例の問題の学校では、今日運動会だったようで、
ありがたいことに、PTAの副会長さんが、
父兄を中心に、事情聴取をしてくれたようです。
(それだけでも、アピールになったぞ)
それによると、ほとんどの父兄は、その先生は、問題無いと認識していること。
かえって、それまで、言うことを聞かなかった子を、「おりこうさん」にした、素晴らしい先生と見ていること。
それから、自閉の子の「保護者」も、100%信頼し、先生にお任せしていること。
が、わかってきました。
その先生が特別支援教室を担当するようになって、3年目になるのですが
全く問題は、見つからず、模範的な先生ではないか、というのです。
それから、教頭先生も、
虐待の光景を見るに堪えないと、辞表を出された教員補助の先生に、
特別支援教育の特殊性を、
丁寧に説明することができなかったのが、残念である、
というコメントを出されたそうで
結論として、辞められたボランティアのお母さん先生が、
「無知で、独りよがり」だった、としています。
ハッハッハッ(^o^)
こりゃ、「学校の側の無知蒙昧」の典型的パターンですね。
経験のある先生なら、すぐに察しがつくでしょう。
私が説明するのまでも無いことですが、
まず、その子を専門の医療機関に診察させていません。
普通は、年に何回も診せて、教育方針が良い方向に向かっているか
問題が無いかをチェックしてもらうもんです。
それをしている形跡がありません。
自閉症児への対応なんて、特別支援教育の経験を積んだベテランの先生でも
独断で対処できないものです。
それを、経歴を聞くと、少なくとも、専門家ではいらっしゃらない、
担任の「講師」(まだ、教諭ではありません)と、
これまた、経験の薄い教頭先生が、「問題無い!正しい!」
と断言なさることこそが、墓穴を掘っています。
それに、その保護者も、別の情報源から聞くと、
少なくとも、教育熱心とは言えないご様子。
ただでさえ、難しい、特殊教育の成果判断を
教育に不熱心な保護者の「信頼」に、あぐらをかくとは。
そもそも、自閉症の子どもの指導のキモは、
コミュニケーションマインド醸成にありますよね。
これは、おわかりだと思います。
それを、軍隊方式の指導が、良い方向であるはずがありません。
自閉症児は、言語によるコミュニケーションが苦手です。
それに対し、
最近は、「しゃべれないなら気合いと根性でしゃべらせましょう」
という指導はさすがに目にしなくなりましたが、
「発声訓練」から行うような指導も絶滅させようとしているところなのです。
重要なのは、コミュニケーションしたいという気持ち
(コミュニケーションマインド)を十二分に育ててやることです。
コミュニケーションしたい、という気持ちが起きてからはじめて、
何らかの行動を起こすのです。
特に、自閉症児は、自分の意欲が重要ですから。
最もNGなのは、
「先生の言う通りに言いなさい。
ハイ、あめ!。。。。あめって言ってごらん、
ほら、あめ!言わないとあめあげないよ!」
といったパターンです!!
常に、スキルよりもマインド先行を留意しなければなりません。
スキル先行で指導すると、
最終的に自発的なコミュニケーションが得られにくくなるからです。
大切なのは日本語をしゃべることではなく、
コミュニケーションできることでなのですから。
コミュニケーションの成功体験が積み重なって、
毎日楽に生きられるようになって、
はじめて最も便利な「音声言語」を使いたいと思うのです。
このことを踏まえた上で、
一番最初に教えるのは「要求(ちょうだい)」なのです。
次に教えるのが「拒否(イヤ)」なのです。
遊びの中でやりとりの経験、
伝達成功経験をたっぷり積み、
基本的な大人への信頼感を確実にしていかなければなりません。
その子は、大人や人間に対して、どんな思いを抱いて
大きくなっていくのでしょう。悲しく、恐ろしいことです。
それに対し、聞くところの、問題教師の指導は、
すべて、反対です。
そして、それで良いと思っている。
確かに、み~んながシロと言えば、黒猫もシロになります。
裁判でもビデオ録画でもなければ、最終的には勝つかもしれません。
しかし、それが教育者の取るべき態度かどうか。
特別支援教育に携わる教師の資質として、
少なくとも、こういうことは言えるでしょう。
肯定的なことばかけを、日常的に行っていること。
禁止の指示は肯定形に変換し、
成功体験を積めるよう配慮すること。
否定形の指示や失敗体験は行動の改善につながらないのです。
いかにこちらから送る刺激(受動的な刺激)を
能動的な形で受け取れるようにするかが課題なのです。
子どものペースを大事にし、押しつけに敏感であること。
自己選択、自己決定を重視することで
「とりあえず回避」傾向を回避させることに留意します。
教師からの指示ではなく
自分が予定表を参照して行動するよう仕向けます。
もちろん、 実は事前に裏で様々な策を、教師は講じているのですが、子どもにとっては、あたかも本人が自分のペースで行動しているように感じさせることに留意します。
などなど、いっぱいありますが、
何度もご紹介している小児科医の横山ドクターなどにかかると、
ベテランの教師も、もうボロクソに指摘されることが多いです。
ムカっとくるでしょうが、実際、もっともなことばかりです。
ですから、教師も一緒に修行なのです。
広く意見を聞く心をもっていなければなりません。
オープンマインドです。
それに、今回、最も臭いますのが、
内と外を使い分けていることです。
機敏な先生なら、誰でもできますよね。
そして、結構隠せるものです。
(でも、最終的には、わかります。
少なくとも、子どもにはネ)
さらに、教師というものが、
民主主義というものを教えることを是とするなら、
議論を歓迎するはずです。
もし、議論を避ける姿勢があれば、その人が教える民主主義は、
全く別物だと判断できます。
ま、どんなに理屈を言っても、
普通の主婦の目から見て、
耐えられない虐待というのは、虐待なのです。
虐待家庭への対処と全く同じです。
学校だからという理屈は、全く通じないのです。
人間はどこでも人間なのです。
ここまで、冷静に書いてきましたが、最後に
個人的な思いを書きます。
私は卑怯な人間は、大嫌いです。
その中でも弱いものイジメは、大大大嫌いです。
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