今日は、寅さんが支援している中学校でも
そして、娘の通ってる中学校でも、授業参観そしてPTA集会。
特別な授業が準備されているクラスも多いと思います。
今日は、勤めている学校の授業が終わった後、
娘の中学校に行って、PTAの健全育成委員長として
家庭教育講座を開催する立場に変身します。
教師が親を批判し、親が教師を非難するという構図が
いたるところにあります。
学校というのは、子どもの成長の場という見方は、
狭い、表面的な見方であると気づきます。
学校は、教師の成長の場であり、親の成長の場です。
これを、おまけの効果と考えるのは、とっても不遜で、傲慢なことです。
親にとっては、教師にとっては、最も主要な命題であるのです。
誤解を恐れずに言えば、子どもは二の次、三の次なのです。
まず、大人が成長しあう。
その影響で、子どもが成長するのです。
成長を観測するのは、大人の役割であり、
観測されるのは、子どもだけ、というのが従来の考えでした。
大人は、もう完成されており、子どもに対して
「ここまで来いよ」と高見の見物でした。
しかし、そうじゃないはずです。
大人も十分に未完成なのです。
子どもの何倍も猛烈に修行をし、変身をしていかなければならない。
これからの学校は、教師がどんだけ成長したか、
親がどれだけ変身したかを確認しあう場にならなければ
未来に通用しないでしょう。
子どもを育てるというのは、
子どもという教師を神様からいただいたという意味であって、
すでに、その時点で、大人は生徒なのです。
だいたいにおいて、生きるとはそういうことなんですね。
じゃ、忙しい親にとって、当面、どんな修行をしたらいいんでしょう。
ぜひ、おすすめしたいのが、そして、私も頑張ると決意しているのが、
「祈り」です。
教師と生徒のために、祈ることは、どこにいても、いつでも可能です。
祈りが有効なことは、科学的な実験でも実証されています。
ある意味、私たちの仕事とは、祈りが本体であり、目に見える行動は
付随的な「おまけ」であるとも言えます。
まず、教師が成長するように、祈ってください。
批判の心をこめてではありませんよ。
誰でも未熟なのです。
未熟な方が、教師という仕事をしてくれているのです。
感謝とともに祈ってください。
そして、学校のすべての子どものために祈ってください。
感謝とともに。
この祈りは、学習塾に通わせるよりも大きな効果を必ずもたらすと
寅さんは、確信しています。
塾通いは、副作用を起こす心配がありますが、
これは、一切の副作用がありません。
それどころか、相乗効果で、予想もつかないハッピーが起こるでしょう。
祈りなんか?
そう、祈れる自分になることが、成長の一里塚なのです。
祈れる自分になるように、祈ってください。
これからの学校は、校長先生も含めて、全員が未熟者同士。
そして、一緒に成長している同志なのです。
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