あの本は君に。


二十歳の夏。

君に出会った。

暑いアスファルトの上
横断歩道。

信号待ちをしていた私に、君は大きく呼びかけた。


赤い車にのって、隣には長い髪の綺麗な人。
誰かと思った。

君じゃないか。

大きく手を振って、大声で。
恥ずかしかったよ。


本屋の帰り。
重たい本を2冊も抱えて
夏の日差しが憎らしかった。

君はそんなのかまわずに
車を降りて、わたしの抱えるものを
興味深そうに眺めていた。

「なにそれ?」

わたしが持っていたのは哲学の本。
にわとりは卵からか、それとも親からか。

・・の、あれ。


説明しても、浮かない顔。
日差しが強すぎる。

君に説明したくない。
暑いから。

早く戻りなよ。
路上駐車はよくないから。

それに、待ってる人がいるでしょう。


そして 君は赤い車に乗り込んだ。


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夏の日差しが弱まって
君はわたしのところへ顔を見せた。


そのあいだ
君はずっと言っていた。

「生きてる意味が分からない」

どうして?楽しそうじゃない?

綺麗な顔立ち。長い手足。
笑った顔が、子供っぽい。

どうして?いい男じゃない?


そのあいだ
君はずっと俯いていた。


厚くて重い、あの本を
君に2冊手渡した。


答えが見つかるわけじゃないけれど
何か見つかればいい。


二十歳の夏が終わるときだった。


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君にあの本を渡して
しばらく連絡がなかったけれど

急に毎日電話が鳴るようになった。

君からだった。


学校にも来ない君だったから
本なんて読まないだろうと思ってた。

本は、君にあげたつもりだったんだ。


そしたら君は
本について毎日電話をかけてきた。


だけど答えは出ないまま。

君の疑問は解けないまま。

「生きてる意味が分からない」


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


21歳の君の誕生日。

電話をかけたけど繋がらなかった。
それまで毎日、電話をかけてきたのは
君からだったから。


「おめでとう」

と言いたくて。


だけど電話は繋がらなかった。


君はずっと言っていた。
「生きてる意味が分からない」

その疑問に答えることはできない。
だけど、これだけは君に伝える。


君は 命を失うべきではなかったよ。


あの本は
君にあげたつもりだったんだ。

だから、持って行っていいよ。
いつか君に会えたとき。

君が答えを教えてくれたらいい。

あの本は 君に。



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