(本日、怒濤の3本目)
人に笑われるのが好きな先生と
笑われるのが嫌いな先生がいます。
どちらが良い悪いじゃなくて、
そのお二人の言っている「笑い」の意味が違うと思うのです。
笑われるのが好きな先生の場合、
(寅さんも、もちろんそうですが)
笑うことでリラックスし、快を創り出す効果を意識しています。
関西の社会は、この文化が浸透しているんだろうなあって、
テレビで拝見しています。
それに対し、笑われたくない人は、
軽蔑の笑い、優越感を創る笑いを意識してるのではないかと思います。
笑いが好きな人の笑いは、副交感神経を刺激するのに対し
嫌いな人は、交感神経を刺激され、緊張が走るのですね。
二つは、別物と言っていいでしょう。
これから、話す「笑い」は、もちろん、副交感神経刺激の笑いについてです。
笑いは、どういう時に起きるでしょう?
寅さんの理解では、
予期したことが、はずれた時です。
それも、緊張状態が走るように、はずれた時ではなく、
「なああんだ」っていうように、
レベルダウンというか、安心感があるように、はずれる場合です。
だから、笑いをとるためには、一瞬、緊張状態を予想させた方がいいでしょう。
授業で教えることも、仮説に過ぎません。 (何度も言いますが)
いろんな仮説を授業中に闘わせ、緊張状態をつくってやる。
そして、
「なあんだ、こんなことになるんだ」、ってゆるめてやる。
はっきりとした笑いではないにしろ、
心の快状態であることは間違いなく、
この心理が、その授業や学問を好きにさせるんだと思います。
エライ先生や、大人が
これまた、難しい現実の話をする。
しかし、エ?先生も、そんなアホなこと考えてるの?
そんな、おもろい見方もあるの?
俺たちの、アホな考えと違わないじゃないか?
って安心する。笑いますね。
これは、決して、先生を軽蔑する笑いじゃないわけです。
先生も俺たちと一緒だ。
俺たちは俺たちのままでいいんだ、って自己肯定感をもちます。
この場合の先生を笑うっていう姿勢は、
実は、生徒が自分を笑っているのです。
人と優劣をつけるために笑うのは、
笑いながら、交感神経を刺激します。
しかし、自分を笑い飛ばすのは、副交感神経を刺激し、
とっても健全で、人とのつながりを作り、
人をやさしくします。
だって、人はみんな不完全で、おっちょこちょいなんですから。
それをお互いに笑いあえるというのは、安心感のつながりですよ。
それに、もっと大きなことは、その笑いを得るということは、
先生と生徒が一体化するってことです。
するとどういうことになるか?
少々下手な授業をしても、生徒は好意的にとってくれるんです。
かえって、ドジなほど、かわいがってくれます。
たとえば、幼稚園の劇を考えてみましょう。
だれも、名演技を期待してませんね。
ヨシ、ヨシっていうもんです。
それでいて、ちょっとでも、キラっと光ることをしようものなら
感激の涙です。
これを演劇コンクールの審査員のつもりで見たらどうでしょうか?
笑いは、先生と生徒を身内にしてくれるんです。
マジメな話、この世は、難しいことがいっぱいあるようですが、
実は、単純で、なあんだ、っていうことばかりじゃないでしょうか?
世の中の複雑さをにらみながらも、単純化することは、
とっても頭脳にも良いような気がします。
そして、生きる力を沸きたたせます。
この緊張と弛緩をうまく波打たせることは、
授業の大切な技だと思います。
だから、授業中に笑いがあるかどうかっていうのは、
子どもたちのアタマが活性化しているかどうかの
バロメーターだと思って間違いないと思うのです。
指導主事の先生が各教室をチェックする場合、
ぜひ、笑いの数をチェックすればいいのに。
そうすれば、学校の雰囲気はガラっと変わるのに、ね!。
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