寅さんが、何を言いたいのか、を一言にしますと
子どもたちに対しても、そして大人に対しても、
「主体性をもとう」、ということに尽きるのです。
主体性をもてれば、どんな環境でも、「遊ぶ」ことができるのです。
そして、そういう大人のみが、子どもたちに
学問を「遊ぶ」ことを教えられます。
主体性を確立していないと、
社会は、恥や恐れへの対処の場となってしまいます。
日本の教育界が、他人の目を意識した恥を基本にしているのは、
結局、日本の教育者が主体性をもっておらず、
人生を遊ぶ姿勢をもっていないからだと思うのです。
「遊び」こそ、主体性の表れです。
真に楽しい授業こそ、子どもが主体性を発揮しているときであり、
子どもが主人公になっているときだと、思われます。
教育は余計な小細工をするより、
楽しみ方を伝えることに専念した方がよっぽど効果があると
私は思っています。
もちろん、真剣さと「遊び」は矛盾しません。
遊んでこそ、集中力も高まりますし、
人間が、先天的に生きる術をDNAに刷り込まれずに、
後天的に学んでいくことを選んだのは、
遊びを通して、頭脳と無限の適応力と創造性を発揮せんがためだと
思われます。
そして、その主体性は、無意識的にも、
唯心論の視点をもたなければ、確立できないと思うのです。
その時、世界は対立物や生存競争相手としてではなく、
自分と一体の遊び仲間として生まれ変わるのです。
食育から、教育を見ると 2008.06.01 コメント(4)
学校は未熟者の修行の場 2007.12.07 コメント(6)
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