フランスでの暮らし

フランスでの暮らし

私のパティシエールまでの道のり。

幼き頃
子供の頃から、お母さんと一緒にケーキを作ってたなぁ。

少しオッきくなった頃

中学生くらいから一人でケーキ作りをしだした。
家の人もみんなおいしいって食べてくれた。
それが結構楽しかった。

高校生になった頃

友達が将来の夢を語り始めた。
私も考えた。将来何になるのだ?
やりたいことはいっぱいあった。
デザイナー・だめだ!ぜんぜん才能ない。
女優・顔がおいつかない。
スチュワーデス・英語が話せないのでだめだ!
いろいろと興味のあることを考えてみたが、どれもなれそうにない。
あ!お菓子作りならできるかも!ここが苦しい道を歩くきっかけになった。

大学生の頃

大学に入る前、悩んだ。専門学校に行きたかった。もちろん製菓学校。
親に相談した。親は大学に行って欲しいという。私も行ってみたかった。
私には特別推薦の権利があった。面接受けるだけで入学決定というやつ。
ただ問題は、社会福祉学部限定ということ。私には興味のない分野。
先生に相談したら、「そうやなぁ、あんたは人に福祉するより、人に面倒見てもらはなあかんからなぁ」という。これが教師の言葉か!
とも思ったがもっともなので再び悩んだ。
決断させたのが、父の一言。
専門学校は大学卒業後でも行けるけど、推薦入学は今しかないで。
福祉を学びに来る子達ばかりの中で、最高の友達が見つかるはず。
最高の友達!そりゃいいや!
てなことで大学進学に決めた。
父の予想は大当たり。ここで3人の最高の友達に出会った。
さらに他にもたくさんいい友達がいた。みんなしっかりした意思を持ってた。ポヨ~ンと大学に来た私とは大違い。
こんな私に試練が来た。2回生のときである。施設実習があるのだ。
何の意欲もなく社会福祉学部に入った私にはきつかった。
親に相談もせずに半年の休学届けを出した。
いろいろ考えて、とりあえずケーキ屋でアルバイトをしてみることにした。

フリーターの頃

ケーキ屋というかケーキサロンだった。私の担当はデザートである。
かなり楽しかった。ここで決めた。大学を退学して、来年専門学校へ行こう!
ケーキ屋の時給は安かったのでもうひとつ増やす事にした。
親に黙って大学を辞めた手前、学費を何とかしてためなければならない。
時給のいいパチンコ屋に決めた。
月、水、金、日は朝8時半から5時までパチンコ屋で働き、5時半から11時までケーキ屋で働いた。
火、木は4時から0時までパチンコや、土曜は8時半から11時までとうしでケーキ屋にはいった。休みなしだった。ストレスでかなり太ったな。


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