陽だまりブログ  

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8回目の流産



7回目の流産後、当時通っていた個人病院のKクリニックから、
大学病院への紹介状を貰い、大学病院の不育症外来の戸を叩いた。

紹介状に書いてある、過去流産経歴と私の問診、
可能性のある病状、それに合わせた検査内容等の説明を受け、検査が始まった。
血液検査が主なもので、染色体検査の為夫も血液を採取された。
一般的な不育症の検査が一通り終わった。

この検査で、原因さえ分かれば、きっと次は大丈夫。
心は軽かった。早く結果が出て解禁になる事を心待ちにしていた。

しかし、検査結果は無常な事に、「原因不明」となった。
全ての項目に異常を示す数値が見当たらなかったのだ・・・
主治医に、この先どうなるのか聞いた。
「妊娠してみないとわからない。」と言われた。
不安になった。先に見えたはずの光が消え、真っ暗になった。
だが、ここは大学病院であり、医師も不育症の専門医だ、
少なくとも今までよりはましだろうと無理やり思い込む様にした。

3ヶ月ほど経って、妊娠反応が出た。
大学病院に電話を入れた。
直ぐに入院の準備をして来る様に言われた。
外来で、尿検査をし管理入院となった。
1週間が経ちエコー検査で、タイノウが確認された。
標準通りの大きさだった。
翌週、心拍が確認された。医師は、退院だと言った。
私は、
「これから先が私は危ない、せめて8週を超えるまで見て欲しい。」
と頼んだが、医師は、
「心拍の強さも、回数も問題ない、大きさも普通の妊婦より大きいくらいだ。
 心配しないでいい。」と言った。
いつもの下腹部痛もあった。
下腹部痛の件を話しても、個人病院のKクリニックの医師同様、
「この時期に痛みがある事は、まずあり得ない。」との事だった。
私の考えすぎの様なニュアンスだった。
「お願いだから、もう少し見てくれないか。」と再度頼んだが、
「問題が無いので治療も出来ないし、
治療をする必要が無いいじょう入院していても意味が無い、
何が原因なのか、以前の流産の経緯は私が見た訳ではないので、
治療の必要があるのか分からない。」
と言われた。
と、言う事は、病院を変わる度に最低一度は、
確認する為に、何もせず見送るというのか・・・?
流産の様子を確認すると言う事なのか?!
この子がダメになるのを確認してからでないと、
治療と称するものは出来ないと言うのか?!
この子が犠牲になるのは止む無しと言う事なのか?!
この子を助けて欲しくここに居るのにどういう事なの?!

私の願いは、聞き入れられる事はなかった。
私は、退院となり2週間後に来る様に言われた。

2週間後、8週で心拍は停止していた。
だから言ったのに・・・
あんなに頼んだのに・・・
涙が止まらなかった・・・悔しかった・・・
悲しみより、悔しさの方が大きかった。
お腹の子には、何もしてあげられない無力さを詫びるしかなかった。

どうしてこうなるのだろ・・・
こんな事を繰り返し、私は後何回我が子を殺すのだろう・・・
自分で手をかけて殺している様な気になっていた。
精神的にも肉体的にも疲れ、うつ的な症状が出ていた。
何もかもが信じられなかった。

夫とも喧嘩の毎日だった。
夫の軽く言った「次があるさ・・・」の言葉に異常に反応し、
あと何人、殺せば気が済むのかと噛み付いた。
自分の子が死んだのに、平気なのかと責めたりした。
泣き喚き、「あなたの命と引き換えに、あの子達を私に返してくれると言うなら、あなたが死んで、あの子達を私に返して!!」
と訳の分からない事まで言っていた。

もう、気力もなかった。
今までのエコー写真や記録を泣きながら、めちゃめちゃに破いて捨てた。
もう、嫌だと思った。
もう、誰も私の子を助けてくれない・・・

あの子は、お腹の中で、どれだけ苦しかっただろうかと、
毎日の様に、毎時間の様に考えた。










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