1000km彼方の天使の涙

2007.08.09
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広島・長崎

一瞬にして、何十万人もの命が奪われた。

真珠湾への奇襲攻撃を行った卑怯さ。
戦術核を使用した惨忍さ。
国のため、愛する者のため戦った勇姿。
そしてその戦いを生んだ人間の愚かさ。
それは、遠い国・遠い昔の話なのだろうか?




「僕らの勝敗」GLAY より

夢とか恋なんかに悩む君を見守れたら
この子らが生まれた場所でこうも変わるのならば
今何をすればいい? 何を歌えばいい?
震えた小さな手で差し出す花は枯れていた

答えは僕らの負けだ
皆気付きながら瞳を伏せて
最大の過ちに向かってる







政治的に戦争という手段が、時に必要なのかも知れない。
そしてその結果は、特定の見地からは”正”の効果をもたらす場合もあるかもしれない。
しかし、戦争によって失われるモノ・・・
「高度で緻密・精密な軍事作戦によって、”最小限の犠牲”で目的を達成する」という、先進国軍の言い分。

自軍兵士の犠牲?
敵軍兵士の犠牲?
市街地の施設?
民間人の犠牲?
数の問題ではないと思う。

守るべきもののために戦う。
軍需施設破壊のために爆弾を投下した戦闘機。そのパイロットも、施設内に居た誰かも、誰かにとっての大切な存在のはずだ。
父を、母を殺された子供達に、何の罪があるのだろう?
小さな体で、生きる術を持たない子達に、その先どんな未来が訪れるのだろう?
その子達にとって、どこが”最小限の犠牲”なのだろうか?

政治的に考えれば、世界の人口は増え続けられては困る。
発展途上国の爆発的な人口増加と食糧不足。
少子高齢化問題も、老人には適度に死んでいってもらわないと困る。
介護・医療ビジネスによる経済効果はあるが、その発達に伴い高齢者の人口が増加しすぎるのもまたマイナス効果だ。
しかし、普通どこの家族が自分の身内に死んでほしいだろう?

”世界平和のため”と戦争を始める一国の指導者。
しかし、その指導者の家族が誘拐されたとしよう。
いったい、どれほどの金を積み、警察を動かし、説得をするだろう?


核保有国だろうが、非国際協調国だろうがなんだろうが、そこに暮らす子達には”家族との毎日”があったはずだ。
そして、思想・信仰の違いはあれど、”平和”を祈る気持ちは万人共通のはずだ。
だれも、愛する者を奪われたくない。
戦争で失われるものは、決して瞳に映るものばかりではない。
愛する者の命
思い出の場所
・・・心・・・



明日、もし戦争になったら、あなたは誰を守りたいですか?
守る方法は、戦うことだけですか?
相手を自分に置き換えた時、あなたは引き金を引きたいですか?






















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Last updated  2007.08.10 02:02:47


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