山口小夜の不思議遊戯

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2005年08月27日
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 ●もはや誰もなかった

 その翌日、小夜は明け方近くに目を覚まし、部屋の角の柱にもたれたままじっと深い物思いに沈んでいた。
 傍らには、引越し後のごたごたに忙殺されている両親が眠り込んでいた。 しかし、小夜の瞳は彼らを映してはいなかった。昨日の夕刻、馬に乗って駆け抜けていったあの少年の映像だけが、深い眠りの後の小夜の靄がかかったような脳裏をしきりに往来していた。

 それは森の精霊たちが見せた、恩寵のような瞬間だった。
 この土地に越してきてからの小夜は、年の近い子供たちにまぜてもらって遊んではいるものの、心の中では常に見知らぬ土地や聞き慣れない言葉という壁の前に立ち尽くしている自分を感じていた。

 みくまりはもはや親友だったし、武人は初対面の時から若輩に対する年長者の思いやりをもって小夜に接してくれていたのだが、小夜は彼らから向けられる優しさに反比例して、自分の存在というものを持て余していた。
 相生の流儀といったものは、合う合わないとかいうことではなく、だが小夜にとってあまりに“違った”ものだった。彼らは多くを知っており、小夜はなにひとつ知らないのであった。
 相生での生活はなんだか夢うつつのようで、これからここでずっと相生の人間を生きるということは、未だに小夜の腑に落ちていなかった。

 しかし、今の小夜の身の内には、確固たる意思が目覚めていた。

 小夜の心は、今や開かれていた。
 彼女は自分の内なる扉が叩かれる音を感じていた。何かが小夜の腕をとって、外の世界に連れ出してくれそうな気さえしていた。

 思いをその先にさまよわせようとした時、小夜の耳は何かを聞き取った。
 馬のいななきだった。
 それは確かに昨日、耳にしたものと同じ響きだった。
 純粋な衝動にかられ、小夜は寝間着のまま外に飛び出した。

 田舎の朝は早い。すでにせっせと田んぼで野良仕事にせいを出している村の人に、小夜は豊の行方を訊いてみた。
 ──あんがきなら、墓場におるだよ。
 墓場?
 小夜は豊が死んでしまったのかと一瞬本気で考えてしまい、その場にへたり込みそうになった。
 だがよくよく聞いてみると、彼は早くに起きてしまった朝は、村はずれにある墓場にいって、暇にあかせて墓石洗いをしているそうだ。


 小夜は礼を言って、先を急いだ。
 しかし、村から外れるにつれて、あんまりいい心持ちはしなくなってきた。道が急に細くなり、坂になり、草の背が高くなった。墓地が見えてきた。

 朝焼けが何十塔という墓石を真っ赤に染めていた。
 そうとうなもんだ・・・。
 小夜はぶるぶるっと身震いした。それから早足になった。


 これは何という世界なのだろう。
 小夜にとっては、人間がその土地で生きることによってどうあっても自然が傷つけられるという事実は、これまで実に当然のものとして受け入れられていた。ひるがえって、人間の生きる姿から大自然を教えられるなど、考えもしないことであった。
 そしてまた、あの‘ゆた’は、世界中に生きて在る少年の中の一人であるはずなのに、小夜にはまったく別の何者かに映った。何かもっと、小夜には知る由もないものが、ゆたには流れている。

 しかし、こんなふうにも考えていた。
 小夜は彼に圧倒されたが、彼は小夜に一瞥もくれなかった。
 ゆたは小夜を知らない──そのことが、相生の子を生きようと決心した小夜には、どうにもがまんのならないことのように思えた。

 そこまで思いめぐらして、小夜は夢中で‘ゆた’を呼んでいた。いないようなら、後も振り返らずに去るつもりだった。






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最終更新日  2005年08月31日 12時51分29秒
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