暗記中心の教育の悪い面については、知られています。
だから、「暗記」ではなく、「理解」を
ということで、「理解中心の教育」がすすめられています。
しかし、こちらの方が、もっとヒドイ弊害をもたらすことが多いと思います。
どうして?
理解中心の教育では、ていねいに
「これこれこうだから、こうです。」と説明されます。
これで、理解できればいいのです。
「なあるほど」って。
しかし、もし、その説明で、理解できないとき、
どうも納得できないとき、
そんな時、(実は、そういう場合がとても多いのですが)
子どもたちは、自分の判断力に、深く自信を失ってしまうのです。
この傷は、相当に深いものです。
そして、十分な納得がなくても、
「理解したふり」をすることを覚えます。
そうしていかないと、すぐに、落ちこぼれてしまうのです。
科学的な態度や、創造性というものは、
どんな権威よりも、何よりも、自分のイメージを大切にして
自分の考えを伸ばしていかなければならないものです。
「理解」を押しつけるくらいなら、
暗記中心の古い教育の方が、まだましではないでしょうか?
多くの先生にとっても、
生徒が慣れで、わかったように思いこんでいることに
気づいていない、
というか、あえて、要求しているんじゃないでしょうか?
学校で良い成績を上げるには、
また、うまく生活していくには、
自分の考えを過度に大切にしてはいけない、
ということを生徒は学びます。
教えられたことを鵜呑みにする能力
権威主義に従う能力が必要なことを学習するのです。
でも、今の学校制度の中で、
創造性を高める教育が、本当にできるのだろうか?
と思うと、悲観的にならざるを得ません。
一教師のできることは、限られています。
でも、ほんの少しでも、
生徒自らが、自分で創造性を発揮して
何かを発見・発明する体験を積み重ねるように
指導することができれば、
そこを起点に、将来、いろんな困難にもかかわらず
能力を伸ばしていける子が生まれるかもしれません。
そう信じたいです。
だって、本当に自分が自由に考えるというのは、
楽しいことなんです。
この楽しかった経験は、一生涯残るものです。
人生の何かの場面で、ふと、「あの時」の感激がよみがえること
それを、信じたいと思います。
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