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えらく重い話題で日記が止まってしまってたので、ご心配いただいた方もおりました。ありがとうございました。決心がついたのですっきりしました。みなさんどうぞ応援してください!しばらくパソコンがないので日記はお休みさせてもらおうと思ってます。いつも見ていただいて、ありがとうございます。
2005.01.25
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選択肢を拡げることがある時期までの目標だとしたら、その後は選択肢を絞ることが大事になってくると思います。「絞れない」これがわたしの長所でもあり短所。「選択肢」いろんな悩みはこの一言に尽きることも多いんじゃないかと思います。総合的に学べる学部を選び、いろんな仕事ができる会社を選んだ私。だってやってみたいことはいっぱいあってどれも興味あったし、実際この選択は私に向いてたと思う。プロフェショナルになることはもう諦めました。でも人生の中では知らない間にいくつも選択しているもので、私もこれまでいくつかの人生の選択の場面を経験してきました。それは決めなくてはいけない進路だったり、自分で選択した冒険だったり、会社に打診された行き先だったり、どんな形であれその時々で決めて選んだのですが、新しいことに触れるのが好きなミーハーなわたしが自分で選んだ道で、その結果いまの私がいます。絞るときは怖いし、あれこれ考えてしまいます。もしかして別の選択をしてたら今とはちょっと違う自分がいて、もしかして今よりずっと幸せなのかもしれない。でもそれは空想でしかない、わからないから後悔するものでもない。これからもこうやって生きてくしかない。例えば昔は、今に比べてずっと選択肢は少なかったはずです。家業を継がなければならない子は選択肢はなかったんでしょう。江戸時代なら、武士の家に生まれた子は武士に、商人は商人に、農民は農民に。貧しければ家族を養うために働かなければならなかったし、海の近くに家があれば漁で魚を採って生きていくしかないし。それを不幸と思うこともなく、将軍様には憧れるけどそれは叶うはずもない夢物語だからだから思いを馳せながら自分の道をしっかり生きる。仕事は決まっていたので、あとはどんな人間になるか、どんな生き方をするかを考えることに一生懸命になれたんじゃないかな。(あくまで推測)開発途上国の子供たちだって日本に比べるとずっと選択肢は少ない。家族の生活のため、学校にも行けず働く子もたくさんいます。やりたいことを考えるとか何とか言ってる前に、今日食べる食糧を手にいれなければならないのだから。以前はそんな昔の人や外国の人たちがかわいそうだとも思ったし自分たちは恵まれてるとも思っていました。でも最近は本当にそうかなと感じています。何でも選べる現代社会の方が、何を基準に決めていいか、何を選んでいいのかわからない人が増えていると思います。能力的に自分で不可能だと思わなければ、何にだってなれる可能性はある。少なくともなろうと夢みる権利はある。かといって目指したいかっこいい大人が周りにいるわけじゃない。そんな時代に、じゃあ自分はどう生きてくの?って見つめすぎて決めきれなくなってしまいます。選択権が拡がった子供たちは逆に不幸なのかもしれない、と思うようになりました。早くに絞った人は、それからは必死で生きるしかないので強いのです。決めた人は強い。私は外の世界を知るたびに、世界から日本、そして四国へと、将来のフィールドにしたい領域を絞ってきました。でもまだ今になっても絞ることに躊躇しています。年を重ねた先輩は、ムリに絞らなくても振り返るといつのまにか道になるもんだよ、と言います。信念さえもっていれば道は開けていくもんだと。こっちに行くって決めたときはもっと、「自分はこっちじゃなきゃ」っていう確信みたいなものが生まれるんだそうです。なんか大晦日にわけわかんなくなったな。2005年どんな年になるんだろう。いろいろ考えるんだろうけど私らしく、そしてハッピーにいきましょう。いい年になりますように。
2005.01.06
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