稲作がやってきた


 我々の祖先はすでに選択的にこれに対応した。中国大陸南部や朝鮮半島で行われていた稲作を自主的に取り入れたのである。
 以前の定説より早くから我々の祖先は稲作を知っていた。ただしその必要は長らくのことなかった。生産経済に移る必要がない豊かな自然に恵まれた日本列島に住んでいたからである。

 しかし、中国大陸で花開いた文明圏は紀元前後世紀ころから春秋戦国時代に入り、流動性・移動性の高い時代に東アジア全体は移行していた。鉄器や文字、稲作といった文明が、朝鮮半島や東シナ海を経由して日本列島に絵師寄せてきたのである。弥生時代の幕開けである。

 弥生文化は、稲作を中心とした、高床倉庫や鉄器類、信仰体系を含む複合文化体系である。豊作を祈願する人々は神々を敬い、神道が生まれた。また稲作の普及は社会的階級を生んだ。
 やがてムラが成立し、いくつかのムラが争ってまたクニができていく。こうして政治的な権力者や宗教的祭司が生まれた。


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