読書日和 ~Topo di biblioteca~

読書日和 ~Topo di biblioteca~

2009年10月~12月に観た映画


2009年10月~12月に観た映画

 空気人形
 ヴィヨンの妻
 私の中のあなた
 サマー・ウォーズ
 サイドウェイズ
 風が強く吹いている
 イングロリアス・バスターズ
 マイケル・ジャクソン THIS IS IT
 ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない
 2012
 ニュー・ムーン トワイライト・サーガ
 パブリック・エネミーズ
 のだめカンタービレ最終楽章 前編
 ○○○○





空気人形

カラッポの体に心を満たした人形と、心を見失った体を持て余す人間たち。
心を持つってどうしてこんなに苦しいことなんだろう。

心を持った人形…はとてもファンタジックな存在だけれど、それって結局“人間”のことだよね。
「人形」が心を持つことはこんなに奇跡で刹那的なことに感じられるのに、
「人間」となると何だかとても情けない存在に思えるのはどうしてだろう。

誰かの代用品、身代わり。
寂しいから求めてしまうんだろうけど、それってすごく残酷な求め方だと思う。
卑怯だ。
そんなことをするくらいなら、一人でじっと耐える方がましだと思える。

自分の心でさえ重くて、重くて、持て余してしまうことがある。
そんなときはとても他者の気持ちまで思いやれない。「面倒…」と思ってしまう。
他の人にも自分と同じような心があるなんて想像出来なくなってしまう。
心が目に見えるものだったら良かったのに、なんて思う。
たとえば傷ついているとか、血が流れているとか、凍えているとか…。
言葉なんてなくても、伝えられたら、わかってもらえたらいいのにな…。


 *「空気人形」公式HPは→ こちら


人形が心を持つ。生まれたばかりの無垢な心で世界を体験する。
そんな非現実的な設定をとてもリアルなものとして感じさせてくれたペ・ドゥナさんの演技が素晴らしかった。

人形の目線で世界をとらえた映像も、淡く瑞々しくてとてもきれい。

心を持つってどういうことなんだろうっていっぱい考えさせられました。
生きていると楽しいことも、嬉しいことも、幸せだと感じることもいっぱいある。
だけど、いっそ心なんてない方が良かったって思うほど辛いこともある。

どうしてこんな風に苦しく感じるんだろう。
どうしたら寂しいと感じる気持ちが和らぐんだろう…そんなことを考えました。



ヴィヨンの妻

ずるい…のを通り越して、どうしようもない男の人だな、と思います。
ホントにどうしようもない。
「こんな人、私以外のいったい誰が許せるというのだろう…」なんていう風に
女を溺れさせる、まったくもって魔物のような存在としか言いようがないです。

柊ならば、こういう人とは絶対関わり合いたくないです。

無茶苦茶弱い。自分に甘い。他人にも甘える。「寂しい」と言ってすがりつく。
先に言っちゃったもん勝ちだなあ…なんて思います。

仕様がないなあなんて思ってしまえるのは、人間的な弱さを自分の内側にも認めてしまうから。
自分には建て前や恥ずかしさが先に立って言えないことをほろほろと言っちゃえるところに
羨ましさを感じてしまうからかしら。
「うん、私はそれをわかってあげられるよ。」と慣れ合いたくなるんだな、きっと。

転がり落ちるところまで落ちないと止まらない破滅思考を羨ましく思うだなんて。
あああ、しっかりしなければ!自分!

ずるいずるいずるいよ。
奥さんが、佐知さんが可哀想です。
佐知さんは多分自分自身を絶対そんな風には思わないだろうけれど…。



 *「ヴィヨンの妻」公式HPは→ こちら



私の中のあなた

観たらきっと泣く。
そう思って、観に行くのを躊躇してました。

実際泣きました。
いや、もう耐えられないって思いました。
とても平静ではいられなくて。
観ていられないと何度も思いました。

「もしも病気じゃなかったら…」とか、或いは「病気にかかったらからこそ…」とか、
そんな想像の範疇を超越してました。

上手く言えないけど、あるがままのことを徐々に受け入れていく、
そんな過程を描いた映画だと思いました。

最初は、ケイトの病気を。
ケイトの病気と闘っていく生活を。
そして最愛の家族の死、も。

家族一人一人が抱えている気持ちはどれも間違ってなんかいなくて、
むしろ痛々しくて、それでもすれ違ってしまう様を観ているのは苦しかったけど
だけどそのすれ違いすら、認めたくない現実を受け入れていくのに必要な過程だったのだと、観終わった今は思えます。

死を恐れる気持ち。
痛みから逃げ出したい気持ち。
何かしてあげたくても、自分には出来ないもどかしさ。
同じ痛みを経験した人とでなければ素直に寄り添えない心。

大画面いっぱいにとらえられた空、広く激しく波飛沫をあげる海岸線が映し出されたとき、
自然だけはどんなときも、何のわだかまりもなく自分の思いを受け入れてくれるんじゃないかと思いました。
受け入れられて、そしてそこに自分が溶けていく様を想像できるんじゃないかと思いました。

この映画で初めて母親役を演じたというキャメロン・ディアスですけど、
いや、とてもそんな風には思えませんでした。
なんていうか…母親そのもの。

アナの目線からすればもしかしたらものすごく鬼のように思われてしまう役どころ。
二人の娘の間に立ってすごくすごく苦しい状態に追い込まれて、
最後まで娘の死を受け入れることが出来ずにいる悲しい人。

これまでの、キャメロン・ディアスのイメージが一新したかも…。

悲しい映画ではあるけど、でも、前向きな気持ちになれる映画です。お薦め。

 *「私の中のあなた」公式HPは→ こちら

映画中に流れる音楽も良かったので、サウンド・トラックも聴いてみたいな。





サマー・ウォーズ

「仮想現実」「バーチャル」、なんて言葉が身近に聞かれるようになったのはいつからだろう…。
最初に強烈なインパクトを与えられたのは「マトリックス」かな。
それ以前かな。
「仮想現実世界」って一体なんなんだろうなー…と思いながら観ました。
ここまで「現実」に影響を及ぼすとなると、もはや「仮想」とは呼べないんじゃないか…なんて。



 *「サマー・ウォーズ」公式HPは→ こちら

SF…的な冒頭に最初ついていけるか不安でしたが、なかなか面白かったです。
一族の中心となる大黒柱がいて、行事には大勢の親戚が駆けつけて…
そういう“大家族”が懐かしく、ときに騒がしく、楽しく描かれていたからかもしれません。

栄おばあちゃんの声をあててらした富司純子さんの緩急、表情溢れる声の演技はさすがですね。
家族へ語りかける場面なんて、声を聞いているだけで何だかほろり、ときてしまいました。


(余談)
長野県上田市にあるという陣内家の巨大な日本家屋を観たとき、
「ここが岡山県だったら“犬神家の一族”的展開になりそう…」とつい、思ってしまいました。



サイドウェイズ

柊はまったくお酒の類が飲めないのですが、この映画を観ていたら
「ワイン位飲めるといいのになあ…味がわかるといいのになあ…」と思ってしまいました。

 *「サイドウェイズ」公式HPは→ こちら

オリジナル版は観ていませんし、機会があったらそちらも観てみたいと思いますが
日本人とワインという組み合わせをうまーく溶け合わせたこの映画は
オリジナル版を観るよりも親しみを感じるかも?…と思いました。

小日向文世さんのどこかぼうっとしててとぼけた味わいが妙に共感を誘います。

小日向さんと鈴木京香さんの組み合わせはどこかで観たような…
「ああ!重力ピエロだー!」とあとから気が付きました(笑)

男二人がワイナリーを旅して…というお話ですが、鈴木京香さん、菊地凛子さんの
ちょっと年の離れた友達関係にも好感が湧きました。

ワインの味がさっぱり見当つかないのが悔やまれる柊です…。



風が強く吹いている

もう、最初から最後まで走る、走る、走る…!
ずーっと走り抜いていく感じです。

原作では10人それぞれが抱え持っているエピソードなども盛り込まれているのですが、
そういったことの一つ一つには細かくふれず、とにかく走る姿で彼らの気持ちを伝えていこう!というストイックさを感じました。
とにかく「走る」ことに物語を凝縮させた印象を受けました。

原作、三浦しをんさんの文章からも登場人物の走ることに対する熱い気持ちが伝わってきて、
胸がじんとさせられたのですが、映画では走る息の熱さ、地面を蹴る足の強さが
画面からリアルに伝わってきてもっとびっくりです。

とにかく、走る、走る、走る…。
もう、どれだけ走るんだろう、どこまで行くんだろうというくらい。
“演じている”なんて全然感じられなかったです。

襷を繋ぐ、受け取る瞬間をとらえた映像なんて…なんて、なんてきれいなんだろうー!と思いました。

寛政大学の箱根駅伝を目指すメンバー10人のキャラクター…配役がぴったりあっていました。
それぞれが自分の区間を走り抜こうとする姿に目頭が熱くなりました。

それにしても、長距離走とはとても思えない、速いスピードで駆け抜けていく姿には驚きです。
その姿には確かに「速い」よりも「強い」という言葉が似合いますね…。

 *「風が強く吹いている」公式HPは→ こちら



原作をもう一度読み返したくなりました~
原作は文句なく傑作だけど、映画もまた素晴らしかったですっ!



イングロリアス・バスターズ

タランティーノ監督作品なれば観に行かなくてはなるまい!と張り切って出かけました。

…とはいえ<戦争映画(じゃなかったけど)>+<R-15指定>のハードルは高いのか
たくさん宣伝されていたわりには観客が少なくて寂しいような…。
(初日とはいえ平日、第一回目だしなー。どうだろ?)



 *「イングロリアス・バスターズ」公式HPは→ こちら

映画のためなら歴史の流れもひん曲げてしまうあくの強さは「ああやっぱりタランティーノ監督。」という感じでした。
「ぎえええ!?」と目をそむけたくなる場面もカットせずしっかり見せてくれるところも相変わらず。
だけど、終わってみると監督にしてはやけに「大人しかったなー」という印象です。

うーむ。何故?
テーマは「復讐」なんだけどショシャナの個人的な復讐から離れたエピソードが多くて
散漫になってしまったからかしら。
様々なエピソードを重ねてまとめ上げる編集力が監督の魅力の一つだと思うんだけど…?

全体としては薄味な印象だったけれど、一つ一つの場面やエピソードには印象的なものが多々ありました。

一つはクリストフ・ヴァルツが演じたランダ大佐のキャラクター。
ナチスドイツの将校を演じて印象強い人は多いと思うけどこの人もそこに数えられるようになるでしょうね!
様々な言語を使いこなし、隠れたユダヤ人やスパイを見抜いていく目の鋭さ。
そのずる賢さが次第に裏目に出ていく終盤は観ていて小気味良かったかも。

ドイツの将校を演じたダニエル・ブリュールと、ユダヤ人でナチへの復讐を企てる
ショシャナを演じたメラニー・ロランのやりとり。
ショシャナの気丈さが、常に美しくて…ずーっと観ていたい気持ちになりました。
ダニエル・ブリュール、こういう役柄では観たくなかった~と思いつつ
繊細さと傲慢さを併せ持つ二面性を持った人物を興味深く見せてくれました。
終盤のこの二人の展開、場面の一つ一つは忘れられない…。

二重スパイの女優ブリジットを演じたダイアン・クルーガー。
彼女の登場するシーンも常に美しかったです。
地下の酒場で情報を受け渡そうとする場面から、ずーっと引き寄せられっぱなし。
なので後半の展開には度肝を抜かれました。

そしてブラッド・ピット。
あくの強い役どころ…の筈だけど監督から脇役に至るまであくの強い人ばっかりなので
逆に目立てなかったかなーという印象も。
彼がナチスに対して行う残酷な行為は以前出演した映画「レジェンド・オブ・フォール」を
彷彿とさせるんだけど監督にはそういう意図があったのかしら?

監督の何処までもはっちゃけたこだわりをもっと見せてもらいたかったな~なんて思います。



マイケル・ジャクソン THIS IS IT

信じられない。
これだけたくさんの思いを込めて作り上げていたステージが、実際には公演されることなく
彼の死とともに、まったく別の世界に持っていかれてしまったなんて。

失われてしまってから気づいても遅い。
もうどんなことをしたって彼の才能に直に触れることなんて出来ないってこと。
それはなんて寂しいことだろう。

若い頃に、彼の音楽を聴いた。何度も耳にしたから、今だって耳に馴染んでる。
そういう風に自分に影響を与えた人が、亡くなったというニュースを聞くたび寂しくなる。

彼の歌じゃなく、醜聞ばかりが届いた時期があった。
こんな風に突然いなくなってしまうなら、その歌声と素晴らしいダンスだけに
目を向けていたかった。

ダンサー、コーラス、ミュージシャンたち…幻となってしまったステージだけど
彼らは今も彼の出す合図を待ち続けているような気がする。

彼が亡くなってからたくさん聴き返しているのは「You are not alone.」
一番慰められている曲です。



 *「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」公式HPは→ こちら




ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

働くってどういうことだろう…。
お金が必要だから。
それはそうなんだけど…働けるならどこでもいいのか!?

自分に何が出来るだろうとか、出来ないとか考えているうちに時間ばかりが過ぎていく。
自分はニートとなったことはないけれど、たとえ働いていたってぐるぐる悩んでいる内容は主人公と同じで何だか身につまされてしまう。

私は仕事に対して何を望んでいるんだろう。
うーむ。

仕事…というか職場って仕事内容より人間関係に左右されることの方が多い気がします。
仕事がきつくても、人に恵まれていると頑張って乗りきれたり。
逆に興味のある仕事でも人と合わないとしんどく思えたり。

ああ、上手くいかない。

「仕事が楽しいなんて言ってるやつは会社に給料を払え」とのたまう人がいた。
「きつくて、しんどいからお金をもらえるんだ。」と。
一理ある。それは正しいと思う。

だけど…一度きりしかない自分の人生。
自分の身をすり減らすばかりでなく、働くことでお金以外のものも得てみたい。

私も変わりたい。
いい方向へ変われるためならきっと頑張れるって思いたい。

 *「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」公式HPは→ こちら



2012

もしも地球規模の災害が起こったら…。
科学も宗教も何の役にも立たないーとしみじみ思いました。
「最後に何を生き残らせるかは自然が決める」という台詞がありましたが
まったくもってその通りだなあ~と。
一部の人間の思惑通りになんて進んでいくわけがない…。

 *「2012」公式HPは→ こちら

最初の地殻変動の場面を観て、
「ああ、自分ならこの時点で死んでいる…。」と思いました。
こんな風に世界が壊れてしまったら生き残る体力、気力、運のすべてを即放棄してしまうだろうな。
そう思わせられてしまう、ものすごい映像でした。
「死んでる。自分なら絶対死んでしまっている。」と何度思ったことか。

ありとあらゆる崩壊、パニックシーンが詰め込まれ、観終えた後はぐったりでした。

心臓に悪い…。いくらフィクションと思い込もうとしても2012年は目と鼻の先。
「本当にこんなことが起こってしまったらどうしよう~」と肝の小さい柊は思ってしまいます。
2012年マヤ文明の予言~と冒頭ありましたが、実際のところどういう予言の言葉なのでしょう?
知りたいような知りたくないような。

自分ひとりならどうでもよいけど、子供たち、家族のことを思うとそうも言っていられない。
うーん、自分ならどう行動するだろうか、行動できるだろうかとやっぱり考えてしまいます。

けれどけれど。
ローランド・エメリッヒ監督はやはり結末が甘い!と思う。

これだけ迫力とスペクタクルに満ち満ちた映像を撮っていても、
崩壊シーンで観客を怯えさせても、本当に本当に恐ろしいのは“人間”だと思うのです。
そういう場面を撮ってしまうと映画の主旨がずれてしまうので、そういう場面はあえて
避けたのだろうと思いますがどうしてもラスト、楽観的過ぎる印象が拭えない…。

「生き残りたい」と思う人間の利己的な部分ってあんなもんじゃないでしょう。
たとえ生き残れたとしても、食糧問題が勃発してさらに淘汰されていくでしょう。
様々な動植物の種を維持するのにはどれだけの個体数が必要になるか…。
映画のその後の展開を想像するだけでこちらはこんなに暗澹とした気持ちになってしまうのに…なんだかとっても違和感。

でも、それが救いなのかもしれないな。
監督の「希望」であり「優しさ」なのかもしれないなあ…。



ニュー・ムーン/トワイライト・サーガ

恋愛映画に惹かれない、浸れない自分を知っているにもかかわらず観に出かけたのは
ダコタ・ファニングが吸血鬼を演じる!と聞いたからです。

少女の姿のまま、永い時を吸血鬼として生きている…という設定に柊は弱いのです…。



 *「ニュー・ムーン/トワイライト・サーガ」公式HPは→ こちら

しかーし、この映画はやっぱり恋愛映画でした。(爆)
ダコタ・ファニングの出番はごくごくわずか…。
か、悲しい。もう少し彼女がどういう過去を生きてきたか、何を考えて生き延びてきたか見せてくれても良かったのにー。

ダコタ・ファニング、吸血鬼のメイクのせいもあるでしょうが、随分大人びて見えました。
もう、15歳(まだ15歳?)なんですねー。

彼女の役柄は続編に期待しよう…っと。ぐすん。

閑話休題。

吸血鬼にはやはりオオカミ男が切っても切れない縁があるのですね。
特異体質の人にばかり縁があるベラも可哀想…かな??

恋のチカラとはすごいなあ。
そこまで他人に依存してしまえるなんて恐ろしいことだと思います。
(それとも羨ましいのか。)
永遠なんて計り知れない時間を、ただ一人の人間に捧げるなんて
そんなに簡単に言ってしまっていいのだろうか。
相手の心変わりをちらとも疑わずに、「吸血鬼になりたい」なんて言っちゃえるところが怖いです。
(だから恋愛ものは苦手だ…)
人を狩る側に回るってことだぞ!?本当にいいのかー!?

ベラのお父さんがすごーく可哀想に思えてきました…。

第三部は来年公開予定。



パブリック・エネミーズ

人を愛し、仲間を大切に思う一方で犯罪に手を染め殺しもやる。
とても矛盾している行為のように思うのに…。
そのどちらの行動も感情も一人の人間のうちに存在し得るんだということがたまらなく不思議に思えます。

 *「パブリック・エネミーズ」公式HPは→ こちら

伝説のアウトロー…どういう主義を掲げていようともやっていることは「犯罪」に変わりないので感情移入することは出来ません。
(たとえ演じているのがジョニー・デップであろうとも!)
だけど後半、時代の流れや仲間の死、裏切り、密告に曝されていく様を見るのは辛いものがありました。
自分を支えていた運であるとか、人との繋がりがどんどん自分の元から離れていくのに虚しさを感じない人はいない気がする。

彼のような人に愛された女性は幸せだったでしょうか。不幸だったのでしょうか。
相手が犯罪者であると知った上で愛することができるかどうか、柊には想像できませんが
自分にだけ向けられる優しさとか気遣ってくれるしぐさに心惹かれる感じはわからなくもないです(笑)

それにしても…。
警察との攻防戦は犯罪者の逮捕というよりもはや殺し合いですね…。
銃を持つとはこういうことなのか…?と思いました。

犯罪者を追う側を演じたのはクリスチャン・ベイル。
軟派で大胆不敵な犯罪者を演じるジョニー・デップとは好対照をなす硬派な役どころ。
直接顔を合わせるシーンは一度しかなかったけれど、対照的な二人のイメージは
常に互いの存在を意識させてくれるものでした。

犯罪者を追う側とはいえ彼らもまた決してクリーンな存在じゃないところがミソかなあ。
内にどんな感情があるにせよ、表情を変えず犯人を射殺する場面は怖い。
逃げて背を向けている相手を撃つ、というのはどういうものなんだろう…。
殺した相手が犯罪者であっても、自分もまた人を殺したことのある人間というのはどういうんだろう。
そういう非情な役柄がクリスチャン・ベイルに良く似合っていたと思います。

「社会の敵」かあ…。
社会って誰のことを指していたんだろう。彼は誰にとっての敵だったんだろう。
なんとなく、そんなことを考えてしまう映画でした。



のだめカンタービレ 最終楽章 前編

・・・音が違う!

ドラマのときは我が家の小さな画面のテレビで観ていたせいもありますが。
映画館の音響設備の効果もあるでしょうが、なんていうか演奏の音がもうドラマ版とは違う。

パリでプロの指揮者として活動を始めた千秋と、留学しそこで一年学んできたのだめ。
それぞれが成長してきた音が、冒頭からちゃんと聴こえてきます。

音楽で気持ちがいっぱいになります。
場面ごとの選曲がうまいのでしょうが、登場人物の気持ちを代弁するほどに音が豊かです。
中盤、コンサートのシーンが続き、台詞がほとんどなかったりするのですが
音楽がそれをちゃんと伝えてくれます。…ああ、音楽って素晴らしい!

とはいえ、マルレオケの“ボロ”ボレロは異色で笑ってしまうのですが。
(通常のコンサートでは滅多に聴くことのできない演奏だと思います…。)

前編では千秋のマルレオケでの奮闘ぶりが中心に描かれるために
のだめのピアノがあまり聴かれないのが残念です。
だけど、千秋の奮闘が後半、のだめの音楽をひっぱりあげていくのだから
後編がすごーくすごーく楽しみです。待ち遠しいです。

映画を観る前に原作全23巻ぶっ通して読み返しましたが、のだめが最後にどんなピアノを
聴かせてくれるのか、本当に楽しみで仕方ありません。

のだめの演奏をイメージしてみたくて、ショパンのピアノ協奏曲第一番ばかり
最近は聴いています。
“奔放”というイメージからアルゲリッチのピアノ演奏を選んでみたのですが…
ああ、早く聴いてみたいなあ。

映画版のだめは、ドラマより音楽、演奏重視になっていると思います。
のだめの変態ぶりがもっと観たい気もしますが、音楽の道はなかなか険しそうで。
真剣に音楽に向き合えば向き合うほど苦しい壁にぶつかってしまう、そんな
のだめの姿を観るのは可哀想だったりもするのですが、柊も千秋同様、
その壁を乗り越えたときののだめの演奏を聴いてみたくて仕方がないのです。



時間の関係上、映画ではその曲の一番盛り上がるところなど抜粋されてしまうのが残念。
選ばれて演奏されている曲を、それぞれちゃんと通して聴いてみたいです。

 *映画の公式HPは→ こちら








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