
「 目覚めている時、あなたを喜んで賛美します
わたしの心を石にするほどの悲嘆ゆえに
この石を立てて、ベテル(神を拝する場)とします。
そして、私の悲しみのゆえに、
わたしの神よ、もっと、もっと、
あなたのみそばに行かせてください」
聖歌260 主よ、いよいよ
(邦訳では省略されているところ)
セーラー・F・アダムス
以前、ブログでもご紹介したことがあるのですが、改めて、その詩の素晴らしさに、本当にアーメンと感じさせられています。
わたしの心を石にするほどの悲嘆ゆえに この石を立てて、
ベテル(神を拝する場)とし、そして、悲しみのゆえに、
主の御許に引き寄せられることを慕い求めています。
全て主の憐れみ。十字架から流れてくる泉。
悲嘆にくれる中で知る主の憐れみは、どれほどに深いことでしょう。
語られる御言葉は、聞く者を、死からいのちへと移し、
イエスの信仰へと引き寄せ、 信じる喜びで満たしてくださる。
御霊によって恵みとして与えられたものを知らせてくださり
どんな些細なことの中にも、主の御手の動きを知る。
ただ主を知ることを切に求めよう。
すべてはここに導かれてゆく
「セーラーは1848年43歳の若さで世を去りました。結核で死亡した姉の看病をし続けたことが彼女の命を縮めたのです。」・・・(賛美歌・聖歌物語より抜粋)
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