ひまわり親子

ひまわり親子

わたしのことー幼児期ー



私の中に最初に残っている記憶はトイレの記憶.
薄暗く狭い団地のトイレの壁には母お手製のひらがな50音表が貼ってあった.
(うち中の至る所に貼ってあった。っていっても2Kなのでたいしたことないが)
トイレに入る度にそれを唱えなければならず、「みかんのみ」などと半泣きで読んでいたのを覚えている。3つ下の弟が1歳くらいの時には私が絵本の読み聞かせをしていたので、おそらく、2、3歳の頃だろう。
トイレも怖かったし、本来用を足す時ってリラックスしておきたいものだが、声に出して読まないと母が見にくるし、間違えれば怒られるのでかなりのプレッシャーだった記憶がある.
ちなみに家の他の場所で母が横に立ってひらがなを読むなんてシーンも合わせて良く覚えている。

歩きはじめたのは10か月頃だったようだ.
早生まれだったせいもあるが、運動神経はかなり鈍かった.
コップで飲むのがなかなかマスターできず、哺乳瓶を使う感覚でコップを持ったままひっくり返っては、頭からお茶をかぶっていたらしい。

それでも幼児期はかなりやんちゃなほうだった。
かなり大きな団地に済んでいたので、よく松の木に登っていた.
ジャングルジムから落ちて必死の思いで一人で家まで帰ったのも覚えている.

この頃の記憶は映像として残っていて、例えば4歳頃にみた夢を2つほど覚えていたりする。

不思議と私の記憶の中には両親の姿は出てこない.とくに母は主婦だったから家にいたはずだが、ひらがなの読み書きに関して意外はあんまり出てこないんだな.弟とこんなことしたとか、仲良しのお友達とこんなことしたっていうのはリアルに覚えているんだが.あと近所の人のこととかも。

文字を覚えたのは早かったので、次々と年齢不相応な本を買い与えられ読まされた.
4歳後半には小学校低学年向けの名作全集みたいなのを読みはじめた.
あまりに年齢不相応なので、最初に読んだ本「アラジンと魔法のランプ』は読むのにものすごく時間がかかった。
絵もモザイク画でくすんだ色の挿絵だったので、嫌で嫌で仕方なかった。
おかげで今も「アラジンと魔法のランプ」は嫌い.

おかげで頭でっかちな子に育っていたようで(母は天才だと思い込んでいたようだ)
起きてる時間に家にいることがほとんどない父のことをこんなふうにいったそうだ。
「お父さん、帰ってこないね.まあおうちに帰っておばさんとこどもの相手するよりは若いお姉ちゃんと遊んだ方が楽しいよね』
母は「頼むからそんなことお父さんに言わないでといった」と語っていたが、この人の記憶もかなり怪しげなのでこれは事実かわからない。

1年保育の幼稚園。
遠足の絵を書いた.
皆場面の絵を書いていたが、私の絵はちょっと独特だった.
用紙の回りに線路を書いて電車を走らせ、その先に果樹園だか芋畑だかの絵を書いて真ん中の方は空白.
一応人も書いていたけど。簡単なもの。
学生時代に改めてみて、『これは・・・』と絶句。
今だったら「完全にスペクトラムに足突っ込んでる・・・』って感想が出そうな絵です.
そんな子だから今一園で友達と遊んだ記憶がないのはしかたない?

小学校に入学して最初の参観日.やらかしました。
隣の席の多動系男の子と当てられるのを競い合って、「はい!はい!はい!」と手を挙げながら、いすの上へ立ち上がった.(この辺はうっすら覚えがある)
最終的には机の上にあがったらしい.
もちろん母には相当恥ずかしい思いをしたと怒られた.
一応行けないことだと言う認識はあったようで、以降二度とはしてません.

大阪には1年生の9月まで住んでいましたが、結構一人でウロウロしていた記憶があります.
ともだちは一学年上か下の子とはよく遊んだ記憶があります。同級生とも遊んだ記憶はあるのですが、やっぱり友達付き合いは苦手だったのかも.


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