カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2007.01.16
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カテゴリ: ヒラカワの日常
昨晩は、田町の大学インキュベーションセンターで
立教大学大学院の講師。
大学院というものが、いかに「現場」で役に立たないか、
実践的な「知性」とはどのようなものなのか、
社長という商売は、いかに楽しいかなどについて
二時間たっぷりとお話させていただく。
もちろん、睡眠誘発ソフトであるパワーポイントは使わない。
ケーシー高峰師匠に学んだ、黒板にチョーク。

ビジネスの講義の場合、

資金調達ノウハウだったり、リスクヘッジだったり、
ポジショニング戦略だったりする。
何だ、役に立つじゃないかと思われるかもしれない。

俺は、この手の授業を見ると、いつも競馬の予想屋という職業を思い出す。
競馬の予想屋とは、次のレースではこの馬がくる、
こう買えばかならず儲かると客に教える商売である。
今はどうか知らないが、
俺が現役だったころの、渋谷の場外馬券売り場の中庭には
野球帽をかぶって、みかん箱の上に立ち、
声を張り上げ、赤鉛筆を振り回しているおっさんがいたものである。

もう、お分かりだろうが、

もし、それが確実な予想であれば、
それを人に教えることは、そのままオッズを上げることに
他ならないからである。(つまり配当は低くなるってことね)
誰にも秘密にしておいて、自分で買うのが
予想屋のおっさんのもっとも合理的な選択であるはずである。

有り得ないことになる。
このおっさんの言うことが、でまかせであることは
かれの儲かっていそうにない風体を見れば分かりそうなものだが、
それでも、いつもかれのまわりには人垣ができていた。

ビジネスにおいて確実なことは、
確実な未来というものは無いということだけである。
確実な未来が無いとすれば、蓋然性に賭けるしかない。
ということで、成功した事例、マーケット状況を徹底的に調査分析する。
予想屋のおっさんも、実はこれと同じことをしている。
血統、戦歴、馬体、騎手、調教でのタイムなど
調べられうる限りの情報をもとに、分析を試みる。
それでも、レースは当たらない。
だから、競馬においては
強い馬が勝つのではなく、勝った馬が強いのだ、といった
格言が生きるのである。
かくて、おっさんも、人垣に並んだ客も
一様に有り金を失って、おけら街道をうなだれて帰ることになる。

では、損をしなかったものはいないのかといえば、
いないことはない。
ひとりは、馬券を買わなかったものであり、
もうひとりは、ファンとして賭け金を、好きな馬に置いたものである。
前者は、最初からこの競馬を賭け事としてではなく、
馬が走る躍動美だとか、騎手が見せる芸術的な手綱さばきとか
競争そのものの楽しさといったものに興味があった。
つまり賭け事の文脈で競馬に参加していなかったものである。
後者の方は、
賭け事には参加したのだが、その賭け事自体が楽しみであり、
それでいくら儲かるのかといったことは、二の次の問題であるようなものである。
両者に共通するのは、
未来の配当に期待していないということである。
かれの賭け金は、競馬そのものを楽しむためのコストであって、
配当は、お目当ての一頭が馬群を抜け出すか、あるいはそこに沈むかといった
息詰まる瞬間に自分が参加できているという愉悦である。
俺もむかし、イシノヒカルというどん尻強襲の名馬の追っかけだったことがある。
暮れの有馬記念には、一儲けさせていただいた。
その金は、後のレースですべて失ったが
彼と一緒に味わった、ラストスパートの痺れるような快感は
いまでも思い出すことができる。

競馬においても、ビジネスにおいても
確実な未来はないけれども、
現在の姿を注意深く観察してみれば、
確実なものはいくらでも、見つかるはずである。





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最終更新日  2007.01.17 00:47:35
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