もしかして、私たちは大いなる勘違いをしているのではないでしょうか?
教育に力を入れると言いながら、
社会全体で子どもや先生を過剰ストレスの脅威にさらし続けているのでは?
ひいき目に見ても、ちょっと冷静になれば、
教育が破綻していることは、誰でも気づくことです。
子どもたちは、立ち騒ぎ、落ち着かず、集中せず、
または、とりとめのない別の世界にいます。
暴力が増え、疎外感が高まっています。
先生も病んでいます。
日本ばかりではありません。
スペインでは、教師の80%がストレスで疲れ切っています。
イギリスでは、特に小中学校の教師のなり手がなく、政府は頭をかかえています。
ブラジルでは、ストレスによる身体の異常症状を三つ以上感じている教師は
全体の92%に達しています。
どの先進国でも同じなのです。
大都会の一般の社会人の2倍以上のストレスを感じていることは、
間違いないのです。
こういうストレスを抱えた、精神病院に入院してもおかしくない教師に指導される
子どもたちは、どんな影響を受けるでしょう。
教育についての常識を根本的に考え直す時にあるんじゃないでしょうか?
寅さんは、「考える教育」をすすめていると思っています。
しかし、「考える」という意味を、脳みそに対する刺激と、とらえると
この時代は、「考えすぎ」であふれているのではないでしょうか?
映像などを通して、過剰に情報がめまぐるしく入り、
大脳皮質のエネルギーを大量に使うため、
激しい運動をしていないのに、
いつも疲労感を味わっています。
睡眠不足、過敏反応、取り越し苦労、物忘れ、注意力散漫
頭痛、胃痛
とにかく、高速にいろいろ考えてしまうのです。
これが、本当の思考力とは、違うことは明かです。
この問題を解消するには、従来の教育理論では太刀打ちできないのではないでしょうか?
情報の洪水は、記憶を読み出して思考を組み立てることを妨げます。
もちろん、心を平静に保つこともできなくなります。
内面の充実に心を向けることもできません。
あぶくのような思考過多こそ、癌なのではないでしょうか?
これに対する処方箋は、新たなものにならざるを得ません。
寅さんの活動の趣旨と矛盾するようですが、
現代の子どもたちには、論理的な考え方よりも
「感情」を、まず豊かに教える必要があるんじゃないでしょうか?
今まで、私たちは、感情をどれだけ教えられてきたでしょうか?
または、教えてきたでしょうか?
感情は、思考を妨げません。
逆に、主体的な考えや行動を支えます。
思うようにならない人生と、真っ向勝負する力を与えてくれます。
しかし、これは、複雑な数学の公式を教えるより、難しいことです。
言葉プラス、何かが必要です。
この事についても、ゆっくり考えて書いていきたいと思います。
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