うまくいけば儲けものという気持ちを持つ。「かん」というのは、その上で自分の気持、考え、要望を「私メッセージ」の手法を使って伝える。「私メッセージ」は「私」を主語にして話すことです。私は、こう思っています。私はこういう考えです。私はこうしたいです。「私メッセージ」の反対は、「あなたメッセージ」です。「あなた」を主語にすると、指示、命令、強制、脅迫が多くなります。「てい」(提案)は、二人の人間がいると、気持ち、考え方、要望は違うはずです。その前提に立って、二人の間に横たわっているミスマッチを確認し合うということです。「いな」(代案)は、話し合いをしてお互いに歩み寄るということです。交渉事ですから、必ずしも自分の思いどおりにことが運ぶことはありません。譲ったり譲られたり、ある程度の幅の中で柔軟な人間関係を築いていくことが大切になります。「みかんていいな」を意識すると人間関係の改善につながります。
2023.11.15
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雑談の前に、まずは笑顔で挨拶をすることが肝心です。挨拶は人間関係の基本になります。ここで躓いていては次に進むことは困難です。つぎに、雑談の話題は前もって準備するのもいいのですが、それよりもまず心がけたいことがあります。その時、その場で目のついたものを取り上げるようにするのです。相手の様子が以前と比べて変化していたらそれを取り上げて話題にする。以前行ったときと状況が変わっていたらそれを話題にする。「髪型変えましたか」「その服装は初めて見ました」「顔色が悪いようですが、何かありましたか」「うれしそうですが、なんかいいことがありましたか」「目が輝いていますね。何か目標に取り組んでいますか」「○○さんは夏でもホットコーヒーなんですね」相手のことだけではありません。「この前来た時よりも内装が変わりましたね」「このお店は行列ができていますよ」「この魚料理は全く骨がないね」「このワインはとびきりおいしいね」そのためには日ごろから相手のことや目の前のことをよく観察することが欠かせません。次に自分のことを話すよりも、相手に話してもらうという気持ちを持つ。そのためには、相手に質問をすることです。人間は質問されると、答えようとします。そうすると自分のことを話す機会が増えます。自分の感情、気持ち、考え、意志、欲求を外に向かって吐き出すことは快感につながります。ところが矢継ぎ早に質問攻めをされるとうんざりすることがあります。そういうときは質問する人が聞きたいことばかりを質問しているのです。本来は相手が話したいこと、聞いてもらいたいことを質問するとよいのです。そんな時は、質問の前にひと言、「フィードバック」を入れることを提案します。例えば、相手が「交通違反の反則切符を切られてしまいました」と言ったとします。「それは運が悪かったね」(これがフィードバックです)フィードバックは相手の気持ち、感情を相手になり替わって発言することです。普通はフィードバックの声掛けをしないで、いきなり「一体どんな違反をしたんだよ」という質問をすることが多いようです。別の例を挙げてみましょう。「昨日の懇親会で飲み過ぎて頭がガンガンする」「調子に乗ると、抑制力がなくなるんだよね」あるいは、「今日は仕事が辛いね」(これらがフィードバックの言葉です)その後で自分の聞いてみたい質問をする。「一体どれぐらい飲んだんだい」「ちゃんぽんはしなかったのかい」フィードバックの言葉がけは、相手の気持ちや感情や考え方を、相手の立場に立って代弁するということです。相手は一旦自分の気持や感情や感情を受け入れてもらうと、心を開いてくるのです。そして次にあなたの質問に快く答えようとするのです。これは森田理論でいうと、最初から自分の感情、気持ち、意志、願望、考え方を相手に伝えるよりも、まずは相手の気持ちや意向を聞いて理解しようとすることです。人間関係を良好に保つためのポイントになります。
2023.11.10
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森田では自分の感情、気持ち、意志、意向、欲求、欲望を大事に取り扱いましょうと言っています。これは「事実本位」の生活態度を身に着けるために大事なことです。では会社などで自分の感情や意志を大事に取り扱っているでしょうか。実際には相手の感情や意志に振り回されていることが多いのではないでしょうか。これは精神的に相手に支配されているということになります。どうしてそんなことが起きるのでしょうか。それは他人の感情や意志を無視して、自分勝手な行動をとると社会から排除されてしまうという怖れが関係しています。一人では生きていけないわけですから、自分を押し殺して生きていくしかない。仲間から排除されないためには、自分の感情や意志を抑圧して、相手の感情や意志に合わせていれば何とかなるという気持ちです。この考え方になると、自分の本音、潜在意識を無視・軽視・抑圧するので精神的に苦しくなります。相手の感情や意志よりも、まず自分の感情や意志を優先させることは、人間関係の苦しみを軽減させるためにとても大事になります。ではどうすれば他人と問題を起こさないで、自分の感情や意志を打ち出すことが可能なのか。九鬼周造氏は「いき」の構造の中で、「媚態」「意気地」「諦念」を意識することが大切であると言われています。いずれも難しい言葉ですが、意訳すると次のような意味合いがあります。「媚態」というのは、自分がへりくだって、相手の感情や意志に耳を傾けるということです。「意気地」というのは、自分の感情や意志を相手にしっかりと伝えるということです。「諦念」は、相手と自分の間に埋められない溝があれば、話し合って「手打ち」をする必要があるということです。人間関係を良好に保つためには、この3つの視点を持っておくことが大事になります。さらに順序も大事になります。最初に相手の気持ちや意志に耳を傾ける。森田の理論学習の集談会では、傾聴、共感、受容、許容の気持が大事だと言われます。ここがすっぽりと抜け落ちてしまうと、どんなよい話をしても相手は聞く耳を持ちません。むしろ反感を覚えます。次に、自分の気持や意志を「私メッセージ」の手法を使って相手に伝える。これは主語を「あなた」にするのではなく「わたし」にすることです。「あなたは○○しなさい」「あなたは○○してはいけない」というのではなく、「私はあなたが○○してくれたらうれしい」というような言い方になります。自分の気持や感情を伝えた後の対応は、相手にまかせるという包容力が大事になります。最後に、相手と自分の気持や意志の間には、多かれ少なかれ乖離があるわけですから、勇気をもって双方が歩み寄るように心がける。譲るところは譲り、主張するところは主張して妥協を図るということです。不十分な結果になるとしても話し合いによって折り合いをつけることが必要です。力や暴力によって相手を支配しようとすると人間関係は破壊されます。人間関係は、お互いがwin winの関係を目指さないと、すぐに対立関係に発展します。今解決の時でない場合は、すぐに処理しないで時の経過にまかせる。この人間関係の原理原則を理解するだけではなく、実際に応用していくことが大事になります。
2023.11.05
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共依存とは、例えば酒飲みで金遣いが荒く、絶えず女性問題を起こしているような男性が、経済的にも、精神的にも特定の女性に頼る。その女性の方も、困った人だと思いながらも、問題解決に向けて深く介入している。「あなた、自分の不始末は自分で処理しなさい」と突き放すことはしない。問題ばかり起こす男性の世話をすることが唯一最大の生きがいになっている。その男性がいなくなると自分の生きがいがなくなるのですから問題は深刻です。男性の方は図に乗って益々依存的になります。特に夫婦の共依存は大きな問題になります。親子の共依存もあります。女性は献身的で、奉仕的な生き方をしているように見えますが、本来の自分自身の興味や関心、課題や目標などは蚊帳の外になっています。共依存関係に陥った人は、絶えず問題を起こして対立しています。何とか解決して今度こそはと思っても、すぐに元の木阿弥となります。一見相思相愛でうらやましいような関係に見えますが問題は深刻です。そのうち二人して奈落の底に落ち込んでいきます。共依存は、自分が自分で始末をつけることを、他者に依存して解決してもらっているのでお互いが寄生虫のような生き方になります。見捨てられると生きていけなくなりますので、相手の気を引くことばかりを考えて生活するようになります。共依存は、お互いに自立の道が閉ざされてしまうことが一番の問題です。共依存関係に陥ると、自分の行動に責任を持つことができなくなります。問題を相手に丸投げしてしまうようになります。絶えず相手の動向に注意や意識を向けていますので、自分の目標や課題、目的や夢、やりたいこと、やらなければいけないことには鈍感になってしまいます。その日が楽しければよいという、根無し草のような生き方になってきます。共依存に陥らないためには、自分の出来ることや自分がしなければならないことは安易に人任せにしないという気持ちを強く持つことです。気が進まなくても、面倒でも、しんどいと思ってもきちんと自分でこなしていくことです。この気持ちを持ち続けている限り、共依存に陥ることはないと思われます。これは森田理論の基本だと思います。
2023.11.01
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私は比較的人通りの少ないマンションの管理人をしています。来客用駐車場は2台分確保しています。しかし実際にはそこが塞がっていることが多い。その時マンションの前の公道に勝手に車を止める人がいます。少しだから大目に見てくるだろうという甘えがあるのだろうと思います。そういう人が管理人の私に声を掛けずにマンションに入るとまずいことになります。どこからともなくパトカーがやってきて、駐車違反として処理してしまうのです。キップを切られた人は大損害を受けます。私はタイミングを計ったようにたびたびパトカーがやってくるのが不思議でした。その原因がやっと分かりました。目の前のマンションの管理人が、監視カメラに張り付いていて、おおむね5分経過するとすぐに警察に電話していたのです。その事実が分かったときに、今後もたびたび起きるなと感じました。その管理人に会ったときに、これからは私も駐車違反については注意して対応します。でも、目の行き届かない場合があります。そのときには私に知らせてもらえれば、できる限りの対応はしますので、すぐに警察に通報することはやめてもらえませんでしょうかと交渉しました。またお宅のマンションの関係車両が違法駐車されていても、私も警察に通報することはしませんのでと言いました。するとその管理人は、「お前は駐車違反を見逃せというのか。管理人は積極的に駐車違反を通報するのが仕事の一部だ。そんな話には乗らない」というのです。話は物別れに終わりました。それから私は、駐車に関する注意喚起の文章を作成しました。当マンションの前の公道に駐車されますと、近隣マンションからすぐに警察に通報されます。パトカーがやってきてキップを切られます。来客用駐車場が使えない場合は、管理人までご一報ください。これを駐車場使用届を置いてあるところに貼り付けました。この話は森田先生の話がすぐに思い浮かびました。子どもが父親が博打をしているのを見つけて、警察に通報したというのです。そのために父親は逮捕されました。その子どもは学校の先生の言うことをよく守る感心な子どもだという人もいるが、森田先生は低能か意志薄弱者だと言われています。つまり親がどんなに悪いことをしていても、子は親を守るのが普通だ。建前に固執するよりも人情から出発することが大事だ。正直ということにこだわるよりも、相手の気持ちになって行動することを意識しないといけないということです。法律を守ることに固執して、相手に大きなダメージを与えることは、人情を無視していることになります。そういう人は人間関係で苦しむようになると思われます。
2023.10.30
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多くの評論家は、今年の広島カープを最下位に予想していた。実はカープファンもそう思っていた。監督が代わったばかりで未知数だ。他のチームと比べて小粒な選手ばかりだ。ホームランバッターがいない。軸になるピッチャーがいない。盗塁数が断トツの最下位だった。予想家泣かせの結果になった。広島カープは最終的にセリーグの2位になった。その原因はいろいろあった。7回8回を任せているセットアッパーが頑張ってくれた。盗塁数が78で首位の阪神と1つ差のセリーグ2位になった。鬼門の交流戦を9勝9敗の5分で乗り切った。ホームランは少ないが、相手が嫌がる粘り強いバッターが多い。最初に相手チームに4点5点とられても、簡単にあきらめない。チームとしての仲間意識が強い。チーム為に自分の役割を果す人が多い。新井貴浩監督が選手をやる気にさせている。私は新井監督の選手のやる気を高めている点を一番に取り上げたい。新井監督は、「今までの監督はベンチの奥で眉間に皴を寄せて采配を振るっていたが、私はそんな態度はとりたくない」という。選手の輪の中に入り一緒に闘っていきたい。勝つと先頭に立ってベンチを飛び出していく。新井監督は、その日結果が出た選手に対して、日頃の練習態度や生活態度をたたえる。8月26日のヤクルト戦後の新井語録から紹介したい。デビットソンのホームランに対して、「彼はずっと頑張っていますから。本当にホームランはベンチでも助かりますし、これも彼の日頃の努力と打撃コーチのサポートのたまものと思います」猛打賞の野間選手に対しては、「打ってよし、守ってよし、走ってよし。何も言うことはありませんよ。本当に頼りになる選手です」「序盤4点差がありましたけど、まだこれからいくぞ。ベンチではそうい雰囲気がありました」新井監督は選手が努力して成長し、結果を出してくれた点を最大限に評価している。逆に結果が出なかった選手を叱りつけることはしない。反省して次に活かしてほしいというコメントばかりです。3回の守備のミスとけん制死については、「攻めていった結果のミスだと思います。積極的に攻めていく中でのミスは問題ない。野球にミスはつきものだし、取り返すチャンスはたくさんある。トライしてエラーして、それを繰り返して経験して、力を付けていくものです」4回5失点の森下投手に対しては、「(4回の打席で代打を送ったのは)追いかけないといけなかったので。森下もいつもいつも、いい投球ができるわけじゃない。前回は素晴らしいピッチングだったし、そういう日もありますから。彼ぐらいになったら、自分で客観的に見て、反省して修正できる。次の登板に期待します」佐々岡前監督のチーム成績は5位と低迷していました。新井監督は佐々岡監督が若手投手を育ててくれたことに最大限の賛辞を送っています。今年の躍進は佐々岡前監督が種を蒔いてくれたおかげと言っているのです。新井監督はドラフト6位の入団で、あまり期待はされていませんでした。その後の努力で名球会入りを果たした人です。そういう人は挫折の経験が数多い。これが人間としての包容力をもたらしているのではないか。これは私達にも参考になります。相手をよく観察して努力しているところを評価してあげる。ミスや失敗は批判や叱責をしないで見守ってあげる。許容する。ミスや失敗を次の挑戦の糧にしてほしいという気持ちを伝えて激励する。選手それぞれの飛躍や成長する姿を自分のことのように喜ぶ。これは意識しないとできるものではありません。逆になると、人間関係は簡単に壊れてしまいます。一旦壊れたものは、修復は不可能と心得たいものです。
2023.10.22
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