陶玄郷だより (フラクタルの森)

陶玄郷だより (フラクタルの森)

「ダーウィンの進化論」


因果



「ダーウィンの進化論」


■ ダーウィンの罪  

ここで改めて、多くの人が陥っている「思考停止」状態について書いて
みます。
「ダーウィンの進化論」、 この世界レベルで定説になっている進化論
によって多くの方が思考停止したままになっており、認識の誤りを 世
界レベルで持ち続けていることを証明しようと思います。

ダーウィンの進化論は、「突然変異と自然淘汰の結果、適者生存し進化
してきた」というような認識だと思います。

この「ダーウィンの進化論」によって多くの誤解と偏見が生まれてきた
ことに気づける人がどれだけいるでしょうか。
それは、人種差別の元になっている所と、唯物論発祥の一因にもなって
います。

進化論的に見ると黒人や有色人種は、白人と比べればおそらく進化途中
の人類に思われていたはずです。サルと白人の中間的な存在と見ていた
人が過去には多かったのではないだろうか。

黒人を奴隷として売買していた時代から一体何年たったのでしょうか?
西洋列強国がしてきた植民地政策は、アフリカの土地を机上で分割し、
アジアの地で為してきた行為は、あたかも家畜小屋のごとき様相だった
はずです。

その常識に衝撃を与えたのが、黄色いニホンザルでした。
明治維新後の日本の発展、日露戦争での勝利、太平洋戦争での奮闘は、
第二次世界大戦後の世界の植民地政策にブレーキをかけた事件だったは
ずです。

しかし、その反動は大きく、その仕返しを受けます。
民族浄化ともとれる焼夷弾でのじゅうたん爆撃、原爆の投下、さらに東
京裁判や新たな憲法による日本の骨抜化政策、愛国心を育ませないよう
にアメリカからもソ連からもその仕返しをされました。
中国、朝鮮半島の人々まで使って日本悪人論を展開させてきたのです。

しかし、人種差別や植民地政策にブレーキをかけた功績は大きなものが
あったはずです。帝国主義的植民地政策に歯止めをかけさせ、世界の植
民地の独立運動のきっかけともなりました。

■ 進化は偶然か、必然か? ■

この「ダーウィンの進化論」をフラクタルの森に入れて考えてみます。
そうすると、ダーウィンの進化論は、眼に見えている陽の世界しか
埋めていなくて、陰の世界の説明が有りません。
どのようにしてどうなった、その所しか見ていないのです。
ハウツーハウマッチ(H)の所しか説明していないのです。
何故そうなったのか?どうしてそうなるのか?W(陰)の所の説明が有
りません。

「フラクタルの森」的に見ると、完全に片目だけで見ています。
要するに、カルトです。
なぜ?どうして?と探求していないために、愚かなまでのカルト信仰に
陥っています。その認識のまま、知識人と言われているような人たちが
あきれるほど存在しています。

では、なぜ?進化出来たのでしょう。
どうして?進化し続けることが出来たのでしょうか。

生命体が誕生するためには、タンパク質かアミノ酸か知りませんけれど、
そのような物質が結合しあって単細胞が出来てきたはずです。
でも、なぜ、生命活動を開始することが出来はじめたのでしょうか?
単細胞の生命体であっても、その生命活動を維持しながら変化し、進化
するという事は、大変なことです。一度でも失敗すれば、死滅です。

生命活動している有機体ではなく、無機質の粘土を例にとれば分かり易
いでしょう。
粘土であればやり直しが出来ます。
そのような粘土が器になるための必要十分条件を探してみれば分かるは
ずです。粘土と水と薪を用意して、自然環境の中でその変動の中、何億
年も時間がたてば立派な器があちらにもこちらにも出来上がるという事
があり得るでしょうか。

粘土から器が出来るためには、その「思い」が無くては出来るわけがあ
りません。
偶然には、絶対出来ないのです。
その創り出そうという「意志の力」なくして何事も出来得ないことは、
皆さん、本当はご存じのはずです。
家の中を見回して、身の回りの道具なり見てください。
電気製品や、現代科学の粋を集めて作られた素晴らしいものを見ても
それらが、そこに存在している原因を考えてみれば分かるはずです。
そこに有るのは、創り出そうとする思いと、そして、努力です。
偶然そこに存在しているのではありません。

まして、自然界で産み出されているものを越えるものを人間が作り出せ
たでしょうか。
模倣しているにしかすぎません。使わせてもらっているのです。
有機物だから、偶然に合成され、組合わさり、単細胞から多細胞へ、水
中生物から陸上生物へ、そして、空を飛ぶ生き物へと、「偶然に」進化
してきたとする考えが、
どれだけの思いこみの上に構築された考えかという事が分かるはずです。

目には見えないけれど、どのようなものにも設計者がおり、制作者がい
ます。

■一神教の愚かさ

ダーウィンのカルトの反動でもないでしょうが、その設計者や制作者を
一つの神にゆだねてしまう考えもあります。
唯一の神、アラーなりエホバによって全てが作られたのだから、その意
志に従わなければならないとして、信仰生活を送っている人たちがいま
す。

ダーウィンのカルトと、一神教のカルトとは、同質のように思う。
そう病とうつ病と、内面的には混在しているように、極端から極端に
蛇行している現象のように思う。

粘土で作られる器でも、いろんな作者がおり、いろんな考えの基、
いろんな個性を発揮していろんな器が作られているように、
霊的世界には、いろんな霊人達がいてその思いを投影しているのでしょ
う。その霊人の能力や個性において、当然ながら、その創り出すものに
及ぼす影響は様々なものが有るでしょう。

惑星や恒星、天体の運行の秩序を司っているような神霊もいるでしょう。
このめくるめく大宇宙の有り様すら設計し制作している神霊がいること
も想像できます。
しかし、唯一絶対の神が全てを創造し、管理していると考える事は無理
が有ります。なぜなら、イエスも言っていたけれど、神は、自らに似せ
て人間を作られたと有ります。
そうであるなら、家族を見れば推定できます。

親は、子供が無前提に親に従い、親の意志通りに生きることを望むでし
ょうか。子は子なりに、個性を発揮してのびのびと素晴らしい人生を送
って欲しいと望みます。
親が、思い描く事の出来ない味のある素晴らしい人生を送って欲しいと
思うはずです。明らかに道をそれ、堕落していく場合には、強制力を発
揮してでも阻止されることもあるでしょう。
しかし、じっと耐えて見守ってくれているのも親としての情です。
親から子へ、子から孫へ、時間的にも連綿とつながるように、
空間的にも連綿とつながり、いろんな人がいろんなところで、
いろんなものを創り出しているように、この大宇宙も、いろんな霊人た
ち、いろんな神々が、いろんなものを作っているのでしょう。そして存
在せしめているのでしょう。

■正しく見る   (悟性O)

ダーウィンや一神教のように、間違った見方をしていると、結果におい
て間違ったものを導き出すようになります。
それは、前提条件が違うと後に続くところが大きく影響を受けるからで
す。
「見て→思って→行動して→結果が出る」ように、土台が違うと、その
上に作られる建造物は違ってこざるをえないからです。
正しく見なければなりません。
真理を見なければなりません。

真理を動物の象にたとえると、見る立場によって見えているモノ、姿は
違います。
長い鼻を見て真理(象)だと言ったり、大きな足を見て真理(象)だと
いっているぶんには問題が無いけれど、ライオンを象と(真理)と見誤
るようでは問題があります。

私たち人間を、偶然にサルから進化してきたように見たり、
はたまた、唯一絶対の神様によって作られたと見たりしてはいけません。

サルから偶然に進化してきたのであるならば、人間としての尊厳や存在
意義がいったいどこに有るというのでしょう。それを説明することが出
来るでしょうか。

一神教的な見方も、その信仰を持っている神に対しての忠誠心のみを
要求されることになります。他宗の信仰者は、邪教、悪魔を信仰してい
る輩と見てしまうことも有ります。

この両方の見方に陥り、そして、お互いに利害の対立などが起こったり
してくると、簡単に他者を排撃し、殺戮へと駆り立てる事が有ります。
そのように、人間が生まれてきている背景(真理)を間違ってみた場合、
悲しむべき事件につながっていきます。
そのためにも、なぜ?なぜ?と、探求しなければなりません。

人間がどのような理念の元で産み出され、生かされているのか。
正しく見ることが出来なかったら、とてもとても大きな不幸です。



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