hikaliの部屋

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June 4, 2007
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 わたしがお気に入りにしているCDアルバムは、けっこう聞き込んだものが多い。
 あんまり人が知らないマイナーアーティストが多い。
 たとえば、Sing Like Talking。
 ファンの方なら、
「マイナーというな(笑)!」
 と怒られそうなのだけど、ほとんど多数の人々が聞いたこともなく、名前をやっと知っているアーティストではないだろう。
 わたしはかなり昔から、Sing Like Talkingを聞いているから分かるのだけど、このグループは、とにかく頻繁に音楽性を変える。

 HumanityでSing Like Talkingらしさを確立した後、  Togetherness でジャズフュージョンに大変換、続く Discovery Welcome To Another World でパンクっぽくなる。
 たぶん、HumanityのSing Like Talkingが好きなファンはついて行けなかっただろう。
 その後、 METABOLISM と続き、 RENASCENCE が最新である。

 わたしは、Sing Like Talkingを最新作を聞くとき、そのアルバムを嫌いになることを覚悟する。
 とにかくまったく受け付けないのである。
 こんなのSing Like Talkingじゃない! と喉元まで文句が出かけて、わたしは慌てて飲み込む。
 これはずっとこれまでそうだったのだ。
 そしてもう諦めて、20回ぐらいぶっ続けで聞いていると、ふと、思う。
「あ、いいじゃん・・・」


 昔、マーケティングの仕事をしていたときのわたしの初めの頃の仕事は、定性データの打ち込みであった。
 四百枚ぐらいどさっとやってくるアンケートを打ち込む。
 たとえば、新商品である洗剤の使用感レポート。
 一枚に多いときで10問ぐらいの定性データ、もちろん定量データもある
 それを一人で2日ぐらいで打ち込む。

 わたしは、新米だから、ずいぶん遅いし、間違えも多い。
 先輩にからかわれながら、ずいぶんオペレーション力(つまり、ミスひとつなく、データを扱う力なのだが)を鍛えられたが、標準的な力に到達し始めると、どうも、その部署の空気がそういう空気で動いているわけではないことが分かる。

 「あー、○○さん、またやったな・・・。電話電話!」
 「これどうかな? 「ん」かな? 「んー」かな?」
 「「やたー」だってさ、××さん、めっちゃ面白い」

 わたしのいた会社は、定性の神様と呼ばれた創業者が立ち上げた会社、おそらく一般的なアンケート会社を想像すると、まったく違う光景を想像していることになる。
 数千人の専属モニターが会社に所属し、それが会社と密な関係を持っていて、家庭状況も把握している。もちろん、先輩たちは名前を全員覚えている。そのモニターさんの眼力をまとめ企業に提出していた。
 なので、慣れてくると、アンケートを書いている人の状況が鮮明に思い浮かぶようになる。手書きの文字には、その性格が乗っている事が手に取るように分かるようになる。各家庭での様子がありありと浮かんでくる。浮かんでこないような「死んだ」レポートを書いてくると、ひどいときは、電話で問い詰める。
 四百枚ものびっしり書かれた定性の打ち込みを完了すると、その商品の事が手に取るように分かるようになる。
 これは不思議な世界だった。
 何千枚ものアンケートを入力しなければ、到達できない世界。
 もっとも、数千枚なんて一ヶ月で打ち込むのだけど。

 それだけの定性データにまみれていると、その文章が、どう書かれたのかが分かってくる。
 ちょっと脚色が多すぎるもの、
 はしゃぎすぎなもの、
 無理やりに書いているもの、
 何らかの怒らせる要素があって悪意がにおうもの、
 なぜ、それが分かるようになるのか。
 それはよく分からない。
 なんとなく文章ににおいがあるように感じられるようになるのだ。
 創業者の言葉残っている。
 定性データの海で溺れなさい、格闘しなさい、まみれなさい、そうしなければ定性は分からない。
 わたしはパソコン通信でログにまみれて生活していた時期があったから覚えが早かったのだが、たぶん、このデータにまみれて見えてくる世界というものはある。

 Webデザインをやっていたとき、ふとやってきたインターンなどにPhotoShopを教えるとき、100枚のJpegを渡して、色調補正してということをよくやった。
 へろへろになって上がってきた100枚を、今度はわたしはその子を後ろに座らせて一枚一枚全部わたしが補正しなおす。その際に、細かく色調の誤差やら、トーンカーブが甘いとか、レベルの取り方が間違っている、おおこれはよい、といったように寸評を交えながら、手早く補正をかけていく。
 これを何回かやると、だいぶ上達する。
 だから、たぶんPhotoShopの画像補正を教えるには、画像にまみれさせてあげないといけない。
 これは理屈でも何でもなく、体得するということだ。
 わたしがデータベースであるMySQLを玩具でも扱うように、あれこれいじるのは、MySQLをいじくりまわして体得した感覚なのだろう。
 わたしには、たかだかMySQLの本番環境での全文UPDATEぐらいで、びくびくしていた上司が信じられなかった。
 ほんとうのことを言うとわたしの気軽さもいけないのだけど、わたしはこう思っていた。
「UPDATE文ちょろっと投げるだけじゃん。テーブルなんて、コピッてバックアップしときゃいいんだよ」
 わたしはデータベースのオペレーションには自信があったのだ。

 わたしが不思議に思うのは、まみれた経験がない人が、指揮系統の上のほうにいることをしばしば見ること。
 データにまみれ、データと格闘し、データを身体にしみこませる作業は、まるで下っ端の仕事にように取り扱う人をしばしば見かけたこと。
 まるで万能な理論があり、もしくは誰かの頭の中で生まれた「面白そうな」理論があり、世界がそれにしたがって動いているとでも言いたげな人があること。
 オイゲン・ディーゼルが『技術論』のなかで書いているように、発明する、とは、無数の誤謬の皮を剥いで取り出した正しい根本思想を幾多の失敗と妥協を経て実際的成果に帰すことなのである。
■プロイセンの歴史読了、アル・アジフ・・・、もとい! 「技術論」がやってくる。

 だから、もちろん、わたしにとって法律の勉強は法律にまみれることであり、ゲームブックの研究はゲームブックにまみれる事によってしか成し遂げられないと信じる。

 どろんこ遊びをしている人がいて、汚れるからといって傍観している人がいて。
 一方はどろんこ中に面白さを発見し、一方はどろんこ遊びがいかに不衛生かを話す。

 だから、よさそうなどろんこがそこにあったら、いい服着ているからとか、今日髪をセットしてきたからとか、格好悪いからとかそんなどうでも言い訳をくちもとでぼそぼそとつぶやいて、その言葉はそよ風に流されちゃって、何も残んないんだからさ、
 飛び込め!
 飽きたら、また別のどろんこを探せばいい。


 追記:

 これに関しては、一ヶ月ぐらいしたらエントリーにまとめます。
 グラフ理論が直接の原因で書きたくなったエントリーだったりする・・・。






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Last updated  June 5, 2007 05:45:48 PM
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まなかなまなかな@ Re: 三井アウトレットパーク入間へ行ってきた。(01/18) 蘊蓄野郎だな!うざい。
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