ぎょう乃介雑記

ぎょう乃介雑記

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2006年12月17日
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カテゴリ: 古典日記


この季節、リビングの窓ガラスにサンタさんと雪だるまのジェルシール。
それと、せこい話ですが・・・電気代が心配!と・・・申し訳程度の電飾を表にぶら下げています。

毎年12月には、娘の幼稚園の「生活発表会」があります。
娘は今年も「おゆうぎ」で、演目は「ゴリエちゃん」の「ペコリナイト」。
踊るのが大好きな娘は心から楽しんでいるようで、のりのり(死語?)のステージを披露してくれました。
この曲は、あの「ベイシティーローラーズ」、「サタディナイト」のカバーですから、私達世代は懐かしさいっぱいです。

発表会最終プログラム「年少年中合同合唱 ジングルベル」が終わると同時に、サンタさんが登場。
年少さんは目を丸くして大騒ぎでした。

「中は誰かな~」
と探っている様子が、見ている親にも伝わってきます。

去年のサンタさんは、今年と違って、発表会が終わって園児が戻っている教室をそれぞれまわりました。
教室に入って来たサンタさんを発見した瞬間、娘は泣き出し、近くにいた先生が思わず抱っこしてくれるまでの時間がほぼ1秒。
きっと先生も条件反射的に抱え上げてくれたのでしょうね。

「7人の小人」でも「ミッキーマウス」でも、「被り物」が苦手な娘ですが、まさかサンタさんまでも・・・と驚いたものです。
帰宅後、
「サンタさんからよ」
そう言って娘にプレゼントを渡そうとしましたが、受け取りません。
よほど嫌だったのでしょう。

そんな娘も、今年はひな壇の最上部、サンタさんと一番離れた場所での対面だったので、どことなく余裕を持って、サンタさんを眺めているようです。


「サンタさんって誰?どこから来るの?」
こう子供に聞かれて親は、ついつい「夢のお話」をしてしまいます。
決して子供をだましている訳ではありませんが、ついつい、その・・・。
子供の教育方針はそれぞれの家庭によって変わってくるでしょうから、おいそれと外でサンタさんの話も出来ません。
よそのお子さんに、

なんて尋ねられたら、返答に困ります。
「おじさんは、わからないなー。それは、お父さんかお母さんに聞いてね。」
余計なことは言わないで、一目散にその場を離れたくなるに違いありません。
世界中で親達に嘘をつかせるサンタクロースは、罪があるのかないのか。

嘘といえば、先日参加させていただいたリミンさんの「風の会 クリスマスパーティ」での余興に、マジックがありました。
若いマジシャンさんのテクニックを目の前にして、
「何とか種や仕掛けを見つけてやろう!」
と、意気込んで、瞬きもせずにじっと凝視しましたが、わかりません。
やはりプロはプロ。
客にはそんなの、発見できるはずもありませんでした。

トリックがあるとわかっていても、ついつい引き込まれて、頭の中が「不思議?」でいっぱいになります。
頭の中がもやもやっとした、「だまされる快感」というものが、人にはあるのではないでしょうか。
自然界は「不思議」の連続で、「何でも合理的に説明の出来る!」と思うことが間違いなのであって、「なんだかわからない」という中で暮らすのが、本来の姿なのかもしれません。


万葉集の中にも「だまされた!」という歌があります。
しかも、この歌自体が「なんだかわからない」歌なのです。


巻4 773「言(こと)とはぬ木すらあぢさゐ諸弟(もろと)らが練(ね)りのむらとにあざむかえけり」

遷都により久邇京にあった大伴家持が、平城京にいた大伴坂上大嬢に贈った歌5首の中の4番目の歌です。
家持、23歳くらいの歌と思われます。

まず「言とはぬ木すらあぢさゐ」この何かを秘めたような物言いからして、この歌をわからなくしています。

家持38歳頃の歌に、

巻19 4161「言とはぬ木すら春咲き秋づけばもみち散らくは常をなみこそ」

訳「物を言わない木であっても、春は花が咲き、秋は紅葉するように、永遠に変わらないものなんてないのだ」

これなどは、意味がとてもわかりやすい。

「人はおろか物言わぬ木であっても・・・」が、何事も移ろうものだ、永遠は無い、の意味を導くとすれば、「あぢさゐ」の場合は、何が移ろうい、変わっていくのでしょう。
まして、あぢさゐ以上に変化しそうな花はたくさんありそうです。
あぢさゐとの繋がりがよくわかりません。


「諸弟」・・・不詳
「むらと」・・・不詳


5番目の歌も、訳が定まっていないのは同じですが、

巻4 774「百千(ももち)たび恋ふと言ふとも諸弟らが練りのことばは我れは頼まじ」

で、これには「諸弟らが練りのことば」とありますから、「むらと」も「ことば」に近いようなものなのでしょう。

「練りの言葉」とは、何でしょう。
考慮に考慮を重ねた言葉、最善の言葉・・・あたりをさすのでしょうか。


訳「何百、何千回と恋しく思うというけれど、「諸弟達」が選んだ言葉を、私はあてにすることなぞしないぞ」

で、この場合も「誰が恋ふ」のか、はっきりしていません。
坂上大嬢が、それとも家持が、それとも人々が・・・。


そこで、4首目の私案、

「『言問はぬ木すらあぢさゐ』(話をしなくてもアジサイ《味わい》・・・会話が途絶えていたとしても、それはそれで味わいはあるものだ、心は通じているぞ)なんて、さもわかったような、もっともそうに「諸弟達」が選んだ、恋のマニュアルにあった言葉に、惑わされちゃったな。本なんかあてにするんじゃなかったよ」

訳不明の歌ですから、ここまで突飛でも許されるかな。

23歳の家持は、「珠玉の恋歌」なるマニュアル本片手に、意中の女性に恋歌を贈っていたのかも知れませんよ。






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最終更新日  2006年12月17日 12時09分08秒
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