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仙台ブス伝説

miyaの小話4
『仙台ブス伝説は本当か!?』


『仙台ブス』という言葉をご存知でしょうか。
日本3大ブス 第二位 あまり嬉しくない称号を持った仙台。

ちなみに、日本3大ブス→水戸・仙台・名古屋
逆に3大美人→秋田・金沢(石川)・京都だそう。
確かに秋田の友達は色白でお目目ぱっちりが多い気が・・・


言い訳じゃないですけど、仙台女性が「日本三大ブス」と呼ばれたのは
伊達藩の殿様が参勤交代の度に芸者通いをしていたことかららしく
仙台女性の容姿とは無関係なんだそうです。・・・・・ そうなんだそうです(弱気)

でもやっぱり仙台にはブスが多い!とよく雑誌や新聞でも見かけたりするんですよ。
そして、街中見ても、確かに・・・そんなに 美人! と思う人もいないような・・・(汗
(もちろん自分も・・・(汗汗汗)

なぜそんな話を?というところなんですが、地方紙の河北新報の折込誌に
面白いお話が載っていたんで紹介しようと思いまして・・・。

日本で初めて美人コンテストが行われたのは明治41年(1908年)。ほぼ一世紀前です。
米国から『世界美人コンクールをしたいから、日本代表3人送って』
との要請があったことに始まります。

当時の日本は日露戦争の勝利から3年目、欧米列強と並ぶ近代国家と
認められたためのお誘いだったと思われます。

それに参加するとなれば、まず手始めに国内コンクールが必要となります。
そこで全国22新聞社の協力を得て両家の子女を対象に公募することとなりました。

掲載された社告は 容色の美麗なる婦人、令嬢は奮って参加せよ。
美人の夫・父兄もしくは知人は写真を送られよ』


未婚・既婚は問わず。 明治って開けてる~v
しかも不思議だったのは世界に挑戦するにも関わらず
『女優・芸妓・その他容色を持って職業の資とするものは除外』
だったこと。今だったら分かりますけど、女優さんで勝負してもいいのに。

で、応募は写真のみ。明治41年3月に全国美人審査が行われます。
その結果、一位は東京の末弘ヒロ子サン(16歳)
二位になんと仙台の金田けん子サン(19歳) ←宮城で一位だった人 が選ばれたんだそうです。
しかも、宮城で2位だった仙台代表・伊藤しげ子サン(20歳)は次点の9人入り!

結局、世界審査では日本代表1位の末弘サンが6位で、米国が一位だったそうです。

当時から・・・いえ、果ては江戸時代から 仙台に美人がいない が通説で
この全国十二美人のうち2人が仙台というのは快挙だったそうです(やっぱり?)

全く失礼な話ですが、当時の日本でも衝撃が走ったというのは笑えました。
でも、この話から行くと、仙台にも(探せば?)美人はいる、となるんでしょうか。

いや、全く持って失礼な話ですな。
実際どうなんでしょう?仙台美人。
昔、ニューハーフの日本一が仙台のケイコさんという人だったような・・・。
って、どうでもいいですね・・・。

生まれも育ちも仙台の私。
仙台ブスは、それでも今日も頑張るのです。
ミス日本とかに選ばれたら、仙台の見方も変わるのかしら。
それにしても、どんな奴らが言っているのか・・・。
受けて立つぞ~!男どもぉぉ~(叫)
全く失礼なお話でした。




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