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中学校の先生は、まず、生徒が授業にのってこないので苦労しますよね。 どんなに良い授業プランを考えても、話を聞いてくれないのでは、致し方がありません。まず、授業を機能しなければ。 そこで、私は素朴に思うのです。一旦、教科書や学習指導要領を、離れてみては? 学校の先生にとって、教科書を離れるということは、不可能に思えるかもしれませんが、意外と可能なものだと、しばしば、実例で教えられます。 結局、どのようにでも、つじつまは合わせられるんじゃないでしょうか? で、何を教えるか?先生が、本音で教えたいことです。 教師になるにあたって、何を教えたいと思ったでしょう?その原点に立ち戻ってみるのです。 学習意欲の無い子を嘆きますが、一般の大人は、日常、どのくらい教科書の内容を覚えて社会生活を送っているでしょうか? 他教科の先生はどうでしょうか?国語の先生は、数学の公式をどのくらい覚えているでしょうか?社会の先生は、理科をどのくらい理解しているでしょうか? すっかり忘れていても、結構、生きていける証拠じゃないでしょうか? だったら、他教科の先生が、なるほど、これは知っておきたい。ぜひ、私も授業を受けてみたい、という内容にしたらどうでしょう? 今の先生は、自分で教える内容を考える習慣が、あまりありませんから、自分で考えるとなるとたいへんかもしれません。 しかし、大人にとっても本音は、実は、子どもにとっても本音のことが多いと思います。 「いいわねえ、今の中学生は、こんな面白いことまで教えられて。私も、中学生のとき、こんな授業を受けてみたかった。」と言われる授業を創ってみましょう。 今の教科書準拠の授業で、十分、集中されていれば何もいいのです。でも、もしも、限界にぶつかっているなら、思い切って、他教科の先生にも喜ばれる授業を創ってみましょうよ。
2008.06.17
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今日、みやぎ在宅支援ドクターネット講演会がありまして、民俗研究家の結城登美雄 さんのお話を聴いてきました。 いろんな思いが渦巻く、素敵な講演でした。また、お話が、日本昔話を聞いているようで、自然となつかしい日本の姿に、舞い戻ってしまってるようでした。 その中で、作り手と食べ手のつながりの話しが学校の教師と保護者の関係に、ダブッて見えてきました。 私たちの日々の食事は、食材はもちろん、調理・料理も、自分の台所ではなく、企業などの外部の台所に依存するようになりました。 囲むべき食卓も外食が増えています。自分で作らずに他者にゆだねれば、どこかに不安と不信をかこつことになるのは当然です。 食の安全をめぐる議論には、どこか、ゆだねられた作り手への追及は厳しいが、ゆだねた食べ手のありようを問うものは、ほとんどありません。でも、これは、片手落ちではないでしょうか?結城さんは、沖縄の百四歳の老女から「お前さんたち本土の人にとって食とは何か」と問われて返答に窮したそうです。うろたえる結城さんを見かねて、「食は、ぬちぐすい、さ」と教えてくれたそうです。「ぬち」とは命、「ぐすい」とは薬のこと。「食とは命の薬である。その大切な食を他人にゆだねておいて不信ばかりを募らせて、みっともないね。そんなに疑うなら、なぜ自分で作ろうとしないのか」と言うのです。 その昔、道元禅師は、食の食べ手に対して「功の多少を計り、彼(か)の来処を量る」ことの大切を説きました。つまり、「この食事が作られるまでにかけられた、多くの手間と労力を考えよ」というのです。疑いの目で見られる加工食品を「何人もの人の手によって、手間と労力をかけて作られた食べ物」と、喝破した道元禅師の言葉をかみしめたいものです。 そして道元は食の作り手にさらに問います。「食材が上等とか粗末であるとか差別するな。深い心で物を大切に無駄なく生かし、真心をもって調理・料理せよ」と。 全く、学校教育に当てはまると思いませんか?もし、日本人が100人の村であったなら、食を作っている人は、農業と漁業を合わせて、たったの3人だそうです。そして、その内の一人は、後期高齢者、さらに一人は、高齢者、ところが、あと50年後には、食に携わる人は、1人になるそうです。たった、これだけの人が100人の命を支えているのです。 消費者と生産・流通・加工の間に横たわる食の安全性への不信感は大きく、残留農薬基準など、厳しくすることは当然です。しかし、その安心が作り手の苦痛や犠牲の上にあっては全く片手落ちではないでしょうか? 今、専業農家の時給は、250円換算になります。労働基準法違反です。子どもに継がせたくないのも、当然です。 もし、食が命の薬なら、私たちは、どうすればいいのでしょう。市場原理に任せていいのでしょうか? 東北各地では、かけ離れた食の作り手と食べ手の距離を縮めるべく、農業者と食品流通加工業者の必死の努力が続いています。 同様に、今、心ある教師や学校でも、かけ離れた、教える側と、教わる側の距離を縮めるべく、必死の努力が続いています。いずれも子どもや保護者に寄り添い、努力を重ね、地味ですが、その領域を少しずつ広げようとしています。 食と同様に、宝である私たちの子どもの教育のありようを、不信をかこつだけのわがままな「消費者」でいることはもう許されないのではないか、と感じたところです。
2008.06.01
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今日は、寅さんが支援している中学校でもそして、娘の通ってる中学校でも、授業参観そしてPTA集会。 特別な授業が準備されているクラスも多いと思います。今日は、勤めている学校の授業が終わった後、娘の中学校に行って、PTAの健全育成委員長として家庭教育講座を開催する立場に変身します。 教師が親を批判し、親が教師を非難するという構図がいたるところにあります。 森の声さんの日記をヒントに考えますと、学校というのは、子どもの成長の場という見方は、狭い、表面的な見方であると気づきます。学校は、教師の成長の場であり、親の成長の場です。これを、おまけの効果と考えるのは、とっても不遜で、傲慢なことです。 親にとっては、教師にとっては、最も主要な命題であるのです。誤解を恐れずに言えば、子どもは二の次、三の次なのです。まず、大人が成長しあう。その影響で、子どもが成長するのです。 成長を観測するのは、大人の役割であり、観測されるのは、子どもだけ、というのが従来の考えでした。 大人は、もう完成されており、子どもに対して「ここまで来いよ」と高見の見物でした。しかし、そうじゃないはずです。大人も十分に未完成なのです。子どもの何倍も猛烈に修行をし、変身をしていかなければならない。 これからの学校は、教師がどんだけ成長したか、親がどれだけ変身したかを確認しあう場にならなければ未来に通用しないでしょう。 子どもを育てるというのは、子どもという教師を神様からいただいたという意味であって、すでに、その時点で、大人は生徒なのです。だいたいにおいて、生きるとはそういうことなんですね。 じゃ、忙しい親にとって、当面、どんな修行をしたらいいんでしょう。ぜひ、おすすめしたいのが、そして、私も頑張ると決意しているのが、「祈り」です。教師と生徒のために、祈ることは、どこにいても、いつでも可能です。祈りが有効なことは、科学的な実験でも実証されています。 ある意味、私たちの仕事とは、祈りが本体であり、目に見える行動は付随的な「おまけ」であるとも言えます。 まず、教師が成長するように、祈ってください。批判の心をこめてではありませんよ。誰でも未熟なのです。未熟な方が、教師という仕事をしてくれているのです。感謝とともに祈ってください。そして、学校のすべての子どものために祈ってください。感謝とともに。 この祈りは、学習塾に通わせるよりも大きな効果を必ずもたらすと寅さんは、確信しています。塾通いは、副作用を起こす心配がありますが、これは、一切の副作用がありません。それどころか、相乗効果で、予想もつかないハッピーが起こるでしょう。 祈りなんか?そう、祈れる自分になることが、成長の一里塚なのです。祈れる自分になるように、祈ってください。 これからの学校は、校長先生も含めて、全員が未熟者同士。そして、一緒に成長している同志なのです。
2007.12.07
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今朝の朝日新聞に「総合的な学習」の削減について載ってました。やめるとなると、「惜しい」という声。人間って、いつもそうなんだね。別れるとなって、好きだと気づく。 でも、寅さんは、こう思う。素敵な人は、まだまだ身の回りにいる、と。 新聞でも書かれていたように、普通の国語・数学・英語、さらには、体育までもが、実質、総合的な学習として輝きを放てるのだ。 いや、本来、授業とはどれもが総合学習だったのだ。この当たり前のことを、忘れさせてきたもの。それは、人間の浅はかな「管理」と「真面目さ」だと思う。 総合学習なんて、時間的にも、精神的にも余裕がなければできません。簡単に言えば、「脱線」の面白さです。 クラシックではなく、ジャズです。 ですから、ここで、また「真面目に」学習指導要領の中で、ウンヌンと計算機片手に、細かい計算をするのは、ちょっと違うんじゃないかな、って思っちゃいます。 総合学習は、(別名、思考力・創造力を高める学習)は、教師の人間性に追うところも大きい(教材も大きい!)とすれば、教師がそれぞれもっている人間性を活かせる、職場環境を創ることが、学校の最重要課題。 学校をフーテンしてまわっている寅さんには、 職員室に一歩足を入れただけで、すぐにわかります。いや、受付で「ごめんください」で、ピンポーンです。オーラが良い学校か、どうか。 すご~い違いがあります。おなじ「学校」という名前でひとくくりすることなんかできないくらい。どう考えても、教育環境としてふさわしくないところもあります。 子どもを育ててます、なんて、とても言える環境じゃない。これは、一種の偽装表示。詐欺です。ブタや馬の肉を、牛肉100%だと言ってるのと同じ。営業停止処分が、適当だと思われます。 江原さんの弟子になろうかなあ。そんな、すごい能力じゃないですね。建て前でものを考えないで、心の晴れやかさで、眺めれば、誰でもすぐわかることです。 先生、教室に入る前に、鏡で表情をチェックしてね。
2007.10.24
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以前、寅さんは、学校へ行くと、肩が凝って仕方がなかった。アタマも痛くなった。 なぜか?真面目に、子どもたちのためになることをしなければ、と使命感に燃えていたからだ。 じゃ、今は、真面目でないのか?そうだ!!特に、特殊学級に来てからは。 こう導こうというのではなく、寅さん自身の先入観を取ること、壊すことに懸命です。 常識という情報エネルギーの渦巻き。これが、学校には、いっぱいです。その渦巻きに身を任せさせることを、「教育」と言っています。 寅さんの仕事は、これを一つずつ、消去。デリートしています。 そうしないと、生徒の本当の素晴らしさが見えません。彼らが本当に幸せになる道も、見えません。 教職員に対しての、渦巻きもいっぱい。それに巻き込まれるから、先生は疲れます。どの先生も、疲れています。 渦に巻き込まれない方法って、あるの?あると思います。要は、大切だと思わなければいいのです。この世には、大切なことって、そうそうないのですから。 しかし、この渦巻きこそ、自分だ、と思いこんでいる人もいます。可哀想な人です。渦巻きに敵対するのも、巻き込まれる道です。気にしなければいいのです。存在を認めないのです。 学校って、総力を挙げて、人の視界を暗くしているのかな?よっぽどのバカじゃないと、渦巻きに巻き込まれないで生きていけません。 会社でだって、そうです。人生そのものが、そうです。 学校って、大したところじゃないって、気づいた先生がいい教育をします。 受験勉強なんて、アホみたいなものだ、と気づいた受験生が素敵な受験勉強をします。 会社って、バカだなあって気づいた社員が、会社を救います。 世の中の、「これができれば立派だ。」「こうすればエライ。」という基準は、99%疑わしい。 少なくとも、自分の素晴らしさを覆い隠して、見えなくしてしまうもの。これは、すべて偽りの蜃気楼だ。人類を陥れるためのワナだ。神様が仕掛けた、人生ゲームの、ドツボだ。 教師の仕事は、生徒のもっているお宝に気づかせてあげること、これしかない。 そのためには、まず教師が自分の素晴らしさに気づくこと。これができてない人の下で、子どもは幸せにはなれない。
2007.10.22
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寅さんが、何を言いたいのか、を一言にしますと子どもたちに対しても、そして大人に対しても、「主体性をもとう」、ということに尽きるのです。 主体性をもてれば、どんな環境でも、「遊ぶ」ことができるのです。そして、そういう大人のみが、子どもたちに学問を「遊ぶ」ことを教えられます。 主体性を確立していないと、社会は、恥や恐れへの対処の場となってしまいます。日本の教育界が、他人の目を意識した恥を基本にしているのは、結局、日本の教育者が主体性をもっておらず、人生を遊ぶ姿勢をもっていないからだと思うのです。「遊び」こそ、主体性の表れです。 真に楽しい授業こそ、子どもが主体性を発揮しているときであり、子どもが主人公になっているときだと、思われます。教育は余計な小細工をするより、楽しみ方を伝えることに専念した方がよっぽど効果があると私は思っています。 もちろん、真剣さと「遊び」は矛盾しません。遊んでこそ、集中力も高まりますし、人間が、先天的に生きる術をDNAに刷り込まれずに、後天的に学んでいくことを選んだのは、遊びを通して、頭脳と無限の適応力と創造性を発揮せんがためだと思われます。 そして、その主体性は、無意識的にも、唯心論の視点をもたなければ、確立できないと思うのです。 その時、世界は対立物や生存競争相手としてではなく、自分と一体の遊び仲間として生まれ変わるのです。
2007.10.02
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ふと、考えすぎると、身動きがとれなくなります。現在や過去しか、見ていないのですから。私たちは、創造する能力があります。そして、それは無尽蔵です。これを発揮しなければ、生きている意味もありません。私たちの底に潜む、可能性に賭けましょう。無限の創造力に注目しましょう。新しい学校と地域を創りましょう。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.12.10
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(つづきから)もしかして、寅さんは、良い先生とばかりつきあっているのかもしれません。でもね、県知事が3人つかまったからと言って、47都道府県の知事、全員を犯罪者と見ることは、ヒドイことだと同じように、また、詐欺商法をする会社が年間、何件あったとしても株式会社すべてを否定することが、アホらしい論理であるように、NPOの不祥事が続いても、素晴らしい活動をしているNPOも存在しているように、先生を十把一絡げで「先生というものは」で批判してしまうのは、とっても大きな損失につながっていくと思うのです。この時代状況、誰がやっても、逆風の中、必死で旗を支える努力が必要です。その支えは、無名の大勢の先生が、現場でやりくりをしながら、必死に支えているのです。それがなければ、とっくの昔に、もっともっと悲惨なことになっています。このことに、我々はどれくらい感謝をしたことがあるでしょうか?大都市と地方でも、状況は違います。大都市の公立学校は、すでに「死んでいる」との話も聞きますが、地方では、公立しかありません。地域の精神的支柱です。死なせてなるものか、という思いが、地域に残っています。先生の姿というのは、地域の姿を写す鏡でもあります。先生を批判する言葉は、まっすぐ自分に返ってくることを覚悟しておかなければなりません。地域が学校や先生を育てるのです。お客と販売員の関係では無いのです。ところが、この改革を通して、現場では、今までの良かった部分まで、ぶちこわしかねない風潮を感じます。特に、地方の学校で。(私が、地方の学校しか見てないからでしょうが)長い目でみれば、混乱を通して、より良い姿が現れてくるでしょう。私はそれを信じています。しかし、その間、血が流れるのを、できるだけ防ぎたいものです。先生は、地域が愛情をもって、「守り、育てる」もんだということを社会常識にしたいもんだと思います。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.12.09
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昨日の校長室でのお茶飲み談義で、どの学校も戦々恐々となっていることどう評価されるか、に揺れていることがわかりました。私は、揺さぶりがあるのは、教育界にとって悪いことではないと思います。しかし、これから続くであろう、教育改革と言うか、革命に近いと思うのですが、その中で、「犠牲者」が出てくることは避けられないと感じ、とても憂鬱になりました。犠牲者は、子どもであり、教員であり、地域そのものになるでしょう。革命のときは、血が流れます。明治維新のときも。これを「仕方がない」では、あまりにも、です。確かに、ヒドイ先生はいるでしょう。ヒドイ学校もあるでしょう。しかし、圧倒的多数の先生は、意識の上でも人間性においても、知れば知るほど、ステキな人たちです。まさに、地域のお宝です。そして、謙虚過ぎるくらい謙虚です。私がゴーマン過ぎるのかな?(つづく)(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.12.09
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前回は、不本意ながら、批判めいた文を書いちゃいましたが、教育を再生させるのは、あれこれ建前を論議すればするほど、本質から遠ざかるような気がします。 新しいシステムを上乗せする方向ではなく、殻を脱ぎ捨てる方向に、健全の糸口があるのだと思います。 学力向上にしろ、愛国心にしろ、先生の評価制度にしろ、「こうあらねばならない」という思いが、押しつけられれば、られるほど、逆効果になるのが、人間というものです。 エデュケーションというものは、教え込むものではなくて、「引き出す」ものであるはずです。引き出すための手だてを尽くすわけです。そのためには、圧倒的な自由の空気が必要です。 教育関係者の、保護者も含めて、鎧を脱がせる施策こそ必要です。いや、施策では、もともとうまくいかないかもしれません。一人の体面を気にせぬ、ほとばしる情熱・愛情こそが突破口になるものです。 そして、本当の勝利は、見栄・体面・固定観念を捨てたところに輝くのです。(共感いただけました方は、クリックをお願いします。)
2006.11.25
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学校にボランティアで入った人の大半は、「良かった」「良かった」と経験を話してくれます。しかし、30%くらいの方が、トラウマになるような嫌な思いをされています。特に、先生方との関係が、期待通りでない場合が多いです。確かに、学校の先生の中には、社会常識から外れた人も混じっています。中には、管理職がそうだったりします。しかし、寅さんは、考えます。一般の会社でだって、嫌な上司はいっぱいいるでしょう。なのに、どうして、学校だとトラウマになってしまうのでしょう?それは、学校は神聖なところ、とりわけ高潔な人が先生になっているはずだし、そうあるべきだ、と常識的に思っているからではないでしょうか?だから、教師がわいせつ行為をしたり、カンニングをしたりすると、ことさら、大声をあげてしまいます。もちろん、言語道断です。しかし、現実的に考えて、人間のあるところ、こういうことは、必ずあるはずです。ユートピアを創ろうとする努力は、その裏で、超現実的な仕組みがあってこそ実るのです。私は、聖職者という言葉を聞くと、つい、教会の牧師などを思い浮かべてしまいます。教会のようなところで、ドロドロとした人間関係に出会うと、これまた、人は、失望して神へのトラウマをもつのです。私の極論ですが、学校や教会のような「聖なる」場所に聖なる環境を期待するのは、そもそも間違いなのではないか、と思います。おかしい、未熟な人間集団が、切磋琢磨するところに学びがあり、気づきがあるのです。牧師は、自分がこの世で一番の罪人だと思う人がなるのであり、また、教師も未熟な人間が学び続ける姿勢を見せることこそ模範としてふさわしいのです。電流も抵抗があって、はじめて仕事をします。もし、完璧なユートピアがあったら、私たちは、逆に何も学べないと思います。問題意識や、疑問こそ、学びの宝石です。いや、学びそのものです。問題なのはは、学校や教会など、環境なのではありません。問題なのは、自分自身の受け取り方なのです。学校の不完全な姿に嫌悪感をもつ人は、一般社会でも、きっと楽しんで見る習慣が少ないのではないでしょうか?逆に、学校でのドラマを、すべて栄養にできる人は、どこに行っても、成功できるでしょう。(これは、それだけ、学校の内部はえげつないという皮肉でもあります)問題をもった人たちというのは、あくまで、ありがたい人なのです。自分自身の改善のために、素材として登場してくれているのです。私たちのために、スペシャル参考書として、「至らない学校」が、素材として転がっているのです。人間の過ちも誤解も、すべて学びの素材なのです。先生たちの姿も、良きにしろ、悪しきにしろ、私たちにとって、かけがえのない、テキストとしてのプレゼントなのです。子どもは受け入れられても、大人は受け入れられない、という寅さん自身の心をみつめて、私は、こう教えられた次第です。そして、この視点に立ってこそ、本当に主体的に学校を変えていくことができるようになると思うのです。
2005.10.11
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NPO活動は、人と人のつながりで動いていきます。人と人が心を開いて、手をつなぐとき、魔法が動きます。この度、小泉内閣の特命ですすめられている、学校のIT環境を画期的にアップするパッケージを、古川第一小学校が受け取ることになりました。全国で、十数校です。これは、TERAKOYAパソコン部会で提案したもので、根回しを教育部会がさせていただきました。もちろん、学校の先生方・PTAのご協力や教育委員会のご理解があったからこそです。そして、この情報をもたらしてくれたのは、私が入っている全国の有志で教育問題を意見交換しているネットワークです。考えてみれば、TERAKOYA塾もネットワークです。間もなく、学校支援ボランティアの輪もできるでしょう。これも、無限の力をもっています。また、TERAKOYAも支援していますが、子育て中のお母さん方がネットワークを組んで活動している古川mama'sネットもすばらしい成果を生んでいます。http://plaza.rakuten.co.jp/wakuwakupapamama/学校支援ボランティアネットのホームページも間もなく立ち上げます。これらから、どんな魔法が飛び出すことでしょう。私は、ネットワークこそ、魔法の杖であり、人生をもっともワクワクさせてくれる秘訣だと思います。
2005.10.08
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AkikoさんのHPに刺激されて、今日は書いてしまいます。子どもが学校の人質になっているという感覚、これが、多くのお母さんの、活き活きとした、学校生活を阻んでいます。何とか、「人質解放」をさせなければ。この人質感は、本来、最も学校とコミュニケーションを図り、支援をいっぱいもらわなければいけない家庭に生まれます。この感覚は、やっぱり弱い立場から、直そうとしても難しいものです。学校と先生側が、そんな感覚を抱かせないように、配慮を徹底すべきでしょう。具体的には、もっともっと、学校が弱い立場、というか、柔らかい立場になることです。しかし、弱い立場の者が、泣き寝入りするのは、現代ではぜ~んぜん、はやりません!もし、やられたら、きちんと、やり返しましょう。それが、礼儀というものです。先生の目の前で、真っ赤になって、怒るのも必要です。校長室で、泣き崩れることも、まったくOKです。ハハは役者になりましょう。抗議文、意見書、申入書など、バンバン出しましょう。地域社会を味方につけましょう。いろんな人々に、「相談」しましょう。そして、そのコメントをしっかり記録しておくのです。あ、そうそう、学校で言われた、ヒドイ言葉の数々、できるだけ、一言もらさず、記録しておきましょう。もちろん、動作もですよ。それらをもっていれば、学校は、もう、こっちの思うツボです。手のひらの上で、踊らすことができます。これらは、不幸な場合ですが、世の中は、やはり非武装中立は、ありえないのではないでしょうか?いざとなったら、ミサイルを撃ち込める、肝っ玉だけは、もっていてそれで、はじめて、平和外交ができるのです。その肝っ玉の中には、学校を捨てることも、選択肢に入ります。学校との戦い、とまで行かなくても、納得いかないことをかかえていることは、多いと思います。そんな時は、どんどん「質問」しましょう。先生は、理解が悪い生徒は、好きではありません。同様に、理解の悪い保護者も嫌われます。しかし、質問して嫌われるくらい、怖くも何ともありません。な~んにも、問題ありません。今以上、悪くなりっこありません。納得するまで、聞いて聞いて聞きまくりましょう。先生のイヤな顔など、子どものゴネる顔と同じです。子どもは何をしでかすか、わかりませんから、かえって安心です。泣き寝入りよりは、数倍、数十倍、ステキな結果が待っています。でもね、世の中すべてですが、上手な戦い方と、ヘタな戦い方があるのです。戦うからには、きれいに勝ちましょう。勝利のイメージをしっかり持ちましょう。その姿には、学校がひれ伏してはいないはずです。ですから、この戦いの後の、平和な世界をしっかり見据えた手は打っておかなければなりませんよ。戦いは、本当に「悪い」ものではありません。その後には、保護者も先生も学校も、必ず成長しています。一回りも二周りも大きくなっています。泣き虫新人の先生も、泣く子も黙るベテラン教師に変身します。ですから、主張することは、絶対「良い」ことなんです。今でも、「お上」感覚をひきずった学校関係者もいます。教師・学校がすべての親・家族に対して、リーダーシップをとろうとする意識が、まだ残っているところがあります。もう、これは、したくてもできない状況です。学校の権威は、もう既に、ボロボロなのです。そのところを、まず確認しておく必要があります。その上で、家族や地域の役割が強調されてきています。しかし、現代の家族は、地域や家族が、従来の枠組みからすっかり解体してしまって、ひとり一人、一家庭一家庭が、孤立し、競争してしまっています。これらを解決するのは、お上が決めた路線に従って、「奉仕活動」をさせることではないことは、明白です。これからの、本当の課題は、「家庭」です。家庭が、孤独のタコ壺に入ってしまっているのか、それとも、「外に開かれた」家庭なのか、ということです。家庭が、分断された社会だからこそ、社会とのつながりが、生命線なのです。どんなライフスタイルを家庭がとろうと自由です。しかし、最低限、社会に「開かれて」いなければいけない。さらには、他の家族との「対立意識」「競争意識」に立った価値観か、それとも、他家族との、「共働」「共創」をモットーとした生き方か、が最も大きいポイントでしょう。その意味で、学校の地域への支援は、最低限、心を社会へ開くお手伝いはすべきでしょう。そのためにも、学校から、まず、社会にすっかりオープンになっている必要があります。オープンになるということは、学校が門戸を開放するという生やさしいもので、あってはなりません。学校を保護者も運営するようになって、はじめてオープンと言うのだと、寅さんは、信じています。先生を保護者が指導するのが、当然だと思いませんか?たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします
2005.01.19
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「学校の先生に好きになってもらうには、 どうしたらいいと思いますか?」と、1年生にたずねることがあります。「おりこうさんにする。」「ろうかを走らない。」「おしゃべりをしない」「授業中、トイレに行かない。」「イタズラをしない。」「ケンカをしない。」中には、「相澤先生をいじめない!」な~んていうのも。高学年にたずねても、「勉強をがんばる」とか、「係りの仕事をしっかりする」なんてのが、いっぱいいっぱい、限りなく出てくることと思います。このことをどう思いますか?先生に好きになってもらうには、しなければならないことは、な~んにも無いはずです。先生は、あれも、これも、たとえできなくたって、君たちを無条件で好きなんだよ~ってこと、伝えきれていないんですね。あえて、条件を言うなら、「先生を信頼して、先生を好きになること」です。どんなにアタマが良くて、行儀も良い子でも、先生を本当の意味で信頼していないで、よそよそしい子がいます。そういう子は、たとえ、先生が愛情をもって接しても、それをストレートに受け取れず、自分で壁を作ってしまいますから、「先生から好かれている!」という喜びと安心感に欠けた毎日です。しかも、もし、成績が良いことが、好かれる条件だと思って成長してきけば、将来、何かのきっかけで、成績がダウンしたとき、自分は、誰からも相手にされない、存在価値の無い人間だと自分を肯定することができなくなります。これは、対先生にとどまりません。多くの人々が、社会の中で、人の好意を得ようともがいています。「あれをしなくちゃいけない。」「こういうことができるようにならなくちゃ。」もちろん、就職したりするには、資格が必要なときもあります。しかし、人の好意を得るために、欠かせないのは、資格ではなく、「相手を先に信頼して、相手を好きになってしまうこと」この肝心なことを忘れてしまっていることが、本当に多いと思います。子どもたちにとって、先生は、将来出ていく、「社会」の象徴的な存在です。先生への接し方、姿勢が、社会へ巣立つモデルになるのです。子どもの将来のためにも、できるだけ「生きやすい」「楽しく」生きるスタイルを身につけさせてやりたいものです。 以上、昨日の日記で言い足りなかったことでした。昨日、宮城県の最大の地方紙の「河北新報」の記者がはてなクラブの取材に来られました。いっぱい話したので、疲れてしまい寝てしまい、本日の実験準備ができていません。これから、この場を借りて、実験メニューづくりをしたいと思います。興味のある方は、続けてお読みください。と、思っていたら、メルマガの感想メールが続々届いているのに気づく!!!何せ、寅さんは、他紙のメルマガ購読中毒で、購読は300紙を下らないのです。うっかり大事なメールが埋もれてしまうことがります。とにかく、感激!中には、中国からのものもありました!せっせ、とお返事書き。さらに、超人気メルマガ、「親力で~」に紹介されていることを発見(お願いしていましたのですが)これまた、涙がチョチョ切れるくらいにうれしいです。ありがとうございました。ということで、これから、実験準備開始!お品書きを書くヒマがあるかな~?まず、静電気の実験導入は、アタマにかぶりものをさせて、アタマのヒラヒラを静電気で上げるッと。材料は、発泡スチロールの踏み台とエンビパイプとティッシュ。上がったら、今度は、放電。放電は、蛍光灯でピカっとなってもらいましょう。よし、準備よし。次、各自の実験。ひとりひとりに、竹串とそれを立てる発泡スチロールのカケラを渡す。次にアルミホイルを切って折りたたんで、竹串にヤジロウベイのようにかける。これで静電気のパワーを計る回転式検電機ができるっと。問題1.次のものをティッシュペーパーでこすって、回転式検電機に近づけたら、針は引き寄せられるでしょうか?1.プラスティックの物差しや下敷き2.ストロー3.ろうそく4.ガラスの試験管5.琥珀問題2.次のものは同様にどうか?1.チョーク2.風船3.塩ビパイプ4.鉄パイプ5.アルミパイプよし、準備よし。問題3の1.紙袋に入っているストローを紙袋に入れたまま、 中でこすり合わせます。そして、紙袋に入ったままのストローを検電器に近づけたら、針は動くか?ア.引き寄せられるイ.動かないウ.反発して逃げていく問題3の2 さっきの紙袋の紙の方だけを近づけたらどうなるか?問題3の3 もう一度、ストローだけを取り出して取り出してもう一度問題4 ストローを竹串に真ん中ころを刺して、動きやすくしたものを アルミホイルの代わりにします。 そのストローもティッシュでこすっておくと、 別のストローを近づけたとき、どう動くでしょうか?問題5. 電気的には中立の金属のヘラを糸で吊して動きやすくして、 プラス電気(試験管)を近づけたら、どうなるか・問題6. 今度はマイナス電気を近づけたら(塩ビ管)?問題7. 竹のものさしをつり下げます。 それに、プラス電気とマイナス電気をそれぞれ近づけると?問題8.次に、ニンジン・ナガネギ・キウリをぶら下げて ストローで動かせるか実験問題9. コップに水をすりきりいっぱい入れて、それに 静電気を近づけたら?<次に電流と磁石です>1800年にボルタが電池を発明すると、たくさんの科学者がこの電池を使って、いろいろな実験をはじめましたが、その中に、エルステッドというデンマークの科学者がいました。彼はこう考えました。「磁石には、N極とS極がある。電気にも、プラス極とマイナス極がある。そして、電気も磁石もひっぱりあったり、しりぞけあったりする。それに、カミナリは電気のしわざだが、かみなりが落ちると、磁石の針がくるったり、十字架やナイフなど鉄でできているものが磁石になったりすることがある。どうも、電気と磁石とは深いつながりがありそうだ。」「もしかすると、電池を使って、磁石の針を動かしたり、鉄を磁石にすることができるかもしれないぞ」同じような考えの学者は何人もいました。そして、電池と磁石をいろいろ並べたり、針金に電気を流したり、止めたりしてみました。しかし、電池の近くにおいた磁石の針が動いたり、鉄が磁石になったりすることはありませんでした。みんなの予想はあたらなかったのです。しかし、エルステッドは、あきらめられませんでした。5年たっても、10年たっても。そして、1820年になっていました。コペンハーゲン大学の教授だったエルステッド先生は、ある春のこと、最上級生相手に、難しい最近の研究の話しができるのをラッキーと思って、「今日は、電流と磁石のことについて、講義と実験をやります。」机に上には、大きな電池と針金や磁石の針「……以上のようなわけで、針金に電流を流して磁石の針のそばにおいても、何か変化がおこっても良さそうですね。もっとも、このことはまだ、だれも確かめたことがないので、本当かどうか分かりません。 しかし、私はきっとそういうことがあると思うのです。……。」問題1 磁石の針に平行に、電流を流したら、磁石は引っ張られるか?問題2. とにかく、どうにかして、磁石の針を動かすことができるか?問題3.被覆線とはだか線では?問題4.磁石の真上に、針の方向に電流を通したら?問題5.電池の向きを変えたら?問題6.磁石の下に通したら?問題7.同様に電池の向きを変える?エルステッド先生は、困ってしまいました。先生の予想したようには、磁石が全然動いてくれないのです。動くこともあるし、動かないこともあります。先生は、電流が方位針を動かすとしたら、電流が磁石のN極かS極を引っ張るだろう、と思っていたにちがいありません。「この実験は何かのまちがいかもしれない」「きょうの実験はこれでおわりにします。どうもよくわからないところがあります。またいつかくわしく実験してみることにします。」と言って、逃げるように教室から出ていってしまいました。さあ、あなたはこの謎を解けますか?<電子レンジと電磁波 つづき>アルミホイルで包む金ザルでつつむ※※※※※※いやー、実験教室終わりました。参加人数は少なかったですが、1年生の子も食いついてくれたと思います。それから、学校の先生の理科部会の会長さんが、見に来られたのには、びっくり。また、河北新報の沼田さんが取材していかれました。いろいろありがとうございます。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.15
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【出来が悪いから学校へ行く】 世の中の大きな思い違いに、 「アタマが良くないと、または、行儀が良くないと学校へ行く資格がない」 というものがあります。 少なくとも義務教育では、どんな子も「社会が」教育する義務を負うのですが、 (よく、子どもが義務を負うと間違って思っている人がいますが) 親子が立派にならないと、学校に行ったりできないし、 先生に指導してもらえない、と思いこんでいる人がいます。 入試が迫っている折、ますます多くの人が、 「自分が立派だ」という対価を払って、はじめて 教育を受けることができるという常識に囚われています。 ま、当然といえば当然ですね。 でも、本当にそうでしょうか? 先生たちは、アタマの良い子だけを、可愛がると思いますか? 学校は、アタマの良い子だけを優遇すると思いますか? 私立の中には、はっきりとそういう方針のところがあることは確かです。 しかし、そういう学校でも、少なくとも先生ひとり一人を見れば、 目をかけてくれる子の条件は、アタマの良さではないことに 気づくはずです。 ご自分のお子さんのことを考えても、出来の悪い子ほど可愛いものです。 逆に、アタマが良くて、行儀が良くても、かわい気の無い子っているものです。 それより、先生の意識に上らない子も多いのです。 ここに大きなズレがあります。 学校生活に限らない、人生での姿勢における誤解があります。 ぜひ、弱いことこそチャンスだ、ということを このメルマガを通じて、気づいて欲しいと思っています。 ∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ プレゼントを受け取る人、受け取らない人 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 「先生は、どの子にも、とっておきのプレゼントをあげたいと願っています。」 と言われて、あなたは信じられますか? え~、できるだけ、出し惜しみしてるんじゃないの? できれば、何にもしたくないと思ってるんじゃないの? 楽ばかりしようと思って……。 ハイ。カ~ン。 それだけで、あなたは、プレゼントをもらう資格が無いことがはっきりしました。 この社会で、こちら側がまず、相手を信じて働きかけないで どうして、相手から、勝手にプレゼントが来るでしょうか。 郵便でさえ、郵便受けが必要なのです。 郵便受けが無くても、玄関のトビラが開いていれば、手紙を入れることが できるのですが、トビラを開けてくれなければ、どうしようもありません。 確かに、ヒドイ先生もいます。 しかし、圧倒的に多くの先生は、「イイ人」だと私が断言します。 それに、表面的には、ダメでも、その奥には、信じられるものがあるはずですし、 本当に本当にダメ人間でも、そのバックの学校や教育委員会があります。 保護者の方が、かたくなに、先生の特別な援助を受けることに 手を出さないことを見ると、まるで、 赤ん坊が、「お母さん、私はまだ、何もできないので、お母さんのミルクを いただく資格はありません。もうちょっと自分で何でもできるようになったら あらためてお願いいたします。」 と言っているように思えるのです。 先生になりたいと思う人は、自分の指導で、子どもが成長変化することに 無上の喜びを感じる人たちなのです。 最初から、できあがった子どもを指導できるでしょうか? 子どもたちは、粘土です。 これからいろんな作品になっていくのです。 粘土は、作り手から言えば、まだ何の形にもなっていない方がいいですよね。 それなのに、最初から、作品として先生の前に出される粘土があります。 これでは、先生が手を出しようがありません。 保護者への指導もそうです。 良い親でないと、先生と話しができない、と思ってませんか? ダメ親父・おっちょこちょい母ちゃんでいいのです。 要は、子どもと同じで、親も先生のプレゼントを受け取る準備があるかどうか ということなのです。 要は、先生を信じられるかどうか、なのです。 これまで、学校とのやりとりで心に傷を負った人がいっぱいいます。 しかし、それを癒すのも、たった一人の先生であることが多いのです。 もし、傷つけられたら、大いに泣き叫びましょう。 泣きつきましょう。 それも難しい? その仕方も、寅さんがご指導いたしましょう。 先生はサンタクロースであると信じて、 「靴下」をいっぱい先生の前に差し出す人が、 いっぱいの思いもよらぬほどのプレゼントをもらえるのです。 先生という職業は、プレゼントをいっぱい配るのが仕事なのです。 ノルマでもあるのです。 先生に仕事をさせてあげましょう。 「助けてください」「教えてください」と叫びましょう。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.14
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【心を隠してガンバル先生】ある先生の実のお父さんが、亡くなったことが、職員室の黒板に書かれてありました。前から、お悪いのは、聞いていました。エっ、そう言えば、前の日、給食を食べないで、早退されたよなあ、って思い返しました。何か、表情が硬いなあ、って思ってました。でも、早退する直前まで、普段通り、キチっと授業をされ得意のピアノも弾いておられました。すばらしい自己統制だと思います。でも、って思っちゃうのです。クラスの子どもたちが、気持ちを共有しないでいいんだろうか?って。私は先生に、苦しいことを話して欲しいと思います。子どもは、無意識の世界も含めて、とっても敏感です。異常は必ず察知されます。だったら、言っちゃいましょうよ。それに、どうせ後始末?をする補助員の私にも一言あってもいいんじゃないかっても、思っちゃうのです。水くさいなあって。先生は、ギリギリまで自分でかかえて、急にドタって来る場合が多いようです。これは、先生のせいだけでなく、周りのバックアップ体制の不備によるものでもあります。まだまだ、先生たちが、安心して弱音を吐ける環境が整っていないのでしょう。学校内部での弱音と、保護者などへの弱音も壁がありすぎます。保護者に対して、弱音が言える状態が理想ではないでしょうか?お互い信頼感が、まだまだなんだなあ、って思ってしまいます。それにしても、人の死と、それを取り巻く人々の思いを共有するのも、立派な教育ではないんだろうか。それより何より、先生の気持ちを一緒になって、喜んだり、悲しんだりすることが、子どもたちにとっても、実は「うれしいこと」だと思うのです。「親業」でも言いますよね。親の気持ちの押しつけはいけないけれど、親の気持ちを伝えることは、大切だ、と。それに、微妙な気持ちのヒダを感じ合わないクラスは、何か悲しいです。ごめんなさい。お悲しみのところ、追い打ちするような話で。当の先生は、いろいろ考えるどころではなかったのでしょう。でも、こういう緊急の時こそ、心のタイプが現れるとも思えるのです。生徒たちのこれから生きていくモデルとしても、先生が強気・強くだけで生きていくと、弱音を吐けない子どもを作ってしまいます。自分に正直になっていいんだよ、というメッセージをご自身の生き方から、発信して欲しいと思います。これは、もしかすると、将来、生徒の命を救うことになるかもしれないんですから。*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. ガンバル組織の冷たさ *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. マジメな組織は、とっても冷たい時があります。先生や校長先生が、すごく固い人の場合、頑張れば頑張るほど、学校は、人を寄せ付けないオーラを出します。チャランポランな親は、敷居が高くなります。この極めつけが、宗教組織でしょう。こちらは、学校合格どころか、天国への切符がかかっているのです。ある人びとにとっては、入試の何百倍も何千倍も重要なことになります。イスラム原理主義を見ればわかるように、マジメになればなるほど、愛から遠ざかる結果をもたらします。 寅さんは、実は、クリスチャンなんです。エー、信じられない?洗礼を受けているのです。しかし、めちゃくちゃ不真面目な、いい加減をモットーとする神様も口あんぐりの、「神の子」です。さらに、長い間、教会に行っていません。教会の日曜学校で、先生が問題児の子どもを叱っているのを見て、急に不満が爆発して、教会に質問状を出して、行くのをやめました。そうしたら、何の反応も無いのです。悪魔にでも、つかまったのだと思ったのでしょうか?それとも、そっとしておいてやるのが、思いやりだと思ったのでしょうか?これまで、親友だと思っていた友人も、ダンマリなのです。街で会うと、にこやかにあいさつをします。しかし、しかし、です。俺がいなくたって、痛くも痒くもないのか~って思うのです。痛いなら、痛いって言ってくれ、憎いなら憎いって。この教会は、無気力な死んだような教会ではありません。活発すぎる教会です。がんばっている教会です。でも、そのガンバリが、皮肉なことに神様の大きな大きな愛を見失わせる結果になっています。愛は、強いところには、育たない性質があるのではないでしょうか。弱くなることは、恵みですねえ。それにしても、必要とされないこと。さらには、出したメッセージを受けとめてくれないこと。反応が無いこと。これらくらい、人の心を傷つけるものはありません。マジメな学校や先生ほど、そんな危険性があります。悪気は無いし、真剣にしているのですが…人のメッセージを受け取るには、柔らかくないと、そのまま受け取れないのです。どうか、先生、柔らかくなってくださいね。お母さんも柔らかくなってくださいね。もっと、弱くなってください。泣き虫になってください。助けて!と叫んでください。それは、周囲への大きなプレゼントでもあるのですから。(お正月、教会のある方から、長い手紙が届きました。うれしかったです。まだ、返事を出していませんが。)*・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. 届出書を書きましょう。 *・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^;":・;・^;・:\(*^▽^*)/:・;^・;・*. ようやく、本日の主題にはいります。(ひえーなんと。反省。 )連絡帳の大切さと、書き方の「基本の基本」は先日しましたね。ほとんどは、それで済みますが、ここぞっていう時には、連絡帳で済まさずに、届出書を出すのがいいと思います。たとえば、病気やケガなどで欠席をする場合。たとえば、外出や早退、遅刻をする場合。とりあえず電話をするとしても、届出書も出しておきましょう。学校は、前もっての計画に従って動いています。先生にも、先が読めることが、とっても重要なのです。それに、授業や体験にみんなから遅れてしまうんですから、わが子のために、なにがしらのフォローをしてもらわなくてはなりません。先生に手間をかけさせるのです。また、子どもから言えば、手間をかけてもらわなければ困るのです。子ども自身が苦労するのです。それ相応の配慮をお願いする文書を出して、当然だと思いませんか?これも使いようで、先生や学校との距離を縮める、有効な手段にもなります。今日はちょっと長くなりすぎましたので、次回、必ず具体的な書き方のポイントに入りたいと思います。ありがとうございました。 寅さんの、目からウロコのメルマガをどうぞその1.「子どもの学校を365倍楽しもう」学校を遊んじゃおう!その2.「幸せ上手は子育て上手」人生を遊んじゃおう!よろしくお願いします たかが人気投票、されど人気投票。皆様の暖かいお心を、プチっと一発。
2005.01.13
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同級生について文句を、子どもが家で言うことがあります。悪口を言われたことに始まり、たたかれた。モノをとられた。などなど。子どもはとても悩んでいるようです。どうすればいいでしょう。 お母さん・お父さんは、「こんなひどいことが、学校で行われていいのか!」とショックを受けるでしょう。 また、それに追い打ちをかけるように、この事実を担任の先生が、まったく知らないことに驚くわけです。 実際、そういうことは、ほとんど先生のいないところで起こります。補助員である寅さんは、だからこそ、休み時間こそ、本番だと思って一緒に遊んでいますが、それでも、とてもとても目が届きません。 そのままにしていると、次のようなことになります。親は、担任の先生がその問題を放っているという不満を、子どもを送り迎えしたりする、親たちが集まる駐車場などで親同士で口にするのです。 すると、同じような体験をした親が心配や悩み事をうち明けだします。それは、何も悪いことではありません。実際、多くの問題が、その井戸端会議ならぬ、駐車場会議でお互い、アドバイスを受けたり、勇気をもらったりしています。 しかし、しばしば、不満が不満をよびます。大きな不信感になってしまうことがあります。 そういう問題があったら、すぐに先生に知らせるのが、最も良い方法です。連絡し、話し合うことこそ、親や先生など、子どもを取り巻く、大人の仕事だと心得るべきです。 では、その基本となる、連絡帳の書き方のポイントをまとめます。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 新聞記事と同じです。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 簡単ないじめくらいなら、連絡帳で解決できます。ウジウジしないで、その日のうちに書きましょう。 ポイントは、先生は忙しくて、ダラダラとした文はゆっくり読めないし、言いたいことを間違って受け取ることがしばしば発生することです。もし、そんなことになったら、かえって、ヒドイことになります。 むかし、作文の時間に、5W1Hが必要だと習いましたね。「いつ」「どこで」「だれが」「何を」「なぜ」「どのように」です。新聞記事と似たようなものだと思えばいいでしょう。ただ、そこは、先生向け・および学校向けです。ちょっと、別の注意点もあります。 それは、先生の気持ちへの配慮が必要だということと、もう一つ、いざとなったら、これが、公文書として証拠資料ともなるということです。<先生の名前を先に書きましょう。>「~先生へ」です。担任の先生へ言っていることは、わかりきっているのですが、礼儀でもあり、また、重要なことをこれから、言いますよ!という宣言です。さらに、不幸にも裁判にでもなった場合、誰に報告したかの証拠になります。<日付を書きましょう。>これも上記と同じ意味で、それ以上に大切です。忘れずに、先に書きましょう。大事な報告のときは、「何年」も書きましょう。<最初にねぎらい、感謝の言葉を> 最初は、決まり文句としてでも、感謝の言葉をいれるべきです。一行でいいですよ。<新聞の見出しのような一言から> すぐに、本題をズバリ書きます。まず、一言で。タイトルに当たるものを。悪口を言われたなら「悪口で悩んでいるようです。」などと書きます。モノをとられたなら、「モノがなくなって困っています。」などと。新聞の見出しに当たります。奇抜なキャッチコピーは要りませんが、先生の目をくぎ付けにしてやりましょう。少し、大きめに太く書いてもいいです。<具体的な経過を書きます> この時点で、感情を入れるとかえってダメです。新聞記者のように、事実を時間を追って、具体的に書きます。探偵や捜査員の捜査資料のようなものです。<いきなり、容疑者を犯人にしない> どんなに特定の子がやったことが、はっきりしている場合でも親が、断定してはいけません。それは、あなたをかえって不利にします。状況証拠だけをそろえて、判断は先生にお任せするのです。その方が、先生へのインパクトがあります。<文句・不平はくどくど書かない> 不満を書いてもいいのですが、絶対にクドクドならないように。かえって逆効果です。 一言で表現しましょう。何か、具体的事実で表現したいものです。<子どものためを強調> 親の怒りのためではなく、子どもが悲しまないように、を前面に。<学校が嫌う言葉は使わない> 「いじめ」などタブーとされる言葉は、避けましょう。それらは、最悪の戦争になってから使いましょう。<抗議文にはしないで、指導のお願い文に><お願いを繰り返す。><最後は、保護者のフルネームを>意外に、ご自分の名前を書かない人が多いですが、大切なときは、必ず書きましょう。両親の名前を連署すれば、バッチリです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 教えていただく形にするとスムーズに∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校の先生は、「教え魔」だという性質を利用しましょう。何事も、「教えていただきたい」という形にすると喜んで「教えて」くれます。 このような形で、書けば、先生は猛然と動いてくれます。そして、お母さんが期待していた以上の、迫力ある事件解決の報告を聞くことになるでしょう。 もちろん、事件が解決したら、感謝のメッセージを忘れずにね。 あと、秘訣は、どんなに興奮するような事件でも、書く前に、ニッコリとしてみましょう。冷静に良い文が思い浮かびます。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ わが子の問題のときは別です。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ほとんどの問題は、連絡帳で解決できます。ただ、わが子に問題がある時は、別の作戦が必要です。次回は、その対策を考えてみたいと思います。 ご意見・アドバイスお待ちしています。ありがとうございます。よろしかったら、応援をお願いします。
2005.01.06
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学校には、もともと敷居はありません。安全上の敷居はありますが、不審者でない限り、正当な理由のある人を制限する理由はありません。礼儀が必要なだけです。(ま、職員会議とか、研究会は別ですが)相当な緊急事態でも、出入り自由なのです。敷居を作っているのは、保護者のひとりひとりの心と先生ひとりひとりの心です。 だったら、簡単です。心の敷居を無くせば良いのです! と、言っても、それが難しいから苦労してるんですよね。 で、そこで登場、寅さん流「お気楽」コミュニケーション術です。なんか、かめおかゆみこ教に入信しているみたいですが。(ご紹介しますね。私の演劇教育の師匠です。)かめわざ快心塾へジャンプしなやかにタフに生きるかめおかさんの原稿です。彼女から、共感性を高めるゲームの世界を案内してもらいました。そのうちに、じっくり紹介します。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 同じところを探そう∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 「間違い探し」というゲームがありますね。人間は、違いを見つけるのは得意です。 これは、もともと生物として生きていく上で、食べ物を発見したり、ものをよけたり、敵を見つけたりするのに、ものを比べて判断するようにできているからです。 生きていくために、私たちの脳は、比較してものを見るクセがあるようです。その延長で、自分以外の誰かと、自分をすぐ比べてしまうんです。 よ~く考えてください。同じ人間同士、ひとりひとり確かに違いますが、同じところの方が多いのではありませんか?ほとんど同じだからこそ、ちょっとした違いが目立つんです。 サルと人間の遺伝子の違いでさえ、驚くなかれ、98%が適合してるんだって。あなたは、限りなくサルとご親戚なのです。 それに比べれば、私たちは人間どころか、同じ日本人です。考え方の違いはあっても、それは氷山の一角で、ちょっと底を掘れば出てくるモノは、ほとんど同じです。 まして、先生とお母さん・お父さんなんて、見分けがつきません。だいたい、先生自身も、保護者でもあるのですから。 人は、自分と同じところを発見すると、心を開きます。一緒に笑い、一緒に泣いただけで、もう他人ではありません。芝居の効果は、そこにもあるんですね。同じ劇場にいる人が、みんな同じ家族になってしまうんです。 ビジネスでも、一緒に食事をすることは、成功の鉄則です。同じものを食べて、「これって、おいしいねえ」って、同じ感覚を味わうだけで、心が通じるんですね。 私は、科学教室でも、意識的に食べ物をからませます。そうすると、仲間の連帯感と満足感が格段に違うのです。 給食を生徒と一緒に食べる効果は、計りしれません。また、PTAとの懇親会に参加されない先生!あなたは、貴重なチャンスを逃しているのです。飲み食いは、仕事でないという考えの方は、甘いと思います。私は、明らかに、重要な仕事だと思います。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 波長を合わすということ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ラジオやテレビは、電波の波長が合わなければ映りません。私たちの心も、いろんな波長を出しています。そして、波長が合う部分があればあるほど、一体感が強まります。 しかし、アタマで考える部分は波長は合わせにくいです。まだ、人間の考える頭脳は、できそこないだからでしょう。ですから「教育方針」では、波長が合わないことが多いです。 しかし!人間としての原始的な部分では、波長を合わせるのは、簡単です。 ですから、最初は、共感するところに目を向けて、先生と波長が合うことを確認するのです。これでもか、これでもか、と。それが信頼感を作ることであり、その上に乗っかって、はじめて、難しい問題、すなわち違いの部分の話し合いが可能になるのです。 最初から違いで攻めるなんて、愚の骨頂です。その問題の解決だけに止まりません。先生と共感する部分を多くすると、そこでようやくその先生の能力や、学校の可能性が見えてくるのです。尊敬する気持ちも出てくるのです。 そして、そこから、先生の能力を最大限に引き出す魔法、すなわち、先生を最高の家庭教師にしてしまうことが可能になります。 では、具体的どうすれば良いのでしょう。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ まめな、あいづちコメントを∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 人と話をするとき、相手に相づちを打ってもらうと、話しやすいですよね。うれしくなりますよね。私は講演のときでも、(まれに頼まれます)、相づちを打ってくれるお母さんに焦点を合わせます。そうするとリズムに乗れるんです。 この楽天日記など、ブログをやっている人も、コメントをもらうと「元気ハツラツ」になりますよね。その感覚です。 以前にも書きましたが、大きな盲点があります。連絡帳はあるのに、先生は意外に、コメントをもらいません。 保護者からの、一方的な「事務連絡」や「要望」はあります。しかし、先生の授業や宿題、指導のあれこれ、への反応がないのです。 よく、奥様の美しさは、ダンナのほめ言葉が創る、って言うでしょう。良い授業、良い宿題、良い先生は、保護者のコメントが創るのです。これは、同じ人間ですから、当たり前だと思いませんか?できるだけ、ほめてやりましょう。子どもと同じで、良いところに注目して、そこが伸びるように水をかけ、光をあててやるのです。 私も塾や出張授業で感じるんですが、一人の感想文で、どれだけ救われて、やる気が出てくることか。 先生は、保護者が作るというのは、半分は真実ですよ。 何も、難しいコメントをする必要はありません。一言でいいのです。どうせ、じっくり読む時間が無いのですから。それより、回数です。どんな小さなアクションにも、必ずコメントが返ってきたら…。さらにそれが、何人もの保護者からだったら…。 先生は、いつも、保護者に見守られていると感じないでしょうか?そして、いつも保護者のことがアタマに浮かび、手を抜くなんて、とんでもないこと。できなくなります。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校がマスコミにでたときは、最大のチャンス∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 最近は、地域との連携が深くなり、マスコミに学校が登場することも多くなってきているでしょう。 もし、ちっちゃな記事でも出たら、チャンスです。コメントを学校に出してあげましょう。これまた、意外や意外、学校が表彰されても、反応ゼロなんです。 私はアホとちゃうか、って思っちゃいます。連絡帳でもいいんですが、FAXで職員室に堂々と送ってやりましょう。 「記事を読んで、どんなにうれしかったか。テレビを見て、誇らしく思ったか。いつもご苦労様でした。」それだけでいいのです。もう、翌日から、あなたは、職員室の来賓として接待されます。何より、校長先生・教頭先生が喜びます。これまた、お二人は、保護者との直接の接触がないのですから、本当は寂しいのです。 FAXひとつで、校長室のトビラをガラっと開けちゃえるのです。 いったん、心のトビラが開けば、お互い、難しい話も冷静にできます。学校に入れば、必ず問題にぶつかります。そのとき、これらのちょっとした投資が、何倍・何十倍となって返ってくるのです。 また、また、長くなってしまいました。冬休み中に、書けるところまで書きたいとあせってるのかな?ありがとうございました。 ナナナナ、なんと、さらに上がって…。どう感謝してよいやら。 よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.04
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子どもたちから、年賀状をいっぱいいただきました。お母さんからのご挨拶もいただきました。「律儀な」フーテンの寅さんは、なんと新年になってから、年賀状の筆をもつのです。ごめんなさい。遅くなります。ヒドイ先生だ!! ところで、保護者の方からの年賀状は、たいてい「いつも娘がお世話になって…」「息子は~で、~なときは、~なことをしてしまい…」と、当たり前ですが、子どものことばかり書いてあります。 私は、先生とのすれ違いの原因の大きなところは、お母さんご自身の、PR不足にあるのではないかと思います。(先生の責任は、ここでは言わないことにしましょう。) なぜでしょうか?これは、先生と保護者の間で、そのすれ違いを見続けてきたフーテンの寅さんだから、声を大にして叫びたいことです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵先生に、わかってもらいたいのは、子どもだけじゃありません。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 先生に対し、不満や怒りをもってらっしゃる保護者は多いです。いろんな文句をお聞きします。しかし、それらには共通して、隠れた無言の抗議が潜んでいると、私は見ているのですが、いかがでしょう?「先生は、私の願いに耳を傾けてくれない」「先生は、私をわかろうとしてくれていない」「先生は私の味方になってくれない」これは、子どもの願いではありませんよ。保護者であるあなたの隠れた願い、欲求だと思うのです。もちろん、同じ保護者である私の欲求でもあります。 つまり、お母さん、お父さんの心情に寄り添って欲しいのです。保護者という名前で呼ばれると、みんな同じになってしまいます。 しかし、社会では、それぞれ、すばらしい立場の方々です。そして、ひとり一人が抱えている人生が違います。悩み、苦しみ、もがいて、それでも、がんばって子育てをしているそんな苦労や、努力を理解して欲しいと思うのは、当然です。 人間としての保護者理解なくしては、家庭教育指導がうまくいくはすがありません。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 先生は、保護者の味方ではありません∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ ところが、先生という立場は、保護者に心情的に寄り添うことを難しくしています。 どうしてでしょう? それは、先生は、普段、子どもといっぱい接しているからです。そのため、子どもの味方には簡単になります。(当然です!!)(でも、味方にならない先生も) ところが、それが、保護者と距離を置く原因になるのです。え?っと思うでしょう。 先生のはしくれである私にとってもあてはまるのです。先生になってみないとわからない感覚かもしれません。 例のX君の場合でも、私は彼の味方になりました。味方なればなるほど、お母さんを非難しました。 でも、お母さんには、お母さんの抱えている事情があり、彼女自身の育ってきた過去の問題がありました。それを考慮しないで、非難を続けたら、もう、とんでもないことになっていました。 「保護者」ではなく、「人間」としての理解がないまま、子どもに及ぼす影響のみを注目しますと、保護者の真の姿を見失わせます。 先生にとって、ほとんどの親は、改善すべき、問題をかかえた「担当者」としか、映らないのです。「お母さんがもう少し、努力してくれればいいのに」 問題を指摘しないまでも、「アドバイス」をしたくなります。お母さんの事情や、心情に寄り添う前に、言っちゃうんです。「アドバイス」を。ですから、当然、そんな「アドバイス」通りに保護者は動きません。「アドバイスしたのに、保護者は動かなかった」「何という保護者だ!」 となって、泥沼に入っていくのです。 そもそも、先生は教えるのが職業です。ですから、いわば、「教え魔」なのです。保護者にも教えたくなります。一種の職業病です。(私もそうですね。現にこうして)反対に、保護者から教えてもらおうという意識は薄くなります。 もちろん、先生の中にも、すばらしい「できた」方もいます。カウンセリング・マインドをもって保護者にも当たってくれます。 しかし、まだまだ、先生の意識の中には、「私の仕事は、生徒まで」と保護者を包み込むことは仕事として捉えられていません。 実際、もし本当にそうするためには、学校全体のバックアップ体制も必要でしょう。 とにかく、先生への淡い期待は、持たない方がいいと思います。だったら、どうするか?!!∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 結局、自分でPRをするしかないのです。∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 結局、お母さんご自身が、自分でPRをするしかないのです。そして、一個の人間として、意識してもらい、子どもと同様に、お母さんの味方になってもらうのです。 PRと言うと、日本では、でしゃばりに見られますが、これは、結局、「子どものため」なのです。決して利己的なことではありません。 先生と保護者がうまくつきあえないと、一番被害を受けるのは子どもたちなのですから。 引っ込み思案なお母さんも、愛する子どものために、ここは一発役者になりましょう。 そして、先生も本当は、それで助かるのです。本心では、お母さんとの人間対人間のおつきあいを望んでいるのです。 実際は、全然難しいことはありません。ほんのちょっとした技術の積み重ねです。少なくとも、この日記を読み、ブログを書いている方は100%できます。 これから、少しずつですが、寅さん流、PR術を伝授しますからぜひ、だまされて試してみてください。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校の先生、保護者を尊敬してますか?∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校の先生が読んでいらっしゃいましたら、ぜひ考えていただきたいことがあります。 上記の裏返しです。保護者を一個の人間として、深く理解するように努めてください。子どもにどう影響を与えているかという役割論、いわゆる「担当者」として見るのではなくて、まず、その人そのものを理解するようにしてください。 「教える」んじゃなく、いっぱい「教えてもらう」のです。先生は、教えてもらうのがヘタな人が多いです。子どもからも教えてもらっていますか? そのためには、言葉の言い回しより、大事なことがあります。「あの先生には、なぜか教えたくなるんだよね」という雰囲気をもたなくてはいけません。 まず、先生が偉大な「空っぽ」になるのです。子どもたちに好かれている先生なら、できるはずです。 耳を傾けていれば、必ず、わき上がる感情があります。それは保護者を尊敬する気持ちです。たとえ、教育上、問題だらけの親でも必ず、先生の及びもよらない、「すごさ」が隠れています。 逆から言えば、保護者を尊敬できていない時は、まだ、その保護者を理解していないのです。 保護者を「尊敬」して、はじめて、共通の目標が生まれます。敵対関係が、同盟軍に変わるのです。厳しい言葉ですが、これが、社会常識なんですよ。 それでこそ、先生の幅がどんどん広がって地域の人々から、尊敬され親しまれる「先生」になるのです。 お客を尊敬できないサービス業は、失敗するのです。 既に十分ご存じのこと、差し出がましいこと、すみません。 よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2005.01.02
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本日の話題は、学校生活の天国と地獄の分かれ目の話です。キーポイントは連絡帳です。その前に、…ある子の物語を急に書きたくなりました。大晦日が近づくと、思い出すんです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ X君との出会い∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 彼との出会いは、3年前の12月29日、すなわち今日です。一本の電話から始まりました。 塾も一段落し、大掃除にとりかかっていたとき、市の教育委員のZさんから、相談の電話があったのです。 「寅さんのところでは、託児はしていませんか?」「エ?? う、うちは、一応、科学教室なんですけど。」 「でも、いろんなお子さんが集まっていつも遊んでいるそうですよね。」「たしかに、遊んではいますが、「真剣に」遊んでいるんです。その子の好奇心を刺激するように、考えて……。」 というやりとりをしながら、結局、○何か得体のしれない子を受け入れてくれないか、○冬休み中でいいから、 というのです。さらに、事情を聞くと、お母さんが子育てに精神的に参っていて、休みが欲しいということのようです。 で、なぜか、教育委員さんのところに行ったんですね。今、考えると教育委員会より子ども家庭課とか、子育て支援センターがふさわしいのですが…。きっと、暮れですからねえ、お役所もどこも相手をしてくれなかったのかもしれません。その教育委員さんも、この暮れに、SOSを出されても対処ができなかったんでしょう、面識のあった、寅さんのことがアタマに浮かんだんだと思います。 でも、私はショックでした。「変な子を集めている託児所」だと見られていたことが。でも、とにもかくにも、アタマの片隅に覚えていてもらっただけでも、まあいいか、ってもんだと思い直しました。「とにかく、一度お会いしないと、何とも」「それでは、ご相談に伺わせますので」「エッ、今からですか? 今日は大掃除中ですし、用事がありまして」「では、いつがいいですか?」「三が日が終わってからにしましょうよ」「わかりました。よろしくお願いします。」 私は、子どもをこっちのプログラムでドキドキさせるのは好きですが、子どものペースにつきあうのは、苦手です。しかも、長時間の託児など、考えただけでも、ぞ~っとします。 教育委員さんの顔もあるから、会うだけあって、丁寧にお断りしようと思っていました。それに、私にだって私生活があるのです。 ところが、大晦日のお昼ころ、突然、見知らぬ母子が訪ねてきたのです。大晦日ですよ。大晦日。そして、子どもを預かってくれ、と言うのです。目が点になってしまいました。 (次回に続く)ウーン、連続小説みたい。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校は天国でもあり地獄でもあり、∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校は、愛にあふれた、すばらしいところです。と同時に、人間の醜さが吹き出す、泥沼でもあります。 どちらも真実です。そして、どこに波長を合わせるか、でその家庭の学校というテレビ番組のテーマが決まると思います。 しかし、良いところだけを見て、醜いところに目をつむるというのも、私は、学校というお宝を半分しか手にできない一種の「壁」だと思います。 無限の喜びと無限の悲しみ、その両方に対して自由に波長を合わせることができること、これが、本当の学校の恵みだと思うのです。 いざとなれば、鬼にもなれる、と腹をくくった上で、天使のつきあいをすべきだと思います。 学校とのおつきあいの日常は、実は、連絡帳が主役です。連絡帳の書き方ひとつで、天国にもなり、地獄にもなります。 では、そのポイントを、ご一緒にお考えください。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 黙っていては、学校の先生はあなたの気持ちを察してくれない∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 先生は保護者の気持ちは、わからないものだと思ってください。と言うのも、お母さんの感じ方が、家庭によって様々だからです。たとえば、事故を起こした子がいたとします。当然、当のケガをした子のケアを考えます。しかし、しばしば、それを見守っていた子がストレスを受けるものです。それも、子どもの性格によって受け取り方が違います。「うちの子は繊細なんで、こんなストレス症状を起こしました。こういう場合は、今後こういうフォローをお願いします」とはっきり言わなければ、先生には全然通じません。先生一人で、30人全員へのきめ細かな「察し」は不可能です。お母さんが、正直な気持ちを伝えないのに、「先生が適切なアプローチをしてくれない」と不満を心で膨らますことは、後々大きなスレ違いを生みます。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 連絡帳には、簡潔に要点をまとめること∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 先生の日常は、秒単位の戦争です。連絡帳の読み方も、給食を食べながらの神業だったりします。全員目を通すためには、じっくり読んでいられません。 ですから、一目で何を言いたいのかがわかるようにはっきりと、さらにくっきりと書かなければいけません。細い字より、太い字、特に大事なところは、アンダーラインです。色を変えてもいいでしょう。一目で伝えるポスターやPOP広告と同じ感覚が必要です。 よく、時候のあいさつからはじまって、社会情勢がつづき、最後の方でようやく肝心のことが出てくることがあります。これでは、気づかれないで、パスされてしまいます。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ しかし、先生の感情には配慮を∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴いかに、要点をと言っても、感情への配慮は必要です。先生への感謝、ねぎらいの言葉は、忘れずに。また、断定的な言葉、学校が嫌う言葉(いじめ等)は控えること先生より高い知識をひけらかすのは愚の骨頂です。「教えて欲しい」「判断を仰ぐ」「助けて欲しい」が文脈です。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 気まずい関係になったら、積極策に出る∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ それでも、まじめなお母さんほど、起きてしまうのが、先生との気持ちのすれ違いです。もし、ちょっとでも気まずい関係になったら、決して、謙虚に引っ込んでしまってはいけません。 かえって、嫌な顔をされても、毎日学校に出向きましょう。アポイントなんか要りません。早い方がいいです。腹の立つことは、誤解のないように、はっきり伝えましょう。ただし、笑顔だけは忘れずに。先にあいさつをしましょう。学校の先生は、意外に、厚かましいことには、慣れています。逆に、おとなしい人は損ばかりです。毎日会えば、きっと気持ちが通じます。すべては、誤解から生まれるんですから。この時こそ、学校が楽しくなるチャンスなのです。(今日はここまでかな。異論・反論お待ちしてます。) よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2004.12.29
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1.学校の常識を知る2.百聞は一見にしかず3.理想を語り合いましょう。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 今の学校を最高の学校にしちゃう魔法 ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 学校の「常識」は社会の「非常識」とは良く言われますね。常識的な人が先生になっているはずなのですが、ビミョーにズレているのです。最初は、それほど気にならなくても、毎日おつきあいをしているうちに、ストレスがボディーブローのように効いてきます。 それは、一つには「教える立場」に慣れすぎてしまっているせいです。「学校はサービス業である」とか、「教員は公務員であるから、市民の公僕だ」という市民の「常識」を、まともに持ち込むとたいへんです。 クレームも要望も、提案もすべて、「教えていただく」形をとらなくては前にすすみません。 でも私は、これをもって先生方を非難しようとは思いません。誰だって、「先生」「先生」と毎日言われ続ければ感覚は狂います。子どもに接するのと同じように、親にも接してしまいます。 だいたいにおいて、ほとんどの先生は、「純粋培養」です。23才以降、一回も一般社会に身を置いていないのですから。また、教員には、芸能人や政治家以上に二世・三世が多いのです。また、親がそろって教員も、珍しくはありません。本人も、これまた教員同士で結婚しちゃいます。 先祖代々、「先生」にどっぷりつかっているのです。感覚が多少ズレても、これは、職業病だと見るべきでしょう。 それに、学校では、生身の子どもが現在進行形で成長しています。先生や学校との正面衝突は、悲劇で終わることがほとんどです。裁判は、最後の最後の核兵器ボタンです。 逆に、<ここがポイントです。>、学校の「常識」を使うと、話がスムーズに運ぶのです。そして、一度その良い循環に入ると、学校のパワーが見えてきます。それは、それは恐るべし、です。何せ、有名進学塾の何百倍、何万倍のパワーをもっているんですから。そして、面白いったらキリがありません。 とにかく、先に相手の立場に立った方が、勝ちなのですね。もちろん、学校にとっても同様です。この意味で、これからこの日記では、少しずつ、学校を楽しむための「ルール」を(寅さんの独断と偏見で)お伝えしたいと思います。批判や不快に思われる方も多いと思いますが、一人でも、ヒントとしてお役に立てれば幸いです。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 学校のココを見よう ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 入学する学校の説明会に出席されると、学校案内や学校要覧を渡され、それに基づいて、学校の教育目標や基本方針が説明されますね。また、新年度の説明会でもいろいろPRされるでしょう。 しかし、文書や言葉で集めた情報は、氷山の一角どころか、実態と正反対のことだったりします。良いことも悪いことも含めて、表面には出てこない、隠れた基本方針・カリキュラムが必ずあります。 それを発見するためには、百聞は一見にしかずです。特に学校を決める前には、必ず見学しましょう。もちろん、二つ以上の学校を見学しなければ比較できませんね。できれば、時間帯を変えて、二回以上見ましょう。行事のときに参加すれば、思わず実態がかいま見えることがあります。また、行事で知り合った様々な立場の人から、フランクに、学校の様子を聞くことができます。 でも、最も大切なのは、子どもたちの様子です。大人が学校を視察すると、どうしても主役が、先生や保護者になります。 良い学校かどうかは、まず、子どもにとって良い学校か、です。教室の中で子どもたちがどのように動き、感じているのか、先生と生徒たちが、どのようなやりとりをし、関係を築いているのかを感じ取ることが、最も大事です。 と言っても、短時間でポイントを見るのは、たいへんです。これまた、独断と偏見のアドバイスをさせていただきたいと思います。∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵ 理想の学校に向かって ∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴ 先生たちは忙しいです。校長先生も、指導主事の先生も。教育委員会も忙しいです。みんな懸命に働いていて、研修も受けていて、保護者との関係に努め、聞けばすばらしい教育論を展開してくれます。 でも、何かが欠けている。教育界全体を通じて 何かが抜け落ちているような気がします。 独断と偏見で感想を言います。「燃えるような情熱」にほとんど出会わないのです。 個人的に使命感をもって、活き活きと仕事をされている方はいます。しかし、それでも、私がこれまで一般社会で出会った、「燃える経営者」「燃える少年野球の監督」と比べるとほとんど残り火で生きているようにさえ感じます。 なぜ、なんだろう。やっぱり公務員だからだろうか。「夜回り先生」や「泣き虫先生」は突然変異種なのか? 私は、無理を承知で、あえて先生に燃え上がってもらいたいと願います。そのためのバックアップなら、市民は必ず協力をするはずです。 そのためには、何が必要なんでしょう?それは、教育への「理想」だと思います。そして、それに基づく「ビジョン」です。 こういうすばらしい学校が世界にはあるんだ!僕たちにもできるんだ!ぜひ、困難を乗り越えてでも作ろう!という情熱です。 私は、この意味で、日本の常識を打ち破った学校の情報をこれから集めていきたいと思います。本当は、学校内で夢を自由に語れればいいんですが。 よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2004.12.27
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この時期、塾長である私は、ありがたいことに授業料の他に、プレゼントをしばしばいただきます。 うちの息子は、正直に、「スゲー、どうしてもらうの?」と叫んでしまいます。 考えてみりゃ、不思議なことです。授業料をもらっているんですから。お客様なんですから。本当は、こちら側からお持ちしてアタマを深々下げるべきです。 お母さん方のありがたい贈り物を「ワイロ」と言うのは失礼です。しかし、私も人間です。一箱のみかん、お米、漬け物、ビール、お酒で、コロっと、うんガンバロウ! って気持ちが盛り上がります。 学校の先生は、もちろん、公務員ですから、目立つものは迷惑です。しかし、だからと言って、何も贈らないでいいものでしょうか? はっきり言って、私にとっても、私塾での仕事量よりも、学校でのエネルギー消費量は、数倍に達します。いくら仕事だからと言って、感謝の気持ちは、大切な心の支えです。保護者からの反応は、貴重な羅針盤でさえあるのです。 特に、何かあって、いっぱい先生の手を煩わせた覚えのある方。いじめの問題、学習の遅れ、特別配慮が必要な場合など、ぜひぜひ、感謝の気持ちを伝えてやってください。どれだけ励みになるかわかりません。 終業式の近い日のこと、補助員に過ぎない私に、1年生の女の子が、手作りのクリスマスリースとカードをプレゼントしてくれました。そこには、お母さんからの感謝のメッセージがありました。これまで、その子はとってもおとなしい子なもんですから、はっきり言って、あまり意識に上らないでいました。 しかし、お礼の手紙を書き、これまでの彼女とのふれ合いを思い返すと、自分の意識改革をグっと迫られる思いです。新学期は、早速、あの子のクラスには、何か面白いネタを披露してやろう、て思っちゃいます。 もちろん、お母さん方は、心で十分感謝をしておられると思います。また、日頃から連絡帳を通してもしていると思います。しかし、あらためて気合いを入れた感謝は、やっぱり違うのです。 病院の先生なら、もうガッポガッポもらっているでしょう。しかし、学校の先生は、その性質上、ほとんどもらいません。当たり前ですよね。でも、そこに盲点があります。本当は、いっぱいもらって当然なのにもらっていない。そういう人に、迷惑がかからないような形の感謝のシルシが届いたら効果バツグンだと思いませんか? 何についでもそうですが、学校の先生は、意外に、父兄からアクションが無いと、問題意識に上らないものなのです。何せ、1対30です。一人のわが子さえ、もてあましているのに、もう毎日が戦場です。この修羅場をくぐりぬけるには、相当おおざっぱな神経でないと身が持たないのです。 ですから、良きにつけ悪きにつけ、父兄からの反応が無いとどんどん先生の意識の中で、存在感が小さくなってしまいます。とにかく、先生に「刺激」を与えて損なことはないのです。 贈る中身は、やっぱりメッセージ中心にならざるを得ません。それにプラス、手作りの小さな一品。負担感がないもの。しかも、子どもも関わって作ったとなれば、もらう大義名分もでき、インパクトは十分です。 ただ、職員室ではやめといた方が良いでしょう。どんな雰囲気の学校かで、影響が変わりますから。それより、校長先生を通して担任の先生に渡した方がいいかもしれません。そうそう、校長先生への感謝も、大穴です。教頭先生は、もっと大穴です。実際、取り仕切っているのは、教頭先生ですから。 その影響力を考えれば、莫大な「贈り物効果」を期待できます。 以上は、「裏技」です。表だっては、決して言えないことです。しかし、純粋な気持ちの交流としても、じっとしていられないのが自然ではないでしょうか? 皆さんのご意見をお待ちしています。 現職の先生方は、発言しにくいでしょうが。ぜひ、お願いします。(昨日の日記をつぶして、書いちゃいました。)よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2004.12.26
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わが子の学校生活が楽しくて、充実していれば、親子にとって、こんなハッピーなことはないですよね。 学校は「正面玄関」は敷居が高いんですが、「勝手口」から入れば、とっても楽しくて、それにとっても「お得な」ところなんですよ。 現実の学校は、決して、「いい人」ばかりの集まりではありません。でも、ちょっとした「魔法」で、どんな学校も宝島に変身しちゃうことがわかってきました。 「学校」という言葉を聞いたたでけで、アレルギーが出てしまう人は多いんじゃないでしょうか。先生の一言に心を傷つけられたり、PTAの父兄にガマンできない人がいたりします。 私も堅苦しい学校が大嫌いでした。今の科学塾「はてなランド」を開くときも、「学校のようにだけはしない」とプログラムを考えました。 私は死んでも「先生」と呼ばれる人にはなりたくないと思ってました。社会の第一線で評価され、実績も上げている私が、どうしてあんな人にアタマを下げなければいけないのか、と。 そんな私が、変身したのは、市民としてのおせっかいからでした。塾の子のために、教育委員会や学校と関わりをもっていくうちに、あれよあれよ、という間に、学校の中に入ってしまったのです。気がついたら「先生」と呼ばれていました。 学校に出入りをして、気がついたのは、学校の中と外では、世界が違って見えるということです。立場と環境の違いから、学校と親の間には、いろいろ誤解が生まれます。最初はちょっとした誤解だったものをそのままにしておくと、雪だるま式にしこりが大きくなり、人生を左右する悲劇さえ起きてしまいます。 でも、最初はちょっとしたボタンの掛け違いからなのです。ですから、ちょっとした気遣いで、回避できるのです。それに、学校は、本当に楽しくて面白いところです。ぜひ、まず、お母さんが、学校の楽しみ方を覚えてください。それが、お子さんに伝わります。 それに、学校のパワーはすごいものがあります。予算も人材も民間の塾の比ではありません。使いようによっては、学校はお宝の山なのです。 本来、学校はサービス産業です。ですから、客が気を使う必要はないはずです。しかし、現実は楽しさを隠してしまう障害がいっぱいあります。これを乗り越えるには、智恵が必要です。その智恵には、ずる賢さと同時に、感謝の心が必要です。笑いと感謝は、すべてを楽しみに変えてしまいます。 週に二回のペースで、今の学校をお宝の山に変える方法を独断と偏見で、お伝えしていきたいと思います。ご期待?ください。よかったら、ブチっとお願いします。人気blogランキング
2004.12.19
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