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学生時代の友人が、浅川マキさんのエッセイ集が出たと教えてくれた。『こんな風に過ぎて行くのなら』浅川マキ石風社刊 定価2000円+悪税すぐに届いたのだが、まだ読んでいない。未読本の山がだんだん高くなっているので、埋もれてしまいそうなのが危険だ。さらに危険なのは、山が崩れて何がなんだかわからなくなってしまうこと。でも、ヒナは遊び場ができて喜ぶだろう。石風社というのは、福岡でがんばっている出版社らしい。東京以外の地で出版社を続けていくのは大変な苦労があると思う。友人の御母堂がインドの本を石風社から出してらっしゃる。アフガニスタンで井戸を掘っていた中村哲医師の本を何冊も出している。阿部謹也『ヨーロッパを読む』は気になるが、残念なことに品切れ本。あ、隅田川乱一!以前毎日新聞の読書欄で隅田川乱一著『穴が開いちゃったりして』を知って、買ったのだ。あれも石風社だったんだなあ。「隅田川乱一」というのはいかにもペンネームだが、おそらく山上たつひこのマンガから採ったと思われる。70年代半ばに『がきデカ』でブレイクする前、ストーリー・マンガからの転身を計っていた山上たつひこさんが、『喜劇新思想大系』というシリーズを発表していた。主人公はおおむね「逆向春助」という一見普通の青年。『がきデカ』ではかなりカットされたエロ・グロ的要素、青春のやるせなさなんぞがあって、こちらのシリーズの方が私は好きでした。そのシリーズに出てくる医者のどら息子が「隅田川乱一」。顔はほぼ骸骨で、犬猫を切り刻むのが趣味。両親が病院内での患者殺しで死刑になった跡を継ぐという怪人。ひどいマンガですなあ。 で、こういうキャラクターの名前をペンネームにしたのが「隅田川乱一」さん。70年代末から80年代初頭に『JAM』『HEAVEN』といった妙なインディーズ雑誌があったのですが、その編集者だった美沢真之助さんと同一人物です。アングラ文化の怪人といったところでしょうか。5年前、46歳で亡くなったんだそうです。私が想像していたより年長。それでも、なんとなく戦友を一人亡くしたような気になる。去年ナンシー関さん(享年39)が亡くなった時も、そんな感じがした。知り合いでもなんでもないし、やっていることや考え方も違うのだが、なんとなく「戦友」と感じるような人である。えのきどいちろうさんや小田嶋隆さんもそうかな。友だちにあんなやついなかったっけ、というところ。ロック、ドラッグ、映画、イスラム、禅、神秘学、プロレス等々、絞れない領域に一筋縄ではいかない文章を残している。それをまとめたのが『穴が開いちゃったりして』です。短いコラムが多いので、ぼちぼちと拾い読み。初出のメディアによってだいぶ雰囲気が違うのだが、プロレス系の話はよくわからんのです。堂々と偽書から引用してみせたりするのも、わかりにくい。これは前提となる共通知識がないと、通用しないワザなんだよね。たとえばサルトル「プロレスとは何か」や、ヴィトゲンシュタイン書簡集「或る女性プロレスファンへの手紙」からの引用があったら、それはウソに決まってるとすぐわかる。でも、それに続けてH・ヘルムホルツJr「ヨルバレ族の宗教儀式と格闘技」や、松岡清文「宇宙模型としてのリキ・スポーツパレス」が出てきたら、あなたどう思います?私にはウソかマコトか判断できません。特にその直前まで、些細な事実をコツコツと追い続ける足立巻一『やちまた』なんか読んでいたので、こちらの頭がまったく切り替わらないのでございました。これは反則ワザだなあ。ただ、非常に懐かしい文体であるのに気づいた。もっとメジャーどころだったら、80年代の「週刊漫画アクション」連載コラムが似ているかな。ああ、あのコラム集も買ったんだけど、どこへ行ってしまったかしらん。隅田川乱一で思い出したので、「らも」さんが逮捕された時の日録を載せておきます。らもさんは戦友という感じはしない。あの人は時々おもしろい小説を書いてくれる、変なおじさん。「空飛ぶキノコ」 2003年2月7日(金)日録中島らもさんがマリファナとマジックマッシュルームで捕まっちゃいましたね。マリファナは確かに吸ったがキノコは知らない、と言ってるらしいのがおかしいです。らもさん、アルコールで記憶中枢やられちゃってないか?マリファナよりアルコールの方が有害だと思います。マリファナなんて単なる麻なんだから、らもさんにマリファナ解禁に向けて頑張ってもらうと面白いのですが、まあ反省すれば初犯でもありますし(だよね?)情状酌量で実刑くらわんで済むのでしょう。らもさんに塀の中の様子を書いてもらうと面白そうですが、さすがにそれはかわいそう。だいたいマリファナというのは、「どぶろく」に似てますね。いけないと決めたんだからやっちゃいかんということになってるというものです。地下に潜ると暴力団の資金元になっちゃう。あ、どぶろくはダメね。あっという間に酸っぱくなっちゃうから流通できないので、暴力団は扱いません。誰でも簡単にできるし。ラスタマンにはマリファナが付き物なのに、Tシャツに描いた絵だけで満足しちゃうレゲエ・ファンはいったい?いや、吸っちゃいかんのですよ、ハイ。しかし、マジック・マッシュルームは非合法になったんすね。近頃そういう事情に疎いので驚きました。ええ、昔はかなり詳しかったんですよ。80年代前半、本郷2丁目の交差点に麻が自生してたのも知ってます。外に下げた鳥籠から鳥の餌の麻の実がこぼれて、大きくなってたんです。そのころ、ちょい仕事がらみの遊びで、キノコ狩りに行きました。私は植物の名前なんぞは疎いのですが、そんな私でもすぐに見分けられるキノコを食べに行ったのです。赤い笠に白い斑点の付いたやつ。そ、ベニテングダケというキノコです。マンガなんかで毒キノコの代表みたいに出てくるやつね。毒は毒なんですが、致死性はなくて幻覚作用があるというので、取材っぽい行楽に出かけたのです。松茸の場合は花崗岩性の土地でアカマツの根元に生えるそうですね。ベニテングダケの場合は、もっとわかりやすい。白樺の根元に生えます。私でも白樺はわかる。ベニテングダケもわかる。幼稚園児がチューリップの絵なら描けるといった水準で、実にわかりやすいのです。ある年の秋、零細出版社の車を借りて、明日が国民の祝日という日の夜に非国民3人で出かけました。目指すはラグビーの聖地、菅平高原。夜中に目的地に到着し、適当なところに車を止めて夜を明かし、早朝からキノコ狩りです。ところがあんまりないんですな、これが。というのも、地元の人達がごく普通に食用にしてるから。目立つところのやつは採りつくした後だったんです。地元の人はゆでこぼしてから塩蔵しておくようです。かなり旨味成分の強いキノコなんです。みかけがどぎついですけど。一応毒キノコなんで、地元ではゆでている時の湯気に当たって蝿が落ちる(ウソだよなあ)ということで、「ハエトリ」などと呼んでいます。「あんたら東京からハエトリ採りに来たのか~?」などと驚かれながら、仕方なくコソコソと私有地に入っていきます。で、まあ、別荘地に勝手に入り込んで適当な量のベニテングダケを採取いたしました。生で丸ごと食べてみましたが、私はどうということありませんでした。一人妙にテンションが上がったのがいて、高速走行中にバックギアに入れそうになってヒヤリとしましたが、あんまり寝てないのでキノコのせいかどうかわかりません。残りは全部ゆでて、スパゲッティなどに混ぜて食べました。見かけを我慢すればおいしいです。あれ?全然トべなかったじゃんというお話でした。ちなみに手近な合法ドラッグとしては、ナツメグなんぞがあります。アーモンドのようなやつを丸ごとかじり……そんなにかじれません。これはカリカリやりながらテンション上がっちゃったやつがいましたが、私はちょっとかじっても口の中がヒリヒリするので、とてもカリカリなんぞできませんでした。あ、あれはヒリヒリして騒いでたのか。【追記】 リーダーズ英和辞典に、「昔これから蠅取り紙に塗る毒を採った」とありました。 ひえ~! よい子はマネしてはいけませんよ。 fly agaric [amanita]【植】ベニテングタケ (=fly mushroom) woodpecker of Mars
2003.10.08
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お、今日で楽天広場参入一ヵ月です。Lycos難民の皆さん、お元気ですか?私は正確にはLycos難民ではないのですが、この別荘が気に入っています。ただいまエイベックスとアマゾンの共同企画で、URCの復刻盤予約を受けつけています。数を確保してプレスしたいという商売で、アマゾンだけの限定販売になるそうです。このため、五つの赤い風船がURCで出したオリジナルアルバムはすべて入手不能となっています。(高田渡さんとのアレはどこでも普通に買えます。)発売が決定した場合の購入には再度予約手続が必要で、購買義務がないそうです。つまり、予約とはいいながら、人気投票のようなものです。是非是非アマゾンのサイトを訪れて、風船の「発売未定」のアルバムを「予約」してください。E-mailアドレスを入力するだけです。フリーのメールアドレスでかまいせん。東芝EMIで出していたものは予約の数が集まりにくいので、もうプレスしないかもしれません。『おとぎばなし』『巫OLK脱出計画』『五つの赤い風船 イン・コンサート』『New Sky (アルバム第5集 part1)』『Flight (アルバム第5集 part2)』また、今までにCD化されていないアルバムもこれを逃すと、エイベックスの契約が切れるまで待たなければならないことでしょう。個人的には『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』を切望しております。中古で買ったけど、状態がいまいちなんです。レコード収録曲が完全復刻された場合は、斉藤哲夫とアーリータイムス・ストリングス・バンド、加川良、IMOバンド、岡林信康、加藤和彦の演奏もあるはずなんですが、入るのは風船の演奏だけかな?五つの赤い風船『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』よろしくお願いいたします。他にもアマゾンにはURC復刻投票リストとも呼ぶべきアルバムがいろいろあるので、じゃんじゃん投票しましょう。【追記】おっと、楽天広場ではアマゾンへのリンクは蹴られてしまうことがわかりました。ちっ。リンク切りましたので、お手数ですがamazon.co.jpで「五つの赤い風船」を検索して、「予約」してください。花の女子高生デインジャラスりえどん(仮名♀)が、五つの赤い風船にハマった。ますますデインジャラスである。うちにある風船のCDを次々に貸したので、並みの四十代よりずっと風船に詳しくなっている。フー子さんの声がいいと、実に的確な感想である。『五つの赤い風船 イン・コンサート』など、昔のコンサートの様子が今の若者には非常に新鮮なものに聞こえるようだ。LPというものを見たことがなかったそうで、たまたま手元にあった『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』(1972年)を見せると、その大きさと重量感に驚いていた。値段も今よりずっと高かったんだよ。考えてみると、復刻盤CDのジャケットはしょぼい。元々あの大きさのLPジャケットを想定してデザインしたものであるから、どうしてもミニチュア、おもちゃみたいな感じになってしまう。紙ジャケの復刻CDは楽しいけれど、それは例の食玩の楽しさに似ている。ここから下が、書いたまま転載しなかった日録です。今夜は本当は夜なべ仕事をしなければならないのだが、やめ。ROOTS MUSIC DVD COLLECTIONのDVDを観ることにする。Vol.1『五つの赤い風船』。よく見ると、小さな字で「再生ドキュメント」と書いてある。映像ではさらに「五つの赤い風船2000」になっている。そうだよな、そりゃそうだ。わかっちゃいるけど、そりゃそうだ。収録曲(ライブ) #1 恋は風に乗って #2 風がなにかを… #3 遠い空の彼方に #4 上野市 #5 血まみれの鳩 #6 悲しみが時を刻んでいる #7 遠い世界にこのシリーズは他の4枚は本編約1時間なのだが、これだけが90分と長い。まだ渡さんのしか見てないが、風船の方がずっとドキュメンタリーという雰囲気が強い。再結成ではなくて、「再生」というタイトルになっている。「新生」風船ですね。オフィシャルサイトがあるはずなので、新生風船に関してはgoogleしてそちらをご覧ください。新生風船が歌う「恋は風に乗って」、いい曲だ。いい曲なのだが、悲しいことに西岡のおっちゃん、昔のようには声が出ていない。残酷だなと思う。昨夜観たのは渡さんがギター一本で弾き語りをする姿だった。90年代末の映像。歳をとっているのだが、それはあのMartin D-28と同じで、実にいい味になっている。URCから出た片面ずつの不思議なLP『高田渡/五つの赤い風船』(1969年)の渡さんより、90年代末の渡さんの方がいい。風船の場合はまた別の世界だと思う。五つの赤い風船2000はいい。心が温まる。でも、五つの赤い風船は本当にもっともっと、ずっと凄かったのだ。私はナマで五つの赤い風船を観たことがない。たぶん中学3年の夏休み、友達の家に行くと大学生のお姉さんが帰省していた。さわやかな元気のいい人で、僕たちを海に連れていってくれたりした。今思えば『Flight』(1971年)なのだが、レコードをかけて一緒に大きな声で歌っていた。素敵だなあと思った。大学生ってこうなんだ!実際に大学生になってみると全然そうではなかったのだが、それは自分の責任です、ハイ。五つの赤い風船の曲は何かが変だった。人数のわりにはやたらに色々な楽器を使うこともあるが、なんといってもコーラスが不思議だった。低い女声(フー子さん)と高い男声(西岡さん)が互いの声を真似ているようで、どっちがどっちかよくわからなくなる。まさに独特なサウンドだった。ジャケットの雰囲気もペイネの絵のようだったりして、当時の「フォークソング」とはまったく違うものだった。元々西岡たかしさんはデザインが専門の人なので、その音の世界もデザインと同じようにコラージュしていったのだろう。色を重ねていっては壊す。天才西岡たかしの楽曲は、常に破壊への衝動を孕んでいた。風船は当時の他の「フォーク」に比べれば明るくて洗練されたイメージがあるのだが、同時に何かとても暗く、壊れている部分があった。風船の出発は西岡たかしさんの部屋だという。最初は中学生の有山じゅんじさんがいたなどというのは、ずっと後になって知ったことである。中川砂人(イサト)さんは途中で喧嘩別れしてしまう。西岡さんがガット弦による演奏を指定していたのに、イサトさんがスチール弦での演奏をステージで強行したのが直接の原因なんだそうな。当時のレコード制作事情からどうにも不思議なことになっているが、1st『高田渡/五つの赤い風船』の風船部分と、2nd『おとぎばなし』を一つにまとめると、とんでもない傑作アルバムができあがる。これ、明日にでも作ろう。同様に双子の第5集アルバム『New Sky』『Flight』(1971年)も一枚に収まるかな?実に悔しいことなのだが、私はこの『New Sky』を長いこと知らなかった。人生を半分損した気がする。今なら「アシッド・フォーク」などという呼び方をされてしまうのだろう。札幌の町を歩き回って拾った音がコラージュされている「時々それは」は大傑作である。1曲23分。 ♪死人の顔と 皮膚のたるみが♪ ♪紫に暗い沼に向って走っていく♪ ♪お前は死人の顔を引きずっては♪ ♪まだ明けもせぬ 町並みを歩く♪気持ち悪いっしょ。数年前、私は寝る時にこの「時々それは」をぐるぐるぐるぐる繰り返してエンドレスで聴いていたのです。 その頃いやなことが相次いで起きました。実に不吉な佳曲です。この曲の後に、最近の私の愛唱歌「私は地の果てまで」が続きます。 ♪苦しいからって 逃げないでいるのは♪ ♪あなただけ なのでしょうか♪ ♪色んな夢があなたをさそい♪ ♪そしてあなたを狂わす♪これもかなりシュールですね。教科書に載るような風船とはまったく違う世界があります。ああ、いいなあ。藤原→東秀子さんのボーカル。最後の解散は、西岡&長野は風船を続けたかったのだが、トン&フー子がもう風船を続ける気をなくしたということだそうです。
2003.09.30
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【追記】No.2本文中の書籍『虹の民におくる歌』は完売したそうです。リンクも外しておきます。【追記】No.1いただいた質問> 「虹の民」Rainbow Raceというのはどういった意味あいなのでしょう?> PeopleではなくてRaceなのでRainbowは肌の色でしょうか?「虹の民」はピート・シーガーの曲にもあります。中川五郎さんの訳詞の「虹の民」が、反核・反原発の集会やデモでよく歌われました。「虹の民」の原題も"My Rainbow Race"で、「people」ではありません。これは本人ピートさんの弁では「地球へのラブソング」なんだそうです。「one blue sky, one ocean, one earth」という詞が出てくるので、地球上の人々は「one race」であると歌っているのだと思います。質問されるまで気づきませんでしたが、確かに「rainbow」は様々な肌の色を指しているのでしょう。ちなみに、「虹の民」は1967年にピートさんが雑誌で見たヤマハの「世界歌謡コンテスト」に応募するために作ったんだそうです。優勝賞品は日本への無料旅行。あっけなく落選したそうです。12弦ギターの良い教本はないかしらと探していたら、ピート・シーガーさんが出してました。翻訳は出ていません。amazon.co.jpでは品切れ。amazon.comなら買えるようだけど、ちょっと待ってみます。ピートさんが出している、5弦バンジョーの教本は日本でも買えます。大昔ですが、「セサミストリート」にピートさんが何度かゲストで登場してました。この人のバンジョーはやけにサオが長いなあと思ったのですが、やはりあれは特注品でした。バンジョー奏者、そして12弦ギターの奏者としても有名なんですね。そんなことをしていて見つけたのが、ピート・シーガー著『虹の民におくる歌』(社会思想社 本体7500円+悪税)。だいぶ前に見かけて、ちょっと欲しいけど高いなあと手が出ませんでした。ところが、版元の社会思想社が倒産してしまいました。あ、あの本どうなったんだろ?と思ったら、高石ともや事務所でかなりの部数を買い取ってくれたようです。5000円+送料400円で買えるようになっているのを見つけました。こういうふうにして、『虹の民におくる歌』が届きました。B5の天地を4cmほど切り落したような変形版で、本文は250ページ程度。予想していたよりずっと薄い本で、定価が7500円では誰も買わないだろうという感じです。いくらなんでもこの定価はないだろうと思ったら、「日本語版への序」を読んで謎が解けました。初版のうち1000部を日本中の図書館に寄贈したのだそうです。もちろん増刷・重版などなかったはず。ああ、社会思想社よ、安らかに眠れ!ぱっと見、読みにくそうな本。ピートさんの回想が、必ず楽曲の楽譜と共に語られている。ギター片手に、あるいはバンジョー片手に読む本なのだろう。ただ、歌詞が微妙。つまり、日本語訳部分は、歌うための詞ではなくなっているからだ。意味を伝えるための翻訳で、これでは歌えない。アメリカ語を母語としていないのだからしかたがない。でも、本の内容はとても濃いです。ピート・シーガーさんはさすがに筋金入りであります。日本で脱色されて商売になった「フォーク・ソング」のうさん臭さがよくわかります。本田路津子さんの訳詞でヒットした「ひとりの手」の原詞が載っているのだが、まあ驚きました。(私がモノを知らなかっただけか。商業主義の代表みたいな言及の仕方で、本田さんには申し訳ない。)原曲"One Man’s Hand"の作詞者はアレックス・コンフォート(Alex Comfort)というアナーキストです。数学者なんだそうで、1950年代にバートランド・ラッセルが率いた核軍縮の運動に参加して、この歌を作ったそうです。 ♪Just my hands can’t tear a prison down♪ ♪Just your hands can’t tear a prison down♪tearは「涙」じゃなくて、「引き裂く」のテアですね。だから、 ♪私の手だけじゃ牢屋は壊せない♪ ♪君の手だけじゃ牢屋は壊せない♪と歌ってるんです。「何もできない」と歌うのではなくて、もっと具体的に何をしたいかはっきり主張している、戦闘的な歌です。 2番以降は 「私の声だけじゃ彼らに届かない」 「私の力だけじゃ原爆は止められない」 「私の力だけじゃ人種差別は破れない」 「私の力だけじゃ組合は作れない」 「私の足だけじゃこの国を横断できない」 「私の目だけじゃ未来をはっきり見ることはできない」朝鮮戦争、マッカーシーの赤狩りの時代に、ピートさんは公の場でこれを歌ったわけですよ。ギターとバンジョーのチューニングや、メロディや歌詞の話、自分と関わった人々の話と、いろいろ楽しいです。分冊・完訳にしてほしかったなあという気がします。この本での大きな収穫の一つは、茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」の英訳にピートさんが曲を付けた"When I Was Most Beautiful"の楽譜が載っていること。やっと見つけたという感じです。 > わたしが一番きれいだったとき > 街はがらがら崩れていって > とんでもないところから > 青空なんかが見えたりしたこの詩が > When I was most beautiful, > Cities were falling > and from unexpected places > blue sky was seen.こんなふうに訳されてます。訳詞の場合、素直な散文ではあるけれど、詩にはなっていないような気がしますが、これは仕方ないか。私なんぞが偉そうに言えることではありませんな。ボブ・ディランの訳詞で有名な片桐ユズルさんの翻訳です。ピートさんが来日した時にユズルさんの訳詩に出会って曲を付けたという話です。さて、どうして「most beautiful」に「the」が付いていないんでしょうか。これは一人の人物の変化を比べているので、形容詞の最上級だけど「the」をつけちゃいけないんですね。残念ながらピート・シーガーが歌った音源はまだ見つけていません。
2003.09.29
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中山ラビさんのところからライブの案内をいただきました。> 10/25(土) 吉祥寺スターパインズ・カフェ> open 6:00pm start 7:30pm> 中山ラビ ゲスト:泉谷しげる> 前売り3500円 当日3800円 +ドリンク> チケットぴあ9/12 SPC9/6より> 要予約 問 ほんやら洞042-323-4400あれま、また行けないわ。どなたかライブの様子を観てきて教えてくださいませ。今では分別あるオトナなのでやりませんが、学生時代の私はハタ迷惑な習慣がありました。部屋に泊まりに来たやつに、詩を読んできかせるのです。今はなき劇団カクスコで、中村育二さんが歌本を見ながらギターを弾き語りするというおなじみの風景がありました。アレももちろんやりました。自分の好きな曲を、自分の好きなキーで、自分の好きなテンポで歌うわけです。なぜか夜中ですね。そういうことをする人は多かったと思いますが、私の場合はさらに興が乗ると、ベッドの下から詩集を引っ張り出して朗読して聞かせるのであります。実に迷惑な話です。あ、本箱持ってなかったんです。四畳半に机とベッドを入れたので、本を飾っておく場所なんかないのです。こんな場所に十人の人間が寝たこともありました。女の子もいたのにすごいですね。若さというよりバカさです。中野重治、山之口貘、三好達治、石川啄木、中原中也、草野心平、宮澤賢治……。ま、なんでもありなんですが、基本的には翻訳ものはなし。それでも魯迅の散文詩を訳したものとか、金子光晴訳ランボー「いちばん高い塔の歌」なんかは例外的に朗読いたしました。知ってそうでいて知らない詩を聞かせて、「これいいいね~」と言ってもらえるのが嬉しかったのです。ベッドの下に突っ込んである本の中からのリクエストもありまして、女の子たちには谷川俊太郎さんの「男の子のマーチ」が一番人気でした。 > おちんちんはとがってて > 月へゆくロケットそっくりだってやつね。とほほ。で、私は茨木のり子さんの詩が大好きだったんですが、これが読みにくいんです。「うまく読めた!」とならないんです。「わたしが一番きれいだったとき」という有名な詩、これがなあ。冒頭一連はすごくリズム良く行きそうなんだけど、途中で変拍子になって、ごにょごにょごにょ……竜頭蛇尾。不思議だなあと思っていたのですが、半年ほど前の毎日新聞で吉本隆明さんが書いてました。 > 茨木さんの詩のもう一つの特色は、言葉で書いているのではなくて、人格で書いているということだ。さすが腐っても吉本リュウメイ。一発で核心を突いてくれました。なるほど、ワタクシの人格修業が足りなかったんですね。敗戦直後のカラっと晴れた青空の下、元気よくブラウスの腕をまくって歩く女性の域に、私は全然達していないということです。もちろん今でもダメだべ。ところでこの「わたしが一番きれいだったとき」は、ずいぶんたくさんのソングライターたちの心を揺さぶったようで、何人もの人が曲を付けて歌っています。ちょっとラグタイムっぽい雰囲気で男の人が歌っていたのを覚えていたのですが、ずっと誰なのかわかりませんでした。それが、つい最近判明してうれしく思っています。意外におなじみのところでした。よく高田渡さんと一緒にやっている佐久間順平さんが、以前大江田信さんと一緒に「林亭」というデュオをやってまして、ソレでした。ヤフオクなんかで出るとすごい値段が付いていた自主制作アルバム『夜だから』に入っています。オリジナルのアルバムは1973年、二人の大学生が15万円ずつを出しあって作った自主制作のレコードであります。当時の15万円はかなりな金額。下手すると貧乏学生の半年分の生活費ぐらいだったかも。写真を見ると、フラットマンドリンやギターもかなり良いものをお使いだったのではなかろうか。演奏もうまいのですが、そういう意味でもすごいなあ。制作枚数200枚。高田渡さんが絶賛したりしたおかげで、すぐ売り切れたそうです。あ、これはぐゎらん堂では、なんて写真も。CDはそれからおよそ20年後の1992年に復刻されたものです。それからさらにまた十年後、こうやってまだ初回プレスが売れ残っている……のかな?CDが届いて早速聴いてみると、私が大昔にラジオで聴いた「わたしが一番きれいだったとき」は、やはり林亭が歌っていたものでした。ラジオで耳にしたのは高校生の時だったでしょうか。ずいぶん久しぶりに出会う音源で、さすがに感慨深いものがありました。他の曲なんですが、やけに名古屋にいる女の子というのが出てくるのも、ちょいときます。そう、きれいな思い出(=片思い)の女の子が、名古屋で学生生活を送っていたのであります。これでまた、少しだけ胸キュン。明日は、もうひとつの「わたしが一番きれいだったとき」について書かせていただきます。
2003.09.28
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NHK BS-2で『世紀を刻んだ歌3 人生よ、ありがとう』を観たのだが、それはまた明日の日録にて。ああ、映画『サンチャゴに雨が降る』は観てないんですよ。1973年9月11日。そう、「9.11」はアメリカこそが「テロ支援国家」であった歴史的日付なのです。今年は三十周年です。数年前からURC(アングラ・レコード・クラブ)の音源や雑誌なんぞを探してぼつぼつと入手しているのだが、実際に当時買ったものは少ない。AMの深夜放送で聴いたり、立ち読みしたりといったところがせいぜい。中学生のおこずかいでは、そうそう買えるものではありませんでした。お兄さん欲しかったです。坂崎幸之助さんは、その辺を網羅して買っているお兄さんがいたんですね。同居していた従姉がモンキーズのデイビーのファンだったので、モンキーズだけは詳しかったのよ、とほほ。私がもう少し長じて高校生になると、既にURCの時代は終わろうとしていました。このぐらいの年齢での一年の差は大きい。中津川フォーク・ジャンボリーの第三回、つまり最後は1971年でした。これが最後になるんだなんて、こちらにはわからない。高校生になったら行こうと思って、一所懸命ギターの練習なんかしてるわけです。佐野史郎さんは「はっぴいえんど」を見に行ったそうで、「はいからはくち」と「春よ来い」の間に「えーど、えーど」と叫んでいる高校生佐野君の声が聞こえます。うらやましい。URC・音楽舎は雑誌も出していました。時期によって「folk report うた うた うた」だったり、「季刊フォーク・リポート」だったりします。書籍雑誌の取次は通さずに、レコード流通でレコード店に置いていたようです。田舎町の小さなレコード屋さんの片隅で、私は一所懸命立ち読みしました。当時私が唯一買ったのは「1971秋号」。第三回フォーク・ジャンボリーの詳細なタイムテーブルが載っているので、今まで捨てずに手元に生き残りました。当時は高校生だった、評論家黒沢進さんの投書なんぞ載ってたりします。ここ数年、その他の号も読みたいと思っていたのですが、ネット上に目録を出している古本屋やYahoo!オークションで、数冊買うことができました。ヤフオクの場合はとんでもない値段になることがあるのですが、あわてても仕方がない。何回か我慢したら、「わいせつ裁判」になった号までリーズナブルな価格で入手することができました。画像は左から、『folk report うた うた うた 1970年 冬の号』『季刊フォークリポート 1971年春号』『季刊フォークリポート 1971年秋号』元々自分で買った「1971年秋号」が一番汚いです。「71夏号」「71秋号」は編集長が室謙二さん。BASIC ENGLISHという人工言語なんかも研究していた早稲田の室勝先生の息子さん。その後「思想の科学」の編集長なんかもやったりしますが、「PopEye」なんかに原稿を書いたり、「朝日パソコン」なんかでも連載してましたね。今はアメリカ在住なんでしょうか。編集長に対する批判の投書がたくさん載ってまして、室編集長なかなか頑張ってますな。なぜ批判が多いのかというと、「70冬号」の編集長が中川五郎さん、そしてその号が「わいせつ」を理由に押収され、後に五郎さんが猥褻図画販売裁判の被告となるからであります。(起訴は72年)五郎さんは編集長としての責任と、掲載した小説「ふたりのラブジュース」の作者としての責任を問われ、法廷で闘うことになったのです。その直後の編集長なんか、大変だわよね。何やったって誰かに怒られるんだから。当時は野坂昭如さんが雑誌「面白半分」で、やはり猥褻でやられてます。猥褻というより、野坂さんも五郎さんも実際は権力に狙い打ちされたというのが正解ね。中川五郎さんはあの「受験生ブルース」の作詞者だったり、「腰まで泥まみれ」という反戦歌を歌っていたり、実に跳ね返っていたのです。が、どうも今ひとつ線が細くて、今で言う癒し系みたいな人なんです。「25年目のおっぱい」という実に温かい名曲も歌っています。ああ、あの曲好きだな。定期購読していた中学生・高校生のところへ警察がやってきて、雑誌を押収していったのですね。実は任意なんだけど、跳ね上がりに対する威嚇効果は抜群です。みんな恐れ入って腰が引けてしまう。「71秋号」にはその辺の生々しい投書が載っています。実は問題の小説「ふたりのラブジュース」(山寺和正=中川五郎)にはあまり興味がない。これ、いつかどこかで読んだと思う。ただ、この雑誌そのものが読みたかったのだ。表2の広告が社会新報の新報新書。『部落 ある靴職人の視点』(土方鉄)や『どきゅめんと筑豊』(上野英信)が並んでいて、ああ、日本社会党がなくなったのは痛いなと思う。ジミ・ヘンドリックス(9月)、ジャニス・ジョプリン(10月)の訃報が載っているのもすごい。二人とも「麻薬過多服用」のため。特集が「岡林と高石を裸にする」で、実は壁にブチ当たっていた第一世代の二人が詳しく語られている。三橋一夫さんの高石論、良いです。片桐ユズルさんが岡林を語っています。ダグラス・ラミスさんが室謙二、岡林と鼎談(ていだん・書けない)しています。あ、『スリーマイル島』訳者にしてユズルさん弟の中尾ハジメさんが「うんち穴ファシズム論」というわけのわからない文章を書いてます。やっぱ濃いわ。で、小説はまあわりと正直に高校生の愛と性を語ってみました、みたいな感じだったんですが。五郎さんは裁判の開始から10年後の1982年に晶文社から『裁判長殿、愛って何?』というタイトルで、この裁判の記録集&エッセイを出します。私、その本の書評(っつうか、宣伝だわな)を某雑誌に書かせていただきました。そいういうふうに関わるとは思ってなかったけど。80年当時はやっぱり吉祥寺周辺にお住まいでありましたな。
2003.09.22
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ああ、「9.11」か。ground zeroという言い方には抵抗あるなあ。まず「原水爆の爆心地」という意味が思い浮かぶから。そして十五夜。どうしても夜空を見上げます。宵の口にはぼんやり曇ってて、月が出ていない。今夜はダメなのかしら。携帯にメールが届く。「めちゃめちゃ月出てますよ!」おお、綺麗に月が出てる。知らせてくれて、ありがとう。のんびり市は夜空が明るいので、星は少ないと思う。でも、今夜の月ははっきり輝いていました。空が落ちてきたらどうしよう。amazon.co.jpからニール・ヤングの楽譜集が届く。日本の出版社から今いいのが出ていないので、しかたなくワーナー・ブラザーズの本を注文することになる。まあ、楽譜だから洋書でもあんまり関係ないね。以前買ったジャクソン・ブラウンの楽譜集と同じ、ギター・アンソロジーというシリーズ。タブ譜というのはどうも苦手だなあ。私が一所懸命楽譜を見てギターを弾いていたのは70年代前半なんで、まだタブ譜が普及していなかったのです。このシリーズはA4変形で本文は120ページ程度。Aaron Stangさんのギター・アレンジなんだな。アマゾンさんの「定価」という表記は間違っていると思うのだが、まあいい。数年前と比べると、かなり安く注文できるようになったと思います。ちなみにディラン様の楽譜はMusic Sales Corpが出している"The Definitive Dylan Songbook"というのを買ったのですが、「決定版」と名乗るだけあって、A4判を一回り大きくしてなおかつ本文が800ページほど。これは分厚すぎて使いにくいです。Neil Young (Guitar Anthology Series)Aaron Stang (著)U.S. 定価: $24.95定価: ¥2,913価格: ¥2,476OFF: ¥437 (15%)AlabamaBroken ArrowCinnamon GirlCountry GirlCowgirl in the SandHarvest MoonHeart of GoldHelplessLike a HurricaneLong May You RunThe Needle and the Damage DoneOld ManOn the Way HomeOnly Love Can Break Your HeartSouthern ManSugar MountainTell Me WhyJackson Browne (Guitar Anthology Series)Aaron Stang (著)U.S. 定価: $24.95定価: ¥2,913価格: ¥2,476BoulevardDoctor My EyesFor A RockerFountain of SorrowHere ComesThose Tears AgainI’m AliveLawyers in LoveLives in the BalanceThe Load-OutThe PretenderThe RoadRock Me on the WaterRosieRunning on EmptyStaySomebody’s BabySong for AdamTake It EasyThat Girl Could SingWorld in Motion幻泉館 本館
2003.09.11
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ときどきふっと思い浮かぶ言葉がある。その一つは、たとえば「ねこに未来はない」だったりする。長田弘さんの本だったな。猫なんか飼い始めるず~っと前に読んだ。林美雄さん?違うな、小島一慶さんのパック・イン・ミュージックで紹介しているのを聴いて読んだんだ。ということは高校生のころかしら。三十年前?猫には未来を考える能力がないということが書いてあって、そこだけ強烈に憶えてる。本当かどうか知らない。ヒナに聞いてもわからない。確かに考えてなさそうではある。「ねこに未来はない」という言葉が思い浮かぶとき、それは猫のことを考えているのではない。「ぼくに未来はない」と、自分のことを考えているのだ。残念ながら、僕には未来を考える能力がある。だからキツイんだ。本当に未来がないんだから。だから、普段は考えないふりをしている。疲れているのだろう。お花畑のように見える山道を下る、少年と少女の姿が思い浮かぶ。小さな少年が、もう少し大柄な少女を背負ってゆっくり歩いていく。「のう キクチ サヨコ」「うん」「眠れや……」僕はシンデンのマサジではない。山を下りなければならないキクチサヨコに同化している。でも、下りなければならないのか?二人の姿は山の風景に融け込んでいるではないか。「眠れや……」僕の前にマサジの小さな背中はない。幻泉館 本館NEWS23「金曜深夜便」でCoccoのコンサートの様子を流していた。8/15那覇中学校、200人の子供たちと一緒に「Heaven’s Hell」。あ、1曲だけ?もう二年半も経つのか。
2003.09.06
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昨日書いたポール・オースターの小説の書き出しですが、日本語訳を書けという声があるので、一応試訳。といっても、誰がやってもあまり変わらない訳になります。せっかくだから注釈付けます。> It was a wrong number that started it, これがあの強調構文。"It was"と"that"をとりはずすと、"A wrong number started it"となりますね。「ある間違い電話がそれを始めた。」強調構文なんでお約束通りに後ろから訳し上げてみます。「それを始めたのは、ある間違い電話だった。」無生物主語が気になる場合は主語を副詞的に訳してみましょう。「それが始まったのは、ある間違い電話からだった。」> the telephone ringing three times in the dead of night,これがあの独立分詞構文。日本語でも本当は適当にぶらさげておきたいところですが、一応ちゃんとS+Vが整った形に変換。「電話が三回鳴った」"in the dead night"で一旦ためらいましたか?「死」は"death"ですよ、"dead"は本来形容詞の「死んでいる」で、"the"を前に付けると「死者」の意味でもよく出てきますね。映画のタイトルになった"the quick and the dead"は「生者と死者」になります。ここでは違う意味で、「寒さ・静寂・暗闇の最たる時」です。何のことはない、"in the dead of night"で「真夜中に」。「真夜中に電話が三回鳴った。」> and the voice on the other end asking for someone he was not"on the other end"の"end"は端っこ。だから「電話の反対側で/電話の向こうで」です。おお、ここも独立分詞構文だ。"asking for"は「要求した」。"someone"の後ろには関係代名詞が省略されていて、「彼ではない誰か」。ベタベタ訳すと「そして、電話の向こう側の声は彼ではない誰かを要求した」。あんまりな日本語なので、「電話の向こう側の声は、彼ではない人物と話したがっていた」ぐらいでしょうか。---------------------------------------- It was a wrong number that started it, the telephone ringing three times in the dead of night, and the voice on the other end asking for someone he was not.それが始まったのは、ある間違い電話からだった。真夜中に電話が三回鳴った。電話の向こう側の声は、彼ではない人物と話したがっていた。「マイベストMD」2003年9月版を作成。今回のテーマは、ギターを弾きながら歌う曲。「マイベストMD」2003年9月版1. Heart of Gold (Neil Young)2. Like a Hurricane (Neil Young)3. My Back Pages (Bob Dylan)4. I Shall Be Released (Bob Dylan)5. For Adam (Jackson Browne)6. Rock Me on the Water (Jackson Browne)7. 万物流転 (頭脳警察)8. マーラーズ・パーラー’80 (PANTA&HAL)9. 冬のサナトリウム~サルビアの花 (あがた森魚)10. 私は地の果てまで (五つの赤い風船)11. 時は流れて (中島みゆき)12. 誰のせいでもない雨が (中島みゆき)13. 流星 (吉田拓郎)自分で言うのもナニですが、これは相当ヘンです。たとえばこれに友部正人、RCサクセションを付け加えたいなどと思っていたのですが、男声ボーカルがことごとく変な声。(もちろんSimon & GarfunkelやJohn Lennonだって入れてもいいのですが。)しかし、こうしてみると実にきれいきれいな声が苦手なのだとわかりました。ああ、中山ラビさんも入れたかった。ということで、早晩続編を作ることでしょう。
2003.09.04
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少し前にSHIZUMU殿の日記でオースターの名前を見かけて、ああ、読んでおこうと思ったのであった。まだイベントで忙しい最中にamazonで検索して、お得なペーパーバックを見つけた。まあ、逃避行動ではあった。ペンギンが出している"The New York Trilogy"。これは「ニューヨーク三部作」と呼ばれる"City of Glass" "Ghost" "The Locked Room"の三作品が収まっているのです。US価格が$14.95なのだが、amazonでは値引き価格で1,571となっているのも嬉しい。安いじゃん!(やっぱりオバさん体質である)いい翻訳が出ている(らしい)のに原著で読もうというのは、比較的読みやすそうな文体だからであります。ピンチョンを原著でというのは、ちょっとキビシイ。でも、オースターならイケルんではないかと。とりあえずお試し。"City of Glass"の冒頭はこうです。 It was a wrong number that started it, the telephone ringing three times in the dead of night, and the voice on the other end asking for someone he was not.ね、強調構文とか分詞構文とかいった呼び方は知らなくても、ちゃんと読める文でしょ?しかし、amazon便利です。数年前はamazon.comにヒヤヒヤ注文してました。そのまた前は、アメリカの大手ブッククラブの会員になってました。一度カードが通らなくて、そのBMCというところには発注しなくなりました。注文書にチェックを入れて郵送していた時はトラブルがなかったのに、サイトで発注したらペケだったのです。それでamazon.comに本やCDを注文するようになったのです。アメリカではブッククラブが発達していて、かなり安い価格で本が買えるのです。ただし、毎月何冊注文してねというノルマがありました。ああ、そういうことは二十年前に在籍していた零細出版社の社長が教えてくれたのだった。今ではだいぶ事情が変わってしまったのではないかしら。もちろんamazonです。既成のブッククラブがもたもたしている間に完全にシェアを食ったと思われます。よう知らんので、誰か教えてくださいませ。おかげで地方都市に暮らす私もごく普通に洋書が注文できるようになりました。そのため、本当に出無精になっちまいました。毎月何かしらコンサートに出かけて、大手書店に立ち寄る。これがなくなってしまいました。ニューヨークの本屋さんが舞台という映画があったな。言わずと知れた"You’ve Got Mail"です。この映画はあんまり評判が良くないらしい。でも、私は本屋さんが舞台なので楽しかったです。メグ・ライアンはかわいいし。そういえば、「タレントさんだと誰が好き?」みたいなことを聞かれた時は、メグ・ライアンだと答えることにしています。かわいいおばさんの名前を挙げると、その場の雰囲気を壊さずに納得してもらえるのです。
2003.09.03
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