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4月に行った大塚国際美術館のphoto gallaryを作成しました。「システィナ歌舞伎」をやるところでもありますが、美術館として壮大!大阪からなら近いので、ぜひ一度。まる一日楽しめます。こちらからどうぞ。#同じページからガス燈コレクションも見られます。
2015.05.27
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昨日はダンナと外苑前ボランティアガイドのツアーに参加。絵画館、中に初めて入りました。http://www.meijijingugaien.jp/art-culture/seitoku-gallery/絵画館の建物は上野の国際こども図書館に勝るとも劣らない素晴らしさ。80枚のどでかい絵たちは、形としては明治天皇の誕生から崩御までを描く80枚ですが、そのまま明治維新の前後を絵巻物にして見る社会科見学みたいなもので、歴史好きにはたまりません。1枚1枚「誰が描かせたか」が書いてあるので、それも面白い。自分の父とか先祖とかが活躍した場面なわけです。銀行とか、造船会社とか病院とか、そのイベントを重要と考える会社や団体のときもあるし、「市」や「県」のときもあります。そこに描かれている人の説明図もついてます。13番の勝・西郷の江戸城無血明け渡しの話し合い「江戸開城談判」(結城素明)とか、37番の西南戦争で落ちる熊本城「西南役熊本籠城」(近藤樵仙)とか、勝者だけでなく敗者もきちんと描かれている。ロングもアップもあって楽しい。その中から、「絵」として私を引きつけたものをいくつか。日本画の40番「初雁の御歌」(鏑木清方)が圧倒的に美しかった。洋画では65番「振天府」(川村清雄)が静物画ながらアングルの「オシアンの夢」を髣髴とさせる異色の彩を放つ。同じく71番、中村不折の「日露役日本海海戦」が油絵らしい迫力のタッチで海・空の蒼、波しぶきの白に砲火のオレンジが際立った。64番清水良雄の「靖国神社行幸」が、静謐な絵筆のタッチ、色彩のクリアさで惚れ惚れ。一眼レフのしぼりを利かせて馬車の馬の艶を際立たせ、背景を靄に包ませ幻想的。かたや70番、「日露役奉天戦」(鹿子木孟郎)は、入城するカーキ色の軍隊行列と彼らを見守る現地の人々の表情とが城門のアーチの陰影の中に描かれ、胸がつまる。500円なので、一度訪れてはいかが?
2015.05.24
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年末年始と、神戸のほうに旅行していました。東京で見逃した「マウリッツハイス美術館展」に足を運び、フェルメールの「青いターバンの女(真珠の耳飾りの少女)」やレンブラント、ルーベンスなどの絵を観てきました。いつもながら、「写真以前」の肖像画のリアルさ、緻密さ、立体性には立ち尽くすのみ。今回は静物画でも、そういった「3D」的技法の魔力に魅入られた感があります。でも、「魂抜かれた」ほどの感動はなかったかな。目玉作品は「ターバンの女」ですが、それより、以前に見た「リュートを調弦する女」のほうが好みです。フェルメールは好きだけど、ちょっと騒ぎすぎだと思う。「その1枚」を観るためだけに行列するほどのことはない。とか思ってしまいました。ファンの人、ごめんなさい!私は、「はい、立ち止まらないで~」みたいな鑑賞の仕方だと、カンゲキもそこそこ止まりになってしまいます。ということで、常設展をじっくり拝見させていただきました。いやー、こっちのほうが私は面白かった。のっけから「国宝の銅鐸や銅戈」がそこにあるんですよ。ガラス越しとはいえ、ものすごく近くに。誰にも邪魔されず、ずっとずっと鑑賞できるシアワセ、独り占めでした。神戸市立博物館のある場所が、かつて外国人居留地の中央付近にあることとか、ジオラマや地図その他でいろいろな情報がよく理解できとても興味深く見ました。定点観測の写真もで紹介されていて、阪神大震災の前後の町の変化もわかるようになっています。昭和の初めからまったく変わらない建物もありました。前から一度訪れたいと思っていた「五色塚古墳」について、模型や航空写真があり、今度こそ絶対行くぞ~、の意を強くした私。楽しいひとときでした。
2013.01.02
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渋谷のbunkamuraザ・ミュージアムに「レーピン展」を観にいく。とにかく、レーピンの写実性はすごい。顔なんか、肌の肌理(きめ)まであるんだから!一体どうやって描くんだろう?一口でいって、「写真より本物っぽい」ていうか、鼻すりつけるくらいまじまじと見たって、「やっぱり写真じゃないよな~。でも、写真みたいだよな~」今にも動き出しそう。紙とエンピツで3D。絵の具の筆で3D。デジタル3Dの何倍も立体的。人間は、こんなに能力があるのに、「便利さ」を追求するあまり退化した。そうとしか思えない。レーピンのデッサンの凄さは、奇跡に近い。また、彼の習作の数々に触れ、「デッサン」→「写生」→「作品」とつなげていく極意のようなものを感じた。ノンフィクションをフィクションにする力。言い方を変えると、「事実」を「真実」にする力。肖像画を描きながら、その人物の心までをも感じさせる、その力。いわば「具象」を「普遍」にする力。東京では8日まで。あー、行けてよかった!レーピンとの出会いは5年前。詳しくはこちら。
2012.10.04
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最後の更新から、かなり空いてしまいました。11月10日から15日まで、3ヶ所を周るという息をもつかせぬスケジュール。横浜に1泊2日、浜名湖に1泊2日、浜名湖から直接奈良へ行って夕方着いて1泊、翌日の深夜に高速バスで京都を発って新宿に朝着いて、火曜日そのまま出勤というありえないスタイルとなりました。仕事が終わってから夜バスに乗ったことはありますが、これは初めて。横浜は、第13回図書館総合展と開港資料館の見学がメイン。あいにくの雨でしたが1回100円の「赤いくつバス」でぐるっと観光しました。夕食は中華街、翌日のランチは馬車道でフレンチ。浜名湖は、学生時代のテニス仲間との30周年記念合宿で、久しぶりのテニス。青春の日にタイムスリップして、なんとか怪我なく終了。途中、天竜川近くの秋野不矩美術館にも寄りました。奈良は、正倉院展の最終日見学が目的です。「蘭奢待」って、「東大寺」を入れた漢字を並べた言葉だったってご存知でした?私は初めて知りました~!上の富士山の写真は、行きの由比パーキングエリアからの眺め。素晴らしかったです。こちらは秋野不矩美術館。建物がユニーク。同時開催の郷倉和子さんの梅の木を描き続ける執念にも感心。秋野さんの絵もいろいろとよかったけれど、もっとも好きになって額絵を買ってしまったのはこれ。とても大きな絵で、それを遠くから見ると、よどんだ大河がうねって見える、その悠久感に惚れました。小さな写真ではわかりにくいですが、点々と続く黒は大河を渡る水牛の群れ、色も黄色一色ではなく、様々な色が作られ、使われ、どうやったらこういう絵を描こうと思うのかな~、とか思ってしまいました。
2011.11.17
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ニュージーランド国籍を持つJinji Koyamaさんは、カンタベリー大学の学生だった2000年、ニュージーランド・クライストチャーチでの受賞を皮切りに、いろいろな賞を獲得、この4年間はニューヨークやロンドンなど、世界各地で活躍しています。神学も修めている、という小山さんのアートの原点は、ニュージーランドの森、山、湖といった自然。とってもハートフルで穏やかな作風です。複雑すぎる現代からちょっと逃げたくなったとき、ほっと一息つきたいとき、彼の作品があなたを癒やしてくれるかもしれません。彼の日本で初の個展が2月19日から、東京・代官山のSPACE Kで開かれます。よろしかったら、どうぞ。
2011.02.04
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東京・上野にある東京都美術館に「フェルメール展」を観に行ってきました。フェルメールといえば、最近映画になった「青い耳飾の女」とか他の美術館で来日展示のあった「牛乳を注ぐ女」"あとは「デルフトの眺望」などが有名です。今回、この3点は展示されていませんが、全体数の少ないフェルメールの作品としては、7点が集められて展示というのはけっこうすごいことかな、と思って行きました。今回来た中でもっとも有名なのは、通りに面したレンガ色の家と、その入り口から続く長細い路地を描いた「小路」でしょうか。小さな作品ですが、温かみがあって、さすが人気の作品だな、と思いました。もう一つ、私が惹かれたのは「リュートを調弦する女」という作品。左側の窓から射す淡い光が映し出す、フェルメールではおなじみの構図ですが、その光が強調するのはドレスのひだでも、ショールのひだでもありません。ほとんど白と黒だけ、そこに薄いレモン色がセピアがかって重ねられたような色使い。窓の外にふと目をやる女性の広い額と大きな瞳なのです。一瞬「エディット・ピアフ?」と思いました。細くそしてチリチリの髪の毛が、ひっつめの額から後頭部にかけてのシルエットをぼーっとさせています。胸が浅いV字にあいたドレスの襟は白く、影にになった首元は、真珠でしょうか、短めのネックレスとイヤリングだけが光ります。「オランダの民族衣装」的な装いではなく、2,30年前のヨーロッパの女性が来ていたような、「リュートを調弦する女」の持つ、そんな雰囲気のモダンさが他の絵とちがうインパクトを私に与えたのかもしれません。買ってきた絵ハガキはこの2つ。今回展示のなかった(っていうか、もしかして門外不出?)「デルフトの眺望」は、絵はがきもなし。メモパッドが洒落ていたのでそちらでガマンです。プルーストの「失われた時を求めて」には、ベルゴットという登場人物が、パリの展覧会でこの「デルフトの眺望」を見て、非常に感激する場面があります。プルーストはここでベルゴットの目となり、描かれたものを微に入り細に入り「言葉」で表現し続けます。(こちらには「デルフトの眺望」の絵とともに、その一部分が引用されています)実は、私は「デルフトの眺望」の絵を見るより前にプルーストの文章を読んだので、この絵の美しさは、まず自分の頭の中に構成されました。だから、この絵に関しては、特別な気持ちがあるのです。オランダのマウリッツハイス美術館には、この「デルフトの眺望」だけを見せるための部屋があると聞きました。いつか、そこを訪ね、マルセルのように、たった一人で絵を独り占めし、絵の世界の隅から隅まで、なめるように眺めてみたいものです。東京都美術館の「フェルメール展」は、12月14日まで。来日作品以外も、原寸大の写真パネルで観ることができます。
2008.10.14
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ね。今、あたいが何考えてるかわかる?わからないの?あんた、あたいの絵を描いてるんでしょ?だめね画家失格じゃない?ふふ…愛してるって?ウソおっしゃいきのうのかわいい娘(こ)、だあれ?ほぅら…赤くなった…男の言うことなんて…サ……だけど……やっぱりあたいもあんたが好き真珠よりもね…ああん、動くなっていったって、疲れちゃったわようふ…キスしてくれたらう・ご・か・な・い 1972年7月5日(水) 中学3年1学期の期末試験最終日が終わってその夜。 美術の教科書に載っていたコローの絵「真珠の女」にインスパイアされ、 4人の女友達でまわしていた交換日記に書いた作品。 少女にありがちな、まだしたことのない恋への憧れがつまっている。 他愛もないが、今書けと言われても、絶対書けない。 同じページに、コローの絵の模写も描いている。 (今見ると、かなりヘタ。Mixiにはそちらも載せよっかなー)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・現在、東京・上野の国立西洋美術館では、「コロー 光と追憶の変奏曲」展を開催しています。(6月14日~8月31日)上野公園に行くと、バーン!と「真珠の女」の看板があったり、旗が掛かっていたりで、イヤでもこの昔のことを思い出し、なつかしくて交換日記を探して転記しました。コローは、どちらかというと、風景画で有名。けっこうボーっとした絵が多いんで、私はあまりインパクト受けたことないんですけど、この「真珠の女」が見られるならーーー!!…と、行ってまいりました。「真珠の女」、やはりステキでしたよ。ただ、「真珠」っていうのは、額にかかった木の葉を真珠と見間違って誰かが後からつけたタイトルだとか。上の文章を書いたときも、たしか「どう見ても、真珠はどこにもない。この女性が真珠みたいだってことか、でなけりゃ真珠をとってる海女さんとか?」・・・と、勝手に海辺の漁村の娘さん、という設定にしたのを思い出します。非常に展示作品数も豊富で、とても楽しめる展覧会です。タッチが優しいので、心がなごみます。カップルで来ている人たちも多かった。今なら、それほどひどく混んでもいません。ゆっくり立ち止まって、好きな絵を好きなだけご覧になれます。また、特別展のチケットで常設展も見られるので、おトク。国立西洋美術館の常設展示作品は、見ごたえがあります。ぜひ、お時間をたっぷりとってご鑑賞ください。*なんと! 知らなかったんですが、今日はコローさんのお誕生日だそうです! そんな日にこの記事を書こうと思い、そしてその日に10万アクセス突破した私は、 もしかして、とっても幸運??(でも、コローの誕生日って本当に今日なの? 諸説あるようで、ナゾ。 ていうか、国立西洋美術館さんの記述は記述で誤記みたいだし…) 今日コロー展に行くと、プレゼントがあるみたいですよ~。(先着50名だから、もう無理かな?)
2008.07.17
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3月25日から東京・上野の国立博物館で続いていた「薬師寺展」も、とうとう明日が最後となりました。光背をはずした日光菩薩、月光菩薩のお背中を拝見できる機会など、これを逸したらもはや訪れないかもしれない!…と思う人も多いようで、最終日を前に、どんどん入場者が増えているもようです。内容としては、目玉の日光・月光の両菩薩立像のほか、聖観音菩薩立像、仏足石、吉祥天像(これは絵画)、神功皇后・仲津姫命・僧形八幡神の八幡三神坐像、などが国宝です。薬師寺でもっとも有名な東塔の路盤蓋板、伏鉢もみられます。(これも国宝)その東塔の一番上の水煙の模型もあります。ほかにも薬師寺の歴史がわかる重要文化財級のものがたくさん。会場の中で、最初に目を奪われるのは、聖観音菩薩立像。華奢で優美で、その立ち姿は菩薩というよりインドの舞姫。光背のない後ろにまわると、薄衣をまとった腰から下と、張りのある背中の肌のつやとで、いよいよなまめかしい。衣裳にはあちこちに飾りがついていてことのほかきらびやか。正面にまわると、額の真ん中には、透明な光を放つ石が埋め込まれている!私たち有象無象の観客は、お立ち台の上の美女(どうみても女性だ!)に群がっているようにさえ感じた。5月2日に、この聖観音立像が本来いらっしゃるはずのお堂を訪ねた私は、そこで「複製」の立像に出会っている。今回、「ホンモノ」にお会いできたわけだけれど、複製でも十分ありがたかった記憶がある。そこに「祈り」の環境が整えられているか否か。それは、大きな違いなのだな、と思った。さて、次のブースに足を踏み入れると、大きな空間に、かなりの距離をおいて日光・月光菩薩が並んでドーンと立っている。人がわんさかいる会場の中にあって、この両像は、遠くからでもひときわオーラを放っていた。聖観音立像のなまめかしさに比べると、さすがに日光さん月光さんは、「人を救う」といった大きな愛を具現している。大きな仏像というと、奈良の大仏とか、巨大なものを思い浮かべるけれど、そこまで大きくなかったにしても、やはり「像の大きさ」は「頼りがい」に通じ、「救いの大きさ」につながるのではないだろうか。やはり光背がはずされているので、後ろにまわる。「お客様同士、譲り合って、時計回りに少しずつお回りください!」と職員の声が飛ぶ。ほとんど「メッカ」状態。聖観音立像の時も、像の周りを人びとがグルグルまわっていたけれど、ここでは日光像と月光像を2つの中心として、人びとは8の字を描きながらちょっとずつ動いていく。じっとひと所に立っていることは難しいものの、かなり近くでしっかり観ることは可能だし、何度もグルグル回れるから、「あっという間」ということはない。気の済むまでそこにいられるよさはあった。聖観音立像に比べると、お背中もシンプル。飾りもなく、あっさりした裳裾の襞。むっちりとした背中は、背筋でくっきり二つの山にわかれている。日光・月光は両手のボーズも、体のくねりも左右対称。印を結ぶ指はふっくらしていて、ウエストはきゅっとしまっていた。そこだけ見ると女性的ともいえるけれど、また正面にまわってお顔を拝見すると、特に日光さんは、如来的な安定感があり、男性的な力を感じた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上野の美術館の多くが、金曜の夜だけ閉館時間を午後8時としていることをご存知でしたか?知人におしえられて、私は昨日の夜行ってきたのですが、この「薬師寺展」に限っては、6/4(水)から最終日まで、閉館時間を午後8時に延ばしていました。私が行った午後6時半でも30分待ちという状況。日中は、もっとすごかったのではないでしょうか。昨日は気温もかなり高かったので、待っているだけでも大変だったことでしょう。臨時の無料給水コーナーまで設置されていました。昨日は、結局待っている人が多すぎて8時に閉館もできず、特別に8時半まで観られることとなりました。すごい人気です。初夏の夜とはいえ、午後8時ともなればもう真っ暗。会場を出ると、細く明るい三日月が出ていた。上野の森を煌々と照らすその月の光は、本当に美しかった。天高く、たとえ手の届かない夜空の、黒々とした木々の真上に小さく姿を現した三日月でも、私たちはその輝きの中に神を見る。たしかに日光さんや月光さんは、すばらしい芸術品だし、今まで誰に見せるでもなく光背の陰に隠れていたお背中は、素敵だったけれど、やっぱり薬師寺の金堂の中で真ん中の如来さんを支えつつ、三尊が揃うことで、きっともっと素晴らしい本当の光を放つのではないだろうか。そんな気がした。この前は、お留守の薬師寺に行ってしまいましたが、今度はご在宅のときにまたお邪魔しますね。
2008.06.07
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東京駅直結の東京・大丸店の10階「大丸ミュージアム」で今やっている「20世紀の巨匠たち」。ロバート・キャパ、ユージン・スミスなど「巨匠」といわれる写真家の作品が、120点ほど見られる写真展です。他にマン・レイ、エルンスト・ハース、ヘルムート・ニュートン、ルイス・ハインなど全部で14名。私がもっとも感銘を受けたのは、ユージン・スミスでした。彼はアメリカ軍の従軍カメラマンとして、沖縄戦を撮っています。やられる側としては、火炎放射器で焼かれる大地の写真を見ながら、この先に人がいたのかいないのか、とても気になりました。彼は、どんな気持ちでこの写真を撮っていたのでしょうか。煙で洞窟からいぶりだされた女性と子どもを写した写真は、その二人が「敵」ではなく「被害者」であることを雄弁に語っています。ユージン・スミスの写真に写る人物は、みな感情を持っています。その感情を伝えてくれるスミスの写真がすごいと思いました。スペインで撮った写真で、今にも天に召されそうな老人のベッドを囲むように、黒いベールを頭にかぶった女たちの心配そうな表情がくっきり浮かぶ作品は、まるでルネッサンス時代の絵画のようです。演出したとは思えないけど、偶然とも思えない。この絶妙なアングルが、彼の写真を他の人と少し違ったものにしていました。「今そこにある事実」を臨場感あふれるタッチで残してくれたのは、ロバート・キャパ。特に、ナチスから解放されたパリにあふれかえる群衆や、同じくシャルトルの通りを歩く人々の写真が印象的でした。ドイツ人との間に生れた赤ん坊を抱いた女性は丸坊主にされ、彼女をとりまく大勢の人々の、意地悪く笑っている目、目、目。老人も、子どもも、男も女も。泣きもせず、口を真一文字に結んでしっかり子どもを抱く丸坊主の女性が、世間から裏切り女として断罪されているのにもかかわらず、とてもりりしく見えました。不思議です。好きじゃないけど、スゴイと思ったのはヘルムート・ニュートン。ほとんど変態です。「オフィスラブ、パリ」なんて、大きな机に女性を押し倒している“ジェントルマン”をのぞき穴から見ているように写真の周りを加工してたりします。「マネキン」という作品は、服を着ていないマネキン人形みたいな女性を、ハウス・マヌカンが抱いてキスしてる。スラリとした脚の女性がかがんでお尻を出して、それをこれまたスラリとした美女が棒で叩こうとしているところ、とか。隠微っていうか、人工花っていうか、そこに「現実」は一つもありません。モデルを使って、彼の妄想をカタチにしています。エルンスト・ハースはカラー写真で自然をとりまくります。赤く噴出する溶岩、崩れ落ちる波、雨に濡れた落ち葉。こういうの、ほっとします。写真ってひと口にいっても、いろいろあるんだな、と改めて思った。フィクションあり、ノンフィクションあり、事実に見せかけて演出したものあり、人を素材の一つとして配置したものあり・・・。事実を通して人の心理に迫ったものあり。見学している若い男性が、写真の構図をエンピツで書きとめていました。写真の勉強をしている人でしょうか。その人は、きっと私とまったく違う視点で、これら巨匠の作品と向き合っているはずです。未来の「巨匠」の、第一歩になりますように。
2008.04.20
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上野の東京都美術館で、1月24日から始まったルーブル美術館展。ポンパドール夫人によって花開いたロカイユ文化(ロココ調)は、贅沢も遊び心もここに極まれりといった、華美にして華麗な装飾の数々。そのあまりの「非道徳」(素っ裸が多い!)、あまりの「非論理性」(いきなり怪物、いきなり動物)に対抗して勃興した「新古典主義」文化は、フリフリ装飾が少し削ぎ落とされてラインはすっきりしたものの、金キラキンの豪華さはかえって増した感じがありました。最後の王妃マリーアントワネットの時代になると、さらに調度品はシックに。「この椅子、このテーブル、一つでいいから欲しい!」と思ってしまいます。一方で風刺されるほどの高さに結った髪型(どーやって寝るの?)とか爛熟・頽廃・革命前夜の匂いを発している。「MA」のイニシャルが入ったアントワネット専用の品々も見所ですが、白眉は嗅ぎ煙草入れとボンボン入れ。金とダイヤで作られ、時に深い褐色の鼈甲や水晶もあしらわれています。小さいものながら、「実用を通り越した贅沢さ」」で、贈答品として、大変好まれたようです。嵌めこまれた細密画にも目を見張りました。ルーブル宮などの風景画、神話から題材をとったもの、そして、肖像画。肖像画の場合、使う人の肖像画をつけて贈るのか、「ボク(または私)のことをいつも思い出してネ」と自分の肖像画をつけるのか、とか、いろいろ想像してしまいました。(結婚式の引き出物みたいに、夫婦の肖像画付、というのもあった)ミュージアムショップも充実していました。ベルばらキッズの紹介するベルサイユ、というパンフレット(1000円)が(アントワネットの時代のものに特化してはありましたが)非常によくまとまっていて、いい図録になっていたように思います。1月24日に始まったばかり。4月6日まで。調度品など小さいものに装飾がほどこされているものを鑑賞するので、こじんまりした雰囲気。混雑の予想される春休み前をおすすめします。
2008.01.28
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建築家の黒川紀章氏が急逝した。本当に急だったらしく、夫人の若尾文子さんの口から出るコメントにも、まだ亡くなってしまったという実感がわかないような戸惑いが滲み出ていた。東京都知事選に出馬したり、参議院選挙に立候補したり、とここのところ政治関係でよく話題になり、テレビで顔もよく見るようになっていたが、黒川氏は世界的にも非常に高く評価されている建築家である。私は建築のことは何もわからないけれど、1970年代に作られた中銀のカプセルタワービルの異様とも思えるその風貌は、当時としては、ある意味梅図かずお氏のピンクの家以上のインパクトだった。ただ「今まであるもの」を壊すだけではなく、彼なりの理想と、世界観とがあったからこそ、彼はずっと第一線で活躍し続けてきたのだと思う。そして、最も最近話題になった彼の作品が東京・乃木坂にできた「国立新美術館」。その日光を反射して美しく光るガラス張りの外観の曲線は、周囲の緑と調和して入り口に立ったその時から「美術」を感じさせる。決してクラシックではない、時代の最先端のモードでありながら、この美術館は私たちにリラックスや癒しをくれるのだ。気取らない、とんがっていない、やさしい建築物。ものすごく高い天井。ガラス越しに降り注ぐ明るい陽光。モダンなレストラン。美術展を見なくても入れて、くつろげる空間。「広い」「高い」ということが、こんなに心をやわらかくするのだということを初めて意識させられた。環境への配慮、障害者への配慮、その他今までの人類の叡知をしっかり入れ込んで、すべての人が「美術」を「楽しむ」スペースを提供した黒川氏。「共生」ということを、彼は40年も前から提唱し続けてきたという。私は、彼の思想は知らない。彼の人となりも知らない。でも、この美術館は好きだ。最高の芸術も見られる。子どもたちが芸術にチャレンジするスペースもある。学術的に研究する場所もある。そして、建物自体が美術である。彼の肉体は滅びるけれど、彼の建築はこれから生き続ける。彼のDNAを、誰かが受け継ぐことだろう。合掌。
2007.10.13
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芸大美術館の周りには、つまり、それは芸大のキャンパスの一部ということだが、そこここに銅像が配置されている。「○○先生」と銘打たれたものが多い。そのうちのひとつが岡倉天心坐像だ。茂みの奥の、お堂のような東屋の中に、平安時代の直衣のようなものをまとって、手術をする医師がかぶるような帽子をかぶっている。最初見た時、「この人、中国人だろうか?」なんて思ってしまった。芸大というところは、西洋の香りがする。だから、とても違和感があった。この人が、その芸大を創設した立役者だ、と知った時は、とてもフシギな感じがしたものだ。10月4日から、東京藝術大学美術館で、「岡倉天心~藝術教育の歩み」という催しが始まっている。「岡倉天心」といえば、反射的に「フェノロサ」と出てきてしまい、そしてそのほかは何も知らない。もっといえば、「フェノロサ」のことだって、何も知らない私。行ってみようかな。上野の美術館のあちこちに置かれている「岡倉天心展」のちらしには、表は銅像と同じかっこうをした天心の写真、裏には天心の後進たちが生み出した芸術の数々が載っている。「え~!? これ、全部天心の作品?? すごい人だ!”」さすが芸大の父だな、とか感心して、おバカな勘違い。最高の日本画、最高の仏像、最高の木彫・・・。いくらなんでも、一人の人が作れるわけないか。でも、岡倉天心への興味は湧いた。インパクトのあるチラシだ!「ルーツはみんな岡倉天心」というシンポジウムのタイトルが示すように、ここには明治以降の日本藝術のカギが隠されているかもしれませんね。私はまだ行っていませんが、11月18日(日)の最終日までには足を運ぶつもりです。(入場料も500円と安いです)
2007.10.12
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10月9日は東京国立博物館の「法隆寺宝物館」を紹介しましたが、今日は、「東洋館」を。国立博物館は、正門を入って正面が本館(日本ギャラリー)、向かって左に表慶館、その奥が法隆寺宝物館、そして向かって右に東洋館があります。最初に法隆寺宝物館に行って「7~8世紀」のものに飛鳥時代のロマンを感じ、すっかり時空を越えていい気持ちになっていた私は、東洋館に足を踏み入れたとたん、ガーン!!1階は仏像(石像)が陳列されているのですが、そこからすぐの中2階はエジプトとメソポタミアの遺物が展示されています。くさび形文字が彫られている石のかけら。ちゃんと「翻訳」された紙が脇にあって、「ロバ○頭・・・」というのもあれば、「この神殿を、○×(女性)のために作った」などというのもあります。ひぇ~、どうしてこんなのわかっちゃうんだろう??そして、かたわらにあったネームには「紀元前20世紀」と書いてある。前20世紀って、今から4000年前???今から1300年前のロマンにひたっていた私は、何だか頭がクラクラしてきてしまいました。その上、中2階までの幅広階段を上がるとすぐのところに、棺のようなものが・・・。照明が落とし目になっているのでよく見えない。近づいてみると・・・うう・・・しゃれこうべ・・・丸見え~。私、手術の模様とか、そういうの見て卒倒するようなタマじゃないんですが、それから、つるつるピカピカの白い骸骨とかはまったく平気なんですが、このミイラさんはちょっと・・・リアルすぎるというか、肉感的というか・・・正視できませんでした。ギャラリーの奥の方で安らかに眠っていていただきたいなー。階段上がったら「はいこんにちは~!」みたいな置き方、どうなのよ??今回は、はっきり言ってすぐに失敬してしまったので、プレートも何もちゃんと見ていません。どなたのなきがらなのかもよくわからん。今度行ったら、もうちょっと冷静に拝見いたします。他にも中国、朝鮮半島、西アジア、カンボジア、インドなどのものが。1階に展示してある石の仏像レリーフは見事でした。なぜそれが日本にあるのか、なぜ日本で重要文化財指定になっているのか、という疑問は、こうした博物館を訪れるたびに湧き上がります。(大英博物館やルーブルにエジプトの文化財がずらりと並んでいるのと同じ)でもアフガンやイラクで破壊されずにここで保存されたと思うと、よかったような気も。中には平和的に譲られたもの、交換したものもあるでしょうが、中国の奥地にあった石像が一日本人の名前で「寄贈」されていたりするプレートを見るにつけ、「既成事実」として日本のものになっている文化財も多いと推察されます。どうやって切り取られ、どうやって運ばれたのか、それを想像すると、申し訳ない気持ちにもなりますが、どうか「ぶんどって、自分たちだけで楽しんで」と責めないでください。今は、それぞれの国が協力し合って、人類の全体の遺産として各地で保存し、こうした考古学的な文化財についての知識と理解を深めるという共通の目的のために平和的に共有していると考えられるといいな、と思います。でも、私たちも、どうしてこれらがここにあるのか、今までの歴史をよく学ぶ必要があると思います。
2007.10.11
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東京国立博物館は、広大な敷地内に「本館」「東洋館」「表慶館」「平成館」そして「法隆寺宝物館」があります。今日は、その中から「法隆寺宝物館」を。というのも、1年に春、夏、秋、それぞれ1ヶ月しか公開していない「伎楽面」が今行くと見られるからです。東京に法隆寺の宝物館があるのはなぜ?これは、明治11年(1878)、法隆寺伝来の宝物のうちから皇室へ献上されたものが、戦後国有となり、そのうちの300件あまりが東京国立博物館で保管されるようになったというもの。昭和39年(1964)に宝物館が開館しましたが、この時は保存状態を良好に保つため、週に1日しか公開されていません。現在の建物に改築されたのが平成11年(1995)、以来、他の館と同じく毎日公開されています。(月曜休館)「皇室への献上品」というだけあって、暗い館内に整然と林立している仏像の部屋はモダンな中にも荘厳。マホガニー調の腰高の柱の上に鎮座した保存のいい小さめの仏像が一体一体細いスポットライトにそれぞれの足元から照らされ、お寺のご本尊というより、皇室の人々一人ひとりの守り本尊、といった風情。温かい雰囲気でした。ガラスで覆われているとはいえ、お顔もじっくり拝見できます。その部屋の後ろにある伎楽面の部屋がまたすごい!仏像の部屋とはうって変わって白い壁面に蛍光灯の光の中、クスノキやキリの木をくりぬいて作られた伎楽のお面(というか、かぶりもの)が30面くらい陳列されています。仏像と同じく、ほとんどが7、8世紀に作られています。聖徳太子とか、藤原鎌足とか、中大兄皇子とか、そういう人と同時代に生きた人々がかぶって踊り、演じたと思うと、もう震えるほど感動!7世紀までの面がフシギの国から来たような、のっぺりした面持ちであるのに対し、時代が下っていくと顔のしわなど、表情がリアルになっていきます。技術が発達したというより、日本人になじんだ顔になっていったという移り変わりで、お面作りという文化が日本のものになっていく過程が垣間見えるようでした。新しい宝物殿は、宝物の保存のため、陳列室は照明を低く抑えてありますが、その分、ロビーや階段室などは外からの光がたくさん入ってくるよう設計され、外の緑や前庭の噴水などが細長い縦のスリットを通して鮮やかに目に入ってきます。仏教史や法隆寺史、日本美術に関する本が並べられている資料室には機能的なデスクとチェアが並べられ、廊下やロビーにはソファも用意されています。ゆったりした気分を味わえる、すばらしい空間。飛鳥時代の夢の余韻を十分楽しめます。1階奥にはホテルオークラのガーデンテラスもあり、窓際は全面ガラスなので、外の景色を眺めながらケーキセットや喫茶でくつろぐのもよし、軽食も楽しめます。通常展は、大人600円ですべての館を見学できます。高校生以下は無料!子どもを連れて行った大人は、100円引きです。特別展については料金体系は別。この割引もないので、ご注意を。
2007.10.09
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黒田清輝というと、切手にもなった「湖畔」という絵が有名です。団扇をもった浴衣姿の女性が、湖のほとりに腰をかけている、日本画っぽい図。これだけを見ると、黒田清輝はとても保守的な画家のようにも思えてきます。ところが、黒田という人は、女性の裸体画を展覧会に出して物議をかもすと、それ以降も敢えて裸体を描き続けるような人でした。黒田清輝記念館に行って、「智・感・情」という大きな絵を見たら、どんな人でもド肝を抜かれるでしょう。金箔の巨大縦長キャンパスが3枚。それぞれに、日本女性のヌードが描かれています。(HPでも見られますが、本物を見ないとこのスゴサはわかりません。あえてリンクをやめます)向かって右は、長い黒髪を背中のほうに全部流し、髪のほつれを気にするようにうつむき加減で右の手を額にやる女性。左手は、へその上あたりを軽くおさえている。向かって左の女性はたっぷりの黒髪を、右半分だけ前にたらし、そのため右の乳房はかくれて見えない。まるでそこを誰かにひっぱたかれた直後のように、右のこめかみあたりを髪の上から手で押さえ、うなだれた顔は涙とくやしさでゆがんでいる。秘部のあたりは左のてのひらがそっと隠している。そして真中の一枚。髪はひっつめにしてアップ。ピッタリとひざや足首をそろえ、胸を張り、まっすぐ前を見据えている。両手はこれから小さい神輿を一人で担ぐかのように、両肩の少し上、両耳の少し離れたあたりに置かれている。どれが「智」でどれが「感」でどれが「情」か。それは、行って確かめてください。とにかく、「圧倒される」とはこのこと。時を忘れて、3枚が醸す神殿を見上げている人が、そこにも、ここにも。この神々しいヌードの女性を見るだけでも、記念館に足を運んだ甲斐があるというもの。その顔立ちから、モデルは「湖畔」と同じく黒田夫人ではないかと思われます。「こと女性に関しては、黒田のアプローチはフランス人のそれとほとんど同じだった」という黒田をよく知る者の言葉が、またまた絵に人生という奥行きを持たせます。明治の始まる1年前に薩摩藩士の家に生まれ、伯父の家の養子となって今の平河町のあたりに7000坪あったという屋敷に住む。10歳になる前から論語も英語もならい、外交官になるためフランス語も学び、法律を修めんと18歳でフランスに留学。ところが20歳で、それまで「画家など一段低いもの」と思っていたその絵を男子一生を賭けてあまりある職業と思い定め、フランスで評価を得るまでになる。フシギな男です・・・。つい最近ですが、地下鉄の中吊り広告で緑の芝生の上に仰向けに横たわる、あわや乳房も・・・という女性の絵が私の目に飛び込んできました。その、官能のためいきがきこえるような表情に思わず見入ってしまった私。これ、ポーラ美術館収蔵の、黒田清輝の名作だった。とにかく、「人」を描かせたらこんなにすごい人はいないと思わせる画家。フランスにいてはフランス人を、日本にあっては日本人を、ここまで「その人らしく」カンバスの上に表現できる人は少ないのではないでしょうか。黒田清輝(くろだ・せいき)記念館は、通常木曜と土曜の午後1時から4時のみしか開いていませんが、10月30日(火)~11月4日(日)まで、上野の山ゾーンフェスティバルの一環として、9:30~17:00特別に公開されます。今まで「あら、こんなところに記念館が」と思っても閉館ばかりでチャンスがなかった人には朗報。それもここは、「無料」なんです!国際こども図書館の隣り、旧奏楽堂の向かい。上野の駅から芸大へ続く道の入り口に立つ落ち着いた建物に、一度足を運んでください。明治の画家って、本当にすごいです。「雲」という6枚の連作も、私のお気に入りです。
2007.10.07
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美の20世紀(2)10月13日から、上野の森美術館で「シャガール展」が始まります。シャガールは、その幻想的な画風が独特で、日本に多くのファンがいます。現代では、そしてマンガ的な絵に慣れている私たちには、馴染みのある作風ですが、オーソドックスな洋画の世界では、かなり異端。驚きは、そんなシャガールがパリ・オペラ座の天井絵を描いていることでしょうか。日本でいえば、能楽堂のロビーを岡本太郎の絵で飾る、くらい、前衛的なことだったのではないか、と私は思っています。今回は、生誕120周年ということで、出展数が多いだけではなく、彼の作画風景の写真も展示されます。12月半ばまでの短い期間なので、興味のある方はお早めに。パリのオペラ座の天井画(641×890mm)この小さい絵ではまったく雰囲気つかめませんね(笑)。イジスの写真(「シャガール展」をクリックすると見られる)で、大きさを実感してください。ポスターは、常にいろんなのが出ているようです。ご参考まで。美術展で見ると、つい感動を家まで持って帰りたくなってしまいますよね。今回の美術展では版画も多く出品されるようなので、ミュージアムショップでは、その関係のグッズが出るかもしれません。お気に入りの小さいものなら、手に入れやすそうですね。
2007.09.25
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12日に紹介したムットーニ展、早速行ってきました!これから行く人へのアドバイス。時間の余裕を持っておでかけ下さい。展示されているものには一つひとつお話があって、次から次ヘ、ムットーニ自身のナレーションが付き、からくりステージが幕を開けるのです。常にライトが当たっていないものほど要注意。素通りしてしまった何のヘンテツもない箱が、ライトと音楽の魔法とともにダイナミックな変貌を遂げます。暗~い迷路を行きつ戻りつ、すべての物語を堪能してからお帰り下さい。日によって、時間によって、ムットーニご本人のシアターもあり。私はこの前自分でブログに書いた「天使のような、悪魔のような」というフレーズそのままの空間を満喫してきました。大好きな『摩天楼』に酔いしれ、『ギフトフロムダディ』の少年の夢を体験し、ミラーボールの中の宇宙を遊泳し、パイプオルガンの中の堕天使にも、教会に宿る天使にも会ってきました。お帰りのおみやげには、ここでしか売っていないというパンフレット(\1200)もいいけど、想像力を刺激してくれる「ムットーニのからくり書物」(\1800)もおすすめ。音と光の三次元異空間を味わうスイッチは、実は自分の心の中にこそあるのです。なまじ写真にしてしまうと、夜の楽しみが昼の光にさらけ出されるごとく、魅力が半減してしまいます。家に戻ったら目を閉じて、ちょっぴり芝居がかったムットーニの毒を含んだやさしい声を思い出してみて下さい。。ほら、あなたのまぶたの裏で、お気に入りの人形が動き出します。
2007.09.15
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東京乃木坂・ミッドタウン内のサントリー美術館で「BIOMBO 屏風 日本の美」開催中です。昨日(9/12付)の朝日新聞夕刊「水曜アート」にも大きく取り上げられていました。今回は、世界に散逸した日本の屏風が一同に会するという趣向。あちこちに散逸して、「明治以来、何十年ぶりかで右隻と左隻が再会した!」みたいなものもありました。もう一つの目玉が「西洋人(おもにイエズス会)が日本人に描かせた、西洋風の屏風絵」です。馬に乗ったフランス王、ペルシャ王、エチオピア王などが描かれた「泰西王侯騎馬図屏風」(サントリー美術館蔵)や、歴史にも名高い海戦「レパントの戦い」を描いたものもあります。この「レパント」の対になっているのが、なんと世界地図!どこに「人食い人種」がいる、とかも含め、いろいろな民族の絵が描かれています。(両隻とも、香雪美術館)こうした「西洋風の屏風」は、まさに「屏風に描いた油絵」みたいなもので、日本でいう「屏風絵」とは違います。言ってみれば、「折りたたんで持ち運びが便利」「船の上でも異国でも、その絵を鑑賞できる」といった屏風の形が、西洋人に気に入られたのではないでしょうか。屏風は、外国への贈答品としてよく使われていたらしく、朝鮮通信使などを通じて朝鮮王朝に渡った日本の(和風)屏風などもありました。「苅田雁秋草屏風」(狩野友甫宴信筆・韓国国立古宮博物館蔵)もそうです。金地に雁の姿が写実的で、思わず見入ってしまいました。王朝ではとても大切に扱われていた、という但し書きもありました。贈り物として描かれたものは、どれも屏風の大きさも立派で、また金箔が特にふんだんに施されているようです。お産の時に立てかける、という「白絵屏風」(伝原在中筆)というのもステキでした。薄いセピア色の地に、白色だけで鶴などが描かれています。「出産」という神聖な場所で、生まれてきた子どもが初めて目にするものが、この白い屏風。妊婦の気持ちをリラックスさせるにも最高だなー、と思いました。お産の時に「白絵屏風」、ということは伝わっていたけれど、実物はこの一点くらいしかないということです(京都府立総合資料館蔵)。私がもっとも感激したのは、「墨梅図屏風」(ライデン国立民族学博物館)。金地に、大胆な梅の木が右隻に1本、左隻に1本で対になっている。互いに向かって枝を伸ばしたその枝には、細かい梅の花がたくさんついています。その枝や花の繊細な筆使いと、どっしりと構えた太い幹の、荒々しいまでの野性味とが、「金」と「黒」だけで表される中、まったく違った空気を共存させていました。この「墨梅図屏風」は、その下絵(「金時墨画梅御伺下絵」)も展示されています。A3用紙2枚を並べたような大きさの金色の紙に、同じように墨で描かれた1対の梅の木。これを先に見たのだけれど、その時は「ふーん」とほとんど素通り。紙の金がすごいなー、っていうくらいだった。ところが、同じもの(ほんとにほぼ同じ)を大きな屏風で見せられた瞬間、そのダイナミックさに脳天割られた!狩野休清実信さんの頭の中にはこの屏風の世界があって、それを「下絵」に描いて、その「下絵」を見た人も、頭の中に屏風の世界をイメージできたってことですよね?「うん、これはいい!」って。自分の想像力の貧困さにがっかりしちゃいます。そのものズバリを見せてくれたサントリー美術館に感謝。この展覧会、9/1~10/21まで開催しているのですが、展示品がどんどん入れ替えされていくのです。全部で100点ほどの屏風や襖絵、その下絵などがあるけれど、一回行っただけでは全部みられない。私が行った時は、40点でした。パンフレットがめちゃくちゃ厚いのは、全部載っているからなのねー。もっともっと見たかったなー、というのが、正直な感想です。それから、もう一つの感動を。屏風は江戸時代、桃山時代のものが多いのですが、一点のみ、「平安時代」の山水屏風がありました(国宝・京都国立博物館)。11世紀後半、今から1000年(正確に言えば900年くらい?)も前の屏風です。金属や木でできた仏像や建物ならいざ知らず、紙ですからねー、屏風って。よく残っていますよねー。平安時代ですよ。11世紀後半っていえば、紫式部はもう死んじゃってますが、平清盛はまだ生まれてない。白河上皇が院政やり始めたころです。この屏風を立てかけたその部屋で、平安時代の人が息をしていた、と想像すると、不思議な気持ちがしました。あと、平安時代は「日本風の文化が育った時代」と言われますが、描かれている山水は、中国の風景です。日本の祭りや花見、狩、そして自然などを屏風に描き出すのは、もっともっと時代が下ってからなんですね。今、屏風が家にある人ってあまりいないと思う。もちろん、我が家にもありません。畳に屏風。正座して、屏風の絵を見上げてみたくなりました。
2007.09.13
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今日から銀座松屋で開催される「ムットーニ」展。私が初めて「ムットーニ」の世界に心奪われたのは、ビートたけしが司会を務めるTV番組「誰でもピカソ」です。最近ご無沙汰なので、今も続いているのかわかりませんが、「誰でもピカソ」のエンディングは、毎週ムットーニのミニシアターでした。私はそれを、サーカス小屋でも覗くようなイケナイ気持ちで待ち焦がれ、密かな楽しみにしていました。オルゴール箱の中のパノラマ、とでもいいましょうか。奥行きの深い沈黙の世界が60cm四方の中に広がっています。妖精のような、悪魔のような、非日常であって私たちの心象風景であって、そんなキッチュでレトロな自動人形たちの物語。特に「摩天楼」という、都市の夜のカップルのお話と、あと「猫町」というのが、好きです。去年、世田谷文学館でムットーニ展をやっていて、行きたかったんだけど行けずじまいでした。今回、初めて知ったこと。「ムットーニ」って、「武藤さん」という日本人だったってこと!松屋の前にも、パルコミュージアムで展覧会をしていたということ。いつも日本のどこかでムットーニの人形たちは動いているんだと知りました。
2007.09.12
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「金刀比羅宮 書院の美」を見終わって、藝大キャンパスの入り口あたりをフラフラしていたら、「陳列館」という白い壁の古い建物があった。「自画像の証言」という催し物を、なんと無料で開いているということがわかり、一も二もなくそちらの方へ足を向けた。藝大創立120周年を記念してのこの企画、もしかしたら、「金刀比羅宮」より衝撃は強かったかも。1898年から続いている「卒業制作には自画像を描く」という伝統を作ったのは、黒田清輝。その黒田の自画像から始まって、昨年卒業した人の自画像まで、学校に残されている約4800点から160点が展示されている。西洋に見られる自画像然としたスタンダードなものから、俳優気取り?のブロマイド的なもの、写実あり、印象派あり、キュービズムあり、写真あり。自画像なのに二人描いている人、自画像に自分を二人描いている人、百面相をならべている人、板切れや布切れや携帯電話を「これボクの自画像」と提出している人、そりゃあバラエティに富んでいる。「これがボク」と、幼稚園の時から書いている自分像をマジックでキュキュっと描いておしまいの人もいる。でも、彼が今もそのキャラクターを使って制作を続けていると聞くと、なるほど、自画像とはアイデンティティなんだな、と合点がいくというもの。私が一番好きだったのは、蛇の目の番傘を開いた前にロダンの考える男よろしく片手をアゴにつけ、任侠のような着流しで上目使いにこちらを覗いている一枚。明治44年、佐野貞雄の作品。そして、実物の油彩カンバスはなかったけれど、布にプリントして飾ってあった佐伯祐三の自画像(大正12年)。同時代の画家と比べても、全体を見ても、一人だけ色彩がまったく違う。実に目を引く一枚だ。目を引くといえば、平成18年の山本磨理の作品も忘れがたい。画風はミュシャのよう。憂いをたたえた顔がまっすぐにこちらを見ている。しかし、その顔の周り、そして絵の全体が布のような、清流のような、白い流れで覆い尽くされている。花言葉「移りゆく日々」のワレモコウと「君を忘れない」のシオンを配して、彼女の藝大受験の真っ最中に死んでしまった恋人をこの世に残そうとしたのだという。自画像を描きつつ、筆先が残したものは、実は恋人だった。1枚1枚に、そんなストーリーがあることは、後からパンフレットで知るわけだけれど、白くて高くて陽の光りが差し込む陳列館で百数十枚の「彼ら」と向き合っていると、詳細など何も知らなくても、絵そのものが語りかけてくる。自画像とは「自分を見ながら自分を描く」のだから、ほとんどの作品はこちらを見ている。見透かされているような、睨みつけられているような感じもするけれど、つまりは、彼らはこの自分の「目」とずっと対峙しながら筆を進めたわけで、この眼力に耐えうる「自己」を確立できていなければ、自画像というのは、描ききることが難しいものなのだろうと感じた。この企画はNHKも主催に名を連ねていて、8月15日(BS)ハイビジョン、8月19日(教育テレビ)にて関連番組が放送されている。8月23日に、ハイビジョンの方では再放送があるようだ。絵に描かれた画学生の一人ひとりの人生を探り当てるのは、とても大変だったようである。藝大が、卒業制作としての自画像をすべて買い上げるようになったのは、1902年からだという。全精力をかけて自分自身と向き合って描き上げたとしても、それは手元には残らない。そして今回、こういう企画がなければ、ただ大学の資料室の片隅に置かれているだけだったかも。そんな4800枚に光を当てたと思うと、この企画の意義深さにも心を致す。そして100年前のものも展示できたのは、修復技術の向上にもよる。まさに、120周年にふさわしい展覧会。9月17日までなので、ぜひおでかけください。上野にいらした折は、ちょっと足をのばして、東京藝術大学陳列館まで。
2007.08.21
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東京藝術大学大学美術館でやっている「金刀比羅宮 書院の美」。丸山応挙や若冲の襖絵が、「絵」ではなく「部屋の襖」として見られるというふれこみで、新聞などに早くから大きく取り上げられていました。行こう行こうと思っていたのですが、昨日ようやく観ることができました。結論。1.混み過ぎ。日にちを選べる人、平日にいたしましょう。2.たしかに「この襖は、この部屋で、こんなふうに配置されているんですよ」というふうに 襖に囲われた空間が作られていて、 襖として観られるようになっているんだけど、 ちょっと中途半端かなー。 やっぱり、下が畳になっていて、そこに正座して鑑賞したいですねー。 そんなことしたら、今よりもっと人が滞ってしまって、タイヘンだから、 仕方がないんですが。 それに、畳に座ったときと同じ目線で立って鑑賞できるように 少し高めに展示してあるとか、いろいろ考えての展示方法だとは感じました。 3.応挙の虎はすごかった。 耳をピッタリとつけて、相手を威嚇する虎、虎、虎。 逆立つ毛の一本一本まで描かれている。 これは、一見の価値あり。 この「虎の間」に一人残されたら、かなりコワイ。 見張られている感じもします。 他が「鶴」とか「花」、「賢人」「山水」「富士」と、 和み、癒しの図柄なのに対し、ここだけ妙に趣が違いましたね。 応挙は、「鶴」もよかった。 左から順に襖に目を移すと、鶴が飛んできて降り立った、みたいにも見える。 鶴って、まず、自然の造形が美しいんだな。4.襖によってはいたみがひどく、一部しか展示されていないものがある。 そういう場合、他はプリンターで実物大に印刷したものを張ってあるんだけど、 中にはボロボロの本物より、プリンターで出した「複製」に感動したものもあった。 これって、かなりカナシー。 ホンモノのよさがわからないってこと?? でも、色やコントラストが鮮明で、目に入ったとたん、 「うわ、すごいー!」って思うんですよ、ほんとに。 絵のオリジナリティというのは、結局のところ、「図案」なんだなー、と マジ、デザイナーって天才、と思った。5.丹陵の「富士巻狩図」は、ラスコーの洞窟画。 出品されているのは応挙、応挙の弟子の岸岱、若冲、そして丹陵。 邨田丹陵は、明治の人だけど、この人の狩の絵には見入ってしまった。 絵巻物さながら、流鏑馬チックな衣裳で騎乗し弓矢の狩に興じる人々の絵が、 背景ほとんどなしの襖に描いてある。 馬、人、鹿、矢、みな躍動していて。 パラパラ漫画を次々と襖に描いた、みたいな感じ。 眼を移すと、そこに「次のカット」が描かれている。 部屋の真ん中に座して、360度ちょっとずつ、ちょっとずつ 体を回していったら、それはそれは楽しいのでは?? 応挙の鶴や虎と比べると、ちょうどダヴィンチと鳥獣戯画といった違いがあります。 とはいえ、その写実性、緻密さ。「狩」の楽しさが伝わってきます。 「う~ん、ラスコーだー」 と、一人でうなってしまいました。このごろはどこの美術館も「ミュージアムショップ」が充実していますが、この藝大大学美術館もそうでしたねー。携帯ストラップやクリアファイルは定番ですが、襖絵のTシャツまで売ってました。私は「鶴」や「狩」の絵ハガキを買いました。9月9日までなので、興味のある方は見逃さないでね。くれぐれも、お時間が選べる人は、平日とか午前中に。(金刀比羅宮の展示のチケットで、歌川広重の浮世絵展も見られます。 また、敷地内の陳列館で開催している「自画像の証言」がとてもいいので、 そちらも行かれることを強くオススメします。 この自画像展については、明日、書く予定です)
2007.08.20
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今上野の美術展といえば、レオナルド・ダ・ビンチの「受胎告知」に人気が殺到しているようです。国立博物館の前は長蛇の列のようで、「3時間待った」という話も聞きました。でも、上野の森には、ほかにも美術館や博物館がたくさんある。動物園の正門入り口から右へ右へと入ったところにある東京都美術館では「ロシア絵画の神髄」が開催されていて、こちらはそれほどの混雑もなく、素晴らしい作品の数々を、ゆっくりと鑑賞できます。油彩画を中心に、100点以上の出展という規模の大きさもさることながら、一つひとつの作品に力があります。対象は18世紀後半から20世紀初頭まで。ニコライ一世の結婚式や肖像画を筆頭とした貴族の肖像画の華やかさ、農民やその子どもたちの、生き生きとした生活ぶり、孤児、物乞いの悲惨な暮らし、そしてロシアの大地に根ざす自然の営み・・・・・・。どの前に立っても、しばらくは動けません。今でいえば記念写真の代わりに描かれた肖像画の、それこそ生きているような表情。「ルジェフスカヤとダヴィドワの肖像」(レヴィツキー)は、中学1年生と2年生の姉妹のかわいらしいツーショット。貴族の通う女学院の制服(といってもドレス!)を来て幸せそうに華やいでいる。「若い庭師」というキプレンスキーの作品は、私のお気に入り。仕事の合間か、物憂げに岩にもたれた横顔の頬のあたりに、そこだけスポットライトがあたったように光り輝く。夢見るように開かれた美しい瞳。吸い込まれそうだ。ものすごく近くに寄っても、「これ、絵?」って疑ってしまうような緻密な風景画の数々。シーシキンの「冬」「針葉樹林、晴れの日」もいいし、エンドグロフの「春の訪れ」も、少し離れてみると、鈍色の雪景色の向こうに、薄ピンクと黄金の光が浮き出して見えて、強い印象を受ける。スホデルスキーの「村の昼間」は、まるで精密なジオラマ!絵というよりは、「額縁」という窓を通して外の景色を眺めているようだ。強い日差しのもと、一仕事終えて皆が休む静かな農村の昼下がり。昼寝しているブタが、その周りにいるニワトリが、すぐにでも動きそうな勢い。アイゾフスキーの「月夜」、クインジの「森に注ぐ月の光、冬」も幻想的。一つひとつ紹介していたら、もう切りがない。自分の目でこの才能の競演を確かめてほしい。最後に。私がびっくりしたのはレーピンの「何と言う広がりだ!」ナイアガラの滝みたいな激しい流れの中、その水が崩れ落ちるあたりに、ロシアの若い兵士とドレス姿の女性がはしゃいで立っている。大きな大きな絵の右上に、2人は描かれ、あとのほとんどは「荒くれた水」である。フィンランド湾を旅したレーピンが霊感を得て描いたというこの絵は、同時代の「写実性」の中にあって、ひときわ異彩を放っている。レーピンの他の作品と比べても、まったく違う。一人の芸術家の中で、革命が起こった、そんな瞬間が凝縮されている。忘れ難い一枚だ。開催は7月8日まで。行列を無条件に避ける傾向のある方、上野に行ったら、絶対こちらへ。「受胎告知」を見た人も、ぜひこちらにも寄ってみてください。
2007.05.06
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今、やる気マンマンの国立科学博物館。「地球館」を新しく立ち上げ、4月17日には長らく改装のため休館していたもとのスペースを、「日本館」としてリニューアルオープンしました。ここで、6月17日までやっている特別展が「花 FLOWER」。だまされたと思って、一度行ってみてください。入った途端に花の香りに包まれる、とってもフシギな展覧会なんです。(大人1300円、子ども高校生まで600円)咲いている「花」、生け花の「花」、文学の中の「花」、生活に溶け込んだ「花」、身近な「花」、珍しい「花」、ずっとある「花」、科学が生んだ「花」、生物の進化の中の「花」、歴史の中の「花」、化石の「花」、分類学的な「花」、などなど、絶対一つは自分の興味のある分野があります。そして、絶対一つは今まで知らなかった花の一面に驚かされ、魅了されます。花について一生懸命研究した日本の学者のノートなども展示されています。その情熱がこちらに伝わってくる、肉筆のノート。この人たちのおかげで、私たちは今いろんな花に囲まれて生きているんだ、と実感します。併設されているスウェーデンの分類学者カール・フォン・リンネ展(同じチケットで入れる)も、「あら、こっちは難しそうね」などと言わず、絶対に入ってください。大きな花の写真がいくつも飾られていて、その花のめしべとおしべの関係で説明されているんですが、これが楽しい。「一人の妻に2人の夫」とか「二組の夫婦、部屋は別」とかもう、笑っちゃうんだけど、自然の作ったのミクロな花の世界の大きな宇宙に、のみ込まれてしまいます。なんてったって、写真が美しいんだもの!!!*『体系への情熱~リンネと自然の体系への夢~』ヘレン・シュミッツ/写真・案 ニルス・ワッデンベリ/文この写真集を買おうと思ったら、なんと1万円以上したので、あきらめ、絵はがきで妥協しました。「花 FLOWER」展の展覧会図録(¥1800)は、金額以上の内容だと思います。子どもの夏の自由研究の材料がいっぱいつまっていますよ!親子で行っても、子どもも大人も飽きません。時間をたっぷりとって行ってくださいね。これを見て、地球館見て、日本館見ることなんて、まず無理!なほど、充実した博物館です。開館から閉館までいても、全部を堪能することは難しいでしょう。そういう人のために、リピーターズパスが発売されています。常設館(地球館・日本館)のみですが、1000円で1年間何度でも見られます。「花 FLOWER」展の帰りにざっと回って(チケットで常設館も見られます)気にいったら、今度はリピーター券で常設館をじっくり何度も探検してはいかが?ちなみに、常設を見るだけなら、子どもはタダです。それも高校生まで!日本の子どもたちに、科学を身近に感じてもらいたいという気持の表れですね。だから、親の分だけでOK。普通の券は600円です。
2007.05.01
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日本テレビで「休日は美術館に行こう・親子で見る!岡本太郎」という番組をやっていた。「芸術は爆発だ!」というCMはかなり昔のものだが、本人が亡くなった今でも、岡本太郎といえば、あのカッと見開いた眼が頭に浮かんでくる。ようやく時代が太郎に追いついた。そんな感じだろうか。番組では、岡本太郎美術館の中を歩きながら彼の人生を振り返り、これまでに遺されたフィルムも駆使して岡本太郎の芸術観をわかりやすく紹介していた。私の胸に響いたのは、塔が作られた大阪万博(1970)当時の岡本太郎の肉声。「時代に迎合したものではなく、世の中に挑むように会場を睨みつけるものを作った」「未来になっても、孤独に、ここに立ち続けている」なるほど、と思った。私もまた、30年以上経って岡本太郎のいわんとすることがようやくわかったクチである。太陽の塔の中には、「生命の樹」が作られている。生命の進化が、下から上に再現されている。樹の幹にサンヨウチュウの化石、はまだわかるが、サイケデリックな「幹」に恐竜がのっかっていたり、かなりポップな「生命の樹」である。私は万博にも行っていないし、記念公園も訪れたことがないが、一番上まで上ると「生命の未来」が見えるのだろうか?残念ながら、内部の公開は3月末で一旦終了している。次の公開は平成22年を予定とのこと。2011年は、岡本太郎生誕100年にあたる。岡本太郎は、「未来」にこだわった人だと思う。「今」ではなく「未来」を見据え、カタチにできるその精神こそが、彼のアートを鮮やかなものにしている。断言する勇気、自分を表明するその自信が私たちを圧倒する。その太郎の「最高傑作」と言われるのが、大壁画「明日の神話」だ。「明日の神話」は原子爆弾による惨劇をモチーフにした図で、よくピカソの「ゲルニカ」と比較されるが、それを「神話」と位置づけたところに、岡本太郎の「未来」観が現れている。昔むかしの壁画を見れば、それはノアの箱舟だったり火山の爆発だったり、その地方で言い伝えられてきた大事件を絵にしたものだった。それは「語り継ぐべきもの」であり、生活の中の「警鐘」なのである。世界で唯一、原爆を投下され、その地獄を実際に経験した日本が、単に「1945年という一時期にそういうことがあった」と過去のこととしてこれをとらえるのではなく、ずっとずっと後になったとき、未来人が「これは一体・・・?」とその衝撃の謎を研究してくれるように事実かフィクションか、わからなくなってもそこに「真実」があると未来人がわかってくれるように過去の歴史物語ではなく、「神話」を作ったのである。1960年代に。太陽の塔と同時期にメキシコで作られた幅5.5メートル、長さ30メートルの巨大な壁画は、長い間行方知れずだったが、2003年に発見され、数年をかけて修復された。岡本太郎夫人の敏子さんは、その発見を喜んだが、日本に持ち帰られる前にこの世を去った。彼女の遺志を引き継いだスタッフたちは、修復を完成し、昨年夏、汐留で公開されたのは記憶に新しい。その「明日の神話」が、今度は東京都現代美術館で4月27日(昨日!)から1年間公開される。プロジェクトでは、その後恒久的な公開場所を探しているということだ。メキシコからの運搬、修復、そして保管と、このプロジェクトにはとてつもない巨費が投入されている。日本テレビ他、大口のスポンサーもついているが、太郎の芸術を愛する人たち一人ひとりの寄付もまた、この運動を支えている。グッズの売上げも、こうした費用にまわされている。とにかくホンモノに一度出会ってみよう。そして考えよう。「明日の神話」を「明日」に遺していくために、私たちには何ができるか。戦後60年が経って、すでに「日本とアメリカが戦争をした」ことさえ知らない人間が増えている。彼の壁画は、すでに「現代の神話」になっているのかもしれない。
2007.04.28
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