カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2007.07.05
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カテゴリ: ヒラカワの日常
前回のエントリでは
発作的にポール・エリュアールを引用してしまった。
原詩は、インターネットの中で見つけ
訳は俺がつけたのだが、頭の中には
昔読んだ、嶋岡 晨の名訳が残っていたと思う。
うろ覚えなのだが
「それでもやさしい水は動く」というフレーズを、
鼻歌のように長いこと反芻していたからである。
今回原詩を読んで見ると

ほんと、いいぜ。
この魅力を翻訳するかたちが
なかなか見つけられないのである。

ひょっとして、嶋岡晨は俺のうろ覚えよりも
ずっとうまくやっていたかもと思って
書棚を探したが、見つからない。
思潮社版の安東次男訳『エリュアール詩集』が出てきたが、
これにはPoissonが載っていない。
安東次男は、俺の最も尊敬する詩人の一人であり、
安東訳は名訳ではあるが、
この度は、どうしても、嶋岡訳のPoissonが読みたくなって


いつか、チェーザレ・パヴェーゼを
読み返して見たいと思って書棚を探したが
これも見つからなかった。
二度の引越しの間に、
大切に思っていた本が散逸してしまっているのである。

かも知れない。

俺は、本を読むときに
買ったそばから腰巻を外し、カヴァーを外し
裸にして持ち歩く。
風呂場でも読むし、便所でも読む。
それで、痔にもなった。
気に入った箇所は、やたらと折り目をつける。
分厚い本は、カッターで切って数冊の冊子にして持ち歩く。
『戦争と平和』はそうやって、ちびちびと読んだ記憶がある。
ドストエフスキーは、部屋にこもって、人間関係を図解しながら読んだ。
登場人物が多いのと、同一人物に三通りほどの
呼び方があったりするからである。
読んだ本は部屋の空き地に、ただ積み上げてあり、
周囲に埃がたまっている。
掃除をすると、山崩れが起こりそうなので
放置している。
あんなにお世話になったのに、
随分、失礼な扱いをしたものである。

この度のエントリでは、
何人かの方にコメントをいただいた。
お礼もうしあげます。
しかし、詩と批評の関係に関しては
簡単にはお答えできないし、すべきでもないと思う。
いづれ、どこかで、何らかの形で
書いて見たいとは思う。
でもまあ、お約束はできない。
このところは
渡世の仁義を通すだけでもなかなかの荷なのである。






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最終更新日  2007.07.06 00:28:34
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エリュアール(承前)  
aikagami さん


エリュアールのこの部分の祖形イメージは、イザヤ書の有名な聖句(第46章3節~)を下敷きにしているのではないか、ということです。

ヤコブの家よ
イスラエルの残りのすべての者よ
生まれ出た時から私に負われ
胎を出た時から私に持ち運ばれし者よ
わたしに聞け

私はあなたたちが年老いるまで変わらず
白髪となるまで、あなたたちを持ち運ぶ
私は作ったゆえ、必ず負い
持ち運び、かつ救う

ドストエフスキーなんかもそうですが、聖書の原イメージが縦横に駆使されていますから、キリスト教文化圏にあったエリュアールも必ず耳にしていたはずです。間違いないと思います。意識的か否かは別にして、素敵な「翻案」です。はやりの言葉で言えば「デコンストラクション」でしょうか。 (2007.07.06 04:24:21)

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