小さな我が子たち

小さな我が子たち

妊娠



主人は私より6歳年上で今まで付き合って来たどんな人よりも
男らしく強く優しかった。

私は主人の転勤を機に同棲を始めた。

私が19歳、主人は25歳の時だった。

それから1年半のある日、胸の張りと微熱に気づきいた。

検査薬で 妊娠 を知った。

ビックリはしたけど、ま~当然の結果かな?と思っていた(笑)

次の週の主人の休みに病院に連れて行ってもらった。

断然産むつもりだったので里帰り出産を考え、はじめから実家の近くの総合病院に行った。
住んでいる所からは 普通に行ければ1時間半、混んでいれば2時間 かかった。

あとあとそれも間違いだったな~って思う。(笑)



診察結果は 8週目

 予定日は  1999年 12月 20日  だった。


なんの障害もなく私たちは入籍し、私は何の知識もなく妊婦生活を過ごした。

今でも後悔しています、なんでもっと妊娠中の事を勉強しなかったのか・・・。


10w3d 検診


検診は血圧を除けば順調だった。

私のこんな初期ですら  152/94  で 高血圧 だった。

ただ私は物凄い上がり症で人前で話をするのに動機があったほどだ。

医者もそれで上がってしまったのだろう、と軽く考えていた。


15w3d の検診


今回の検診も血圧は  141/82  でどうみても 高血圧

ただそれ以外の症状もなく年齢も若かったため 妊娠中毒症 を疑われなかった。

上がり症もあり先生と話をするのもつまってしまう。



19w3d の検診


血圧は相変らずだが、胎児はちゃんと標準どうり育っていた。

この時も血圧について先生からは何も言われなかった。



23w3d の検診


血圧は  161/92  普通ありえないでしょ?(笑)

この頃、帰りの運転中に酷い 頭痛 がするようになる。

私は長い運転の往復で疲れが出たのだと思っていた。

後になって考えるとこれは絶対血圧のせいで、私は怖い事をしていたな~
と、今生きてる事が運が良いとまで思っている。



27w3d の検診


血圧は  179/110  普通この血圧だったら即入院でしょう(笑)

尿タンパクも+-になっていた。

この時ですら先生は何も言わなかった。

浮腫みがなかったからか?

私は知識がなかったので何も心配ではなかった。

ただ帰りの運転はあまりの 頭痛 に耐えられなくなり、実家で休み頭痛がおさまらないと動けなかった。


29w3d の検診

この日は検診後、友達と遊ぶ約束で検診を早く済ませようと早めに行った。

いつものように尿検査、血圧を計って待っていた。

血圧は前回とそう変わらなかった。

予約制なのに私はいつまでたっても呼ばれなかった。

順番も一番最後に回された。

私は友達との待ち合わせに間に合うか、それだけが心配だった。

呼ばれてすぐ先生も看護師さんも慌しく動き、いろいろな検査をはじめた。

エコーで何度も胎児の測定をされた。

先生は  「今日入院してください」
私  「え?」
先生  「妊娠中毒症です」
私  「今から入院ですか?」
先生  「今すぐです」
私  「何も用意もないので家に帰りたいのですが?」

そこからは私の話よりも看護師さんと病室の空き状況の話で返答はなかった。

すぐに車椅子がやってきた。

は?
私は歩けるし、なんでこんな物に乗らないと行けないの?

と内心  ムカッ!  とした。

「歩けます!」

先生、看護師さん  「あなたはいつ血管が切れてもおかしくない状態です」
「一歩も歩いちゃだめ!」

何を言っているんだろう、私は今まで歩いて来たしこれから友達とも会わないといけないんだよ

と、私の意見を聞いてもらえない事にかなり ムッ! としていた。

病室に運ばれ
「パジャマに着替えて寝ていてね!」
と病院のパジャマを渡された。

パジャマに着替え寝ていると、同室の妊婦さん達が楽しそうに話しをしている。

だんだん寂しく、そして不安になって来た。

1999年 10月 7日 夕暮れだった。



出産へ と 続く


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