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<Chagallシャガール:ニューヨークアートポスター>人間には、大きく分けて「二つの精神タイプ」があると言われます。「周囲に協調して生きてゆくタイプ」と、「自分自身にこだわりながら生きてゆくタイプ」です。「分裂型」とは、周りの人や環境に合わせる性質を持ち、調和を好み、流行や世論を重視します。「そううつ型」とは、自分だけのこだわりを持ち、周りに流されることなく、自己のアイデンティティを重視します。ある説によると、「団塊の世代」を境に世代間で格差が見られるといいます。「団塊の世代」より上では、頑固で自己主張が強く、こだわりを持っている人が多い。それより下では、常に周囲を見渡し、周りに合わせて生きていく人が多い。これは自己主張をすることで周囲とゴタゴタするよりも、うまく協調しながら環境に合わせて適応する方が、時代の流れに合っていたからなのかもしれません。どちらが良いということではなく、そういう特徴が見られるということです。「分裂型の特徴」 分裂型の関心は周囲にあります。周囲がいいと言えばそれでいいと思い、悪いことがあれば周りの誰かのせいだと思います。逆に良いことが起きても自分の努力の結果だとは思わず、ラッキーだと思い、人生はなるようになると思っている傾向が強いのです。そのため、流行に敏感で、売れ筋ランキングなど、世間に受け入れられているものを積極的に取り入れようとします。好みも世間のブームに乗ってコロコロ変わるでしょう。特定の人間と深く関わることを苦手とし、少人数で話し込む場をあまり好みません。それよりは、大勢でワイワイ当たり障りのない話題で盛り上がることの方を好みます。環境への適応力が高く、職場や学校などが変わっても、すぐに溶け込むことができたりします。そのため、環境の変化に対するストレスをあまり感じないことが多いようです。また、何か良くないことが起こっても、自分を責めたり、いつまでも引きずったりしないため、自分を追い込んでしまうようなことも少ないようです。過去へのこだわりもあまり強くないようです。時として本音を言う場が少ないため、それがストレスの原因になることがあるでしょう。また、過去への執着が少ない分、あまり反省をしないで、同じ失敗を繰り返してしまうこともあるようです。「分裂型」の場合は、部分的にでも主体性を持つように心がけると良いでしょう。そして自分の行いや発言に対する責任感を持って反省するようにしましょう。ただそれがストレスとして溜め込んでしまうようでは意味がありません。今まで通り、周囲にうまく合わせられる協調性を持ちつつ、その中で自分のアイデンティティを守る領域を作っていくと良いでしょう。「そううつ型の特徴」 そううつ型の関心は、自分自身です。何かに成功したり、良いことがあれば、それは自分の努力の成果だと思い、大きな達成感、満足感を得られるでしょう。逆に悪いことが起こった場合は、それは自分のせいだと自身を責め、深い罪悪感を抱く傾向が強いでしょう。また、自己のアイデンティティが強いため、常に主体性のある行動や発言を心がけていますが、逆にそれが周囲を受け入れられない原因にもなります。そのため、頑固だと思われることが多いのも「そううつ型の特徴」です。基本的に自分が決めたルールにのっとって、自分の価値観で物事を判断するため、自分が納得できることに対しては良いのですが、納得できないことがあると、それが大きなストレスになります。好みも流行に関係なくあまり変わらず、自分が良いと思ったものを長く愛用する傾向が強いでしょう。また広く浅い人間関係を好まず、特定の少人数と膝を突き合わせて、じっくり語り合う関係を好みます。そのため、大勢のパーティーなどは居心地が悪く感じ、初対面ではなかなか馴染めないでしょう。逆に深い関係を築くと、その関係をとても大切にしようとします。そのため、異動や転職、転校など、周りの環境が変わることに大きなストレスを感じます。 「そううつ型」は「分裂型」に比べて、ストレスを溜め込んでしまいやすいタイプです。周囲で起こるさまざまな要因を自分の中に求め、自分の価値観で納得できない限り、うまく消化しきれないかもしれません。「そううつ型」の場合は、ある程度、周囲に対して寛容になり、他を受け入れ、他と協調することを心がけることが大切です。自分や周りを許せなかったり、環境に溶け込めず強いストレスを持ち続けることは、精神的な悪影響になります。周囲や自分を受け入れる気持ちが大切なのです。
2007年03月21日
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<秒速5センチメートル>この世で経験することは、何一つとして無駄なことはない喜びも悲しみも、みんな僕たちに生きることを教えてくれる「秒速5センチメートル」それは桜の花びらが落下する速度「秒速5センチメートル」それはなにかを失ってゆく速度この世は悲しみに満ちているどんなに避けようとしても「別れ」は僕たちを待っている思うようにならない苦しみがあるそしてそれを受け入れるまでの永い時間がある本当は早く受け止めた方が良いのだろうけれど人はそんなに強くはなれない失敗も挫折もいつか乗り越えられるだろう人はそれぞれにそれぞれのやり方で立ち上がるそして僕たちは次の場所へ向かって歩き出す僕たちの生まれた目的は、「自分の生まれた目的」をさがすことです。そのためには、自分が心から愛せるものをみつけることです。愛するものがある人は、それをもっと大切にすることです。僕たちは「誰かのために生きること」を目的にしてもいいのですから。「きみが喜んでくれる」、それ以上にうれしいことは何もない。
2007年02月19日
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いわさきちひろ『玉手箱を持って帰る太郎』欲望をもつことが少ないほど幸福なのかもしれない自分の思いに囚われるほど不幸だと思えるからリスクを軽減する方法はあるのだろうか防御可能な不幸というものはあるのだろうか避けられない災難は時間と感情を浪費するだろうそれらを乗り越えることは僕らにはできないのかもしれない「この世は修行の場である」という考えがあるだから、生きることは修行なのだという自分を知ることは大事なことだだから、常に自分の生活習慣を見直すことが必要になる見返りを期待せずに、無条件で他人を愛せるようになること他人への奉仕に専念できるようになると自分を忘れられるのかもしれない自由で楽しい人生を送ることは可能なのである僕らにはあらゆる可能性が開かれているのだからものごとがなめらかに展開しなくなったら、心の中を見つめることだなにが妨げになっているのか、じっくり考えてみることだもしかすると、間違った道を歩いていると教えているのかもしれない心を鎮めて針路を変え、障害が消えるかどうかを確かめてみることだ気楽に生きてゆこうと考えたとき、自分の欲を少なくした方がいいだろうと思った。もっと立派な人間になろうとか、どうにかして金持ちになろうとか、そういうことは考えない方がいいのだ。旅から帰って「やっぱり家が一番」とつぶやくのなら、そんな平穏な生活を幸福というのかもしれない。何も感じないようにして、何もしないようにして暮らした方がいいのかもしれない。そうすれば、ただ日々が過ぎてゆくのかもしれないね。だけど、きっと様々な不幸や不条理な事件が僕らを襲ってくるだろう。何も悪いことをしていないのに、肉親や自分が病気を患ったり、事故に遭ったり、突然災害にあったりする。生きていれば、自分ではどうしようもない色々なことに巻き込まれるのだろう。それは決して避けて通ることはできないのだ。・・・それが人生というものかもしれないね。
2007年01月22日
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いわさきちひろ『王子を想う人魚姫』僕らの前にあるのは、いつも「わかれ道」だ「わかれ道」を通るためには、どっちか選ばなきゃならない小さな「わかれ道」の積み重ねが、大きな「わかれ道」を作ってゆくそうして、気がつかないうちに、いつも僕らは道をまちがえている自分を犠牲にして誰かに尽くすことは、美しいことかもしれない。しかし、自分の幸せを犠牲にしたことを、誰かのせいにすることは醜いことだ。例えば、母親が子どものために勉強している姿は美しいだろう。だけど、母親が子どもに無理に勉強させようとしている姿は醜い。生きることはバランスをうまく取ることだと思う。自分のために生きることは決して悪いことではない。自分のためだけに生きることが醜いことなのだ。相手の身になって、相手の眼で世界を眺めたいと想うこと・・・それが恋というものかもしれない。だから、自我を捨てた恋愛とは奇跡的なものなのだろう。相手に何かを求めるだけで、自分は何もしないような・・・そんな自分勝手な恋愛が多いような気がする。相手からもらうばかりで、それでも足りないと言っている人間が多いような気がする。「恋する」って、自分を捨てて、相手の心で世界を見ようとすることじゃないかな。「愛する」って、自分を捨てて、相手のことを一心に思うことじゃないのかな。
2006年12月21日
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今日、変なハガキが届いた。「薄いペラペラのインクジェット紙はがき」で、「郵便番号と住所と名前がプリントされたラベル」が貼ってある。「自分でプリントアウトした広告はがき」だと思ったら、「民事訴訟裁判最終通告書」と印刷されている。「管理コード 1629427」「民事訴訟裁判起訴事実」?「総合消費者民法特例法」上、財務局認可通達書?「執行証書の交付」?「プライバシーの保護の為、請求額、支払方法は当局職員までご連絡下さい」?裁判取り下げ期日・・・昨日の日付?財団法人 中央管理事務局〒135-0013東京都江東区扇橋3-8-1(代表)03-OOOO-OOOO電話受付時間 9:00~18:00思わず、電話しようかなぁと思いました。(笑)文句を言ってやろうと思ったのです。でも、すぐに思い直しました。もっと嫌な気分になることに気がついたからです。(^^;早速、ネットで検索です。タイトルの言葉で検索したら、すぐに分かりました。(便利だねぇ)それで、ようやく気持ちも落ち着いたのですが、イヤ~な気分は晴れません。本当に不幸のハガキをもらったような、どんよりとした気分になりますね。でも、嫌なことはココに書き捨ててしまいましょう。振り込め詐欺、架空請求詐欺、フィッシング詐欺、詐欺のネタは尽きないけれど、元気出してゆきましょう。(笑)
2006年12月07日
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いわさきちひろ『つるのおんがえし』約束を守ることができなくて、うそをついたうそをつくことで、約束を汚してしまった正直に生きることは難しいなぜなら自分を守ることが難しくなるから子どものような率直さで、あなたとつきあうことはできない子どものような無防備さで、自分をさらけだすことはできないだけど、そうすることであなたと分かり合えるのかもしれないほんとうの強さを知るのかもしれない「僕はどんな生き方をしたかったのだろう?」それを知るためには、自分の求めているものや、自分の好き嫌いと、正面から向き合うことが必要だったのでしょう。そうして、本当の自分を生きる覚悟が必要だったと思う。いわゆる、「常識という名の先入観を捨てること」や、「他人の話を鵜呑みにしない」ということを学ぶ必要があったでしょう。考えるよりも行動することで、「なりたい自分というもの」が、魂の奥から出てくるのを待つ必要があったと思うのです。人間は子どもから大人へと、たえまなく変化してゆきます。そうして、心の中に何人もの自分を形成しながら生きてゆきます。だから、自分を上手に使い分けられないときもあるのです。自分らしさとは、案外そういうものなのかもしれません。僕らは何のためにこの世に生まれてきたのでしょう。なにか世の中の役に立てなければ、存在価値がないのでしょうか。僕らはたぶん死ぬまでの間をただ生きている訳じゃないでしょう。だからこそ、何のために生まれてきたのかを知りたがるのだと思うのです。生きる意味を欲しがってジタバタするのも、生きるっていうことなのかもしれません。それがたとえ限られた命だとしても、だからこそ輝きたいと願うものなのかもしれませんね。完璧な人間なんてどこにもいないのです。僕らは自分にできることを精一杯やるだけなのです。「努力する人は希望を語り、怠ける人は不満を語る」
2006年10月25日
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いわさきちひろ『となりに来た子』みんなが「自分のことで精一杯だ」と言う「他人のことなんか関っていられない」と言うそれがウソかもしれないことを僕は長いあいだ信じられなかった本当は他人のことを心配しているちょっと余裕さえあれば自分のこと以外のことも考えている・・・そんな人がいるなんて・・・僕は人に会うのが嫌い。それでも、嫌いかどうかは、会って話をしないと分からないだろうと言われる。だけど、第一印象で、人の好き嫌いは分かるものだ。「おしゃべりする時間」という無駄が省けるのだから、僕はすごく良い事だと信じていた。相手の嫌なところというのはすぐに分かるものだ。だけど、その相手の嫌なところを個性として認めろという。そして、相手の長所を見つけることを喜びとしろという。・・・そんなことが僕にできるとは考えられないけどね。「人づき合い」というのは、人と会うことによって磨かれるものらしい。したがって、「人と会うのが苦手だ」といって「人づき合い」を怠ると、ますます苦手になるだろう。「慣れることが一番だ」と教えられたけど、生来の性格なのか「人と会うこと」が好きになれない。「1度見ただけの人よりも、何度も見た人に好意を抱く」と言われるけど、そんなにマメにはなれないよ。「私は嫌いな人に会ったことがない」と言う人がいる。「いつも他人のことを考えています」と言う人がいる。どうやら「先生」と呼ばれる人種らしい。僕には信じられないけどね。生きることは、人とつき合ってゆくことらしい。「人生は人づき合い」と言うらしい。他人と仲良くできるなら、こんなにも幸福なことはないだろう。僕だって、そうは思っているんだよ。
2006年10月18日
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いわさきちひろ『あ・さんりんしゃ』「きみが言うように、なんでも受け入れることができたら良いなって、思ってはいるのさ」「幸せとは心の平和なのよ」って、きみが言う逆境にあってもクヨクヨしないこと、心配してもはじまらないことは心配しないこと自分の力のおよばないことは天に任せて、それよりも自分の心がけを良くすること「ちゃんと聞いてる」って、きみが笑う自分のまわりで平和を見出すことが、もっとも大切なことだと僕も思う人を変えようとは考えないで、人をありのままに受け入れようと僕も祈ってる人生に起こったすべてのことを、そのまま受けとめようと僕も願っているきみの幸せを想うことが、ホントの幸せだと思っているのさ嫌いな人とは会わないように、嫌なニュースは聞かないように。自分にとって都合の悪いことには、反応したくないと思ってる。人の話は聞きたくないし、TVの有名人のコメントもいらないものだ。できれば無視したい、できれば無関心でいたい。自分の頭で考えるから、自分の気持ちを大事にしたいから。だから、余計な情報を押し付けないでほしい。ドラマと現実の境目はどこにある。普通の人と異常な人の区別はどこにある。どうして人間は仲良くして生きられないのだろう。どうして人間は自分のことしか考えられないのだろう。いつもワリキレナイ想いが胸の中にある。ダウン症の子どもたちは、みんな同じような笑顔を見せる。どうして同じような笑顔をしているのかな。自閉症っていう言葉は好きじゃないね。その名前はちゃんと君たちを表現できているのかい?ヒトっていう生物は、弱くて脆いものだね。ちょっとしたことでおかしくなってしまう。僕もアタマがおかしくなったことがあってさ。考え方がおかしいって言われるのもよくあったな。それでも僕は強い人間だって言われてきた。だから、弱い人間の気持ちなんか分からないんだって。それで僕は何もかも捨てて逃げ出した。それとも、僕が捨てられてしまったのかな。
2006年10月10日
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武藤純一『開運十二支御守本尊 大日如来』満月よりも14番目の月が好き成功なんてしなくていい完璧なんて必要ない頂点をめざしているときが一番楽しいのさ先を急ぐな人生に無駄なときはない満ちてゆく引いてゆくそれが宇宙のリズム僕たちの人生は、良いときもあれば、悪いときもあるものだ。それが宇宙のリズムだから、逆らわずに生きたほうが良いのだ。効率とスピードを求めて、無駄と情を省いて、いったい何が欲しいというのだろう。良いことばかりを求めては、人生の豊かさを失くしてゆくだけなのに。あたかも「物質的な豊かさが幸福をもたらす」かのように、盲目的に追求してきたのかもしれない。その結果が、自分で自分の首を絞めて、窒息するような気分を味あわせるのだ。もう一度、振り返って考えるべきなのだろう。先を急ぐ必要なんて、最初からなかったのだ。効率化を突き詰めれば、自分でさえも必要がないものに思えてくる。人生は、なんだか無駄なものばかりで出来ているのだから。どんな人にだって、「無用な人生」なんて、有りはしないんだよ。
2006年09月26日
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ピカソ『幸せのダンス』災いが起こったときに、これをよい教訓に変えようと願い、努力を続けてきたなぜなら、あまりにその災いが悲しかったからだプラス思考というものは、「転んでもタダでは起きない」と短絡的に考えることではない。それは、悪い事態をなんとか良くしようとする、努力する思考のことなのだ。悪い事態を真正面から受け止めて、悔やむだけで終わるわけにはいかないから、必死に考えるのだ。悲しみの中で倒れてしまうわけにはいかないから。悲しみに打ちひしがれた人間は、ずーっとそのままではないはずだ。必ず起き上がって、歩き出すだろう。だから、悲しみに倒れたことを生かして、それをなんとか知恵にしたいと思ったのだ。救われる考え方をしたいと願ったのだ。人生には、様々なことが起こるだろう。起こってしまったことを悔やみたくはない。それよりも、それをバネにして、自分を強くしたいのだ。でなければ、本当に悲しすぎるから。
2006年09月19日
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SYU豊岡『幸せを招く猫(出逢い・赤)』僕は他人の話は聞かないのです他人の文章もざっとしか読まないのですそんな僕の言葉は、誰にも伝わらないのかもしれません思いやりが大事だと思っています伝える努力が必要なんだと思っていますでも、どこかで諦めています自分のことは自分が一番よく知っているたとえ誰であっても本当に分かり合えることはないそんな風に思っています冷たい人間だって言われます確かに自分でもそう思いますだけど、無理していい人にはなりません無理をすると苦しいばかりだからひとりぼっちが寂しくて君がそこに居てくれるだけで、ありがたいって思う君のぬくもりが、僕を救ってくれているんだよ外界から隔離されて、誰にも邪魔されない、心の安息を保てる空間。それは「胎内回帰」をイメージしているのかもしれません。引きこもる部屋とは、すなわち「子宮」のことなのです。だから、部屋の外へ出るということは「出産」を意味します。母親への依存を断ち切って、自立への一歩を踏み出すということなのです。「扉を開く」ということは、「心を開く」という意味なのですから。扉を開けて、「助けてくれ」と叫ぶことができるでしょうか。「惨めな姿を誰にも見られたくない」というプライドを捨てることができるでしょうか。誰にも助けを求めることができなかったり、誰にも弱音を吐くことができなかったりすること。そういう追い詰められた状態が一番危険なのです。プライドを捨てることができたら、ストレスも半減するでしょう。自分の思っていることを誰かに話すことができたら、気分は軽くなるでしょう。だから、「自分を表現すること」は、とても大切なことなのです。心の病は非常に苦しいものですから、一人で耐えるにはつらすぎます。だけど、誰かが支えてくれれば、その負担は半分になるでしょう。よく「弱音を吐くな」と言いますが、本当に困った時は、弱音を吐いて、ストレスを発散させていいのです。頑張らなくていいのです。生きてるだけで、それだけで良いと、言ってくれる人はいますか。
2006年09月14日
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丁紹光『ゆりかごの歌』32522(2005年、日本の自殺者の推定数)それは「ただの数字」なのでしょうか。自分とかかわりのない数字には何の関心も持てないものです。それが一つでも二つでも、100でも10000でも、0がいくら増えても胸は痛みません。人間ってそういうものです。たとえそれがひとつの命だったとしても、知らないモノは無いモノと同じなのです。127725117(2006年、日本の推計人口)それは「ただの数字」ではありません。ひとつひとつが私たちみんなと同じように、それぞれの人生を生きています。人を愛し、愛されている人間の命なのです。あなたが誰かのことを想うように、誰かがあなたのことを心配しているでしょう。人は誰かとつながって生きているのです。6536061771(2006年、地球の推計人口)それは「ただの数字」ではないのです。「ただの数字」に、あなたの想像力で生命を与えてください。ひとりひとりの人間として生きている日々を、生活を与えてください。愛がないことを無関心といいます。すべてのものに愛が必要なんだと思います。想像力の翼があれば、人間は変わることができると、そう祈っているのです。
2006年09月03日
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アルホーグ『ムーンライトマジック』死んだら、どこへ行くのだろう生まれる前は、どこにいたのだろう僕たちはどこから来て、どこへ行くのでしょう僕たちは自分のことは、何でも知っているのでしょうかいま生きている自分だけが、自分なのかな生まれる前や死んだ後は、もう自分じゃないのかな跡形も無く、僕は消えてゆくのでしょうか肉体が消滅すると、もう意識は存在できないのでしょうかこういう質問は哲学というのでしょうか。それとも宗教学になるのでしょうか。科学も突き詰めてゆくと、こういう疑問と出会うようです。輪廻転生ということであれば魂は永続するのでしょうが、分かったような分からないような気がします。色々な考えがある中で、僕がいちばん「救われるなぁ~」と思うのは、「この世は修行の場である」という考えです。「魂」というものが存在していて、しかるべき時に「この世」に誕生するのです。そして生まれる前に自分自身に対して課題を与えておくというのです。例えば「すぐに死んでしまう」とか「病気で苦しむ」とかです。この世に誕生したら、誕生する前の記憶は忘れてしまうので、自分に課題を課したことも忘れてしまいます。そしてその課題を克服していくのが人生の目的なのです。死もまた課題のひとつです。そうやって1つの人生を送るたびに、魂は成長していくのです。もしも人生がこういう仕組みだとしたら、「なんでこんなに不幸なんだろう?」という答えは簡単にみつかります。その不幸なことは、自分が生まれる前に自分に与えた課題だから、ということです。それを克服するための人生なのです。生まれること、生きてゆくこと、死ぬこと・・・。すべては謎だらけですが、こういう考え方もあるということです。
2006年08月21日
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「被爆のマリア」「怒りに我を忘れることがあっても、愛することができることを思い出して欲しい。賢い人たちは、自分の心の状態を変えることができるのだから」人間関係を変えようとする時、他人を変えようとする人がいる。他人の欠点を攻め立てて改革する事を強制したり、または、自分の環境にすべてを合わせるように他人を指導したりする。だけど何を企てようとも、人間関係を変えようと思ったら、その関係の中にいる自分自身を変えない限り、世界は変わらない。自分の行動や気持ちを変えずして、他人の心だけを変えようと思っても、それは悲惨な話になるだけなのだ。自分自身をコントロールできない人は愚かな人だ。自分の心の状態を変えることができる人こそ、世界を改善できる人なのだろう。みんなの行動が変わってゆけば、すべての人たちに影響を与えるだろう。だから、少しでもより良い方向へと世界が動きはじめることを願っているんだよ。他人を変えることができるのは、神さまだけが持っている能力だ。僕らにできることは、自分自身を変えてゆくことだけなのだから。「できないことに腹を立てるよりも、できることがあることに感謝することだ。どんなに不運だと思っても、幸せはきっと見つかるはずだから・・・」
2006年08月14日
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ミケランジェロ「最後の審判」「自分こそは正しい!」これほどバカげていて根拠のない考えはない。絶対的な正しさというものは存在しないだろう?もしもそんなものがあると信じているならば、これほど危険なことはない。自分の正しさを信じて疑わない人間は、自分を客観視することもできない愚か者だ。そういう人間は意見を異にする他人を無視するか、排除しようとする。ときには、暴力を持って言うことを聞かせようとする。自分の正しさや意見を通すために、反対する人間はすべて無制限に攻撃しようとする。そんな暗い欲望を持つ人間がいる。宗教戦争や民族紛争、繰り返される惨劇がそれを証明している。多くの犠牲者を出しながらも、やめることを知らない正義の戦い。これも自己を絶対的に正しいと信じる人々が起こしているのではないのか。そうやって、「自分こそは正しい」と悲惨な歴史を繰り返しているのではないのか。 自分の弱さを受け入れないものたちは、他者を攻撃する。「自分こそは正しい」と主張することは、弱さの裏返しでしかない。自分を信じることと、自分を疑うことのバランスの上に大人の世界は成り立っているのだよ。自分を客観視できなくても良いのは、子どもだけが許された特権なのだ。自己の客観視ができない愚か者は、「相手の身に立って考えること」もできない。意見の異なる人たちを無視し、排除し、そしてチカラをもって「正しさ」を証明しようとする。・・・正義の名の下に・・・
2006年08月07日
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ブルーエンジェルmiss you毎日の暮らしの中で何かが欠落している仕事のあい間の息抜きとか信号待ちの歩道の静寂とか窓ガラスに映る風景はどこかの異世界なのかもしれない深夜に辿る自分の部屋は妙によそよそしかったりするんだ大切な何かを僕は忘れているに違いないそんな影を踏むような不安な気持ちに襲われるかんじんなところが無くなったジグソーパズルもう何年も見つからない誰か僕に教えてくれないか?僕に足らないモノを誰か僕を導いてくれないか?失くしたモノを見つける方法を・・・どうして・・・君が居なくても平気だなんて想像できたのかな?
2006年08月04日
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「母の日」かみさまは、すべての人間を我が子のように愛するだから子どものこころは、素直に愛することを知っている親を愛することができるなら、人を愛することができるだろう僕らはきっと、恨むためではなく、愛するために生まれてきたんだ誰だって親に対して憎しみを覚えたことがあるだろうだけど、「生んでくれてありがとう」と思い直すことはとても大事なことなんだ過去とは否定するものではなくて、ありのままに認めるものなのだ反省とは非難することではなくて、感謝の心を見つめなおすことなのだ「愛された記憶」が、人の生命の本質であってほしいそして、「愛された記憶」が人の手から手へと繋がっていってほしい人の命は限りあるものだけど、魂の記憶は永遠に続いてゆくと想うから人の命は儚いものだけど、だからこそ大切にして欲しいと想うからかみさまは、すべての人間を我が子のように愛するだから子どものこころは、「愛された記憶」でできているんだ
2006年06月09日
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「雲の下の六人」「金色に輝く塔よりも、その上に広がる大空を見よ。」他人と比べて自分を卑下するとき他人の何もかもが自分よりも輝いて見えるときそんなふうに自分を信じる力が弱くなったときに他人に対する妬みの心が生まれるのかもしれないね他人が努力して手にしたものに嫉妬してはいけないよそれよりも頭の上の大きな空を見つめよう僕らには、僕らの人生があるのだから[境界性人格障害]対人関係を保つことが難しかったり、感情が不安定で、自己評価が低いなどの特徴がある。このタイプは特に若い女性に多くみられる。[自己愛性人格障害]自分は特別な人間だという意識が高く、周りに賞賛されたい という欲求を常に持っている。社会の中ではなかなか協調できないため、ひきこもりがち。男性に多くみられる。[演技性人格障害]他人の注目を浴びたい、心配されたい、ということが目的で、大げさな言動や行動をする。簡単に自分の意見を変えたり、他人に屈したりする。
2006年06月07日
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<休息するダンサー>「明日は、今日より悪くなるかもしれない。だけど明日にはすごい魅力がある。それは、まだ来ていないということだ。」目標を達成する確率が50%のとき、人間は一番やる気になるそうだ。例えば、誰にもできそうにないこと。(明日までに身長を10センチ伸ばす!)そして、誰にでもできそうなこと。(明日までに体重を10グラム増やす!)そういうことは、誰だってやる気にはならないだろう。(笑)明日は、たぶん誰にでもやってくると想うけど・・・もしかしたら、やってこないかもしれない人たちのことも考えながら・・・その明日をどう生かすかは、自分自身の責任なんだよ。それは,明日の自分に対する愛情といってもいいのかもしれない。どうなるか分からない明日だからこそ、とんでもない可能性だってありえるんだから。そして、やるかやらないかは自分で選択することができる。それがどんなに幸せなことなのか、ボクは知らないけどね。明日は、まだ来ていないのだから・・・。自分を探す旅はいつでも迷いながら進んでゆくだろう。分かったつもりになっても、すぐに見失ってしまうものさ。自分をまっすぐに見つめることは、だんだんと難しくなってゆくだろう。自分の醜さや弱さを自覚することは、きっと苦痛なものだから。「自分でなければできないことがある」と、僕は信じたいのだと思う。だけど、自分と同じようなことをできる人は大勢いるんだ。「一人ではできないことがある」というのは真理だろう。だから、人類は集団を作ることで地球を支配しようと企むのさ。環境さえ整えたら、たいがいのことは誰でもできるもんだ。だから、ボクはボクの好きなことをするのが一番いいと思うんだよ。「自分の醜さを認めるところから人生はスタートする。だから、キレイになりたいと努力してゆきなさい。」
2006年05月30日
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『女子マネージャーと飛行機雲』お金持ちの家に生まれたら、一生遊んで暮らせるのかなぁ。それをみんなは嫉妬するのかもしれないね。でもね、誰も知らないような苦労をするのかもしれないんだよ。それもみんなは知らないけどね。みんなが同じ環境に生まれるということはない。お金に恵まれた環境に生きる人もいれば、そうでない人もいる。健康に恵まれた環境に生きてゆく人もいれば、愛情に恵まれる人もいるだろう。僕たちの現実というのはそういうものなのだ。人間は平等でも、公平でも、自由でもない。だけど、ちょっとした違いならば、大きな目で見ればたいした違いはないのかもしれない。もしかすると僕は恵まれなかったのかもしれないけど、恵まれた環境に生まれてきた人たちのことを嫉妬するつもりはない。もしかすると僕のことをうらやむ人が居るのかもしれないけど、不運な人たちに優越感を覚えるつもりはない。一生苦労と縁のない人生が歩めるのならば、それはそれで幸せなことだ。働かなくても楽しく生きてゆける人生があるのならば、それも同じく幸せなことだ。たぶん僕はみんなと同じようには生きてゆけない。だけど、死ぬまで苦労する人生だとしても、それを不幸だとは想いたくない。生きることは楽しいと言えるように人生を歩いてゆきたいな。ささやかな幸せを大切だと想いながら。・・・きみがいれば・・・
2006年04月28日
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「希望をもてないものが、どうして追憶を慈しむことができるだろう。君との未来をなくしてしまったら、思い出は捨ててしまうべきなんだ。」君との思い出を振り返る。「あの頃の君はよく笑っていたな」とか、「あの頃の僕は怒ってばかりいたな」とか・・・昔を思い出しては今の自分を慰めていたりする。なぜ、過去を懐かしむのだろう?今の自分に希望があるから、昔を懐かしむことができるのかな?それとも・・・?時は流れてゆく。今は過去の結果として存在するし、未来は今を生きる希望として存在している。僕たちは、今を生きることしかできないけれど、過去と未来と無縁ではない。希望をもって過去を振り返ることができるのなら、君との想い出も愛しいものになるのだろう。世界は一度だけ創造されるものではなくて、僕が望めば何度でも創り直せるものなのかもしれない。視点を変えるだけで世界が変わるように、何かのきっかけですべてが違って見えてくる。それは、世界が創造し直されたからなのだ。新しい視点を獲得することで、世界は変えることができるんだよ。生まれ変わりたいと願うことで、それは叶えられるんだよ。勇気と希望があれば、世界だって創り直すことができるんだよ。そう考えれば、新しい自分になることもそんなに難しいことじゃないのかもしれない。
2006年03月18日
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<ヒロヤマガタ,ポスター販売>「オリンピックって何だろう?」選手や周りの人たち、スポンサーとマスコミ、国旗と国歌と国家、そして僕たちにとってのオリンピック・・・。色々な立場があって、簡単には言い表すことはできないだろうけれど、それに想いをはせずにはいられない。オリンピックには「期待」があって、その象徴としての「メダル」がある。期待が大きければ、それだけ失望も大きいのかもしれないけれど・・・。だけど、メダルにだけにこだわって、入賞することを軽々しくあつかうのはどうだろう?簡単に言って、世界で3人しか「メダル」はもらえない。入賞することさえ、とんでもない確率のような気がするのは間違っているだろうか。参加することさえ、簡単には叶わない夢ではなかったのか。現在のオリンピックでは、「アマチュアとプロ」の区別がない。日本代表という肩書きを持つことは、アマチュアでもプロでも、同様の期待と使命を背負わされてしまう。プロではない多くの選手たちは、競技をしながら食べていくことだけで、精一杯なのかもしれないのに・・・。親からの援助によって競技を続けている人たちも決して少なくないだろう。「これ以上迷惑は掛けられない・・・」そんな想いを胸に、頑張っている人たちも多いのだ。アルバイトをしたり、住み込みで働きながら競技生活を続けている人たちもいるだろう。競技生活をしているときはいいが、その後の人生をどうするというのだろう。オリンピックは、4年にいちどのお祭りだ。その栄光の裏には、影もあるに違いない。「最後には、ここで何が起こったのか?ということは忘れ去られてしまうのだろう。・・・記録しか残らない・・・それが残念でたまらない。」
2006年03月02日
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<MSN-Mainichi Daily News Photo Specials>オリンピックの放送を見ていると、ライブの放送とニュースで流れる映像とのギャップに時々驚かされることがある。ニュースの映像が作られたものであることは、当然知ってはいるのだけれど、こんな風に加工された映像ばかり見せられていると、本当に何を信じていいのか分からなくなる。そんな時に、この写真のことを教えられた。NHKのライブ映像を見ていた人たちは、皆さんご存知だろうけれども、荒川選手に金メダルが授与された後、突然、式の模様が写されなくなる。どうしてなのか?分からないままに、荒川選手のインタビューが行われるまで不自然な時間が流れてゆく。遠くで観客の歓声が聞こえる。つまり、そういうことだったのだ。表彰式を終えた選手達が、リンクをウィニングランした時に、荒川選手は観客から日の丸の旗を受け取ったらしい。そして、よく見る映像のように、国旗を掲げてウィニングランを行ったのだ。そして、僕たちがその映像を見ることができなかったのは・・・なぜ?とても不思議な話である。
2006年02月27日
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<JOC - 日本オリンピック委員会>「自分のいちばん好きなことを見つけて、それを楽しむことが人生の目的なんだ。」好きなことや得意なことは、大切にしなくてはならない。そして、簡単にあきらめたり、軽く考えたりしてはいけないんだ。なぜなら、何がやりたいのか分からない人も多いのだから。やりたいことがやれることの幸せを忘れてはいけないのだ。「やりたいけれど出来ないのか、出来るけれどもやりたくないのか。」他人から言われたことをやるだけの人生なんてつまらないよね。面倒なことは極力避けて、適当に周りに合わせながら生きることなんて窮屈だよね。自分をコントロールしながら、本音と建前のバランスをとってきたんだ。だけど、自分が本当に望んだことはちゃんとやれたのだろうか?やりたかったことも、言い訳ばかりを並べていた。出来ることも、やりたくないと逃げていた。それは自分と向かい合うことを、ちゃんとしないで生きてきたということなのだろう。出来ることと、やりたいことを一致させることができたらいいね。自分を知り、自分の能力をうまく使うことができたら幸せだね。そうすれば、生きることがもっと楽しくなったのかもしれない。すべては夢をもつことからはじまる。「オリンピックのメダルは長い間の夢だったけれど、生涯かなわなくても後悔はしない。それがスポーツの美しさなのだから。」 ミシェル・クワン
2006年02月16日
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「例えば、何年も掛けてやってきたことが無駄になってしまうとしたら?・・・あなたはどう想うだろう?」今までの努力は何だったのか?誰もがそう感じることだろう。しかし、嘆いたり、自棄になったりすることはない。誰もが、正しい階段を選択して上っている訳ではない。誰もが、迷いながら様々な階段を何度も上ったり下りたりしているのだ。そのことを知らなければならない。間違えたことに気がついたとき、潔くその場から降りられるようになりたいものだ。それが、誠実という言葉の意味を知ることなのだろう。「成長とは何だろう?それは言い換えれば自分を捨てる勇気なのだ。」人間は成長するために、本を読んだり、セミナーを受けたり、何かを得ることによって大きくなろうと考える。しかし、それは間違った階段を上っているのかもしれない。少しばかりの知識やスキルを身につけたとしても、どれほどのタメになるのだろう。「知識を増やすこと・スキルアップをする事」と、本当の成長とは違うのではないだろうか。おそらく学校の成績が良かった人たちほど、真剣に進路について悩んだりすることがないのだろう。なぜなら、成績が良い人たちは自分の思い通りの所に入学できるのだから、迷ったり悩んだりする必要がないのだ。さらに優秀な人であれば、自分が希望する未来をも選ぶ事ができるだろう。 そうやって優秀な人たちは将来を確定させ、「考える癖」が身につかない環境を選んでいくのかもしれない。 「考えなくてもやってこれた人生は、本当に楽しかったのだろうか?」本来、自分の人生というものは日々考えるべきであって、前向きに考えれば考えるほど人として成長するものである。自分の人生について考えなくなった人は、進歩が止まってしまうのかもしれない。 「常に現実を観察し、考え続けているか?生きている限り、成長し続けているか?何が真実かを、見出し続けているか?」一人一人が、自己を向上するように努力することで、世界は発展してゆく。だから、僕たちは自分自身を大切にすることと、それと同時に、他人を大切にすることを努力しなければならない。人類の願いをかなえるためには、それができるかどうかなのだから。他人とともに生きているという関係性を自覚することだ。一人一人が「他人のために何ができるのか」と自分に問うことだ。成長するとは、自己の拡大なのだから。「自分のことしか考えることができないヒトから、他人のことも考えることができる人間へと自己を拡大すること。」それが試されているのだ。
2006年02月11日
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【楽天市場】アート ポスター Saturday Afternoon:アズポスター子どもの頃は、自分が世界の中心にいるような気持ちがしたものだ。でもそれはいつのことだったのだろう?「お前は世界の中心にはいないのだ。お前が中心だと思っていた所は、実は世界の隅っこだったんだよ。」そんなふうにバカにされたと感じたのは。僕は間違っていたのかもしれない。僕はバカだったのかもしれない。世界の片隅で、自分が王様であるかのように想っていた。世界の片隅で、自分が中心なのだと想っていた。僕はすごく恥ずかしくなって、そして、惨めになった。でも、年を取って想うんだけど、僕はやっぱり世界の中心に居たんじゃなかったのかな?それも、ずっと変わらずに。僕はずっと同じ場所に立っていたんだけど、自分で勝手にココは世界の片隅なんだって、想っていただけなのかもしれない。つまり視点がズレていただけなのさ。つまり、信じる心を無くしていただけなのさ。そんなふうに考えていたら、少しだけココロが軽くなるような気がした。
2006年02月07日
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「プライドと偏見」公式HP「女性への最高の贈り物は、彼女に百パーセントの注意を向けることである」僕たちは、自分に関心を寄せてくれる人に関心を持つものである。だから、人から好かれるためには、自分からその人を好きになることなんだ。幸せになるためには、まず相手を幸せにしようとすることが大切なんだよ。自分は何もしないで、相手にはしてほしいというのは、「自分のことにしか関心がない」ということなのだ。自分がしてほしいことを、相手にしてあげることができるならば、すべては変わってゆくだろう。「顔じゃないよ!心だよ!」とよく言いますが、キーラ・ナイトレイは本当に綺麗ですね。監督はあまりに美しいので、主役にはしないつもりだったそうです。(笑)心がキレイな人はみんな、「いい顔」をしています。その反対に、どんなに顔立ちがキレイでも、まったく魅力を感じない人がいます。その秘密は、笑顔です。内面から滲み出てくる綺麗さです。顔立ちとは関係なく、人の心をとらえるのは表情です。「演技で美人になることはできる」と、ある女優さんは言いました。確かにその通りだと思います。例えば、「理想の男性」というのも、演じる以外に存在することは叶わないでしょう。仕事ができて、みんなから信頼されて、顔もいい男性が、フリーでいることが既に矛盾しています。そんな「いい男」を、世の女性がほおって置くと思いますか?(笑)何かをきっかけにある女性との友情が芽生えて、信頼関係が出来上がるとします。彼は、その信頼関係を壊したくないという理由で、なかなか女性と肉体関係を持つことができません。しかし、そういう状況の中で、少しずつ互いのカラダを寄り添いあいたいという欲求が高まってきます。そうして深い関係になってゆくというストーリーはとてもロマンティクですけど・・・。女性をその気にさせるためには、ひとつひとつの行為が、女性を愛しているからなのだと分かってもらわなければなりません。いたわっていることが手に取るように分かってもらう必要があります。だから、本当は、ヒロインはとびっきりの美女でないほうがいいのです。ある平凡な女性の「心の美しさ」に気づいて、エリートのいい男が彼女を好きになってゆく。そして、色々な障害があって、それを二人で乗り越えてゆく。その間に、女性はどんどん美しくなって、魅力的になってゆく・・・そんなシンデレラストーリーが必要なのでしょう。そんなストーリーがあって、さらにロマンティクなキスシーンがあって、女性はその気になるのではないでしょうか。(笑)
2005年12月13日
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【楽天市場】Chagallシャガール:ニューヨークアートポスター誰かの言葉にひどく傷つき落ち込むとき一人ぼっちでいることに耐えられなくなるときTVの中の少年は暗い眼をして僕を見てる年老いた母親たちが亡くなった子どもを探している声を失くした子どもたちが見えない父親を呼んでいる遠くの国で僕は涙を流すことしかできないのかな今ここに届いた君からの贈りものやっと気づけた君からのメッセージ君の思いやりに気づいたときに涙が止まらないこんなにそばにいるのに言葉がつうじなかったねもう二度とわかり合えないと諦めたこともあったね何もかもが信じられないと叫んだ夜もあったよねどうか気づいて欲しいみえない贈りものがあることにこんなにも僕のまわりには愛があふれているきっとあなたのそばにも愛があふれているはずだこの世に生まれたときから誰もが愛されているみえないものがみえるようになるときにきっと分かるだろうこの胸の中にある贈りものにいつか気づくときがあるだろうどんなに君が愛されていたのかをどんなに素晴らしいプレゼントをもらっていたのかをいつか気づくときがくるだろう君のことばに涙が止まらないときそれは愛を感じていたんだということを
2005年11月28日
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【楽天市場】Chagallシャガール:ニューヨークアートポスター「どんなに他人から羨ましく想われようと、自分でその幸運を喜べなければ不幸なことだろう」僕たちは、他人の幸運を幸せなことだと想ってしまうけど・・・自分の幸運を、幸せなことだと感謝しているだろうか。いや、その前に、自分の幸運を幸運なことだと認識しているのだろうか。”あたりまえ”のことを自分の幸運と気がついて、感謝している人はどれくらいいるのだろうか。”あたりまえ”のことを”有り難い”と想って、喜んでいる人はどれだけいるのだろうか。日常生活は、刺激のない毎日である。平凡であることは、いつでも簡単に、どこへでもすぐに、何でも手に入るものだと勘違いさせる。そこでは、”あたりまえ”のことが、”有り難い”ことではない。”あたりまえ”のことが、”幸せ”ではない。自分の不幸に気がつくのならば、自分の幸運にも気がついてもよさそうなものだ。他人の幸運が羨ましいのならば、自分の幸運を数えてみたらいいのだ。「一生懸命に生きる」とは、ひとつの信念に命を懸けることなんだ。そんな覚悟もない人が、軽々しく言うことではない。”あたりまえ”の幸せに、気がつかない人が言うことではない。悪口は言わない、言い訳はしない。他人の批判はしない、批評もしない。そんなことさえ守れないで、何を”あたりまえ”というのだろう?他人のことを羨まない、他人の言葉に迷わない。自分の行動について反省することが大事であり、他人の言動を心にかけてはならない。何よりも自分の心を修めることが大切なことである。TVを消して、耳を塞いで、静寂を聴いてみよう。明かりを消して、眼を閉じて、暗闇を見つめてみよう。無駄口をやめて、口を噤んで、自分と話してみよう。この世界は、”大きな愛”で造られている。僕たちは、”大きな愛”で生かされている。”あたりまえ”のことを、心から喜ぶことだ。”あたりまえ”のことを、幸せなことだと気づくことだ。”あたりまえ”のことを、”有り難う御座います”と感謝することだ。
2005年10月16日
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「もしもこの世界に愛がなかったら、誰もが一人ぼっちで生きていかなきゃならない。」人間は孤独な存在なのだ。だけど、なぜだろう?生まれたばかりの子どもでさえ、無条件に人を愛せる力があるように見える。それはただの本能なのかもしれないが、母親を求めるかのように幼子は両手を空へ伸ばす。・・・それは何を掴もうとしているのだろう。愛の力で、僕たちは他人と連帯し、孤独から抜け出すことができる。そして、人が生きることの素晴らしさを感じることができる。孤独な存在である人間も、愛のあるところでは連帯的な存在になることができるのだろう。誰かと繋がり合うことも、わかり合うことも、可能になるのだ。心が挫けそうなときは、あなたが支えになってくれるのだ。愛のある場所では、きっと僕たちは寄り添いあって生きてゆけるのだから。
2005年09月20日
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<中田英寿オフィシャルホームページ>あなたが100人の人に微笑みかければ、100人の人の心が和むでしょう。あなたが100人の人の手を握れば、100人の人が温もりを感じるでしょう。あなたは何人の人に出会えるでしょうか?あなたと出会った人が、また誰かに愛を伝えてゆければいいと想うのです。マザー・テレサの言葉は、ちっぽけな個人の大きな可能性を教えてくれる。僕たちは、独りでは何も出来ないと諦めてしまう。でも、そんなことはないんだ。ひとりでも出来ることはある。マザー・テレサのような視点を僕たちみんなが持てるなら、可能性は無限になるのだ。自分の発言や行動に、どのくらいの影響力があるのだろう?そんなことを自分で意識することは、あまりないのかもしれない。だけど、自分の意志次第では非常に大きなものになる可能性はあるのだ。自分一人の行動が100人の人の心に暖かい影響を与えることも、冷たい気持ちにさせることも可能だからだ。世界に希望を与えるひとがいる。世界に絶望を教えるひとがいる。ひとりの人間の発言や行動は、それほど大きな影響力を行使できるものなのだ。そのことを僕たちは自覚するべきだ。”自分ひとりでは何も出来ない”と諦めることはない。”ひとりでもやるんだ!”という意志と勇気さえあれば、可能性は無限になるのだから。ひとりひとりの行動が、みんなの幸せへと繋がってゆくように。私はそういう人間になりたい。
2005年07月10日
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<電車男:公式HP>「勇気って、どこから出てくるんだろう」人を好きになることが・・・こんなにも・・・僕を不安にさせる。「一歩前へ、踏み出す勇気が欲しかった」想いを伝えるって・・・怖いね。「どうすれば、自信というものが持てるのだろう?こんな僕が、君を幸せにすることなんかできるのだろうか?」乗り越えられないコンプレックスに、逃げ出したくなったときもあった。「自分のことばかり気にしていたんだ」君のことが見えなくなっていた。思いやりが大切なんだって言いながら、自分のことばかり考えていた。「それでも、君が好きなんだ」やっと気づけたよ。そのまま全てを受け入れるということが、愛するということなんだね。「どうして、こんなに泣けるのかな?・・・ホントに・・・ありがとう・・・」誰かを応援する気持ちは、きっとみんなの元気になるんだね。僕は間違っていたんだ。「女は料理が上手じゃないとダメだ」とか、「スタイルの良くない女はダメだ」とか、「男を立てない女はダメだ」とか「浮気な女はダメだ」とか・・・そんなことばかり考えていました。それがどんなにバカな考えなのか、気がつきませんでした。そして今も、本当のところは分かっていないと思うのです。”男の勝手な思い込み”というものが、まだまだ多いです。そこには、人間に対する”思いやり”が欠落しています。相手の欠点を愛するという寛容さがないのです。運命とは、偶然ではなくて必然です。なぜなら、ある運命に出会うということは、それ以前に、自分がそれを創っているからです。毎日の積み重ねが、自分の運命を創ってゆくんです。運命とは、自分が生まれた時からの歩みで用意されるものなのでしょう。運命を受け入れて、自分の味方にすることが大切です。どんな運命だって、自分から生まれたものであることを知ることです。たとえ悲惨な運命であろうとも、自分の人生は好いものなのだと信じることです。なぜなら、自分だけのものがここにはあるから。自分の人生を好きになることです。生きているだけで素晴らしいと気づくことです。生まれてきた奇跡があり、生きのびてきた奇跡があり、そしてあなたと出会えた奇跡があるのだから。僕は心の中で、女性に色々なものを求めてきました。母親とか妹とか、きれいなお姉さんとか処女とか、淑女とか娼婦とか・・・(笑)でも、誰かにそんなことを求めるのは間違っているよね。あなたはあなたであって、他の誰でもない。そのままのあなたを僕は愛することができるのだから。
2005年06月29日
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しばらく会わないうちに きれいになったね いつの間に そんな顔をするようになったのだろう?気づかないふりをしたけど もう僕の名前を呼ばないんだね笑顔のままで さよならを言った心を隠すことばかり上手くなってゆくのは大人になったということなのかな?「もう会えない」という言葉に 胸が苦しくなる会いたい気持ちを こころの奥に仕舞い込むのさすべてがいつかきっと 想い出に変わるからもう二度と抱きしめることができない人たち。もう二度と出逢うことができない光と風と想い出たち。そのことを想うと切なさがこみ上げてくるね。そこには眩しいほどの笑顔や涙、そして決して取り戻すことのできないものがあった。大切なものに気づいていても、なにも言えなかったね。大切なものに気づいていても、なにも出来なかったね。誰もが通り過ぎる青春の日々に、残してきた想いがある。忘れられない風景がある。“もう二度と取り戻せないもの”は、きっと無くなってしまうのではなくて、永遠になるのかもしれない。「いつまでも・・・忘れないよ」そっと心の中でつぶやいてみる。もう二度と取り戻せない・・・かけがえのないものたちを・・・永遠に抱きしめて。失ってゆくだけの日々だけど・・・忘れたくない大切なもののために・・・。
2005年06月26日
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<Shall we Dance? ~シャル・ウィ・ダンス?~>「エチュード・・・なりたい自分になるために・・・」そこに集まる人たちは・・・みんな風変わりな面を持っていて、独自の素敵な小さな世界を作っている。そこには偽りのない仲間意識があり、同時に他人を受け入れることもできる。そこにいるのはみんな・・・かつては夢を持っていたけれど・・・やがて夢は叶うと信じられなくなったり、途中で挫折したりした人たちだ。そして彼らは、映画の中で、もう一度それぞれの夢と向き合う。僕はけっこう気が短かったりする。普段はあんまり人に見せないけれど、本当は、短気で怒りっぽいのである。ひとづきあいの苦手な人というのは、きっと結論を急ぎすぎてしまうのだろう。他人が自分の敵か味方かという風に、すぐにはっきりさせようとしてしまうのだろう。「傷つくぐらいなら、はじめから拒絶してしまえばいい」という考えがあるけれど、他人と心を通わせるには時間が必要なのです。どんなに社交的な人でも、時間をかけずに他人とうち解けあうことなんか不可能なんです。せっかちになるあまり、そんな事も忘れてしまうんだね。人間はひとりでは生きられないと言われるように、他人の存在が必要になります。生きるために他人に依存させてもらっているという、謙虚さを忘れてはならないのです。どこの社会に属するのかは、自分で選べるでしょう。「自分はこんなところにいるべき人間ではない」と思うこともあるでしょう。だけど、愛される人は、愛する努力をしています。自分から他人を認め、つきあう努力をしています。他人に媚びず、いい人間関係を築き、幸せに生きる方法・・・そのためには、その技術を身に付けるだけの忍耐が必要なんだよ。まわりから拒絶されることを怖がるのは、「自分が愛されること」ばかりをせっかちに求めるからなんだ。他人から疎んじられる人というのは、「自分が認められること」ばかりを押し付けるからなんだ。自分から他人を認めようと思うこと。結果を急がないこと。ゆっくりと時間をかけて信頼関係を築くこと。・・・そんなことが大切なことなんだね・・・
2005年06月12日
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さくらは、毎年のように花を咲かせる。一年前も、一年後も、変わらないように花を咲かせる。人間だけが、過去の自分と今の自分とのギャップに、泣き笑いするのかもしれないね。自分の不幸に過敏になって、幸運を見逃すのかもしれないね。希望っていうのは、もしかすると”優しい嘘”なのかな。 きれいになりたいのなら、目標に向かって努力をする習慣をつくる。好きな人に愛されたいのなら、相手の幸せを考える習慣をつくる。自分を変えてみたいのなら、考え方を変える習慣をつくる。幸せになりたいのなら、幸せを感じる習慣をつくる。 習慣は自分でつくることができます。はじめは意識的に考えていきます。それを続けてゆけば、だんだんと慣れていくでしょう。習慣になってしまえば、自然にできるようになるでしょう。(笑)答えはすべて自分の中にあるのです。自分自身に深く聞いてみると良いのです。好きか嫌いか、はっきりさせてみるんです。宇宙には、僕らを導いてくれる「知恵」が存在しています。それを発見するために、自分の内面をよく見つめることなんです。自分の人生の夢がはっきりしていれば、きっと迷うことはないでしょう。(笑)
2005年06月05日
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<【楽天市場】額装付絵画おおた慶文>一年という月日が流れて、僕は何か変わっただろうか?確かに、色々と小さなことは、移り変わってゆく。だけど、あの日感じた・・・あの衝撃は・・・一体、何を書きたかったのだろう?何を伝えたかったのだろう?その答えは、まだ自分の中で眠っている。悲しみは、初恋のように色褪せてゆく。悲しみは、いつまでも続く迷路じゃない。それもまた、情けないような気もするけれど・・・「ご冥福をお祈りします」<長崎新聞ホームページ佐世保の小6女児同級生殺害>
2005年05月31日
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「"めぐみ" Re:確定しました!水原恵理さんが貴方を希望しましたのでメールを送らせて頂きました。『月100万円でどうですか?性に不自由したくないんです。お金に困らせませんから!返事期待してます。』簡単なプロフィールを載せます。32歳、不動産経営、T160・B86、DカップW59、88、写メ有。貴方に紹介する事を水原恵理さんに通知してあります。http://jellybean・・・貴方の登録(無料)確認後は水原恵理さんに貴方が登録をした事を通知するので、登録(無料)後は水原恵理さんから直接返事が来ます。その為サイトを通す必要はありません。あなた様はVIP会員になりましたので無料登録をしてお待ちください。http://jellybean・・・ 」どうして僕の所にこんなメールが来るのかな?僕が若くてカッコイイから?(笑)。。すみません。。つまんない冗談です。。(* ̄◇ ̄)ノ◆ レツドカードにゃ
2005年05月30日
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[大森真美 Re:無料クーポンです。] 「この度、あなた様を女性会員にセリをさせて頂きました。その結果、京子さんが164万円であなた様を落札致しましたのでご連絡する運びとなりました。あなた様はVIP会員(無料にて近隣女性にプロフ紹介)とさせて頂き、無料ポイント進呈致します。会員画面にてご確認下さい。【京子さんよりメッセージ】今連絡取れますか?出来れば今連絡先交換お願いしたいんです。写メ今撮ったばかりのあるから見て見て欲しいし、今からでも会いに行くよ♪※お受け取りはあなた様の意思確認後、落札額の50%【82万円】を京子さんよりお受け取りください。※落札女性に返事を出す事を条件にあなた様のポイントを【永久無制限】とさせて頂きます。※落札内容及び、落札金のお受け取りはこちらhttp://cuty・・・☆登録済みでしたらyahoo、exciteなどのフリーアドレスからでも登録できます。☆携帯をお持ちで無い場合は携帯番号は適当で構いません。」う~ん、すごいねぇ~!!!思わず・・・\(◎o◎)/!!!???僕を[164万円]でセリ落としたんだ!?頼みもしないのに・・・???一体、何の会員なんだろう???
2005年05月23日
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映画『あずみ2 Death or Love』僕は人間の感情というものが、とても恐ろしい。”怒りに我を忘れる”というものがあるが、そういう状態というのはとても恐ろしいような気がする。「超人ハルク」というアメリカの漫画と「ジキルとハイド」というイギリスの物語を思い出す。どちらも人間の恐ろしさを思わずにはいられない。時々感じる、割り切れない感情・・・それを考えてゆくと、あるひとつの妄想に辿り着く。「神になりたい?」そう僕は、全知全能になりたいんだ。怒りに目も眩むような・・・そんな感情に流される時・・・僕は、すべてを破壊したいと望むだろう。憎むべき人間を、世界を、滅ぼしてやりたいと想うだろう。もしも、そんなチカラがあったなら・・・神になれたなら・・・だから、僕にチカラを、人間にチカラを持たせてはいけないのだろう。もしも僕にチカラをくれるなら、アフガニスタンの人たちが幸せに暮らせるようにしてあげるのにな。もしも僕にチカラをくれるなら、アジアに吹く風が甘くて美味しい匂いがするようにしてあげるのにな。もしも僕にチカラをくれるなら、すべての人間に愛と平和をあげるのにな。そして、怒りの感情や悪い感情をすべてなくしてしまうのにな。「歴史は変わる。ずっと同じであるはずもないだろう。だから明日、この世界から戦争が無くなっても僕は驚きはしない。」
2005年04月20日
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< Wikipedia>この記事は、<精神世界の叡智>さんにトラックバックしています。「精神世界の叡智」さんの記事を読んで、「チョロネ・プロジェクト」のことを知った。なぜか心に引っかかって離れない。まるで針でも刺さったかのようだ。正直に言って、アフガンがどこにあるのかも、よく知らない。どういう国なのかも、よく知らない。その国の歴史とか、民族とか、暮らしぶりとか、興味がなかった。僕はそういう人間なんだ。自分に関係ないことには、あまり関心を示さないようにしている。なぜなら、面倒くさいからだ。世の中には、知らないことがたくさんある。すべてを知ることなんて誰にも出来ないだろう。また、そんな情熱が僕にあるとは思えない。「楽天広場」の検索で”アフガニスタン”を調べたら、36件あった。中に<悠学日記>という興味深いヒトがいた。あんまり関るつもりはなかったのだけれど、なんだか気になってしまったのでココに書いておこう。だって、書くことはいつだって僕の慰めなのだから。「世界の半分は、言いたいことがあるのに言えないでいる人々で構成されている。あとの半分は、言いたいこともないのにしゃべり続けている人々である。」
2005年04月19日
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「禁煙は愛しものへの思いやり 優しくなれよ 素直になれよ」禁煙して半年が過ぎました。今ではすっかりタバコの煙が嫌いになりました。(^^)正直、タバコを吸っている人間達がバカに見えます。いつまでそんな馬鹿なことを続けてゆくつもりなのか・・・?まったく、自分がついこの間までタバコを吸っていたことなど忘れています。棚に上げて、知らないフリです。(笑)TVを見ても、タバコが画面に映ると嫌な気がします。「アタックNO1」を見ていたら、監督がタバコを吸っている!?と思ったら、葉巻でした。(笑)イヤ、笑い事ではなくて、きっと嫌な役どころを表現するために、わざと、ワザと吸っているのでしょう。そして、きっと後で禁煙するでしょう。(^^)マチガイナイ!?
2005年04月16日
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この世での成功とは何だろう?生きぬくことがこの世の最大の成功なのかもしれないもしもあの世があるのならばこの世に生まれる理由はここにあるのだから生きている意味とか目的とか考えても分からなかったんだ悩んだ日々もあったねだけどそんな意味や目的を探す必要はなかったんだ人生の意味や目的は自分で創るものだから自分が生きている限り自分の人生に意味を創り続けてゆくのだからだから意味のない人生はないのだろうだからこそすべての人の命は尊いのだろうそのことをもう一度考えたいと想う人生に意味があるのなら人の命を奪うことも・・・自分の命を絶つことも・・・できないだろう。長生きするかどうかは運命しだいだけど充実して生きられるかどうかは自分しだいなんだよね明日の自分を見るために僕は生きようと想うあなたが喜ぶのを見るために僕は生きようと想うそうして・・・すべてを許すことを学びたいと想うんだ
2005年03月21日
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<ジム・ダイン>想い出がこぼれて落ちてゆくね。名前を呼んでも、君はもう振り返らないだろう。想いかえせば泣きそうになるから、もう見ないよ。せっかく生まれた好きと言う気持ちを、何処に仕舞い込んでしまおうか。もしも好意を伝えたら、君は喜びを感じてくれるのかな?気持ちを伝えることが、恋の始まりになるのかな?寂しくなったときは、ここを離れて、自分の部屋のベットに寝転がって泣くんだよ。そして、次に君に会うときまでに少し時間をあけるということを学ぶんだ。「こっぴどくやられた時は、撤退すべきなんだ。」振り返ってみれば、そんなルールを自分で持つべきだったね。そうすれば、もっと上手く立ち回る事だってできただろうに・・・。それは恋じゃなかったんだ。・・・たぶん・・・男は過去を懐かしみ、女は未来を夢見る。「君のことが好きだったんだ」そんなことを言う男は、信用できないね。(笑)何かのかたちで区切りをつけてゆく。いつまで別れを惜しめばいいのか、わからないから。色んなことをしながら、ジタバタしながら、結局すべてを型にはめて安心するのかもしれない。そして「ここまでにしておきましょうか」とするわけだ。若いときって「別れ」というものを、わけのわからないものとして逃げてしまう。だから、「別れ」の意味を深いところで分かっていないのかもしれない。「別れ」というものを軽く考えていると、思い出というものが浅くなるのかもしれないな。失ったものに目を向けたほうが良いのか、得たものに目を向けたほうが良いのか。どういう現実が僕を向かえようと、そのことが及ぼした両方向の作用をしっかりと受け止めよう。きみは確かに僕の前に居たんだ。それを未来に生かそうとすることが大切なんだろう。さようなら。
2005年03月08日
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「いくらあれば映画はできるの?」「3500万円です」スペシャルオリンピックスの認知度を高めたいと考える細川佳代子さんは、映画を作りたいと小栗監督に提案した。しかし、映画を作るのはお金だけじゃなく色々と大変なのだ・・・。出会いは人生を変えてゆくだろう。いい出会いをするためには、いろんな人とたくさん出会わなければいけないわけだ。効率よく質の高い人に会って、友だちになりたいって思ってもうまくは行かないだろう。量をこなすことで人を見る目を養い、自分のキャパを広げて行くことだ。そうすることで、きっと良い出会いに出あえるのかもしれない。「あんなヤツ見たことない」って言う人がいますが、あなたはどれだけの人を見たというのでしょう?初めて会うタイプの人を否定するのではなくて、受け入れることで自分のキャパを広げることができるのでしょう。きっと、人格者とか大物って言われる人は、人を受け入れるキャパが大きい人のことを言うのでしょうね。地球上にいる何十億人の中で、この時、この場を共有するのは奇跡に近い出会いです。その出会いを活かすためには、一言だけでも、挨拶だけでも、有難いと想うことです。それが運命を変える出会いというものでしょう。「訳も分からない欲望のために、一生を捧げる人達が居る」それを笑う人間は、自分の人生を傍観者として過ごすのでしょうか? 「達成するかどうかもわからないものに人生は賭けられない」そう思う人は、自分の人生の主役にはなれないのでしょう。夢を追い続けるには、それなりの覚悟と力が必要です。自分を賭けることでそういうものが出てくるのだろうから、限界とか考えていたら何もできないだろうという気がします。「自分の人生は、自分の意志で生きる!」そういう決意から生まれるのだと想います。自分の何を大切にするのか。そこに自分の人生に対する可能性があるのでしょうね。
2005年02月26日
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<誰も知らない・公式HP>誰も知らない誰も気づかないちいさな命ちいさな出来事手をつなごうよ寄り添ってゆこうよ生きのこった子どもたちいのちのような子どもたち「人間は社会的な動物である」家から出て、学校へ行き、友達を作り、社会性を獲得して、大人になってゆく。そこに、「家庭」というシェルターがある。そこから出て、そこに戻る必要があるだろう。しかしいつまでも、シェルターにいる訳にはいかない。また、帰るべき「家庭」が無くなってしまうのも、途方にくれてしまう話である。 人間にとっての「社会性」という問題。「家庭」と「引きこもり」の問題。僕たちはどう考えてゆけばいいのだろう?「障害」という言葉に、とても引っかかってしまう。小学校の頃「障害物競走」というものがあった。走路に種々の障害物を置き、それらを越えて速さを競う競技。(オリンピックでは、距離3000メートルの間に28個の障害物と7個の水濠(すいごう)を設置して行うそうだ。)跳び箱や一本橋や網くぐりなどを乗り越えて、ゴールを目指す。それはヒトが生きることにも似ているのだろうか?家族であれば、子どもを励まし、子どもと共に学ぶ姿勢があったら良いだろうな。 家族であれば、当たり前のこととして、誕生日にはお祝いをして、互いのことについて感心を持っていて、いつだってちゃんと見ていてあげたいな。家族であれば、共に手を取り合い、共に幸福を分かち合うという気持ちがあったらいいな。・・・そんな愛に満ちた家なら良いね。「家庭に愛が必要であるように、社会にも愛が必要である。愛のない家庭。愛のない社会。愛のない世界に住むものは不幸である。」自分の不幸を知ることだ。誰にも優しく出来ない。誰にも与えることが出来ない。誰にも挨拶することができない。誰の誕生日も祝えない。そんな自分の不幸を知ることだ。
2005年02月24日
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~ジョゼと虎と魚たち~公式HP愛というのは どれだけ多くのものを与えたかではなくそこにどれだけの思いやりが注がれたのかということなのですいちばん必要なことは他人に対する思いやりなのです小さな思いやりを実行することでどれだけの人が救われることでしょう少しずつ小さな思いやりを積み重ねてゆくことですものを分け与えるのではなく人を想う気持ちを示してゆくことですそれが思いやりというものなんです他人に対する思いやりがみんなの心に生まれる時・・・はじめて世界に愛と平和が訪れるでしょうマザー・テレサの言葉より
2005年02月23日
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「TWO RED HEARTS」 JIM DINE(ジム・ダイン)アートのことならアンシャンテへ!「愛とSEX」男はみんなセックスが好きだ。それはきっと遺伝子の所為なんだろう。赤ちゃんからお年寄りの方まで、男はみんな女性が大好きだ。それはやっぱり、遺伝子の所為なんだろう。女の人は、いいにおいがして、やわらかくて、すべてを受け入れてくれるような気がする。それはきっと、母親のイメージなんだろう。だから男はマザコンで、女性が大好きで、Hが大好きなんだ。そういうものじゃないのかな?人生において疑問を持つことは重要である。なぜ生まれてきたのか?なぜ男と女がいるのか?何のために生きているのか?なぜSEXしたいと思うのか?ほとんどの人は、そんなこと深く考えずに日々を暮らしているのかもしれない。考えることに意味がないと思っている人もいるだろう。そんなことを考えてもしようがないという人もいるだろう。しかし、これらの日常的な現象の意味を考えることが、本当は一番重要なことなのかもしれないのである。なぜ恋をするのか?その答えは何百通りもあるだろう。その数多くの答えの中からどれを選択するのかによって、人生における恋愛の価値は変わってゆく。つらい恋が楽しくなり、つまらない恋が人生を賭けるに値するものになる。つまり恋愛の価値や人生の充実感というものは、置かれた状況ではなく、自分自身の意味づけによって作り上げられているのだ。目に見える現実はひとつだけ。しかし、その意味は無限に存在する。その無限に存在する意味の中から何を選択するのかによって、人生そのものの価値は自分の中で激変する。つまらない人生か、それとも価値のある人生なのか。選んでいるのは神様ではなく自分自身なのである。恋をすると、つまらないことで悩んでは立ち往生することが多い。あれこれ考えるけれども、どうも具体的に考えているわけではなく、ただ時間を無駄に使っているだけのような気がする。また恋の不安とか言うけれど、具体的な不安があるわけではなく、得体の知れない不安を抱え込んでいるだけということが多いようだ。恋愛はもちろん日常生活に「面倒臭い」と言う言葉が入り込むと、どんどん人間は堕落してゆくようだ。恋はもちろん、対人関係のあらゆる事に鈍感になってゆく。しかも怖いことに誰も注意してはくれないから自覚症状がないまま、あっと言う間にだらしなくなってゆく。何でもお金で買えるけど、お金じゃ買えないものもある。何でも一人で出来るけど、一人じゃ出来ないこともある。世界平和も、家族も、SEXも・・・?「あなたのために何かをやっているときが、いちばん幸せなんだ。だから、あなたのために何かをしてゆきたい。たとえあなたが何をしていても、それをしているあなたを僕は愛してゆく。」「求めた幸せは、なかなか手に入らないけれど・・・ふう~(ため息)・・・今を生きる幸せは、いつだって感じることができるはずだ。そう、愛しい人を想いうかべるだけで・・・。」「愛してる」その言葉だけ特別で すべてを許すもとになるんだ
2005年02月16日
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移ろいゆく季節のなかで僕たちも・・・うつりかわってゆく「ヒトトコロニハ、トドマレナイカラ」あの日・・・サクラの木々だけが僕たちを見ていたね「恋が実るときには、必ず、そのことのほかには何も考えられない!という偏執狂的な状況があるものだ。」僕たちは、中途半端に恋愛をしている。この人しかいない!と、想うことが出来ないでいる。どうかすると、失敗した時の言い訳なんか考えながら口説いている。何もかも捨てて、「死に物狂い」にならない限り、何も成し遂げられはしないだろうと想いながら。 パラノイアとは、あるものに非常に強くこだわる状態だ。何かに狂うということは、その何か以外は、まるで眼中にないという状態だ。余計なものは全部捨ててしまわなければならない。自分なんか捨ててしまわなければならない。でなければ、恋は実らないということだ。自分を捨ててでも成し遂げたいと思うものを見つけたら・・・きっと幸せな人生なんだろう。「恋愛においては、恋したふりをする人のほうが・・・本当に恋している人よりも、ずっとうまく成功する。」好きだけど、嫌い。嫌いだけど、好き。相反する感情が同時に存在する。これをアンビバレント(両価性)な感情という。例えば、大好きなのに・・・だいっ嫌い!大好きだから・・・ケンカしてしまう。「殺してやりたい」と思うほど、憎らしく思う。でも、やっぱり愛しているので仲直りして、何とかやっている。そんな関係を経験したことはありませんか?「可愛さあまって憎さ百倍」とも言いますね。愛憎とは表裏一体のものなんだろう。考えてみれば、全部好き!とか、全部嫌い!ということのほうが、有難しなのかもしれない。ケンカすることが苦手な僕は、きっと愛することも不器用なんだろう。「恋の悩みほど甘いものはなく、恋の嘆きほど楽しいものはなく、恋の苦しみほど嬉しいものはなく、恋に死ぬほど幸福なことはない。」
2005年02月07日
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大河ドラマ「義経」公式HP「自分は親に愛されていない」と想ったことはありませんか?愛されるということは、人間にとって大きな喜びのひとつでしょう。だけど、幸せっていうのは決してひとつだけではないはずです。親に愛されていないと不満をもつ人は、「親は子どもを愛するべきである」という想いに執着しているのかもしれません。でも、「親が子どもを愛すること」は、当たり前のことなのでしょうか?それは、「幸福な家庭」という幻想なのではないでしょうか?「家族は愛し合い、温かい家庭を築く努力をしなければならない」そんな幻想にしがみ付いて、自分なりの幸せを見失っているのかもしれません。「自分にとって大切なことは何か」をよく考えることです。誰かに対して怒りや不満を抱いたとき、何に対して自分は怒っているのか?ということを良く考えることです。何としても、自分のことを愛するように仕向けるのか?何とかして、自分のいう事を聞かせようとするのか?執着したり、こだわったり、狂ったり・・・。人間って、いったい・・・?「失敗のうちに成功の芽が育ち、絶望のうちに希望の芽が育つ。失敗は成功の母であり、成功はまた失敗の母になる。」「無理だと思った瞬間に、進歩は止まる。不可能だと口にした途端に、未来はつまらないものになる。」
2005年02月06日
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***『きみに読む物語』オフィシャルサイト***「永遠の愛」という永遠のテーマ。始まりへと戻ってゆく旅路。・・・誰でも初恋を忘れない・・・何かを愛することなく、この世を生きてゆける人間などいないだろう。誰もが振り返り、“もしも・・・”と考えるだろう。燃え上がる激しい恋の情熱と、長い長い時間を超えて続く愛の伝説。そんな美しい話を君に読んであげたい。~失われた思い出~アルツハイマー病。自分がその病気にかかっていることを知ったとき、アリーは自分の人生と愛情の物語をノートに書きとめる決心をする。「彼は死ぬほどアリーを愛している」と初老の紳士は語りだす。彼女が現実から否応無く引き離されていこうとする時、彼は彼女が書きとめた物語を読んで聞かせる。そうすると、彼女に奇跡が起こる。そんなことはありえないと医者は言う。でもそうなんだ!彼が彼女を連れ戻してる・・・たとえ・・・わずかな瞬間であっても。若いときなら、思い出など大して重要ではないだろう。きっと人生はこれから始まるのだから。しかし年を重ねて人生も最後に差し掛かったら、・・・思い出だけが全てになるのかも・・・その人の大半を占めるものになるのかもしれない。だからアルツハイマー症は、思い出や経験を失くしてしまうだけではない。その人から全てを奪ってしまうことになるんだ。思い出こそ失くしたくない、この世で最も貴重なものかもしれないのに。誰の心のなかにも聖域(サンクチュアリ)が存在している。鮮烈な恋と、それが持ちうる奇跡のような力。過去から逃げないこと、自分自身と向かい合うこと。それこそが、たった一つの方法なのかもしれないんだ。「あなたにとって、いま、一番大切なものはなんでしょうか?」
2005年02月04日
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