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ふじのさんのぐだぐだ日常日記
子どもっちが誕生
・爪切り(爪を切るだけでなく、タグなんかを切ったりほつれを切ったり出来ました。)
・タオル類(バスタオルが特に)
・時計
・筆記用具
・メモ用紙
・クッション(病院のベッドは固くてお腹も重かったので腰の負担を軽くする為にあって助かった。後は足の浮腫みを軽減させる為に足を高くする必要があった)
・ラジオ(テレビよりも身体の負担が少なかった気がする。目から入る刺激がない分)
私物で指定されたもの以外で持ち込んだ物はこんなカンジだったかな?
***************************
※前日夕食後から絶食。手術前に浣腸もしました。これで腸もすっきり♪
手術のときに一番緊張したのが、『麻酔』をかけてもらう時。
中学生のときに一度手術の体験があるけれど、背中に麻酔の針を入れた瞬間「痛い」のと「くすぐったい」のとで動いてしまい針が抜けてしまった(らしい)ことがあったのだ。
手間取らせたくないなぁと思って、なるべく動かないようにしなきゃと思っていたのだ。
でも、そんなのは取り越し苦労で、麻酔もとっても上手で思っていたよりも痛くもなかったしくすぐったくもなかった(やはり私が麻痺していたのか?)
次第に足の感覚もなくなってきて、手術開始。
しばらくすると「うぎゃ~」という声が聞こえて来ました。それを2度聞いて私は安心しました。
二人は生きているんだと。ちゃんと呼吸出来たんだと。
それだけで嬉しかった。
姿も確認しました。
第一子が女の子、第二子が男の子でした。
そしてすぐに未熟児を受け入れてくれる他所の病院へ搬送されて行きました。
(入院していた病院ではうちの子達の大きさを受け入れ出来なかったのだ)
私の方は後どうなったか・・・。
しばらくして気持ち悪くなって吐きそうになりました。
中身がいなくなって、血圧が急激に下がったせいだと言われました。
その後はまた覚えていません。
病室まで運ばれ、麻酔が切れてからの戦いもありました。
身を切っているのだから、当然おもいっきり痛くなるだろうなぁと覚悟していました。
痛いのはガマンしなくていいというのは安心でした(中学のときの手術ではガマンしてつらかったから)
2日間は起き上がれず意識も朦朧としていました。
妙にお股が痛かったのは、導尿の管が入っているせいだと思っていたが、どうやらちょっと違っていたかも。
さすがに3日目からは「動かないと回復が遅れる」という理由で、導尿管も外されて、トイレも自力で行くように言われた。
これがもんのすご~~くつらかった(T_T)
病室を出産を機にトイレから一番遠い大部屋に移してもらったのだけれど、そのトイレへの移動が地獄の苦しみだった。
お腹は点滴のせいで張っているし、傷の痛みもあるし。
廊下の手すりに掴まりながら一歩一歩歩いて行った。
※出産は、自然分娩も帝王切開もどちらも大変だというのをご理解いただきたい。どちらが『楽』というのはないです!
それでも、日に日に回復していって、しばらくすると、食事も自分で取りにも行けるようになった。
今度は初めての育児の為に勉強しなければならなくなった。
沐浴指導や業者さんが来てのミルク(栄養)の指導もあったかな?。
母親学級みたいなのに参加していなかったので、教えてくれるというものにはとにかく参加した。
ただ、病室へ戻ると寂しかった。
みんな出産後の大部屋で、周囲からは赤ちゃんの泣き声や、お見舞いの人達の姿が見える。
私には手元に自分の子がいない。
手術のときに写した写真が2枚あるだけだった。
お腹の中を蹴るものもいない。
本当に一人になってしまったのだ。
赤ちゃんの姿を見るのがつらかった。
でも、「これからの勉強の為」と自ら志願したことでもあった。
抱っこの練習で、実物仕様のお人形さんを借りていたが、それを見て「かわいい赤ちゃんですね」と声をかけてくれた他所のお見舞いに来ていた人に苦笑いでしか返答出来なかった。←おじいちゃん&おばあちゃんだったからなぁ。
そういえば、看護学校から実習の子達も来ていたっけなぁ。他の5人についていたんだけど。
おやつが出ていたのも羨ましかったな~(笑)
あんまり動けなかったし、内気だったから他の人とはしゃべる事がなかったけれど、他の人達の会話は楽しく聞いていました。地元の情報収集に役立ちました(*^^)v
出産後2週間以内に名前を決めて届けなければいけないというので、入院中にだんなが来て相談しながら決めた。
風邪ひいて苦しそうだったのを覚えている。
とりあえず、二人で案を出して、息子の方をだんなの、娘の方を私の案が採用された。
命名「はるか」「ゆうた」
漢字は公表できないけれど、ゆうたは「優しく太い(気持ちの)子になってほしい」という願いが込められています。
・・・はるかは私が某アニメの一番好きなキャラクターから読みだけはつけましたが、漢字は「満開の桜」がイメージです。←でも、某うなぎパイ作っている会社名と同じ漢字だったと知人から指摘された(^^;;;。そんな華のある子になってほしいなぁと。
そんなこんなで出産1週間後「どうします?本人がよければ退院してもいいですよ」と先生から言われた。
・・・回復したら「はよ出てけ」ってことかな?(^_^;)。
赤ちゃんのお世話がないから、自分の傷が癒えれば退院してもいいということだった。
退院出来れば子ども達に会える!
浮かれていたけれど、叶った面会はかなり厳しい現実が待っていた。
第一子 長女(おはるしゃん)AM11:03 1725g
第二子 長男(ゆうしゃん)AM11:05 1033g
退院前に先生から言われました。
「二人目がなかなか出て来なくて子宮を横だけでなく縦にも切っています(つまり逆T字型)。その傷によってもろくなって
いるので次の妊娠もあまりお腹を大きくすると破裂しちゃうかもしれないから、早めに管理入院してもらうことになるかもしれません。お腹を大きく出来ないので、帝王切開になります」と。
二人を助ける為には仕方なかったけれど、ちょっとショックでした。
新米のお父しゃんにも話をして、このとき次の子を諦めました。
自分自身・家族の負担もつらいけれど、なによりも子どもをまたNICUに入れる事が決まってしまっていたので、これが決定的な理由となりました。
さて、お父しゃんにお迎えに来てもらって退院して、その足で二人のお見舞いに行くことにしました。
今まで入っていた病院を外から見てなんだか不思議な気持ちでした。あの病室からいつもお父しゃんの車が来ないかな~?と、駐車場を眺めてたっけな。
子どもっちはそれぞれ違う病院に入院していました。
同じ市内に病院は点在していましたが、自宅からは1時間弱です。
病院の面会時間の都合上、まずおはるしゃんの方から見舞いに行きました。
時間外でしたが、特別に入れてもらいました。
・・・そこには『温泉まんじゅう』(伊豆長岡みやげ)がいました( ̄_ ̄ i)タラー。
小さかったけれど、顔がまんまるで若干黒っぽくなっていたので第一印象がそれでした。
いっぱいのコードに繋がれていて、人工呼吸器を付けていました(もううろ覚え)。
それでも、この1週間病院でちゃんと管理してもらえていたのが解り、安心して次にゆうしゃんのいる病院へ行きました。
・・・次には『干からびたカッパ』がいました(大汗)
おはるしゃんよりも小さくてしおしおで、なんだか人間の形はしているけれど、不思議な生き物(?)でした。
これはかなりショックでした。
これが自分の子だとは信じられなかったです。
このショックが大きかったのかこの後、私はあまり見舞いに行きませんでした。
電話でも様子が聞けると言われていても、電話も苦手でかける勇気もなかったです。
そんな自分を責めたりもして。
この時の自分は親として冷たいヤツだと思っていました。
子どもがかわいいと思えるようになったのは、二人が退院してしばらくしてからだった。
それまでは二人は私の子ども達ではなく『病院の子』と思っていた。
きっと毎日お世話してくれる看護師さんや先生の方がよくて、ホントの生みの親である私を親と思ってくれないかも。
それでも、週に一度義務的ながらも見舞いに行った。
水曜日頃には一度母乳パックを届けに行ったりもしていたけど。
不思議なもので、吸ってくれる子どもはいなくても母乳は出るんですね。
自然分娩じゃなくても出るんですね。
私自身は産後の検診は順調でした。
血圧もうそのように下がり、腎臓機能もほぼ元に戻ってきていました。
『妊娠中毒症』とはよく言ったもので、妊娠の継続をヤメたらすぐに回復し始めたんです。
体重も61kg→51kg→45kgと減りました。
この時期つらかったのはお風呂。
寒い時期なのにシャワーだけでお風呂場は寒いし。
おまけに筋力低下でフラフラだったので、だんなが一緒に入ってくれました。
(だんなの下心じゃないっす)
子どもっちの見舞いも2~5月までつづきました。
ゆうしゃんの病院では夜、まだつぼみもない桜並木を歩いたことを思い出します。
とても寒くて急いで外の駐車場から病院まで向かったことを。
おはるしゃんの病院は駐車場が地下にあったので、そこから登っていくときの夢を今も時々見ます。
一度、自力で見舞いに行って、帰りに眠気で居眠り運転しそうだったこともあり、それ以来無理はヤメました。
子どもっちの世話する前に事故で死にたくなかったので。
退院の目安は体重が2500g超えること。
おはるしゃんは、予定日だった3月半ばには超えたけれど、「時々呼吸をお休みしちゃう」ことがあって、調べたら心臓の筋肉が普通よりも少し厚くなっている『心筋症』だったとのことでした。
そのせいで、血液が上手く送り出せずに呼吸が止まってしまったりしたとか。
でも、大きくなれば心臓の筋肉も成長と共に引っ張られて通常の厚さになるでしょうと言われて(^。^;)ホッ。
ただし、急激に身体を大きくしちゃうと、血液を送るのが追いつかなくなっちゃうから体重制限しながら様子を見て行きましょうということになった。
入院は、呼吸が止まる心配がなくなるまでということになった。
最初はコードだらけで栄養も点滴や鼻からチューブを入れてミルクを直接胃に送っていました。
ゆうしゃんはおはるしゃんよりも小さく半分しかなくなってしまい(新生児の体重減少なのだが、元が小さいから700gくらいにまで減ってしまっていた)、増えても日々数グラム。
もどかしい思いでした。
でも、日が経つにつれて大きくなり、コードが取れてミルクも口から飲めるようになって、保育器から出て産着を着せてもらった姿を見たら、ああ赤ちゃんなんだな~って思いました。
それまでは、裸んぼうの塊にしか見えなかったから。
博物館の展示品みたいに。
おはるしゃんは、体重管理のためミルクの制限はあったものの、自力で呼吸出来るようになりミルクも口から飲めるようになったので、4月10日に退院しました。
その他の検査も異常はなかったです。
桜も散っていた時期でした。
おはるしゃんの病院は、城跡の公園近くにありましたが、そこのお堀に桜の花びらが落ちていく光景の中帰った記憶があります。
初めての1時間の長旅はどうかと心配でしたが、ずーっと寝ていてくれました。
まずはおはるしゃんとの生活がスタート。
初めてづくしで解らないことだらけ。
心臓のこともあるから、夜寝ていても息をしているか心配で。
寒いから踏まないように気をつけながら私の布団に入れたりして(おかげで今も私の布団に入ってくる)。
お父しゃんは「こうすると落ち着くみたい」とお腹に乗っけて二人で昼寝していたこともあったっけ。
この頃から「おはるしゃんはお父しゃん似だよね~」と言われていたので、まるで拡大・縮小版が一緒に寝ているみたいだった(笑)
ゆうしゃんの退院は5月27日。
めどが立ってあといくつかの検査を残して1週間というときに「他の子を受け入れたいので、あとは検査だけですから他の病院にうつっていただきたいのですが」と先生から言われた。
ゆうしゃんの病院は未熟児の受け入れがパンク状態だったのだ。
より多くの命を救う為に・・・。
ゆうしゃんも助けてもらって、もう大丈夫だったら次の子の為に空けてあげてもいいね・・・とお父しゃんも納得して、他の病院へうつることにした。
病院は地元へ戻るよりもおはるしゃんのいた病院の方がこちらも事情が判って安心だし、ゆうしゃんの病院からも近くだから搬送しやすいということもあってそちらに移ることにした。
検査も異常はなく終わって、退院が決まった。
おはるしゃんのお世話に慣れて来てはいたが、すぐに二人目が来るという双子育児。
どんなドタバタが待っているのか?
-つづく-
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