アホなスポーツ根性物語です。
寅さんは、中学校に入学すると
小学で、学校代表リレーの選手だったこともあり、
いろんな部活動から、誘いを受けました。
その中で、一番強引に引っ張られたのが、
バスケット部でした。
背が高く、ジャンプ力もあったので(例の垂直跳びのお陰)
自分でも納得でした。
でも、バスケットの「バ」の字も知りません。
さらに、寅さんは、敏捷性と運動神経には、やっぱり欠けていたのです。
ぼーっとしてる性格、人を出し抜くなんてできません。
何度やめようか、と思ったことか。
でも、そのバスケット部は、本当に一種独特の
宗教じみた雰囲気が漂ってました。
伝統の重みと言うんでしょうか?
何度も県大会優勝を果たしており、
OBも蒼々たるメンバーで、常に指導してくれてました。
で、常に、「優勝、優勝」
「優勝するために、僕たちは生まれてきたんだ」、って感じに
毎日、毎日、洗脳されるわけです。
この苦しい練習をするのも、すべては「優勝するため」
そんな中、寅さんは、寅さん流の練習方法を見いだします。
それは、コーチや先輩の指導ではなく、ガイドブックでした。
バスケットの本を片っ端から読みあさったのです。
頭から入るタイプなんでしょうねえ。
そうして、身体の動きや、コートでのポジショニングを
頭の中で、方程式の解で決定するようになったのです。
方程式と言っても、数字の計算ではなくて、
あえて言えば、グラフです。図形の証明です。
その図形を頭で瞬時に描けるようになってから
みるみるうちに、認められるようになってきます。
上級生にも混ぜてもらえるようになります。
さらに、自宅の倉庫にも、リングを設置します。
庭だけでなく、ゴムボール用の籠を
まず、勉強してる部屋にも
続いて、家の中のいたるところに設置して、
シュートを決めなければ通れないようにしていきます。
早朝練習はもちろん、その前の自主ランニング。
学校から帰ってからのランニングとシュート練習。
薄暗い電気をつけて、シュート、シュート、シュートでした。
みんなから、コンピューターだと言われました。
ところで、私の年代のチームは、1年生のときから、
公式戦でも、練習試合でも、一度も負けたことがありませんでした。
(後から考えれば、これは、監督・コーチの設定ミスだと思います。
だって、負けるくらい強い相手と戦わせなかったのですから。
でも、実際、近場に敵はいなかったのも事実)
3年生になって、東北でも最強との呼び声のあったチームのところに
遠征に行って、勝ってしまいます。
もう、これは、県大会優勝どころか、東北大会、全国大会だ!
ところが、ところが、楽勝のはずの県大会。
キャプテンが、体調を崩してしまいます。
(寅さんは、4番をつけてましたが、キャプテンではありませんでした。
強引に引っ張っていくタイプではないから)
そして、もう一人の柱の選手も故障してしまいます。
そんな時、浜のチーム、(内陸の者からすると荒っぽい)と対戦し、
その挑発的な仕掛けに、冷静さを失っていきます。
反則で退場する者まで出て、
チーム結成以来、はじめて、リードを許します。
そして、コートにいるメンバーは、どっちかと言うと二軍メンバー。
私の頭は、真っ白でした。
まさか、まさか、です。
もう、自分一人で、決めてやらなければいけない、と
強引にシュートに行きます。
また、ボールを奪いに行きます。
それで、何とか、同点にまで持込み、延長戦。
さらに、再延長。
しかし、ついに、私へのマークをきちっとされ、
万事休す。
私は、しばらくこの事実を受け入れられませんでした。
茫然自失とはこのことです。
チームメイトを恨みました。
監督・コーチを恨みました。
なぜ、、対策を立ててくれなかったのか?
でも、後から、指摘されたのは、逆に私のプレー。
独り相撲を取ってたのです。
私へのマークがきつくなった分、他に空きがあったのです。
そこにパスを出せなかった。
しかし、そんな反省をするどころではない状態に
寅さんは陥っていました。
今まで、苦労してきたのは、ずべて、「勝つため」
スポーツは勝つためにするもので、
負けたら、意味が無いと洗脳されてきましたから。
寅さんは、頭で動くタイプです。
だから、文字通り、言葉どおり取ってしまってました。
「この中学時代のエネルギーは、無駄だった。」
「アホをしてしまった。」
そこから、
「欺された」
だって、考えてみれば、スポーツなんて、
優勝するのは、たった一校。
圧倒的な多数は、失敗者で終わるのです。
これは、めちゃくちゃ不利な「賭け事」じゃないか。
こんな割の合わないことに、
世の大人は、子どもたちの青春をつぎ込ませて、
いい気になってるんだあ!
もっともらしい顔をしながら、
実は、僕たちを将棋の駒のように使いやがって!
欺しやがったな!
部の監督も、コーチも、OBも、そして、学校そのものも、
恨んで、軽蔑するようになってしまったのです。
ちなみに、女子チームは、優勝し、東北大会でも健闘しました。
もし、男子チームが優勝したら、三年連続になり、さらに翌年優勝しましたから
もしかすると5年連続という快挙があったかもしれないのです。
寅さんのチームは、本当に「汚点」になってしまったのです。
高校受験が近くなり、成績がなぜか良かった寅さんは、
学校でいつも一番でしたが、
ある時、学年主任の先生から、
我が校の名誉のためにも、進学校への入試に一番で受かってくれ、と言われ、
ガーンと衝撃を受けました。
「ぼくは、ただ、単に勉強が面白いから、やっていただけなのに
先生は、こういうボクたちを助けるためにいるもんだと思っていたのに」
「何で、学校のために、ボクが勉強しなければならないんだ。」
「そんな風に、この学校は、生徒を観ていたんだ!」
プツンとキレテしまいました。
その瞬間から、寅さんは、一切、受験勉強をやめました。
要は、受かればいいんであって、
一番で入ることが目的じゃない!
毎日、好きな本を読んですごしました。
気の抜けた風船野郎です。
入試結果は、でも、不思議に成績は落ちなくて、3番。
これを学校から聞いたのですが、
「ざまーみろ」って思ったものです。
(うーん、この話って、自慢話ですかね。)
(だとすれば、とってもイヤらしい話ですね。)
でも、とにもかくにも、これが、寅さんの学校不信の原点です。
このスポーツでの挫折と学校への不信を
冷静に見つめ直し、
克服するには、3年間が必要でした。
そうです。高校3年生の受験期まで、待たなければなりませんでした。
この克服には、すごい荒療治が必要でした。
(明日につづく、かな?)
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