ヤマトタケルの時代


 崇神天皇は、各地に将軍を派遣し、列島各地の征服事業を進めていった。

 天皇の命令で熊襲、出雲、蝦夷を討ったヤマトタケル神話は、このような征服事業の形象化されたものであろう。

 四世紀は資料に乏しく、「謎の四世紀」とも呼ばれる。しかし、豊かな記紀の神話は我々の想像力を掻き立てるし、また同時に近年の考古学の成果は無言ながらも雄弁に当時の社会を伝えてくれる。この二つ、ロマンと合理主義・実習主義とは、は相容れないものではなく、相互補完的なものである。

 崇神天皇以来、歴代の大王によって征服が進められ、四世紀半ばには緩やかな諸豪族による連合政権が成立していた。この政権では各地に前方後円墳が造営された。前方後円墳体制と呼ばれる近畿を中心とした支配体制が築かれていく。

 仲哀天皇の時代には、朝廷は九州を征服し、版図におさめる。いよいよ朝鮮半島や中国大陸と渡り合う時期がやってくるのである。



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