これもよくあることですが、最初に読んだこと聞いたこと見たこと食べた味などが刷り込まれて、それに基準というか好みが同定されてしまいがちなものですが、それを割り引いても、私も平川訳の方がいいと思います。それにしても

>「自分自体の意味を消して次に続く言葉を産んでいる」

とはまた素敵な「翻案」です。『I was born』ですね。ちなみに私は中2のとき、国語の授業で「愛はズボン」と聞き違えて刷り込んでしまった苦い?思い出があります。

poisson とは「魚」のことだと思いますが、これは隠語でキリスト教徒のことです。古代ローマ帝国の迫害時代に「イエス・キリスト・神の・子・救い主」のギリシャ語の頭文字をとるとイクトゥス(英語ではイクシーズ)になるからですが、占星学的に言っても、ちょうど春分点が魚座にある紀元後2000年あまりの西欧キリスト教文明期の魚座時代にあたります。これはちょっと穿ち過ぎでしょうか。 (2007.07.09 22:13:04)

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

カフェ・ヒラカワ店主軽薄

2007.07.09
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カテゴリ: ヒラカワの日常
アマゾンの中古本で
申し込んでおいた『エリュアール詩集』が届いた。
モノクロームの色調にタイボグラフィーという
洋書風のカバーのついた
飯塚書店の美しい本である。
発行は1964年。
飯塚書店は、世界現代詩集というものを刊行しており、
嶋岡晨のほかには、片桐ユズル、中桐雅夫など
早々たる詩人が翻訳者として名を連ねている。

モダニズムと反近代、抵抗詩と叙情の分水線が不分明だった時代。
少なくとも「詩」にとってはよい時代であったと思う。
言葉が時代を切り開いてゆくと信じられていたからである。

エリュアールの他には
ドブジンスキー
ブレヒト
ネルーダ
ヒクメット
ロルカ
エフトウシェンコ
ギリェン

知らない名前がちらほら。
みんな何処へ消えたのか。
やはり、俺はブレヒトに目が行く。

で、嶋岡晨はPoissonをどのように訳していたのか。
以下に、全文を引用しよう。


水のかたちを変える。
水は易しく、ひたすらに
触れてくるもののために動く。

魚はすすんでいく、
手袋のなかの指のように。
泳ぐ者はゆるやかに踊る、
そして帆は呼吸する。

けれど優しい水は動く、
触れてくるもののため、
魚のため、泳ぐ者のため、船のため、
かれらを乗せて
運び去る。

どうです。なんか、いいよね。
嶋岡さんの言葉は、いつもやわらかい。
そして、俺はこのかれの翻訳を
「それでもやさしい水は動く」というように記憶していたわけである。
よくあることである。






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最終更新日  2007.07.09 17:53:20
コメント(12) | コメントを書く


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水のイメージの広さ  
平川さんのファン さん
嶋岡晨さんのは、やや具象的なんですね。平川さんの「それでもやさしい水は動く」の方が、水のイメージが広がっているように私には思えます。平川さんの訳の「やさしい水」の方が、「自分自体の意味を消して次に続く言葉を産んでいる」ように、私には見えますね。 (2007.07.09 21:13:33)

エリュアール(続き)  
aikagami さん

Re:記憶違い。(07/09)  
mitch555 さん
本題とは違いますが、詩人たちの中でエフトシェンコの名前に懐かしさを覚えました。私が大学生の頃ですから30余年前になりますが、大江健三郎の司会で本人による詩の朗読会が多分御茶ノ水界隈でありました。大江見たさに行ったものですが、エフトチェンコに限らず、当時の詩には(洋の東西を問わず)何ともいえない「香り」があったように記憶してます(私は吉増剛造と飯島耕一を耽読してましたが・・・)。 (2007.07.09 23:07:10)

Re:エリュアール(続き)(07/09)  
平川さんのファン さん
aikagamiさん

> poisson とは「魚」のことだと思いますが、これは隠語でキリスト教徒のことです。

はじめて知りました。面白いですねえ。「水」とか「泳ぐもの」とか「舟(嶋岡訳では船)」とかも、別の意味があるんでしょうか? (2007.07.10 00:25:53)

Re:平川さんのファンさん  
aikagami さん
エリュアールがそういう隠喩を込めていたのかどうかは、他の作風を知らないのでわかりませんが、象徴学的には「水」は「霊性」に関係します。「泳ぐもの」はちょっとわかりませんが、そのまま「人間」かしら。「舟(嶋岡訳では船)」は大乗・小乗の言葉がある通り、そのまま宗教的な乗り物、キリスト教的に言えばそのものずばり「箱船」でしょうね。

繰り返しますが、これはひとつの読解であって「詩」の解釈ではありません。「詩」は内田さん言うところのタルムード読解と同じく、多様な読みを許す開かれたテキストであり、閉じると死んでしまうもの(読み継がれなくなるもの)だと思います。死んだ魚より生きた魚の方が美味しいですよね。 (2007.07.10 00:53:23)

記憶違い  
aikagami さん
>英語ではイクシーズ
ではなくて、pisces ピクシーズですよね。どうもファッション・ブランドの名前が刷り込まれていたみたい。お詫びして訂正致します。よくあるんだ、こういうこと。すみません。 (2007.07.10 01:25:05)

連続投稿度々すみません  
aikagami さん
「動く水」であり「うながす」のですから、やはり流れのある水、つまり川ということになるのでしょうか。詩編第46篇には、

神は我等の避けどころであり力である
悩める時に親しく助け
それゆえたとえ地は変わり
山は海の間中に移るとも我等は恐れず
たとえ海の水が鳴り響き、泡立つとも
そのざわめきによって山震え動こうとも
我等は恐れない

ひとつの川がある
その流れは神の都をよろこばせ
いと高き聖なる住まいをよろこばせる
神がその中におられるので都は揺るがない

う~ん、ここまでやるとちょっとうざい。最初のなーんにも知らないで詩句を反芻していた時の方がいいみたい(だったら書くなよ!)。 (2007.07.10 01:56:43)

水のやさしさ  
コーギー さん
「やさしい水」って言葉いいですね。
そんな「やさしい水」が、自分の体の内部を
日夜隅々までへめぐっている。
そう考えるとなんだかドキドキしてきます。
私たちの生の根本には、水からのやわらかい優しさの贈与がある。そんな気がしてきました。 (2007.07.10 02:23:17)

連続投稿(しつこい)  
aikagami さん
>英語ではイクシーズではなくて、pisces ピクシーズですよね。

ではなくて、pisces はピシーズですよね(もういいっ !! ) (2007.07.11 00:04:57)

Poisson  
わど さん
すごく西洋的な描き方だなと思いますし、この詩にエリュアールさんがどんな思いを込めたのか、それはさっぱりわかりませんけど。詩の中の「優しい」という言葉に、普通の「優しい」とはまた違ったものも聞こえてくるような気がしています。
日本でいえば、「色即是空、空即是色」とか「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、あと「月日は百代の過客にして、行かう年もまた旅人なり」とかに、ちょっとだけ似た響きも感じて。
この詩のサビ(?)にあたる部分を「それでもやさしい水は動く」と平川さんがご記憶されてきた理由は、この激烈な社会を歩き続けた重い足音が、影のように詩に重なってきたからかも。
という読みには、あまりにも酷すぎるいまの社会が圧しかかっているのですけどね。それに最初、「Poisson」を「毒」と読んでいましたし・・・orz。 (2007.07.11 01:32:08)

老婆心あるいはおせっかい  
一フランス語教師 さん
詩は門外漢ですが、フランス語教師として一言。
eau douce は普通「淡水」という意味です。
もちろんこの詩で「淡水」と訳したら違和感がありましょう。
「おだやかな」「やさしい」「やわらかい」などがいいのでしょうが、
「淡水」,「川の水」をフランス人が思い浮かべるということは念頭に置く必要があると思います。 (2007.07.11 16:36:11)

連続投稿(もう勘弁してくれよ)  
aikagami さん
日本人の理解が及びにくい概念のひとつが「恩寵」という概念です。これは神の慈愛が一方的な贈与であり、取引や等価交換の不可能な、そこに条件が入りようのない無償の愛だということです。これもイザヤ書の有名な箇所(第55章8節~)からの引用ですが、

私の思いは、あなた方と異なり
私の道は、あなた方と異なっていると
主は言われる
天が地よりも高いように
我が道は、あなた方の道よりも高く
我が思いは、あなた方の思いよりも高い

天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず
地を潤してものを生えさせ、芽を出させて
種撒く者に種を与え、食べる者に糧を与える

このように、私の口から出る言葉も
虚しく私に帰らない
私の喜ぶことをなし
私が命じたことを果たす
あなた方は歓びを持って出て来て
安らかに導かれてゆく

情報も愛も水も高い所から低いところに流れます(だからお高くとまっていると、裸の王様になってしまうというわけです)。この詩が謳っているのは、「それでも動いてやさしくうながす水」ですから、やはり私には神の慈愛を詩っているように思えます。

> 水のやさしさ?(@コーギーさん)
「やさしい水」って言葉いいですね。そんな「やさしい水」が、自分の体の内部を日夜隅々までへめぐっている。そう考えるとなんだかドキドキしてきます。私たちの生の根本には、水からのやわらかい優しさの贈与がある。そんな気がしてきました。

とくれば、やはり私は、私たちの体を貫いて私たちを生かしている命の源泉である神の被造物への愛を思い浮かべてしまいます。私はもう余りドキドキしなくなった、すれっからしですが。 (2007.07.11 22:23:05)

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