カンボジア私記 01




 バンコクのカオサン通りにある旅行社へ、カンボジアまでの手配を頼みに行った。プノンペンまで飛行機で行くことを強く勧められた。「バスは危険だし、道が悪い。料金だってそんなに変わらないのよ」と旅行社のお姉ちゃんは言っていた。それなら飛行機にするか、と次の日の朝、バンコク空港からプノンペンまで飛んだ。




 プノンペンについたころには真っ暗になっていた。飛行機を降り、荷物のチェックカウンターの前に並んでいると、一人の日本人の女性が不安そうな顔で話しかけてきた。
「あの…カンボジアは何度か来ているんですか?」
「え?…これが初めてですけど」
 彼女はツアーではない旅行がほとんど初めての状態でこの国にやってきてしまったらしい。これからどうすれば良いのか不安で一杯のようだった。アンコールワットまで一緒に行ってくれないか、と頼まれる。しかし、彼女の泊まるホテルは僕には高級すぎ、しかもプノンペンからシェンブリアップまでは飛行機で行くのだという。ホテル代を半分払っても良いと言われたが、バンコクでは最低限のお金しかドルに買えていないし、トラベラーズ・チェックも予備のお金という程度しか持っていないので、とうてい一緒に行くことは無理だった。かわいそうだとは思ったけど、断るしかなかった。
 空港を出ると、彼女にはホテルから迎えの車が来ていた。今までとは緊張感のまるで違う国に一人取り残されたのは僕だったのだ。僕の乗った飛行機はプノンペンの最終便だったのだ。僕と同じようなバックパッカーがいないか辺りを見回しているうちに、何十人もいたはずの飛行機の乗客で残っているのは僕だけになっていた。気がつけばタクシーすらも残っているのは一台だけになっていた。その残っていたタクシーのおじさんが「もう私のタクシーに乗るしか街に行く方法はないんだよ」とあわれむように僕に告げた。
「そうか、わかったよ。じゃぁ街で一番安いホテルまで送っていってくれ」とタクシーに乗り込む。
 これほど真っ暗な街を車で走るのは初めてだった。建物がないわけじゃない。よぉく目をこらせば道のあちこちに人が居るのだけど、それは僕にとって不気味なだけだった。
 タクシーの中では運転手のおじさんがしきりに女を勧めてきた。「私の家に来れば、安くしますよ。女も連れてきてあげよう。12歳なんてのもいる…ヒヒヒヒ」。そんなに旅慣れているわけでもなく、不安で緊張の糸がピンピン張っている僕は早くホテルに連れて行ってもらいたかった。「女はいらないよ。疲れているんだ。早く眠りたい」と答える。それでもしきりに勧める運転手だったが、僕が話題を変えて「ここからシェンブリアップに明日行きたいんだけど、どうすれば良い?」と聞く。
「毎朝、川港からシェンブリアップまでのボートが出ていますよ。」
「そうか、じゃぁ明日の朝、その港まで送っていってくれない?ホテルまで迎えに来てほしいんだけど…。できるなら来る前にモーニングコールしてよ。朝、弱いんだ」
「わかりました。それじゃ、そうしましょう。」
 そんな会話をしているうちにやっとホテルに到着した。ホテルの高い天井のロビーに入る。電気の供給に規制でもあるのか、ロビーは薄暗いと言う表現以上に暗く、そこには5人くらいの若いカンボジア人が僕の顔を見て半ば驚いているようだった。客が来たことに驚いたのか、客が日本人だったから驚いたのか、まぁどちらともなんだろう。タクシーの運転手は僕が車を降りるとすぐに僕のバックパックを担いでホテルの受付を済ませてくれた。もちろん宿泊料金のことはしつこいくらいに、出来るだけ怖い顔をして、何度も確認する。「これ以上は、絶対に払わないからね」と念を押す。薄汚れた普段着のホテルマン(と言うのか?)が先に歩き、その後を僕の荷物を持った運転手、それに僕が続く。部屋は想像以上に広く、清潔だった。シャワーも温水が出るし、テレビもエアコンもついている。ロビーの薄暗さは何だったのか、と思うほどに部屋は明るい。運転手と明日の確認をして、二人が出ると同時に鍵を閉め、一人になって、ホッとする。まぁ、鍵なんかつけていたってこんなホテルじゃ意味がどれくらいあるのかわからない。それでも50%くらいは警戒した気持ちを解除してスプリングの軋むダブルのベットに倒れこんだ。




 朝、タクシーの運転手が迎えに来ていた。港へ向かうときの車中から見たプノンペンの街は、昨日はじめてみた時の印象とは違って、アジアのどこにでもありそうな活気のある明るい街だった。
 港につくと運転手は僕の代わりにチケットを買ってきて、隣接している料理屋へと僕を連れて行き、適当に朝食を頼んでくれた。食事をしながら物売りの子供たちが僕らのテーブルを囲んでくる。水でも買っておくかと、運転手に値段を尋ねると、「この子たちは高い値で売るからやめたほうが良い。ほしいなら私が買ってくるから」と僕に言い、その後おおきな声で子供たちに何か言って追い散らしていた。
 二度と会うことのないだろう運転手と別れ、細長い屋形船のようなボートに乗り込む。ぎゅうぎゅうに詰めても入りきらないほどの乗客を乗せ、平気な顔してポコポコと頼りないエンジン音を出しながらゆっくりと河岸を離れていった。
 船の中では自分のお尻ひとつ分のスペースを確保するのが精一杯だった。見渡してみるとカンボジア人(だと思う)が圧倒的に多いが、その中に西洋人もたくさん乗っている。だが、西洋人たちは狭い船内を嫌い次々に船の屋根の上に乗っていた。日本人も僕のほかに一人いたが、その人も屋根の上の人となった。みんなで屋根に乗るということはおそらくLonely Planetか何かのガイドブックに「屋根の上が快適」という風に書いてあるのだろう。
 バンコクで泊まっていた安宿に置いてあったLonely Planetの数年前のカンボジア編を読んでいたら、このプノンペンからシェンブリアップまでの船の旅は危険だから避けたほうが良いとあった。対岸からゲリラが船を狙って銃撃し、屋根の上に居た西洋人たちに死傷者が出たという話も聞いた。もっとも、じゃぁバスはどうなのかというと、これまた「バスで行くのは絶対に避けたほうが良い。道の脇の森からゲリラが襲撃してくることがある」と書いてあった。

 船から眺める湖岸の景色はゆったりとした農村が点々としていた。プノンペンを離れると、一気に戦争の気配が感じられなくなり、マレーシアやタイで見たのと同じ、平和そうな農村の風景があるだけだった。




 何時間乗っていたんだろう。とりあえずボートの木製のベンチに座っているとお尻が痛くなる程、その苦痛で永遠とも思えるような時間ボートに揺られた。乗っていたポンポン船は気がつくとエンジンを停め、たくさんの小さなボートが僕らのボートを取り巻いてガヤガヤと怒鳴り声が聞こえる。一瞬ハイジャックか?と思うほどその状況の意味がわからなかった。なにせボートの周りを見渡しても街があるような風景ではない。上の写真でわかるようにダダッ広い湿原の先には人家は一戸も見当たらない。
 ボートから荷物を持って外に出ると、なぁんとなく状況がわかってきた。乗っていたボートが街に近づけるのはココまでで、ココからは湿原用の小さなボートに乗って行かなくてはならないのだ。小さなボートにはシェンブリアップにある宿の従業員が乗っていて、「うちに泊まる人はこれに乗ってくれぇ!」と叫んでいる(ようだ)。
 窮屈なボートで何時間も座っていてとっても不機嫌になっていた僕は、ここで「ムムムム…」となる。いつもその街に着いてから宿を決める僕が予め宿なんか決めているわけがない。他の乗客はなんの戸惑いもなく次々に小さなボートに乗り移っていき、どんどん小さなボートが泥んこを巻き上げながら見えない岸に向かって走り出していく。残っている小さなボートの人と怒鳴り合いながら(船同士が離れている上にエンジン音がうるさいので)話してみると、宿が決まっていれば岸までのボート代は無料になるが、決まっていないと5ドル(くらいだったと思う)払わなければいけないとわかった。不機嫌な僕は、これを聞いて誰に向けるわけにもいかない怒りで一杯になった。なんでこれ以上のお金を払わなければいけないんだ!バンコクから飛行機で飛んできたのに、まったく快適ではないし、時間はバスの倍はかかっているし、かかるお金は何倍だかわからない。だまされた!バンコクの旅行会社に騙されたんだ!腹がたってしょうがなかった。
 ぼくが怒り顔で「もうこれ以上金は払いたくない!ただで乗せろ!」と小さなボートに乗っている人間に、カンボジア人からしたら訳のわからないことを怒鳴っていると、ツツツ…と別のボートが近づいてきて、中の一人が「Are you Hide?」と心配顔で話しかけてきた。え?なんで僕の名前を知ってるの? 「Yeah! I am Hide!」と怒鳴り返すと「いいからこっちに乗れ!」と言う。もう残っているボートは少ない、もう怒っているのもバカ丸出しなので、そのボートに乗り移った。
 とにもかくにも長い竿の先っぽにプロペラを取り付けた小さなボートはプロペラを泥んこの中に突っ込んでブルブルと動き出した。「お前は誰だ?なんで名前を知ってるんだ?」と僕の名前を呼んだ僕と同い年くらいの男に尋ねる。困ったような顔をして「聞いてないのか?プノンペンから電話があったんだよ。Hideっていう日本人が来る、って。僕はバイクタクシーをやってるナンチャラだ(名前忘れた:以下ナンチャラ)。」 あぁそうかプノンペンのタクシーの運ちゃんが連絡しといてくれたのだ。でも、もう警戒心で一杯の僕は「このボート代、Freeになるのか?」と聞くと、とっても困った顔をして「わかった、Freeでいいよ」と。
 その小さな泥舟は今までの遅れを取り戻さなきゃ!という感じでガンガン飛ばして先に出発した泥舟を猛追していく。水深の浅い泥地帯を強引に進んでいくため、浅瀬に乗り上げたり、プロペラに何かを絡ませたりして止まっている泥舟をヘッヘッへ!ざまぁみろ!という感じで抜いていく。15分も走るとやっと岸が見えてきた。結局、先に出ようが後から行こうが、岸に着くのは皆おなじ時間なのだ。
 岸に上がる。でも…なにもないんですけど? ナンチャラに聞いてみると「えぇと…街までは、ここからバイクに乗って15分くらいかかるんだよ…」と申し訳なさそうに、弁解するように答える。ここでまた僕はピンときたので、先制攻撃をしておく。「まさか又お金取るんじゃないよね?」。ますます困った顔を一瞬したナンチャラだったが、覚悟が出来たのか「Freeでいいよ」と。ホント迷惑な外人なのだ。




 ナンチャラは僕のバックパックを他の仲間に預ける。「自分で持つからいいよ」と断ると「大丈夫、彼は僕の友達だから心配することないよ」と。バックが心配だったが、疑ってばかりいるのも疲れるのでバックは預けることにした。そしてナンチャラが跨ったピカピカ真っ赤に光るYMAHAのスクーターの後ろに乗る。やさしい顔をしたナンチャラだが、バイクの運転はきつかった。ダートだろうが、穴ぼこだらけの舗装道だろうがお構いなしにガンガン走らせる(もちろんノーヘル)。バイク、特に原付スクーターの大嫌いな僕はうしろから「もっとゆっくり!もっとゆっくり!」と叫ぶが「わかったわかった」と言い返してくるだけでスピードは落ちない。

 途中スコールで20分くらい田んぼの中の東屋でカンボジア人の子供たちと一緒に雨宿りをした後にやっとシェンブリアップに着いた。ナンチャラに日本人のいない一番安い宿に連れて行ってくれ、と頼むと「日本人がいなくていいのか?」とうれしそうに聞き返し、一軒の宿に連れて行ってくれた。どうやらナンチャラの仲間がいつも客待ちをしているとこのようだった。一泊U.S. 3$、6畳の部屋に蚊帳のついたダブルベット。シャワーつきのトイレが部屋にあり、天井には今にも落ちてきそうな扇風機がブルブルと音をたてて回っている。カンボジアの物価はまだわかっていなかったけど、これで5ドルだったら高くはないだろう。床を蟹が歩いているのも悪くないね。一応一泊分のお金を払い、気に入ったら3泊することにした。




 翌日、さっそくナンチャラに頼んでアンコールワットへ行くことにした。チェックポイントで1日拝観料を払いバイクでアンコールワットを目指す。うっそうとした森の中の道を進んでいくとアンコールワットが見えてきた。大きい!日本のお城のように周りに堀をめぐらし、その中心には巨大な3塔をそびえさせたアンコールワットが視界の中いっぱいに広がってくる。いままでいろんな遺跡や世界遺産をみたことがあるけど、これほど感動したことはなかった。この気持ちはなんだったんだろう?アンコールワットが持つ長く、波乱に満ちた歴史によるのか、なんだかものすごく威厳があるような気がした。このまま直接アンコールワットの中に入ることができなかった。正面入り口に着く前にナンチャラに言ってバイクを停めてもらった。
(一日拝観料=U.S.20$ 高い!)




 え~と、この写真は僕ではありません。すっごい日本人顔でしょ?僕の知り合いに似ている人がいます。ナンチャラはよく日本人みたいだ、って言われるそうだ。ちなみに僕はナンチャラや、その友達に「カンボジア人みたいな顔している」とよく言われた。

 ワットの入り口でナンチャラは近にある土産屋兼食堂に昼寝をしに行き、ぼくは本堂へ向かって堀に架かる橋を渡っていった。ワット全体の大きさに比べて門は狭く、門をくぐると広大な境内(と言うのか?)が広がっている。なるほどぉ…これだけの敷地と四囲の堅固な構えだったらクメールルージュが立てこもっていたのもうなずける。寺というよりも本当に立派な城という感じだった。




 正面に聳え立つ本堂に向かって歩いていると、この寺にまつわる人たちの何かがビリビリと体に伝わってくるような気がした。僕に霊感はまったくない。霊のようなものではなく、この寺の歴史の重さのようなものを感じたのだ。こういうのを始めて感じた。別に劇的に書こうとしているのでなく、正直にそう思った。そして、ここに来る動機となった一ノ瀬泰造のことなどすっかりと忘れていたと思う。

 中心に立つ建物に足を踏み入れる。狭い回廊が闇をつくり、どこまでも続いているようだった。ここにはパンフレットもないし、案内人もなく、順路や説明板もまったくない。自分の感じるままに足を向ければよい。


© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: