ハル★ルンの部屋

No.8「神様の愛って、すごいな!」


★Short Message No.8★

「神様の愛って、すごいな!」




  愛する者たち、私たちは互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。
愛のある者は みな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。
なぜなら、神は愛 だからです。

(ヨハネの手紙 第一 4章7~8節)          



今日は、神様と私たちとアガペの関係について学んでみましょう。

神様に対して、「あなたの名前は何ですか。」と聞くと、いくつかの名前が挙げられます。旧約聖書で代表的なものは、出エジプト記3章14節でしょう。 「私は在りて在る者なり。」 この名前は、全知全能の創造主の本質をよく言い表していると思います。解釈すれば、「すべて実在するものを実在せしめておられる実在者」といえるでしょう。 ところが、新約聖書では、もっと神様の特別な性質が名前として紹介されています。 「私は愛です。」 神様は愛そのものである、というのです。何と、簡潔明瞭な定義ではありませんか。神様をこのように定義しているほかの宗教はありません。そして、聖書に示されている神様の本質は、実に愛そのものだというほかはないのです。しかし、日本語では同じ訳語の愛でも、原語のギリシャ語では違う単語が使われています。聖書は 「神の愛アガペ・道徳的な愛フィレオ・色欲の愛エロス」を違った単語で使い分けるのです。ここでは、「神はアガペです。」と訳せます。

「愛は神から出ています」とは、「神の愛アガペは、人からは出てこない」と理解していいでしょう。「愛のある者」とは、「アガペを受け入れた者」と言い換えることができます。

そうすると、「神の愛アガペを受け入れた者が、神を知っている」ということになるのです。これは、キリスト教の信仰を実に的確に言い表しているのです。 「神様を知っている」とは、「神様の愛を受け入れて生きること」 だというのです。そのほかの資格は、全く何もいらないといっています。信仰は学問的知識量とは違うのです。たとえば、聖書のことをいくらよく知っていても、人の悪口ばかりいっていては、神様を知らないことになります。いくら金持ちでも、いばってばかりいては、これも神様を知らないことになります。聖書を一生懸命学んでも、誇りが高くて見栄っ張りでは、これも神様を知らないことになるのです。逆に、 「神様を知りたい」と思えば、「心に愛を満たしたい」と願えばいいのです。 アガペの愛を求めればいいのです。何とすばらしいことではありませんか。やろうと思えば、誰にでもできるのです。私たちは、いろいろな我欲で心が満腹になりがちです。しかし、一回きりの大切な人生を我欲で満たすよりは、愛で満たしたほうが、はるかに素晴らしいとは思いませんか。

さあ、あなたも今日から、アガペを求める人生に切り替えてみましょう。


BBN聖書牧師 高見憲次
E-Voice No. 49 4/15 ’04 掲載

(「祈りの泉」は、毎日午前・午後12時から約10分間放送しています。)

※この内容、キリスト教についてのご質問等がありましたら、 japan@bbnradio.org ←こちらをクリック♪


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