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懐かしい子が臨月なのだと聞いて、驚いた。なに驚くことはない。あの子もそういう年だし、それが普通なのだろう。でも、いきなり臨月だと聞いたので、ちょっと驚いたのだ。反射的に逆さ吊りなどという言葉を思い浮かべるのは、悪い癖だ。学生時代に後輩のなっちゃん(仮名♂)が、『奇譚クラブ』という雑誌の大ファンだった。その時でも既に過去の古臭い印象の廃刊誌で、彼は古本屋で見つけてはこつこつ買い集めていたようだ。下宿に遊びに行ったら、見て下さいよと何冊も渡された。その時、臨月逆さ吊りという言葉を見かけて、あははと笑ったのだった。まあ、笑うしかなかったのだ。他人様の趣味をとやかく言うことはできない。「goose month」という言い方があるそうだが、その語感はちょっとわからない。ガチョウのおなかを連想するのか、はたまた「赤ちゃんはグズベリー(gooseberry)の下で見つけたんだよ」などという言い方から来たのだろうか。娘が嫁いだ時、つまり花嫁の父親になった時はそれほどでもなかったが、その娘が赤ん坊を産んだ時には、ああ嫁に行ったのだなあと感慨深かったと聞いたことがある。そうなのかもしれない。実のところはよくわからない。妻が欲しいとはそんなに思ったことがないが、子供は欲しかったなと、今ちょっと思う。ずいぶん身勝手な話だな。 臨月
2008.01.07
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元々年賀状は出していなかった。二十代、三十代の頃は本当にまったく出さなかった。ホームページを始めたのでちょっと宣伝をしようかと思って知人に年賀状を出すようになった。それから十年ぐらい経つんだろうか。郵政が民営化されたら、年賀状を出すのはやめようかと思った。でもなあ。とりあえず2008年の年賀状で様子を見てみようか。2007年の暮れのこと。某零細企業に郵便局の営業が来た。年賀状要らんかね~?要りません。DMできますよ。は?配達用の住民データベースから抽出して、DMが出せますよ?そんな馬鹿な。たとえば住民票から年齢を限定して抽出して、年賀状を出すといったことができるのか?郵政がそんな商売をしていいのか?しかし、個人情報保護法のおかげでDMが出せずに困っていた零細企業は、この怪しい話に飛びついた。で、年が明けてみたら、その営業トークがインチキだったということがわかったのだ。零細企業は、近所の家庭2千軒に、何の宣伝効果もない年賀状を配ったにすぎないことになった。なるほどね。こういうことをして、年賀状の売り上げを伸ばしたのか。 →日本郵政ひとりを愛せる日本へ。[ 日本のすみずみまで幸せになる民営化 ]嘘八百とはこのことだ。国鉄や電電の民営化は、本当に成功だったのか?「うまくいった」のは、国労をつぶして総評を解体したかった勢力にとって、ということではないのだろうか。少なくとも、国民の財産は私物化された。だから、本当はJRを利用したくない。電話加入権はまったく価値がなくなった。だからNTTの金儲けには、協力したくない。民営化されたJP、日本郵政グループが儲けるというのなら、年賀状はもうやめようか。
2008.01.06
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はい、恒例初日の入りです。 →I Love Sunset! > 2008晴れ渡っていたのですが、浜に出てびっくり。風が強いのなんのって。立派な三脚を立てようとしていたお父さんは、携帯で「寒い~」と誰かに連絡して、帰っていきました。お迎えを呼んだのかな。波の飛沫も飛んでくるので、レンズを拭きながらの撮影です。いやあ、寒かった。帰ってからテレビでニュースを見てさらにびっくり。今日はこの浜で寒中水泳大会があったそうなんですわ。すごいなあ。私には無理。それ以外は、静かな、いいお正月でした。
2008.01.01
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ちょっと忙しいので、身の周り50cm以内のエントリーが続いております。2007年のマイベスト……本やCDは決められないなあ。そこで、夕陽画像のベスト。太陽や夕焼けはもっといいのがあるんですが、たまたま写った親子連れ。長靴を履いて、お父さんとお姉ちゃんの前を歩くおちびちゃんがとっても良かったです。2月13日に撮影したようです。今、仕事で使うノートPCの壁紙にしています。 →I Love Sunset! > 2007 →2007年2月14日付幻泉館日録:永遠の絆
2007.12.29
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東京高田馬場の早稲田通り沿いに、「TIME」という名の中古レコード屋があった。いや、今もある。店の場所は少し移ったのではなかっただろうか。東京新聞の「解剖図鑑」という小さなコラムに、この「TIME」のことが載っていた。「36年ほど続く老舗」と書いてある。ずっと昔からあったような気がしていたのだが、私がよく覗いていたのは70年代の後半から80年代の前半にかけてのことなので、そんなに古い店ではなかったのだな。髭を生やしてパイプをくわえた、マスターと呼びたくなるような店主が、買い取りのレコード一枚一枚に関して丁寧に売り主に説明していたのを思い出す。そういうのを、横目で見ていた。高田馬場の早稲田通り沿いを歩いている時、いつもお金がなかった。だから、毎回ひやかしに寄るだけだった。バーデン・パウエルのレコードは、この店で買ったのだったなあ。今の店主は34歳の方だという。「その後、創業者から店を譲り受けた。2年前に創業者は亡くなった。」そうか、あのマスター、亡くなったんだ。私が通っていたのは、アナログレコードの時代。大きなジャケットを一枚ずつ引き抜いて、レコードを眺めたものだ。
2007.12.27
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やっぱり秋は夕暮れがいいですね。前ほど浜へ日の入りを見に行けなくなりましたが、それでもよくベランダで夕焼け空を眺めています。本当はあたふたと撮影したりするより、ただぼぉっと眺めている方が好きです。幻泉館本館のフォトギャラリーは、サーバが壊れて全部なくなってしまいました。古い[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]は生き残っていますが、最初の方は何時の撮影かといったようなデータが壊れています。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] #2そうそう、最初は「Yahoo! PHOTOS」を借りたら、すぐにいっぱいになってしまったのです。あら、容量が増えてますね。2003年10月から2004年4月まででほぼ30MB。それでいっぱいになったのですが、今はその10倍の300MBのようです。また使えるじゃん。 →夕陽が好き!@Yahoo! PHOTOS今は自宅サーバ幻泉館本館の画像閲覧室「Phantasm Photo Gallery」に、少しずつ画像をアップしなおしているところです。CD-Rに焼いたオリジナルの画像が大量にあるので、本格的に整理するのは大変なことです。だから、一日一枚でもいいかなと。日本語表示が直ってよかったわ。 →画像閲覧室「Phantasm Photo Gallery」 ところが、この前試しに借りた「So-net Photo」がなかなか楽しいのです。画像をアップすると、見にきてくれる人がいるんですね。So-netブログにもある「nice!」が付くと、ちょっと嬉しいです。画像の方が、気軽に「nice!」を押してくれるみたいです。色が派手な方が「nice」が付きやすいようです。 →夕陽が好き!@So-net Photo ん、そろそろおっ母さんの年賀状を準備しないとな。
2007.10.26
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夕方浜へ行った。車が多くて、公園の駐車場は入り口付近で2列に停めてある。あれれ、国際反戦デー?仕方がないのでいつもよりずっと奥に停めると、堤防の上で津軽三味線を弾いている人がいる。頭にバンダナを巻いていて、かなり巧い。去年あたりに後ろ姿を撮ったのと同じ人だ……検索したら、2004年の5月でした。三年以上経ってますな。 →幻泉館日録:津軽じょんがら節しばらくすると、ビッグバンドジャズのような音楽が聞こえてきた。はて?夕陽を撮影しながら公園入り口に近づいていくと、また演奏が始まった。あ、「モリタート」だ。「マック・ザ・ナイフ」ね。浜で演奏している。「浜辺の歌」や、「海は広いな大きいな」の「海(うみ)」。パネルを持った人達は何なんだろう。 →夕陽が好き!MySQLとPHPの設定をいじって文字化けが解消したので、幻泉館サーバのフォトギャラリーでも、やっと日本語が復活しました。なかなか直らないので(いじるのが面倒だったので)、「So-net Photo」というサービスを使い始めたところだったんです。ここはサイズが横500pixまでで、接続会員は2000枚、無料のコンテンツ会員は1000枚まで登録できます。 →So-net Photo: 幻泉館そうそう、幻泉館本館ブログをバージョンアップしたら、登録しないと投稿できない設定になっていました。認証は外しましたので、前のようにコメントを付けることができます。これも、どこをいじればいいのかよくわからなかったのです。
2007.10.22
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夕方用事があって本屋さんに歩いていく途中、閉店の張り紙を見かけた。カメラを持っていなかったので、携帯でカシャッと撮影。以前はハルモニが秘伝のたれで焼肉を焼いていた。ここ3年ぐらいは焼き鳥屋さん。もうハルモニはいない。入ったことのない、風景の一部としてあったお店だ。そういえば昨夜は若い人達が集まって飲んでいたな。あれは閉店パーティだったのか。道路の拡張工事に伴い閉店するといったことが書いてある。市の都市計画による、駅周辺の再開発事業。駅近くの裏通りを潰して、巨大な雑居ビルが建てられている。この焼き鳥屋さんがあるところは、鉄道を横断する道路になるのだろう。駅付近地区連続立体交差関連公共施設整備事業。総事業費約135億円。「公共の福祉に寄与することを目的」としているそうだ。駅周辺の商店街がこれで活性化するのかどうか、知らない。元々寿司の有名店はJRの駅近くではなくて、港にある。バイパスと呼ばれる新しい国道沿いには、家族で入りやすいファミレスタイプの広い焼肉屋や回転寿司が賑わっている。風景が大きく変わろうとしている秋。
2007.10.05
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昨日今日と、のんびり市のお祭り。60周年ということで「60祭」というポスターやうちわをよく見かける。まあ、隣町の大社の祭礼は源頼朝縁のだったりするので、比べ物にはなりませんが。 →幻泉館:祭りの時間二日目の今夜は急に雨が降り出してしまいましたが、ポンポンと音が聞こえます。昔は建物が少なかったから、うちからも見えたんだけどな。夕方投票所に行きました。いつもは開票速報なんか見ないんだけど、ちょっと見ておこうかしら。
2007.07.29
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スバルから部品が届いたと連絡があったので、交換してもらいに行った。 →幻泉館日録:昼歩く作業に3,40分かかるというので、海岸へ散歩に出た。旧国道一号線沿いを渡ると、すぐに松林。堤防も見えている。いつもの千本浜から数キロ西にあるので、風景が少し違う。散歩の家族連れなどはいないが、浜で釣りをしている人が多い。停めてある車に他県ナンバーが多い。わざわざここまで釣りに来るのかしら。 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]雲が出て太陽が隠れてしまったが、それでも夏の夕陽。帰り道に見かけた猫は、ヒナに似たやつ。堤防でごろにゃんしていた。 →ヒナのひるね梅雨明けは、まだもう少し先らしい。
2007.07.25
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台風が過ぎた後はすごい夕焼けが見えることがあるので、ひさしぶりに浜へ出た。残念なことに雲が多すぎて太陽が隠れてしまった。帰りがけにきれいな空になっていたので、もう少しねばっていればよかったかなあ。 →[I Love Sunset! 夕陽が好き!]人出は多い。時々とても大きな波がやってくるので、防波堤から下に降りる人はほとんどいない。海はまだ荒れている。水面から湯気が上がり、ものすごい湿気だ。遠景がかすむ。空は晴れてきたが、山に近い地域ではさらに危険が増している。床上浸水の被害があり、まだ洪水警報は解除されていない。山が泣いている。 ♪ 空が泣いたら雨になる ♪ 山が泣くときゃ水が出る ♪ おれが泣いても何にもでない →泣いてたまるか 渥美清の泣いてたまるか私の小さな頃は、狩野川という1級河川が氾濫して被害を出していました。私も高台へ避難した記憶があります。夜が明けて台風が去ってから、当時の国道1号線が川のようになっていたのを覚えています。立派な放水路ができてからは、氾濫していません。その代わり、山の麓で水が出るようになりました。ちょっとした雨で道路が冠水し、床上浸水するのです。放水路のせいではありません。山にゴルフ場がいくつもできたからです。東京から高速道路を使って1時間。週末に賑わうゴルフ場は地域にいくらかの雇用を作り出し、インターチェンジ近くや浜の飲食店街にお金を落としていきます。でも、山を殺した上で農薬をばら撒き続けている社会的コストは、おそろしく高いものでしょう。
2007.07.16
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午後の散歩で本屋さんに出かけた時、上本通りにさしかかると、急に高周波のようなものを感じた。キーン!わ、やばい、暑さにやられたか?これが実は風鈴。南部鉄風鈴が、四つか五つずつ飾り付けられ、それが延々と続いてる。少しの風でも、あれだけの量になるとものすごい音になる。聞けば夜中も吊りっぱなしとのこと。商店街の人は眠れないのではないかしら。仲見世商店街に入ると、いたって静かである。町一番の繁華街がこれでは、それもまたまずいのではないかしら。例によって七夕の飾り付け。今の鬼太郎はこんな顔なんですか。びっくり。こちらも妖怪っぽい。誰が描いたのかしら。
2007.06.29
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MUJIが10%引きセールやってたな。タンクトップ買ってこよう。Tシャツが暑いんだわ。散歩がてら、駅前のMUJIショップへ。途中で商店街の七夕祭りを見かける。もうそんな時期なんだ。はやいなぁ。カメラ持ってくれば良かった。今年はボストン・レッドソックスのユニフォームらしきものが目新しいかな。おお、ワンピースか。ずっと読まないまま来てしまった。人気があるんだろうな。平日の昼下がり。ただでさえ人通りが少ないのに、今日は定休日の店が多くて、とても寂しい七夕祭りだ。たとえば1972年の夏、1978年の夏。些細なことまでよく覚えていて、どんな夏だったのかはっきり蘇ってくる。そんなふうにこの2007年の夏を思い出すことがあるのだろうか。
2007.06.20
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春一番ツアー最後の夜、おいしいおうどんさんをいただこうと、道頓堀へ出ました。その時携帯でバシャバシャ撮った画像が出てきました。ああ、楽しかったなあ、ミナミ。
2007.05.24
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東急百貨店吉祥寺店で、70年代メモリーズを売るのだそうな。『俺たちの旅』のロケを下宿の近所でやってましたっけ。ちょっと見たいけど、行けませんわ。残念。 4/26(木)~5/2(水) 「あのころの青春のときめきが、今ここに。」 →'70s メモリーズ in 吉祥寺
2007.04.26
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寒いです。端午の節句も近いというのになんだろうね、こりゃ。バージニア工科大学で乱射事件があったり、長崎市長が銃撃されたり。寒いわ。静かな平日の昼下がり、商店街に選挙カーの騒音だけが響き渡る。名前の連呼だけするやつになんか投票せんわい。金太郎も恥ずかしいのか、真っ赤になってました。ぽきん、金太郎。ぽきん、金太郎。では、ごきげんよう。達者でな。
2007.04.18
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ふと気づくと、事務所のドアの上にシールが貼ってある。 安全な街づくり ☆☆警察署 ☆☆交番・駐在所 (画像中の文字は一部消去してあります。)大家さんが貼ったのかなぁ。担当巡査の氏名も書いてあるけれど、まさか本人が勝手にこんなもの貼っていったんじゃないよなぁ。だいたい外側に貼られても、いざという時に電話番号がわからないぞ。ささやかな、でもいつのまにか忍び寄っていた浄化の風景。 →幻泉館日録:もしもあの世に行けたなら(1970年) →幻泉館日録:純 →幻泉館日録:黒いカバン →幻泉館日録:浄化の風景 →幻泉館日録:浄化の風景 #2
2007.03.16
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高田渡生誕会の今回の会場は吉祥寺サンロードの北端、もう五日市街道がすぐそこを走っているといったところにある映画館だった。西友の北側には定食屋さんがあったよなぁ。井の頭公園を覗いた後も開場まで少し時間があったので、建て直しているという「いせや」を見に行った。なるほど。裏手に作業場があって、水が滴り落ちる中、奥のアパートまで雑誌を配達しに行ったことがあった。演劇雑誌だったから、劇団の人だったのだろうか。「吉祥寺1972」よりもずっと後、もう80年代に入っていた。僕は中道通り商店街の小さな本屋さんでアルバイトをしていた。持ち込みを何でも置くので、セクトの機関誌が揃っていた。吉祥寺駅ビルのロンロンにお店を出していたねじめ正一さんが、詩集を持ってきた。ダイヤ街でよく見かける酒屋の店員さんが、吉本隆明の出している「試行」を定期購読していた。そうそう、吉祥寺火薬庫「ぐゎらん堂」は少年ジャンプを毎週買ってくれた。休憩時間に「まめ蔵」でカレーを食べるのは、大変な贅沢だった。マンガ家のいしかわじゅんさんが、お店のノートによく何か描いていた。プロの人はあんまりそういうことしないだろうになあと思った。高田渡誕生会・58の渡さんを描いたのは、「まめ蔵」のご主人、南椌椌さんである。当日は、渡さんのお兄さんと並んで座ってらした。
2007.01.30
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「高田渡生誕会'58」に行ってきました。その様子はまたあらためて。吉祥寺に出たので、ちょっと井の頭公園を覗いてきました。日曜日の井の頭公園。吉祥寺駅から公園まで、一時は芋を洗うような人ごみだったのですが、今は妙に人が少なくて、70年代に戻ったみたいでした。静かできれいなのですが、なんだか変です。公園内でのパフォーマンスが許可制になったことが原因のようです。年額1万2千円也を払って鑑札をぶらさげないと、演奏などができないようです。「高田渡生誕会'58」でも、シバさんが言ってました。「井の頭公園がおかしなことになっている」と。「美しい公園」を作って、人がいなくなるのでしょう。東京都は、日本国の一歩先を行っているようです。「美しい国」は人間の暮らすところではなくなるのでしょう。
2007.01.29
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♪ 僕がヨボヨボの爺さんになったなら ♪ 僕は君をつれこの街を出るんだ 「風景」中塚正人 →風景 by TOASTERS人影のまったくない不二家レストラン。店が開いているのが不思議なぐらいだ。1月12日、東急ストアやクイーンズ伊勢丹などのスーパーマーケットが、すべての不二家商品について、全店舗の売り場から撤去を始めた。1月15日には、セブン&アイホールディングス、イオンの各グループのスーパーマーケットとコンビニエンスストアでも撤去を決めた。現在不二家の公式ウェブサイトは「お詫びとご報告」だけが表示され、通常の内容は閲覧できない。杜撰な衛生管理や隠蔽処理は、同族経営から生まれたのか。ペコちゃんを思い出の中だけの存在にしてしまいそうな、経営陣が腹立たしい。
2007.01.16
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]恒例「初日の入り」です。あいにく厚い雲が垂れ込めていたのですが、水平線近くに雲の切れ目ができて、太陽が少しだけ顔を出してくれました。でも、薄い雲を通した光です。今日も人出が多く、アイスクリーム屋さんが来ていました。他県ナンバーの車もうろうろしているのですが、道がよくわかっていようでちょっと危ない動きをします。凧揚げやバドミントンの親子がたくさんいました。羽根突きはいませんねえ。帰りにふと気づきました。「国民の祝日」だけど、日の丸を掲げている家はまったくありません。なんだ、やっぱりそんなものか。
2007.01.01
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夕方、散歩がてら蕎麦を食いに出た。駅前の幅田屋さん。頼むものは大もりに決まっている。やっぱり蕎麦は冬場がうまい。壁に掛かった大きな日めくりがずいぶん薄くなっている。今年も、もうすぐ終わる。この店に来るといつも昭和三十年代の幻を見る。若かった父と母、元気だった祖母。向かいの壁には相撲の番付が貼ってあるけれど、ここからでは字が小さくてまるで読めない。帰りには信用金庫が向かい合う横丁を通った。昔は映画館があって賑わったところだ。ウィンドーには、昔の映画のポスターが飾ってあった。「麦秋」「君の名は」「女の園」「二十四の瞳」黄金時代の日本映画のポスターが並ぶ。眺めながら、ちょっと違うなと思った。「文化」という言葉を冠した映画館は、地元出身の映画監督のデビュー作の舞台にもなった。そこでは、外国映画を上映していた。伯母や従姉に連れられて、オードリー・ヘップバーン主演映画のリバイバルを見たりした。これからまた、ノスタルジア商売が増えていくのだろう。やっぱりちょっと違うなと思う。
2006.12.22
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